第四章【1】
あたし達が都内に戻ったのは、ドアがわらわら沸いた後、二日ほど経ってからだった。
結局誰が置いたのか判らないビーコンの事は解決してないけど、とりあえずどこでもドア消去装置がちゃんと動くから、見張り役としてのあたしのお仕事は終わり、ってことらしい。
晴香のこともそろそろ気になってたし、ちょうど良かったかもしれない。
「都内はやっぱ違うんだね~」
あたしらの東京都とはだいぶん違うけど、車の中から見るとそれなりに街の中っていう感じがする。
「あ、そういえばさ、ここって都じゃなくって、市だってさ」
「え、なにそれ」
「東京都じゃなくて、東京市なんだって」
「うわ、なんか一気に田舎っぽくなった」
八王子とかなら判るけど、渋谷のあたりが市っていうのはなんとなく、変な気がする。
「レトロなんだし、しょうがないじゃん」
そんなこと言ってる間に、あたしらを送ってくれた車は相田さんちに着き、あたしらを下ろしてから出かけていった。
しばらく、ここで待ってろって事らしい。
「……やること、ないね」
「晴香の手がかりでも探す?」
人の荷物をかき回すなんて、あんまり良い気分はしない。
一度見ておいて欲しいと頼まれてはいるけど。一応調べてはあるんだけど、雅之氏も横田さんは直接見てなくて、こっちの人たちにはあたしらの『普通』が良く判らないから、晴香の持ち物に異常があるかどうかは正直、よく判らないってことだった。
もしかしたら他の人には判らなかったものが見つかるかもしれないから探してほしい、と言われてたから、とりあえず見てみる。
晴香が書いたというメモは捜査の人に持って行かれたみたいで、残っていたのは普通のバッグに入ったノートとか携帯だけだった。
でも。
「ストラップ、一本足りなくない?」
茜がしげしげと携帯を見てから、ストラップを揺らしてみせた。
晴香の携帯についてたストラップの一本。HARUKAとアルファベットのサイコロをつなげて作ったビーズの飾りつきのが、なくなってた。
「あ、それって、確か」
誰かから貰ったとか言って、晴香が自慢してた奴だ。
シルバービーズと皮紐で作ってあったストラップ。誰かが彼氏に貰ったんだろうとツッコミを入れたら、晴香がのろけて、みんなで冗談だと思って笑ったんだった。
……って事は。
「あの、遠山とか言う蛇男にもらったのかな?」
で、それが消えちゃってる、と。
「そんなこと言ってたっけ?うっわー、晴香、男の趣味悪っ」
茜はどうやら、あの蛇男が嫌いみたいだった。
あたしもあんまりいい印象持ってないけど。
そもそも、あたしらがこんなとこにいるのって、全部あいつのせいなんだし。
「わざわざ外して持ってったのかなあ?」
「どっかに落ちてない?」
探してみたけど、見当たらない。
お掃除の女中さんにも聞いてみたけど、やっぱり見てない、という答えが返ってきた。
「ねえ亜紀、他になんか失くなってるもの無いかなあ?」
晴香の着ていたコートのポケットも、一応探ってみた。
「定期入れ、無いみたい」
散々ひっくり返してみたあと、あたしと茜はなくなっているものをリストアップしてみた。
お財布と、手帳と、定期入れと、ストラップ。ノートは学校のと塾のがちゃんと入ってたけど、他の物を持ってなかったかどうかまではさすがに判らない。
「ここでお財布持ってたって、あたしらのお金って使えないよね?」
なんか、使えないものばっかりがなくなってる。
「うん。監視局の人が没収してったのかな?」
茜も、首をひねってた。
「持ってって何するの?」
「うーん、意味無いよねえ」
晴香が戻ってきても気を悪くしないように、コートをクローゼットに戻しておく。
……あ。
「コート、残して行ってるね」
なんで今まで気が付かなかったんだろう。
コートだけ残ってるけど、制服が見当たらない。あたしら三人のブレザーとブラウスとスカートはちゃんとクリーニングしてもらったのに、クローゼットの中に無い。
それに、靴も残っていなかった。
何着て行ったんだろう。ここでコート無しでミニスカートはいてたら、目立つどころじゃないのに。
そこで別のことに思いついたのは、あたしも茜もほとんど同時だった。
「相田さんに借りてる服、どのくらい残ってる?」
「えっとぉ……たしか、一週間分借してくれたんだよね」
もちろん毎日洗濯してくれるから、持ち出してなければ数はきっちり揃ってるはず。
数は揃ってた。完璧に。残っている下着のデザインは、全部、こちらのものだった。
「ってことは、わざわざ自分の物着てったんだ」
下着は新品を揃えてもらったから、見間違うはずが無い。
「偶然って事もあるんじゃない?」
「見て、晴香って、洗濯が終わったものを奥に詰める癖があるみたい」
たんすに仕舞ってある服は確かに、袖を通してないものが全部手前か、上になっていた。
あたしら三人は洗いあがった服は自分で片付けてるから、女中さんがやったことじゃない。
結構まめなんだ。晴香って。
「この順番で行くと、あたしらが来てきた服って」
「まだ一番てっぺんに来ないね」
「ってことはあの子、今着てる服って」
「コート以外は自分の服だよね」
「……なんでだろ?」
「まさか、着て来いって言われた……なんてこと、ないよねえ」
「その、まさかだ」
いきなり後ろから声が聞こえて、あたしは文字どおり飛び上がった。
「横田さん、入ってくる時はノックくらいして下さい!」
茜もあたし同様、飛びあがってから文句を言った。
シリアスモードの厳しい顔で、横田さんが入り口のところに立っていた。
「すまん、今度から気を付けよう。ところで、家捜しの成果は上がったか?」
「もう調べたんじゃないですか?」
「一通りはな。だが、手がかりになりそうなものはメモだけだったそうだ」
あ、そっか。
調べたって言っても、横田さんが自分で調べたわけじゃないんだった。
「まあ、手がかりにはなんないと思いますけど」
「ちょっと茜、いいの?」
あたしはこそっと言いながら、茜をつっついた。
横田さんに下手なことを喋ると、なんか晴香に不利になりそうな感じもするんだけど。
隠すのは気が引けるけど、でもやっぱり晴香が逮捕されるって言うのもあんまり嬉しくないし。
「隠さず話してくれ。あの娘が無実だと思うなら、証明する材料が必要だろう」
こそっと言ったつもりだったのに、横田さんにそう言われて、あたしの顔が熱くなった。
本当に耳いいよね、横田さんて。
あんがい重い足音を立てながら横田さんは部屋の中に入って来て、センターラグの上に広げられた晴香の持ち物を腕組みをして眺めた。
「こうして見ると、いかにも普通の娘だな」
変なのと付き合ってたけど、晴香は問題起こして逮捕されるような子じゃない。
「教育ママに絞られてる、ふつーの受験生ですよ」
茜もそう、フォローしていた。
「しかし、携帯を使える環境ではなかったのが痛いな。通信記録でもあれば、手がかりが増えたのだろうが」
片膝を突いて、横田さんは晴香の携帯を手にとって、しげしげ眺めていた。
ピンクパールのカバーに絵が描いてあるのは、たぶん典子のお小遣い稼ぎだろう。一回百円でやってくれるから。
横田さんは切ったままになってた電源を入れて、メッセージやなんかを眺めていた。
……あれ?
「あの~、横田さん。携帯使えるんですか?」
軍服に、ピンクの携帯は似合わない。そんなことを考えながら、聞いてみた。
「ああ。俺も、君たちの時間線で勤務する事があるのでね。……遠山のメールが一件保存されてるな」
横田さんがあたしらに見せたのは、ファミレスへの呼び出しメールだった。
こんな事になっても、消してなかったんだ。
「なんか、痛々しいよね」
茜がポツっと言い、あたしは何も言えずにうなずいた。
定期とお財布とストラップ。なんか良く分からない組み合わせに、横田さんも首をひねっていた。
「持ち出せるものだけ持ち出した、というわけでもなさそうだな。ストラップは落としたんじゃないのか?」
ハーブティーの入ったティーカップを空中で止めたまま、横田さんは言った。
家捜しが一段落付いたので、あたしらは相田さんと一緒にお茶をしながら相談中。あたしと茜は紅茶なんだけど、横田さんにはどういうわけか、ハーブティーが用意されていた。
男の人なのにコーヒーとかじゃないのが、ちょっと意外。というか、横田さんには思いっきり似合わないお洒落さだった。
「でも、携帯なんてこっちで使ってないですよ?」
持ち歩いてもいないんだから、落とすはず無いと思うけどなあ。
「あのう、その飾りのことですけれど」
おっとりした調子で言ったのは、家に戻って来ていた道代さんだった。
やっぱり、晴香がいなくなったことに責任を感じているらしい。横田さんと違って、道代さんは晴香のことを心配してるだけみたいだったけど。
「掃除の者に訊ねたのですけれど、どこにも無かったそうですわ」
「やっぱり、持っていったのかなあ?」
でも、ストラップだけって言うのが良く分からない。
「携帯ごと持っていけば良かったのに、なんでそうしなかったんだろ」
「それに、制服着ていったのも判んないし」
コートも着ないで、どこに行ったんだろう。こっちはコートが必要なほど寒くないから、忘れただけかもしれないけど。
「なんで、制服着せる必要があったんだろうね」
これも、変な話。こっちにいるなら、制服なんて着てたらすごく目立つ。
……あ。
「こっちにいるなら、だよね」
「亜紀、何の話?」
つい呟いた一言に、茜が聞いてきた。
「制服。ブレザー着た高校生なんて、あたしらんとこじゃぜんぜん珍しくないよ」
「だから何?」
「こっちで制服着てたら目立つけど、戻れば目立たないじゃん」
「そうだけど、戻れなきゃ意味ないで……」
茜の顔色が、変わった。
「こちらでの追い込みはじきに完了するが、転移する可能性は否定できんな」
横田さんがティーカップを下ろす、小さな音がやけに大きく聞こえた。
「たしかに、都内なら全く目立たない」
こんなときでも、横田さんは冷静だった。
「そんな冷静でいいんですか」
ちょっとは慌ててもいいんじゃないの!?
「あいにく、それは俺の仕事のうちじゃない」
なんかムカつく落ち着きぶりだった。
「それに、あちらのほうが人手はある。人間二人以上の移動となれば、検出しやすいしな」
「……生きた人間の移動なら、じゃないんですか」
「ちょっと茜!」
そういう怖いことを呟かないで欲しいんだけど。
「被害者が気絶しているだけでも、移動は格段に楽になる。命まで奪う必要はない」
「その点では安全だと思って、いいですか?」
茜が念を押していた。
「連中がどこまでバカかという問題はあるが、まともな判断力があるなら、生かしておくはずだ」
バカって、何ですかそれ。
「過去の事例から、その確率が高いと判断できる。楽観視するつもりは無いがね」
「事例って、そんなにあるんですか?」
「珍しい話じゃない。しかしごく普通の青少年を、それも殺してまで他の時間線に連れて行った例はほとんど無い」
普通は生かしたまま連れていく、って意味だろうか。それって、もしかして……
「奪還する機会は残っている、という事だな」
ほんとに期待していいんだろうか。
「可能性がゼロにならない限り、絶望しろとは言わん。君達は別途指示するまでここで待機していろ、いいな」
いつもなら腹が立つはずの断定口調が、ずいぶん頼もしく聞こえた。





