第105話 苦通我経 水の巻 イダ=ヤー伝②
惑星ゾスのでの一夜が明けて、目覚めた妖精たちは続々とエメラルドの宿舎から出てきた。
そして彼らはイダヤが植えた果樹が根こそぎ無くなっていることに気が付いた。
オズマは途方にくれた。
「数日、食事をしなくても死ぬことは無い。けど、旅を続けることは難しい。
出発が遅れてしまう」
ミゴは不安そうに周囲を見渡す。
「果樹栽培はイダヤの仕事。彼女の責任問題じゃないのか。
どこにいる?」
妖精たちは周囲を捜索した。程なくして丘で日の出を眺めているイダヤが発見された。
その横には巨大な未もいた。
ミゴの顔が引きつる。
「見ろ、イダヤの横に羊の化け物が。体毛どころか角まで触手のように蠢いている。
下手に近づいたり声をかけたりしたらイダヤが潰されてしまう」
オズマは目をこらし両者の様子をうかがう。
「いえ、イダヤはあの怪物を恐れている様子は無いわ。
見た目こそおぞましいけれど、危険は無いのかもしれない」
そしてイダヤの方へと進む。
「イダヤ、果樹が全滅してるのだけど何か知らない?」
イダヤは振り返り静かに答えた。
「こちらの未に全てあげてしまったわ」
それに対してミゴは絶句してしまった。
オズマは驚きつつも、努めて冷静に振舞った。
「どうしてそんなことをしてしまったの?
私たちの食糧を用意するのがあなたの仕事でしょ。
これでは私たちの旅程に遅れが出てしまう」
対するイダヤの回答。
「それはわかってる。でも聞いて。
この未は気の遠くなるようなはるか昔からこの星に住んでいて、もうコケしか食べてなかったのよ。
あまりに美味しそうに、幹から根まで食べてしまうものだから。私うれしくて、つい」
オズマは声を震わせた。
「あなた正気じゃない。あなたは一時の情に流されて義務を放棄したのよ。
その意味がわからないの? 恐ろしいことになるわ」
「じゃあどうすれば良かったの? 未を追い払えば良かったわけ?
オズマ、あなたは随分と無慈悲なのね」
「自分の責任を果たしなさいよ! きっともう取り返しがつかない。
わかってるでしょ!?」
「イダヤ、なぜ俺の言ったとおりに答えない?」
未は頭を下げイダヤの胸に押し付けて低い声でうなる。
「果樹を渡さなければ殺されたと言え。脅されたと言え。
事実、お前が邪魔をしていたら殺していた。それはわかっているだろう」
オズマは後ずさる。
「イダヤ、その怪物から離れてこっちに来て」
ミゴも訴える。
「そうだ、イダヤよ。君は脅されていたんだ。
自らの意思で果樹を他者に譲るはずがない。
その化け物に脅されていたと言うんだ」
未も困惑しイダヤを責める。
「ここで俺を庇うことに意味があるのか?」
イダヤは不服そうに未を睨み、そして背伸びして耳の中にささやいた。
「なんでも自分の思い通りになるなんて思わないで。
私はあなたがかわいそうだから、果樹をめぐんでやったのよ」
「なんだとっ!」
未は衝動的に後ろ足で立ち上がり前足でイダヤを踏み殺そうとした。
オズマもミゴも、イダヤの死を覚悟した。
「そこまで!」
大きく威厳のある声が響く。
「ラーライン様!」
オズマとミゴの後ろから、彼らの主人である妖精女王ラーラインが進み出る。
「今の話、全て聞いていました。
イダヤ、あなたは追放です。この星に置いていきます」
「お待ち下さい、ラーライン様」
オズマはひざまずき訴えた。
「オズマは、あの怪物に脅されて仕方なく果樹を差し出したのです。
抵抗したら殺されていました」
ミゴも続く。
「そうですとも、どうか寛大な処置を」
イダヤは首を横にふった。
「いいえ、私が独断でこの飢えた獣にほどこしを与えました」
「俺が果樹を無理矢理奪ったのだ。このような小娘の憐れみなど受けぬ」
未は自信のプライドを守ろうとしたが、結果としてイダヤをかばっていた。
「いずれにしても――」
ラーラインは手を上げて場を制す。
「イダヤが私たちの食糧である果樹を全て失ったことは事実なのです。
これによって私たちの旅は大幅に遅れてしまうでしょう。
全てイダヤの責任であり罪です。
イダヤよ、あなたは罪を償わなければなりません。いいですね」
イダヤはラーラインにひざまずいた。
「ラーライン様、今までありがとうございました」
「イダヤ、あなたはよく尽くしてくれました。ありがとう」
ラーラインは踵を返し立ち去った。ミゴもその後に続く。
オズマはしばらくその場に留まった。
そしてラーラインが視界から消えるとイダヤに駆け寄った。
「イダヤ、あなたなんて無茶を」
「いいのよ。未に会った時点で運命は決まっていた」
オズマは未を睨んだ。
「全部、あなたのせいよ! よく平気な顔していられるわね」
「俺の知ったことではない」
「なんですって!」
イダヤはオズマを遮る。
「ねぇ、よして。あなたも早くラーライン様の後を追ったほうがいい」
「……わかったわ。でも、これを受け取って。お守りよ」
オズマはイダヤに黄金の桃の種を渡した。
「ありがとう。大切に育てるね」
「うん。イダヤ、元気でね」
オズマは涙をこらえ立ち去った。
程なくして上空を妖精の一団が過ぎ去っていった。
彼らはまた新しい土地を探して宇宙を放浪するのである。
イダヤは惑星ゾスに追放され二度と妖精の旅に加わることができなくなった。
残されたイダヤと未。
未は飛び去る妖精たちが飛び去った方角を見上げた。
「……これで良かったのか」
「良いも悪いも、もうどうしようもない。
ならせめて、この星を住み良い場所にしないと」
「住み良い?」
「そうよ。ここはコケしかないじゃない。
私は嫌よ。毎日コケを食べる生活なんて。あなただってそうでしょう?」
「それはそうだが」
「だから、私はこの星を果樹でいっぱいにするわ。
あなたは殺すことや壊すことが得意そうだけど、これからは育てることと我慢を覚えてもらいますからね」
「なに?」
「だってそうでしょ、果樹を植えてもあなたが片っ端から食い尽くしたら種が全滅してしまう。
そうなれば毎日コケの日に逆戻りよ。育つのを辛抱強く待ってもらわないとね」
「むぅ」
うなる未をよそに、イダヤは笑顔浮かべて荒地に果樹の種をまいた。




