第102話 惑星ゾスの緑衣仙女
惑星ゾス。濃緑の空が果てしなく広がり、大地は草原と森林に覆われている。そのためゾスは宇宙の旅行者たちからは緑の惑星と呼ばれていた。
天冥崩壊戦争の折、幻夢境へ逃げそびれてしまった道教神族がこの星に流れ着いていた。
緑衣仙女、七仙女の一人である。彼女はこの星の主イダ=ヤーに救われて果樹の育成方法を学んでいた。
「ふぅ……、ふぅ……」
イダ=ヤー直伝の魔法を用いて、地中から空まで水を引き上げる。
その水を雨にして畑にまくのである。しかし、ただ雨を降らせればいいわけではない。
桃、梨、ブドウ、バナナ、パイナップル……千種を超える果物が栽培されている。それぞれの性質に合わせて水を与えなくてはならない。
果樹によって必要な水の量は異なり、多すぎても少なすぎても良い果実は育たない。
果物と天候の知識と正確に雨量を調整する繊細さが求められる作業である。
緑衣仙女は初めの頃はいくつもの果樹を枯らしてしまいイダ=ヤーをひどく悲しませた。
しかし、めげることなく年月をかけて修練することで必要な水量を覚え、それを操る魔術も洗練させた。
「今や私の天候術は竜族にも劣らない」
それゆえに感覚に磨きがかかり、日ごと異なる空気の違いを敏感に感じ取ることができるようになっていた。
その日の空気はとくに違っていた。
「……空気が重い。空に何か不純物が混じっている?」
正体がわからない。
しばらくすると空はいつも通りの澄んだ風を運んできた。
「……なんだったんだろう? もしかして誰か来た?」
緑衣仙女は近くの大木に手を当て目を閉じた。
植物は脳が無くても知恵を、心臓が無くても心を持っている。動物とは異なる概念と感覚で世界と向き合っている。
彼らには語る口も、聞く耳も必要なかった。大地に巡らした根に水を、空に広げた葉に光を受けて森羅万象を捉える。
よって知識豊富で感情豊か。一生その場から動くことができなくても退屈したり暇を持てますということは無い。
緑衣の行為は、その植物と心をかよわせ事象を捉える術である。
「……遭難者? 二人。一人は人間。もう一人は? 案山子?」
森の木々に導かれ林の中に分け入る。草の上に倒れる遭難者を発見した。
下半身を失った案山子。腕に頭ほどの円筒缶をかかえている。
「案山子か。しかし人間はいない」
「お嬢さん! 私は人間ですぞ」
緑衣仙女は突然喋りだす円筒缶に驚き腰を抜かしてしまった。
カカシは緑衣仙女を見上げる。
「これはこれは、お嬢さん、驚かせてしまって申し訳ない。
この缶、どう見てもただの缶にしか見せませんが、中には生きた人間の脳が入っているのです」
緑衣は息を整えて、落ち着きを取り戻していった。
「……生きた人間の脳を缶に?
私はここで植物学や気象学を学んで才色兼備の天女を自負していたのだけれど。
専門外の分野ではまだまだ知らないことがたくさんあるのですね」
そして立ち上がり拱手して礼を述べた。
「カカシさん、ありがとう。
あなたがいなければ外の世界に出たとき無知をさらけ出して恥をかくところでした」
カカシは嬉しそうにうなずく。
「どんなに学んでも知識の種が尽きるということはない。
知らないということを知ったことで一つ賢くなったわけですね」
「解せぬ」
和気あいあいとする二人に、脳缶ヘンリー・エイクリーは面白くない。
「私が喋るのを驚くくせに、案山子が喋ることには驚かない」
これに緑衣仙女はくすりと笑う。
「だってカカシさんは口があるじゃないですか。喋れて当然ですよ。
ところがあなたは口がない。口が無いものが喋ったら誰だって驚きますよ」
「なんて失礼なアジア人の小娘だ!」
「誰が小娘ですって!? これでも人間よりかは長生きしてます。
缶詰のくせにえらそうに」
「ミ=ゴ様よりもたらされた偉大な発明品を愚弄するか!」
カカシは喧嘩を始めた二人をなだめる。
「まぁまぁ、言い合いをしたって仕方がない。
ところで、あなたの出で立ちや立ち振る舞いを見るに、道教神族とお見受けしましたが。
ここは道教神族の土地ですか?」
緑衣仙女は首を横にふる。
「いいえ、ここは惑星ゾス。イダ=ヤー様の果樹園の星ですわ」
「えっ、ここがゾス? セラエノで読んだ書とはまったく違う。ゾスはもっと荒廃した星と聞いていた。
ゾスにイダ=ヤーが住んでいるという情報は合っているが。ゾスは二つあるのかな」
ヘンリー・エイクリーはゾスの食い違った情報に興味を持った。
「ふむ、やはり書物だけでは不確かなことがある。いかにセラエノの蔵書が偉大であってもだ。
自ら体験することこそ最大の勉学。ゾスについて調べてみようではないか」
しかし、カカシは早くカルコサへの旅に復帰したがった。
「ここがゾスということは予定から大きく外れている。
実は僕らはカルコサを目指して旅していたんですが、宇宙の旅の途中で長髪の豹に襲われてここに流れ着いてしまった。
……何にせよ、失った下半身を作りたい。このままじゃ歩くこともままならない」
「そうですね、えっと、材料は案山子に使うワラとかで問題ないですよね?」
緑衣仙女の問いかけにカカシは答える。
「そうだよ。新鮮なワラや布、そして顔を書き直すインクがあれば尚有りがたい」
「わかりました。すぐ直しますね」
緑衣仙女はカカシとヘンリーを近場の納屋に運び込んだ。
そしてカカシに指定された材料を使って案山子の下半身を作り上げた。
出来立ての下半身と上半身を組み合わせてカカシは完全な姿を取り戻した。
「お嬢さんのおかげでまた自力で歩けるようになった」
「お嬢さんだなんて固い言い方しなくてもいいですよ。
私は緑衣仙女といいます。緑衣でいいですよ」
「緑衣、わかった。ありがとう、これでまた旅を続けられる。
と言っても今度はゾスから飛び立つ方法を考えなくては」
これをヘンリーが高い声で遮る。
「いや、ゾスの謎を解くの先だ」
「……あのね、この星の現実と書物との食い違いはそれほど大事なことなのかい?」
「脳を持つことを誇りにするカカシとは思えぬ発言。間違いを正さなくてはと思わんのか?」
「時と場合によるさ。他に優先させるべきことがある
あっ、とくべき謎はある!」
カカシは突然叫ぶと、身体の中にしまいこんだ『苦通我経』を取り出す。
「この書はニャルラトテップがオズの国に攻め込んできた原因の一つ。
あなたなら読めるんじゃありませんか?」
緑衣仙女は受け取りながら答える。
「これは経文ですね。私は仏や菩薩ではないので経文の読み方はわかりません。
ですが、単語をひろうことならできます。これは『苦通我経・風の巻』」
そして巻物を広げる。
「とりあえずよく使われている単語を拾っていきますね。
オズの国、ウィンキー、西の悪い魔女、ハスター、カルコサ、シュブ=ニグラス
あぁ、復讐とか報復とか書いてある。あまり穏やかな内容じゃないのかも。
他にも色々ありますね。――多分、これは接続詞じゃないかな」
「ワンダフル! そこまでわかればかなりの部分が解読できる」
ヘンリーはカカシを非難する。
「まったく、私の疑問はそっちのけで、自分の疑問にご執心。
随分と手前勝手ですな」
それを受けて緑衣仙女は閃く。
「そうだ。ぜひイダ=ヤー様にお会いになってください。
私がここに来たときは既にここは植物があふれる星で、イダ=ヤー様が住んでいました。
もしかしたらゾスの古い話が聞けるかもしれません」
「なるほど、この星の主人なら何か知っているかもしれない。
ヘンリー、イダ=ヤーから話を聞けなかったら諦めてほしい。
僕は早くカルコサに行きたいんだ。そして風の巻をよく調べたい」
「ふむ、納得できないが、いた仕方あるまい。よかろう」
こうしてカカシとヘンリーは緑衣仙女の案内でイダ=ヤーの住まいへと向かう。




