第13話 エメラルドシティ防衛戦① 四匹目の獣
桃太郎が連れた動物たちが、なぜ猿犬雉なのか。
諸説あるが、その一つに陰陽道との関連を指摘するものがある。
鬼は丑寅の鬼門の方位から来るので、これに対抗するため桃太郎は逆方位裏鬼門の動物たちを用いたという。
しかし、裏鬼門にあたる方位は未申であり猿しか合っていない。そのため、別の説を推す学者も多い。
それとも後世に知られていないだけで本当は羊もいたのだろうか。
孫悟空の分身たちを先頭に立てて桃太郎たちは進軍した。戌は顔をしかめた。
「それにしても、ひどい臭いだ。鼻が曲がりそうだ」
彼の言う通り、辺りは酷い悪臭につつまれていた。
「どうやら、あのトカゲ犬から出ているようだ」
全身から青い液体をしたたらせた猟犬を思わせる怪物の群れ。トラバサミを思わせる口から槍のような舌を突き出しながら押し寄せてくる。
酉が鳴き声をあげて仲間を鼓舞する。
「気持ち悪いが、倒さねばならんでしょう」
足で猟犬を掴み地面に叩きつけた。落ちた花瓶のようにばらばらになって死んだが、敵の数は多い。
戌も応戦したが噛み付くことは避けて前足で潰したり引っかいたりして殲滅していった。
桃太郎は近づいてくる猟犬は申に任せると、手に入れたばかりの弓矢を試してみた。
オズの気球に乗っていたとき、矢に酉の羽根を付けて飛距離を伸ばしてある。残念ながら矢じりを付ける余裕は無かったので先端を尖らせただけである。
桃太郎は弦を引き絞り狙いを定め、放った。
ヒュン、猟犬の喉を射抜いて絶命させた。
そのとき不思議なことが起きた。刺さった矢は死骸に根を生やし、養分を吸い取って小ぶりながらも桃の木になって実を一つ結んだ。
桃太郎は試しにともう二本の矢を使って二匹射殺した。すると先程と同じ結果になった。
申は邪気を養分にして成長する矢だと分析した。
「これなら矢じりは必要ありませんね、かえって邪魔になります。それに見て下さい、猟犬どもは桃の木を避けています。桃の木が邪悪な者を退ける結界の役目をしているのでしょう」
それを聞くと、桃太郎は一見すれば出鱈目と思える方位に矢を討っていった。
しかし、それは百発百中で猟犬に命中し、桃の木の防護壁を作っていく。猟犬たちは桃木の誘導路に閉じ込められた。
酉と戌は安全かつ効率的に猟犬たちを次々に処理していく。
「こりゃあいい。ここの戦いは早く終わらせて他の援軍に行きましょうや」
酉の調子に戌もうなずく。
「そうだな。これ以上、青汁犬の相手していたら前足についた臭いが落ちなくなってしまう」
桃太郎たちの鬼神の活躍に猟犬たちは敵わぬとみて逃げ出した。
そのとき、丸太ほどある触手が桃木と孫悟空の分身をなぎ払った。
よく見れば、その触手は幾重にも束ねられた羊の毛だった。
触手の主、未は叫ぶ。
「そうはいかない。今ここで、あんたたちは死ぬ。もう、あんたたちのために煩わしい思いをするのはたくさんだ! 黒い男の兄から全て聞いたぞ、この反逆者どもめ」
ずぶ濡れで立ちはだかる未に桃太郎は身構えた。
「やはり、化け物を率いているという羊はお前だったのか。聞きたい事は山ほどあるが……。しかし、反逆者というのはどういうことだ?」
「知れたこと。我らは日本の地で生まれ育った。それが故郷の神々を隷属させた大陸の神々のアゴで使われている。恥とは思わないのか?」
申は石を投げつけた。未はそれを角で易々とはじく。
申は怒鳴る。
「お前こそ、得体の知れない化け物に使われているではないか。日本で生まれた誇りは無いのか?」
未は海水で湿った毛を叩きつけて反撃する。
「話をすり替えるな! だが、あえて答えてやろう。誇りなんか無い。否、俺は何も持って無いんだ。守るものも誇れるものも何も無い。欲しかった、名誉も栄光も。だが桃太郎、お前は俺を見捨てた」
未は体毛をしならせて振り回した。毛に仕込んだ砂利や貝殻をとばして目くらましにする。桃太郎の家来たちは飛び道具にひるんだ。未はその隙を逃さず毛や角で追撃し叩き伏せる。
「桃太郎さん、初めて会った日のことを覚えていますか。私も鬼退治に行きたかった。ですが、あなたは私では力不足と言って拒んだ」
桃太郎の家来たちは苦しそうに地面に倒れて呻いている。
未は続ける。
「でもほら、私はこんなに強いんですよ。一人で彼らを倒せるんですから。ですから私のことを認めて下さい。一緒に大陸の神々も、この化け物どもも征服して天地に私たちの名を轟かせましょう」
桃太郎は未の話に耳を傾け、
一息ついて、
そして言った。
「何度でも言う。とくに理由は無いが私はお前の事が好きになれないし必要とも思えない。それに君といっしょにいても何かを成し遂げられるとは思えないんだ。それは今までもこれからも変わらない」
未は地面に倒れた動物たちを見つめた。
理解できず、出す声は困惑に震える。
「どうして、俺はあなたの家来より強いのに認めてくれない。そ、そうか解ったぞ。恐れているんだ。俺が、あんたに取って替わるのを恐れているんだろう」
桃太郎は後ずさりしてうめいた。
「……すまない、私にもよく分からないんだ。そうか、私は君のことを恐れているのかもしれない」
「納得のいく説明をしろよ!」
未は体毛の触手で襲いかかった。桃太郎も刀を抜き斬撃で応戦する。
海水で重くなった毛をバッサリ斬り伏せるが、未は触手の数を増やして叩きつけるので刀だけではさばき切れない。
強打、桃太郎の左腕に激痛が走った。
「っつ!」
更なる追撃で右手に握った刀を取り落とす。
しかし、ここからが桃太郎。刀を失っても戦意は失わず両手で触手を掴んでぶん回して投げ飛ばす。
未とて実力者、ひらりと地面に降り立つと同時に桃太郎に向かって猛突進。
両手で未の双角を受け止める。両者踏ん張って土煙が舞い上がる。桃太郎は左腕の負傷で力が入らず押し負け尻もちをつく。
未は蹄で桃太郎の頭を潰そうと後ろ足で立ち上がる。あわや。
主人を守るため、戌が未の後ろ足に牙をたてる。
「メェッ!」
態勢を崩して前足を踏み下ろす。狙いは外れて桃太郎の顔真横の地面を抉る。
「邪魔だっ!」
戌は頭を未の後ろ足で蹴飛ばされた。先刻の触手での傷も癒えぬまま飛び出したためもう動けなかった。
未は再度、桃太郎への追撃を試みる。
が、次は酉の妨害が頭上から入る。
「えぇい、殴りが浅かったか!」
貝殻を飛ばしての対空攻撃で撃ち落とす。
そのとき未の腹に滑り込む黒い影。申である。
未は悟った、酉は囮だと。
両手に握った桃矢の束を未の腹に目一杯突き刺す。未の厚い体毛を持ってしても矢束ともなれば腕一本以上の太さがあり、防ぎきれず柔らかい腹に致命傷を受ける。
「ギエェエェ!」
ここまでお膳立てがあれば桃太郎とて一撃を喰らわせないわけにはいかない。桃弓で未の頭の左角を殴りつけ粉砕した。
未は泣き叫んで逃走した。
ここは追撃すべきだが桃太郎たちに追撃する余力は残されていなかった。
未と入れ替わるように逃げ出した猟犬たちが舞い戻って来た。彼らは桃太郎たちが未との戦いで疲弊した事を目ざとく嗅ぎつけたのだ。
尖った舌を出し入れする様は、まさに獲物を吟味する貪欲な捕食者そのものであった。
西からは犬人間の軍勢が押し寄せていた。
「殺せ殺せ、目に着くものは全て破壊しつくしてしまえ!」
犬人間たちには知性があるようで意味のある言葉発しながら進軍していた。
これを迎え撃つ南の魔女グリンダは絶望的な状況下においても希望を見出した。
私たちは、敵の事については何も知らない。これによって敵は私たちよりあらゆる面で優位に立っている。
ここにいるのは雑兵たちはたいした情報は持っていないだろうが、敵の正体の糸口だけでも掴めれば突破口を開ける。
グリンダは魔法を使って孫悟空の分身に命令を出した。
数千体の分身たちは規律ある軍隊のように陣形を構え、鉄棒を振るえば曲芸師のように舞い、巨大な風車となって犬人間を蹴散らしていった。グリンダの操演魔法によって形成される一糸乱れぬ連携攻撃は狂いを知らぬ精密機械そのもので敵を震撼させた。
敵陣の一角を崩し、犬人間を一人捕縛した。
「うぐぐ」
「お前たちが何者なのか話してもらいましょう」
グリンダが尋問する中も戦闘は続いている。
分身たちが守りの陣を敷いて敵を寄せ付けないのだ。
「さぁ、お話しなさい!」
グリンダが詰め寄った瞬間、分身の一体が黒い触手に捕る。
そして止める間もなく捕らえた犬人間も捕まった。触手を常に動かしている黒い人型は口のような器官に捕まえた獲物を運んでいった。
食い殺すのかと思った瞬間。
「ギエエ、ギエエエエエッ!!」
大絶叫。
グリンダは思わず両耳を押さえた。空気が激しく震え視界までもが揺れた。
大音響による超振動。
その発生源にいた分身は崩壊し犬人間の頭は風船のように破裂した。
「なんということ。敵に情報を渡すなら仲間でも容赦しないというわけですか」
敵を捕らえるにも、まず人型を倒さねばならないと判断したグリンダは残った数百の悟空分身に命令を下して攻撃する。
「ギエエエ」
人型は触手を振り回して応戦する。グリンダは分身で敵を牽制しつつ、その動きを見定める。
「触手と口部分から発生する大音響。これだけなのか、それともまだ他に……。くっ」
鋭い槍が空を裂いてグリンダの胸元を狙う。彼女は身を翻して槍を掴み投げ返す。
「ぐえ!」
犬人間は腹に刺さった槍を掴んで息絶えた。
敵は人型だけでなく犬人間の軍勢も控えている。彼らが飛ばす矢や投槍にも気を遣わなくてはならなかった。
「まずは犬の軍団を退けなければ……。伸ばせ如意棒!」
分身といえど如意棒の効果は健在で第一撃目を逃れた数百匹の分身たちは如意棒を戦場に張り巡らす。
「へん、こけおどしか。当たってねーぜ」
犬人間たちは嘲った。事実、延ばされた如意棒で敵軍に損害はでなかった。グリンダは同時に人型にも攻撃を仕掛けた。如意棒を人型の頭部めがけて振りかざす分身が一体。
「ギエエ、ギエエエ」
殴打、ならず。分身は触手に捕まる。
人型は音撃を与えようと発声器官を分身に押し付ける。
ここまで全てグリンダの思惑通り。
「伝えよ、如意棒!」
捕まった分身は如意棒を如意棒を足下に伸ばす。そこには先に戦場に張り巡らせた如意棒の一端が置いてあったのだ。
ガツン、如意棒同士がぶつかる。そして人型の大絶叫。這い巡らせた如意棒の網が振動し波打つ。
如意棒は一本につき、およそ八トン。それが鞭のようにしなって波打てば大地を穿ち、一帯にいる犬人間たちは悲鳴をあげる間もなく挽き肉なって辺りに散った。
例えるならばテーブルクロス引きに失敗してグラスや皿そして料理を台無ししてしまう光景。
しかし、人型の大絶叫伝達に用いた分身たちも振動に耐えることができず次々に消滅していった。グリンダが温存した分身はわずか二体。
「この二体をもって、あなたを仕留めます」
両翼からの波状攻撃。
二本の如意棒が人型の両触腕を粉砕していく。
「ギエエッ、ギエェ?」
だが人型には残り二本の触手が健在である。
その一本で分身を叩き落とす、最後の分身も負けじと触手一本を立ち切る。
「伸ばせる如意棒が優位!」
グリンダの命令で如意棒が人型の急所である発声器官めがけて放たれる。
「ギエエエ!」
人型は勝利を確信した。
先に分身一体を落としていたが破壊はしなかった。何故なら分身を破壊すれば如意棒も消えてしまうからである。
叩き落とした分身から奪った如意棒に、残り一本の触手を巻きつける。グリンダが操る分身が伸ばす如意棒よりも、触手を巻き付けた如意棒の方が先手を打った。
襲い来る分身を叩き壊し、触手を振り上げて丸腰の分身に叩きつけ破壊する。
更に、その叩きつけた触手に重心をかけてグリンダに飛び掛かる。
グリンダは魔法の杖を構えて抵抗を試みるが、読み違いをした彼女は出遅れている。
「ギエエェエ!!」
グリンダの視界に黒く不浄な人型が迫り、全身を掻き毟られるような絶叫に聴覚を塞がれる。
グリンダは死を覚悟した。
ザシュッ、一筋の閃光が人型の喉を貫いた。
「ギィ、ギェェ……」
人型は力尽きて地面に転がった。グリンダは人型を仕留めた得物を見やる。
「これは……、三尖両刃刀!」
空より下りた武神は人型に刺さった三尖両刃刀を引き抜いた。
「我は顕聖二郎真君。天界を脅かす賊の討伐の為、配下の犬と鷹の軍勢を連れて援軍に参った。そこの女、怪我は無いか?」
名乗りとともに犬と鷹、そして天界軍五万が地上に降りたった。グリンダは礼を言った。
「ありがとう。貴方のおかげで助かりました」
「それは何より。戦いはまだ始まったばかり、ともに共通の敵を討とう」
真君の差しだした手をグリンダは握り返した。
戦う力を失った桃太郎たちに猟犬たちが襲いかかる。
「諦めるな!」
赤い炎の塊が猟犬どもを蹴散らしていく。
炎を纏った哪吒太子が履くのは風化二輪。空をも焦がす勢いで繰り出される蹴り技は情熱的な舞踊そのものであった。
彼が地に足を着くたびに陽炎がゆらめき、足が離れれば猟犬一匹が灰となった。
この増援に猟犬たちは浮足立って四散した。
「敵は逃げたぞ。追撃せよ!」
哪吒は自分が引き連れた五万の兵を分けて敵の追撃に充てた。
そして、桃太郎に駆け寄り助け起こした。
「この程度の敵に手間取るとは。噂ほどでもない」
桃太郎は苦笑いして哪吒太子の手をとって立ち上がった。
酉は主人を庇った。
「見くびらないでもらいたいな。あのような野良犬どもに遅れはとらない。あの軍勢の大将に消耗した結果だ」
「よせ、戦場での弁明は見苦しいだけだ」
戌が酉を叱責する。酉は不服そうに顔を背けた。
「とにかく、ここでの勝負は決した。君たちはエメラルドの城に戻って休むといい。どうやら北ではまだ戦闘が続いているようだ。私たちは救援に向かう」
哪吒太子は天界軍を引き連れて、北を守る孫悟空の援軍に向かった。それ見送り桃太郎はつぶやいた。
「悟空殿でも長期戦を強いられる敵とは……。いったいどんな敵なんだ?」
悪い予感しかしなかった。