第138話 穏やか牛魔王
幻夢境の普陀山より旅立った三蔵法師、白馬の玉龍、勇気のライオン、ハングリータイガーは猫の都ウルタールを目指していた。
オズの国出身のライオンとタイガーは二日もあればウルタールに到着できると考えていたが、森の中をさ迷って一週間以上が経過していた。
「ねぇ、これ本当にウルタールに着けるの?」
ライオンは半信半疑といった具合でタイガーに訊ねる。
「思ったより日数はかかるね。でも方角は合ってるから大丈夫さ」
「……まさか三蔵法師がこんなにも疲れやすいとは」
旅の進行が遅れている原因は三蔵法師にあった。
彼にライオンや虎ほどの体力は無いのだ。
「私が足手まといになっていることは承知している。
だが、ここで君たちに置いていかれたら死んでしまう」
ライオンは肩をすくめた。
「置いてはいかないよ。かわいそうだし。
けどさぁ、馬に乗ってるのに疲れるっておかしいよね」
三蔵法師は首を横にふった。
「いやいや、馬の背は動くので意外と疲れるのだ」
「ふーん」
ライオンは生返事をした。乗馬しないライオンには意味がわからないし共感もできなかったのである。
「ところで水筒がからになってしまった。
この辺りで水をくめるところはないだろうか」
三蔵法師は竹の水筒を差し出した。
「わかったよ。川なり池なり探してくるよ」
ライオンは竹の水筒を受け取り素直に従った。
彼は三蔵法師のことがあまり好きではなかった。
かつてオズの国を共に旅したドロシーと比べてしまうのである。
ライオンにとってドロシーは少女でありながらも忍耐強く毅然とした振る舞いのできる尊敬できる人物だった。
それに引きかえ、三蔵法師ときたら森で物音がすれば山賊や妖怪の影に怯え。すぐに疲れた腹が減ったと泣き言を言う。
たまにこの男をかみ殺せばどれだけ気持ちが休まるかと想像する。実行しないのは親友のハングリータイガーが悲しむことがわかっているからである。
水を探しに行けば三蔵法師の顔を見なくていいし声も聞かなくていい。気分転換にちょうど良かった。
「王様、俺が玄兄貴を見てるよ」
一方でタイガーは三蔵法師のことを好いていた。三蔵が肉を食べないからである。
この虎は人間、とくに赤ん坊を食べたいと常日頃から思っていた。実行しないのは食い殺すのはかわいそうだからである。
三蔵は仏法の教えを守っているにすぎないが、タイガーからしてみれば肉食を拒みその欲求を喪失させている三蔵を敬愛していた。
だから三蔵といっしょにいることは楽しいし苦にならなかった。
ライオンは野生の直感に従って森を走り清流を見つけた。
まず自分が水を飲み、水筒を清流に沈めた。
水を汲み終わり顔上げて驚いた。
自分のすぐ横で大柄な男が岩に腰掛けていたのだ。
百獣の王としての自覚がなんとか悲鳴をのどの奥に飲み込ませてくれた。
まったく相手の気配を感じなかった。
男が石のようにただじっとしていたからである。
ライオンは相手をよく観察した。灰色の頭髪に頭から延びる太い双角。
この男が牛族であることはすぐに理解できた。
「おじさん、こんにちは。気付かなかったよ」
牛男はじっと川の流れを見つめていたが、挨拶をされてライオンの方に顔を向けた。
「こんにちは。私は君に気付いてはいたが、水汲みに夢中だったので声はかけなかった。
驚かしてはかわいそうと思い、静かにしていたが結局は気付かれてしまったね」
ライオンは図星をつかれたが、ライオンたる者が牛相手に臆してはならないと虚勢をはった。
「驚いてなんかいないよ。ただ気付かなかっただけさ」
「……君は勇気があるね。たいていの動物は私を前にすれば震え上がるものだが。
恐ろしくても君は毅然とふるまっている」
牛男は平静さを崩さず穏やかである。洞察力に長けていて、ライオンが動揺していることを見抜いていた。
ライオンからすれば牛相手に屈辱的な仕打ちを受けているが、同時にこういう王者の風格のある大人に憧れもした。
牛男は続ける。
「私には息子がいてね。猿なんぞに動揺してして取り乱して冷静さを欠いてしまう。
君を見習ってほしいものだ」
「そうなんだ。息子さんが。猿が苦手なんだ。ん?」
ライオンは石に腰掛けた牛男の膝に、自分の背丈と同じくらいの人形が座っているのに気がついた。
顔が赤く塗られて道教神族の普段着をつけている。
「あれ、この人形見たことある。
……あ、善財童子!」
善財童子と聞いて牛男はライオンのほうに顔を向けて大きな目を大きく見開いた。
初めて動揺した様子であった。
「君、私の息子の友達か」
「え、いや別に友達というほど喋ったことはないけど」
「そうかそうか。私の息子の名は本当は紅孩児というのだよ。
友達が来たんだ、紅孩児よ、挨拶しなさい」
紅孩児の人形は腹話術の人形のように口をパクパクさせた。
「カエンソー」
人形の口から出たのは声と言うよりは音である。
ぎこちない不自然な動きは、完全な作り物であることを示していた。
「ええと……」
ライオンは嫌な予感がした。この牛男は頭がおかしいのかもしれない。
作り物の人形が牛男の実の息子であるはずがないからである。
「僕は水を汲み終わったからもういくね。仲間が待ってるから」
この場から早く立ち去ろうと牛男に背を向けた。
三蔵は玉龍から降りて、倒木に腰をおろしていた。
「あのライオンは私を嫌っているんだろうか」
「いや、えーと、ほら、ライオンは動物たちの王様だから。
色々と指図されたり命令されるのが苦手なんだよ」
タイガーは自分なりに気を遣い言葉を選んで答えた。
「それだけが理由なのだろうか。
悟空や八戒は文句や言い訳はよくしていたし、沙悟浄も白々しいところもあったが私のことを慕ってくれていた。
実はそうじゃなかったのかもしれない。
あの三人はライオンに比べて年長者だから、うまく取り繕っていただけなのかもしれない」
三蔵はめそめして涙を流した。
「ばか! 上辺だけの相手が十何年もいっしょに旅をしてくれるわけがないじゃないか。
うちの王様だって置き去りにはしていかないだろ」
タイガーの言葉に三蔵は袖で涙をぬぐった。
「そうだな。なんだかんだ言っても旅に付き合ってくれている」
「ヒヒヒィイイン!!!!」
突然、玉龍が前足をあげていなないた。
三蔵とタイガーの前にライオンが戻ってきた。
「水を汲んできたよ。その、牛が付いてきちゃったけど」
「牛? 私には馬がいる。不要だ。
ライオンよ、君が何を食べようとも意見するつもりはないが、私の目の前で食べるのはやめておくれよ。
おぞましい」
玄奘三蔵は顔を上げて、その牛を見た。
その瞬間、倒木から転げ落ちた。
「ひえぇぇ! やはりライオンは私を憎んでいる。
水を汲むとか言いつつも牛魔王を連れてくるとは!
おそろしい、魂が抜ける!」
ライオンはあきれた。
「なんだこの人。一人で騒々しいんだよ。
え、牛魔王?」
牛魔王は拱手して三蔵に深く頭を下げた。
「三蔵法師様、お久しゅうございます」
三蔵は地面に尻をべったりとつけたまま答えた。
「う、うむ。そなたとはあまり話したこともなかったが。
悟空から聞いておる。神通力、武芸ともに並みの堕天とは比較にならぬそうだな」
「はい、日々の鍛錬は怠っていないつもりです」
「そうか。そうだったのだな。
しかし、その牛魔王が森の中をどうしてさまよっておる?」
「はい、あの崩壊戦争以来よるべき地を失ってしまいました。
なので今はこうして息子と各地を行脚し見聞を広めております。
この新世界には見知らぬ神や国も多く常に新しい発見があります」
「へぇ、二人は知り合いだったんだね。
じゃあ、息子さんが苦手な猿というのは孫悟空のこと?」
ライオンは驚いてみせた。
三蔵法師は立ち上がった。
「うむ。取経の旅の道中に善財童子に出会ってな。
あの二人はどうにも仲が悪い。会えば口喧嘩になる。
となると、善財童子もいるのか。見当たらないようだが」
「カエンソー」
牛魔王が腕にかかえる紅孩児が無機質な声をあげた。
「え」
三蔵法師は人形をじっと見つめた。
そして顔を上げて牛魔王を見た。
牛魔王は慈しむかのように人形の頭をなでた。
「よしよし、紅孩児よ。えらいぞ」
三蔵法師は全てを察し涙した。
口には出さないが心に強く思った。
あぁ、善財童子は死んでしまったのか。
牛魔王は強大な力を持った堕天の王。その王ですら我が子の死に気がふれてしまったというのか。
「牛魔王よ、今日はまだお経を唱えていない。
唱えてもよろしいか」
三蔵法師の発言に、牛魔王は少し戸惑いを見せた。
「この新世界においても仏法を守っておいでなのですね。どうぞ」
三蔵は善財童子のためにお経を唱えた。
牛魔王は玄奘三蔵の真意をまったく読めず、穏やかな表情でその様子を眺めていた。
Fallout76が楽しすぎて困る。つい時間を忘れてプレイしていまいます。




