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第1話


 1


 ことの始まりは、人里での福引だ。

 小さな商店街の小さな年末商戦の一環で、たいしたものは貰えないはずだった。

 だから、まさか“こんなこと”になるなど、鈴仙はこれっぽっちも予想していなかった。


「“外”への旅行券、期間はアバウト! アタリましたぁ!」


 なにがどうしてこうなったのか、スキマ妖怪がとてもとても、それは実に愉快そうに当選のベルを鳴らして祝う。

 鈴仙は二度とこういったイベントに関わらないと、何にというわけでもないが、とにかく何かに誓った。




 1月半ば、例年よりも積雪量が少ないような、そんな気がする朝。

 スキマ妖怪は寝坊せずに時間通り、どころか、準備を終えて外に出た鈴仙が目にしたのは師・永琳と随分真面目な話をしているようだった。

「・・・本当に大丈夫なの?」

 珍しく、かはともかく不安そうな永琳とは対照的にスキマ妖怪は自身たっぷりといった様子だ。

「勿論。大船に乗ったつもりでいてくださな」

「その船が泥で出来たものではないことを祈るわ」

 なにやら物騒な話に聞こえるのだが、まさか自分に関係のあることではないことを、鈴仙は祈るばかりだ。

 二人の話はもう終わりだったらしく、鈴仙に気づいた二人がやってきて、永琳はやはりどこか不安そうに「気をつけてね」とだけ言って永遠亭・診療所のほうへ行ってしまった。

(見送ってはくれないんですね、師匠・・・)

 主はまだ寝ている頃だろうし、てゐは何故か朝から姿が見えない。

 旅行鞄に忍び込んでいる可能性も考えたが、中身はちゃんと準備したものだった。

(どこ行っちゃったんだろ?)

 連れて行く気が無いことをわかって、どこかに出かけてしまったのだろうか。

 兎たちも見当たらないあたり、永遠亭の近くにはいなのかもしれない。

「準備は・・・、いいようね」

 思考を吹き飛ばすようにスキマ妖怪の声が頭の上から降ってくる。

 いつのまにか鈴仙の目の前には、自分のそれとは随分差がある豊満な胸が。

(というかそこまで身長差あったっけ?)

 胸のことはあえて避け、認めていた以上の身長差があるように見えることを疑問に思って下を見ると、やはりスキマ妖怪はすこし浮いていた。

 そこまで胸の差を主張したいのか、と内心腹が立つが、ここで挑発に乗ってはなにかに負ける気がするのでやめた。永琳には勝てなかったから、むしろ小さい部類の鈴仙を挑発して勝った気になっているのだ。

 正面から睨み返す度胸は無いので、これも一つの敗北と認めて胸から眼を背ける。

「・・・いいわよ」

 正直、行きたくない。何か企んでいるような、嫌な予感しかしないからだ。

 だいたい、例年なら冬眠とか言って姿を見せないこのスキマ妖怪が、突然人里で福引なんてものを始めているところから怪しかったのだ。

 あのときまんまと引っかかった自分に言ってやりたい。「なにを血迷ったの」と。

「じゃ、落とすわよー」

「え? 今なにか変なこと言わ」

 最後まで言う間も無く、足元にぽっかりとスキマが開いていた。それはもう反射的に伸ばした手が縁に触れられない程度の穴が。

 目の前にいたはずのスキマ妖怪も、この一瞬で手の届かない位置にいる。

 最初からこういう送り方をするつもりでいたのだろう。

「きゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・」

 深い深い落下の感覚の中に、何か違和感があった気がしたが、パニックに近い状態だった鈴仙にはそれを気に留めている余裕は無く、到着するまで叫び声を上げ続けるだけだった。

 途中で気づいたのは、「この瞬間を待ってたぜ!」と憶えのある悪戯兎の声が、上から聞こえてきたことぐらいだ。




 今日も寒いな、と思いつつ、自称・普通の魔法使いの霧雨魔理沙はマフラーに顔の半分を埋めるようにして“住処”に向かって歩いていた。

 雪は静かに降っているようで、しかし着実に降り積もり、この調子でいけば昼までに積雪量20センチ程度にはなるだろう。

 隣を歩く風見幽香は平静を装っているが、よくよく見れば寒さに震えているのがわかる。意地を張らずにマフラーぐらい買えばいいのに、とは言わないでおく。

「紫に送られて来てもうじき三ヶ月になるか。ここでの生活にも慣れてきたな」

「慣れるのはいいけれど、私は向こうの向日葵たちが心配でならないわ」

 いまは雪で見えないが舗装された道路。カーブミラー。幻想郷の人里とは大違いな無機質な印象の建物。

 ここは幻想郷ではない。

 憶えの無い抽選が当たったとか、よくわからないことを言う紫によって連れてこられた、未知の土地だ。

 当初は知的好奇心を大いに揺さぶられたものだが、何日か経って、観光ばかりでは生活が成り立たないことに気づいた魔理沙は、空腹のあまりとりあえず誰か、そこらの通行人からお金を借りることにした。

 しかし、それで声をかけた相手がよりにもよって幽香だったのだ。

 同日に連れてこられていたらしいにも関わらず、魔理沙と比べてはるかに冷静に行動していた幽香は、すでにこの世界で金銭を稼ぐ方法を知っていた。

 勿論飛びついた(泣きついた?)魔理沙は、それ以来幽香と行動を共にすることが多くなっていて、この日は徹夜の金策の帰りだ。

(私も正直もう帰りたいが、向日葵のことには触れないほうがいいだろうな)

 琴線に触れて暴れだされたりなんてしたら大事だ。

「あら?」

 もうすぐ“住処”に着こうというところで、幽香が何かに気づいたらしい。“住処”を通り過ぎ、その先に見える家の前に目を向ける。

 1週間ほど前に建てられた家なのだが、いつ、どんな人が入居するのだろうと思っていた、周辺の家々の比べるとかなり大きめの建物だ。

 新築なのに何故か別々で二階建てを三軒建てて、行き来するための渡り廊下でL字型につなげられている。

 まるでグループで仕切られているようで、レンガの塀に囲まれているが、先日こっそり周囲を見て回ったところ玄関は母屋とみられる一回り大きな一軒にしか無く、ほかは窓や勝手口程度のものしか一階には無さそうだ。

 裏庭には何も植えられていない花壇があって、幽香はそれが気になって仕方が無いらしかった。

 その玄関の前、高さ2メートル程度の場所に見覚えのある“もの”がぱっくりと口を開けている。

 スキマだ。

 魔理沙は一瞬の判断で走った。アレをくぐれば幻想郷に帰れるかもしれない、そう考えて。

 しかし幽香はそれを見ているだけだ。ついさっき向日葵を心配していたのに、と思い出した魔理沙は“あること”を考えていなかった。そして幽香は“それ”を考えたために走らなかった。

「・・・きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!」

 幽香が「やっぱり」と溜息を吐いた時にはもう遅い。

 出現したスキマから落下してきた鈴仙と魔理沙は激突し、見事クッションの役割を担ったわけだが、追い討ちにもう一人落ちてきて、一番下にいた魔理沙は危うく朝食をもどしそうになった。




 鈴仙とてゐが落ちてきたスキマが消えると、小さなスキマが鈴仙の手元に現れ、鍵のようなものを落として綺麗さっぱり消えてしまった。

「・・・もう、嫌」

 幻想郷では見られない街並みをてゐは愉快そうに見回しているが、その下敷きになっている鈴仙は涙ながらに不運を嘆いている。

「そりゃ、こっちのセリフだ。はやく、どけ・・・!」

 魔理沙がさらに下敷きになっていることに気づいて、慌てて立ち上がると、てゐはバランスを崩しながらもきちんと着地して余裕の表情を見せる。

 なんだが腹が立つ表情だったが、それよりもまず自分の状況を確かめる方が先だ。

「あーあ、帰れると思ったんだがなぁ・・・」

 下敷きにした自分のことを心配する様子などこれっぽっちも無い鈴仙たちを横目に、魔理沙は服についた雪を振り払いつつ落胆する。

 遅れて歩み寄ってきた幽香が魔理沙の帽子を拾い、雪を払って魔理沙の頭にのせる。

「ま、こんなことだろうと思っていたけどね」

 幽香を見て一瞬鈴仙の体が強張ったが、幽香はそれに気づきながらも優しげに微笑んだ。警戒は解けないが、今すぐに襲われる心配はない・・・のかもしれないと、少しだけ緊張が解けた。

 のせられた帽子の位置を直しながら、魔理沙は先ほどまでスキマのあった空を仰ぐ。

「なにがしたいんだよ、紫のヤツは」

「それより、その鍵は何かしら?」

 鈴仙の掌に落とされた鍵を指して、幽香が微笑む。つまり幽香はもう察していた。

 最近建てられた家。鈴仙たちが落ちてきた場所。手元に鍵。すでにヒントどころではない。

「もしかして・・・」

 鍵穴は扉ではなく、横の壁のほうにあった。不思議な作りだな、と思いつつも鍵を差し込む。

 わかってはいたが、大正解。カチャリと音がして扉のロックが外れた。

「開いた」

「マジかよ・・・」

 そっと覗き込むと、新築の匂いのようなものが漂ってきて、やはりというか人の気配は無い。

「罠とか仕掛けられてたら面白いわねぇ」

「え」

 あえて口にしなかった言葉を平然と言い放ち、幽香は迷い無く家に上がっていく。

「行こうれーせん! 探検だ! 家探しだ!」

 てゐもまた迷いが無い。さきに突入した幽香共々、次々に戸を開けていく姿は、むしろ鈴仙の不安を煽る。

 二人の同類のはずの魔理沙が唖然として傍にいるのが、まだ救いか。




 いつまでも玄関にいても仕方が無いので、鈴仙と魔理沙も中に入り、脱ぎ散らかしたてゐの靴をきれいに揃えて上がった。

 不安が無くなったわけではないが、てゐを放ってはおけない、その想いで一歩一歩慎重に歩く。いつもの調子に戻った魔理沙は先をすたすたと歩いて行ってしまったが。

 途中の部屋をのぞきながら、足音を追って二階にやってきたところで、先を行った三人の姿が無いことに気がつく。

「あれ? みんなどこ? てゐ?」

 まさか本当に罠だったのでは、と不安が鈴仙を襲う。

「れーせん! コレ見て!」

 バンッ!と突然目の前で開いたドアに顔面からぶつかり、派手な音とともに転倒して今度は後頭部を床にぶつけた。散々だ、となんやかんやで毎日のように思っていることをまた思う。

「な、なに・・・?」

 てゐに手を引かれて立ち上がり開かれたドアの内を覗き込むと、あまりに予想外というか、これは罠と言ってもいいのではないか、という光景がそこにあった。

「輝夜様・・・?」

 布団ですやすやと寝る輝夜の姿と、複数のテレビにゲーム、漫画、映像ディスク、さらにはポスターやプラモデル、フィギュアだらけという部屋。まさにニート。これを見せられることがもはや罠。

 見なかったことにしたいという想いで静かにドアを閉めると、よく見ればドアに『かぐやのへや』と描かれた掛け看板のようなものが下がっている。

 廊下を見渡せば、それぞれに『てゐのへや』『まりさのへや』『ゆうかのへや』、そして『れーせんのへや』と描かれた掛け看板が下がった部屋があるのが確認できる。

 どうやらここに住まわせるつもりで、しかも部屋割りがすでに決まっているらしい。来る予定の無かったはずのてゐにも部屋が宛がわれているのが気になる。

「でもせめて『れいせん』にして欲しかった・・・」

 てゐが言うには二階の他の部屋は空き部屋だったらしく、この母屋以外の二軒もすべて空き部屋だったそうだ。

 つまりは他に少なくとも一人、もしかしたら一階のいくつかの部屋にも、誰かが連れて来られるのかもしれないということだ。

 自分の部屋に入ったらしい魔理沙と幽香の様子も見てみよう。

 まずは魔理沙の部屋。一応ノックしてみたが返事は無かった。

「返事ぐらいしてよ」

 開けるとそこは本とガラクタの山だった。

 どうやら幻想郷の魔理沙の家にあったものをそのまま持ち込まれたらしい。なかにはおそらく、紅魔館から持ち出してそのままの本も混じっているだろう。

 部屋の主は久々の所有物(+盗品)に囲まれてご満悦のようだ。楽しそうに本やガラクタをとっかえひっかえ弄くり回している。

 そこまで広くは無い部屋だ。さすがに、家にあった物の全てを持ち込まれているわけではないだろうが、しかし元々の間取りがわからなくなる程の量であることは間違いない。

「これでホームレス生活とはおさらばだ! はっはっはーッ!」

 いまのセリフには触れずにおこう。

「・・・」

 結構本気で引く光景だったので、鈴仙は静かにドアを閉じた。

 次は幽香の部屋か。正直恐ろしくて開けたくないのだが、あの幽香がまるで泣いているような、そんな声が微かに聞こえてきて、恐怖心と同時に興味も高まっていく。

「あの風見幽香が・・・、泣いている・・・?」

 そっとドアノブを回し、ゆっくりと覗き込むように中の様子を確かめる。

「!?」

 声は聞き間違いでもなんでもなく、この光景も見間違いなどではない。

 幽香は膝をつき、胸を抱きしめるようにして、大粒の涙を流して泣いていた。

「うっ・・・うっ・・・。どうして、こんな・・・、酷いわ・・・」

 あまりの光景に鈴仙は硬直。自分も見ようと勝手にドアを大きく開いた、てゐの命知らずな行動もまったく意識できない程に、それは衝撃的だった。

 ドアを開かれたことに気づき、幽香はゆっくりと鈴仙の顔を見上げる。鈴仙はまだ衝撃から立ち直れず、思考真っ白なままに幽香を見つめ返していた。あぁ、私死んだ。そんなふうに考えることも無く、ただ見つめる。

 しかし幽香は抱きしめていた腕をゆっくりと解き、鈴仙に手を差し伸べるように、握っていたものを見せる。

 ここでようやく鈴仙の思考が回復し始め、しかし掌に乗っているそれを認識する程度に。

「向日葵の種?」

 何の変哲も無い、何粒かの向日葵の種だ。

「これは、私の畑の子よ」

 訊いてもいないのに話し始めた。思考が戻ってきた鈴仙としては、一瞬でも早くこのドアを閉じて逃げ出したいというのに。

「三ヶ月前、私がここに連れてこられたせいで、畑の向日葵たちは冬を生きて乗り越えられなくなった。この子達は紫が連れてきた、あの子達の子供」

「え、でも向日葵はたくさんあったのに、それだけ?」

 黙っていればいいものを、てゐは躊躇無く疑問をぶつける。

「そうなの・・・、この子達は“生き残り”なの。残りは食べられてしまったらしいわ、あの亡霊に」

 まずい。鈴仙がそう感じたときにはもう遅かった。

 幽香の感情が悲しみから怒りへと変わってきているのがわかる。

「・・・許さないわ、亡霊」

 種を握る手は優しいままに、幽香の全身から怒りの波長が湧き出ていて、もう鈴仙には限界だ。

 すでに鈴仙とてゐのことは見えなくなっているようなので、声はかけずにそそくさとドアを閉め、しばらくこの部屋には近づかないことにした。

 そういえば、幽香の衝撃の姿に気をとられて、内装がどうなっているのかまったく記憶に無い。

「ま、いっか。怖いし」

 呪詛のようなものが聞こえて来る部屋をあとにして、次はてゐの部屋の前へ。

「っていうか何で用意されてるのよ」

 てゐがついて来てしまうことが、まるで予定通りだったようで気に入らないが、まずは中を確認することにした。

「てゐはもうこの部屋入ったの?」

 そこで疑問。魔理沙と幽香(と輝夜)はさっそく自分の部屋にいたのに、てゐは自分の部屋を確認していないのだろうか、と。

「いんや、わたしとれーせんの部屋はまだ」

 これは嘘で、すでに罠をしかけてある、までは予想したが、はたしてこの短時間でどれほどのものを仕掛けられたのだろうかという疑問もあり、信じていいものか迷いどころだ。

 まさか、子供が一人家に取り残される某映画のようなことになってはいないかと、ドアノブに触れることさえも恐ろしい。

 恐る恐るドアノブに手を掛け、触った程度は安全と判断してゆっくりとノブをひねり、ドア1枚の先を覗く。

「いやいやいやいや」

 予想していた罠などは無かった。しかしまた罠のような存在はいた。

「なんであんた達まで、いつのまに」

 朝から見当たらなかった兎たちが、人の姿で窮屈そうに押し込められていた。

 てゐ配下の妖怪兎たちは、人の姿をとることも出来るが、そんなにも窮屈なら兎の姿になっていれば随分余裕ができるだろうに。

 内装・家具については、てゐ愛用のトラップ製造ツールが持ち込まれている以外は、特に何も無いようだ。

(できればそれは持って来ないでほしかった・・・)

 救出を求めるような表情の兎たちに見つめられたが、兎の姿をとるように指示して部屋をあとにした。

 アレが放置されているということは、本当に罠は仕掛けられていないのかもしれない。そう思って鈴仙は今度は迷い無く自分の部屋のドアを開けた。

「!?」

 振り下ろされる銀の軌跡。間一髪避けると、少しだけ切れた髪がふわりと舞って床に落ちた。

 てゐの罠ではない。いくらてゐでもここまで危険な罠は仕掛けない、と思う。

 心臓の高鳴りは落ち着こうとしないが、起こったことを確認しようと部屋の中を確認する。

「・・・妖夢?」

 自分の声がひどく震えているのがわかる。真っ二つにされそうになったのだから、それも当然だ。

 しかし鈴仙の部屋のはずのそこに刀を振り下ろして立っている妖夢も、切羽詰ったような涙目だ。なにがあったというのだろう。

 気が抜けたのか、崩れるように膝をついて妖夢はまるで、鈴仙を神か仏か、あるいは舞い降りた天使でも見ているかのような、救われた者の目で見つめている。声をかけなければそのまま極楽浄土に導かれて行ってしまいそうだ。

「なんで、ここにいるの? 妖夢」

 ハッとしたように、妖夢の意識がこちら側に帰ってきた。

「わかりません。・・・ただ、今朝目覚めたらここにいて、結界のようなもののせいでしょうか、何をしても戸も窓も開かなかったので」

「ドアを斬ろうとしたの?」

「はい」

 おそらくは八雲紫の境界を操る能力による結界だろう。必死に脱出を試みようとしていたはずの妖夢が中にいて、何の音も漏れていなかったのもそれで頷ける。

 この部屋は外から開けられるまで、中は完全に切り離されており、妖夢だけを残して凍結されていたのだ。

 壁やタンスなどの家具に傷一つ無いのもそのためだ。

「ここはどこなのでしょう?」

「“外”らしいけど、まだ“外”のどこなのかは・・・」

 そうだ。まだここがどこなのか判っていなかった。

 魔理沙が「帰れると思った」と言っていたことを思い出し、魔理沙と幽香はもうここがどこなのか判る程度の滞在期間を経ていることを理解した。

「ちょっと訊いてみる」

 部屋を出ると、ちょうどてゐが例のツールを持って自室から出てきたところだった。兎の山の奥から引っ張り出してきたのだろう。奪い取って捨ててしまいたい気持ちもあるが、いまはそれよりも優先することがある。

「てゐ! ちょっと頼まれてくれる?」

「どしたの、れーせん?」

 ゴルフバッグを背負うように、ツールを隠す気も無い様子だ。

「妖夢の部屋探して。どこかにあるはずだから」

「それなら一階奥にあったけど」

「ありがと」

 一階の探索をしてから二階に上がってきていたらしく、奥まで確認せずに足音を追ってきた鈴仙が通り過ぎてすらいない部屋のようだ。

 しかしなぜその部屋ではなく鈴仙の部屋に妖夢を閉じ込めていたのか、これがわからない。奥の部屋だから気づいて貰えない、とでも思ったのだろうか。てゐや魔理沙、幽香がいて気づかれない部屋など無いだろうに。

 妖夢には自分の部屋を確認してくるように言い、鈴仙は魔理沙か幽香にこの場所のことを訊きに行く。

 幽香の部屋、は素通りして、魔理沙の部屋のドアを遠慮無く開く。どうせノックしても返事は無いのだろうから、問題無いはずだ。

「訊きたいんだけど、ここ、どこなの?」

「んー? “外”だぜ」

 さっきよりは落ち着いているらしく、本をパラパラとめくりながらだが返事はあった。

「それはわかってるの。そうじゃなくて、ここは“外”の、どこなの?」

「“どこ”、か・・・。そいつの答えは難しいな」

 本から顔を上げ、しかし答えを悩んでいる表情でもない。見慣れた暑苦しい笑顔だ。

 答えが難しい、というのもおかしい。住所がどこだとか、博麗大結界からどの程度の距離だとか、“答えを知らない”というのであればまだわかるが、“難しい”というのはどういうことなのか。

「なんせ移動してるからな、この『第63浮遊都市』は」

「・・・え?」

 “外”ではいつのまにか都市を浮かせるような技術が確立されていた。なにがなんだかわからないと思うが、鈴仙もなんだかわからない。

「国連の記録じゃとっくに放棄されたことになってるらしいが、ここの連中はこれがロマンだとか言って、動力を復活させたらしい。といっても大した高度は出てなくて、ちょっとデカイ山とかは迂回しなきゃならないみたいだ」

 あまりに突飛な返答に、「海上を移動してるときは水面ギリギリまで高度を落としてるから、下部のデッキで釣りが出来るぜ」と言っているあたりは唖然としていて頭に入ってこなかった。

「ちょっと待って。・・・いつのまにそんなものが建造されて、いつ放棄されたの?」

 幻想郷は忘れられたものが流れ着く、どうしても時代には取り残されてしまう場所だ。

 しかしそんなものが建造されるほど“外”の技術が進歩しているなど、鈴仙には信じられなかった。鈴仙が月を離れた当時の、月の技術力でもそれはまだ成っていないものだったからだ。

 何かがおかしい。ここは本当に幻想郷の、結界の“外”の世界なのだろうか。混乱する鈴仙の様子を、魔理沙は期待通りといった表情で楽しんでいる。

「建造されたのは28世紀ごろで、今乗ってるこいつを最後に、片っ端から放棄されていったらしい。理由は色々あったんだろ。物資の問題とか」

 時代に取り残されるとか、そういう問題ではなかった。さすがの幻想郷でも時間に置いていかれるということは無い。幻想郷の今朝は21世紀だったはずだ。

「他にもいくつか、ここみたいに動いてるものもあるって話だが、私らが来てからは出くわしたことは無いな」

「え、じゃあ、ここって・・・」

 流石に鈴仙ももう察していた。

「あぁ、そうだぜ。ここは未来、西暦3267年。時代はかなり飛んでるが、どこか別次元に飛んだわけじゃない、確かに幻想郷の“外”の世界だ」

「さんぜっ・・・!?」

 言葉を失った鈴仙に、魔理沙は腕時計のようなものを投げ渡す。

 文字盤もリューズも無いそれのバンドには、アクセサリーというには大きい細長の何かがいくつも通されていた。箱のようにも見えるが、このサイズではヘアピンを何本か入れる程度のスペースしか無いように見える。開け方もわからないので、そもそもそういった用途の物という確信も無い。

「パネルを軽く叩いてみな」

 言われたとおりに何も表示されていないパネルを軽く叩くと、何も無かった宙にパソコンのモニターのようなものが表示される。

 表示された一瞬は驚いたが、このぐらいの技術は月にもあったと思い出し、その感覚で画面を操作していく。

「なんだ、そいつはわかるのか」

「これは、小型の『コンテナ』を制御する『ハンガー』なのね」

「他にも拡張アプリはたくさんあるらしいんだが、生憎ここじゃ『ギルド』の依頼情報を閲覧するやつぐらいしかダウンロードできなくてな」

 いつの間にか、自分の部屋を確認しに行っていた妖夢が戻って来ていて、聞いたことの無い単語だらけに首をかしげている。

「あの、鈴仙、これはどういうことなんですか?」

「ごめん妖夢、あとで説明するから、ちょっと待ってて」

 鈴仙は画面に集中していて、かまってもらえない妖夢は少し寂しそうだ。

 慣れたような手つきで次々画面を変化させていく鈴仙の様子は、いつもの周囲に振り回されて涙目になっている姿からは想像できない程に鋭い。「ほぉ」と魔理沙が感心している間に、鈴仙は確認できる情報すべてを見終わったようだ。

「ありがとう。返すわ」

 「おう」と受け取り、魔理沙は『ポータブルハンガー(PH)』をポケットにしまった。

「欲しけりゃ自分で買いな。高くはないから」

 魔理沙の部屋をあとにし、妖夢に状況を説明するため自室に向かう。

 妖夢に斬りかかられてちゃんと確認していなかった鈴仙の部屋には、やはり幻想郷の自室に置いて来たはずのいくつもの道具や本が持ち込まれており、タンスの中には服も入っていた。

 他に特に変わったものが無いことを確認すると、ようやく腰を下ろし、妖夢にこの状況の説明をする。

 驚きを隠せず表情をころころと変えながら聞いていた妖夢は、説明が終るころにはがっくりとうな垂れていた。

 突然見知らぬ地、しかも遠い未来に連れてこられ、主と離れ離れになったのだからそれも仕方がない。しかしその主が連れてこられなかったのはむしろ幸いだったと、幽香の様子を知っている鈴仙は思った。妖夢にはとても言えないが。

 しかしかける声も見当たらず、しばらくそっとしておくことにした。

 部屋を出て、外の空気を吸おうと渡り廊下にやってくると、窓を開けて冷たい空気に当たる。雪は止む気配を見せず、裏庭はある箇所を除いて真っ白だ。

(あそこには絶対行かない)

 今まさに、せっせと大穴を掘るてゐの姿がそこにあり、その大穴は鈴仙のためのものだとわかるからだ。行けば確実に落とされるだろう。

 バレていることを早めに教えようと窓から身を乗り出して、てゐに声をかけようとした、そのときだった。

(え?)

 何かが鈴仙の足首を引っ張り上げる。体勢を崩しながら後ろを確認すると、糸のような何かによって足首を天井に向かって引っ張り上げられていた。

(これって・・・!)

 遅かった。窓から身を乗り出していたせいで、鈴仙はもう落ちるしかなく、二階から真っ逆さまに落ちて真っ白な地面に激突。と思った瞬間に地面はやわらかく崩れ、それが何であったかを突きつける。

(落とし穴・・・)

 土と雪がクッションになったおかげで怪我は無かったが、穴の上から覗くてゐの「計画通り」と言わんばかりの表情は、警戒しているつもりだった鈴仙の心を抉った。

(部屋に戻るまでに、あといくつ罠があるのかな・・・)

 入り口は玄関のみで、ここは裏庭。遠すぎる、と鈴仙は穴の底で心折れかけていた。




「嫌な時代に連れてきてしまったけれど、あなたたちなら大丈夫。ここで生活することも、『幻想の舞剣』を見つけてくることも、きっと・・・」

 罠にかかるたび上がる鈴仙の叫び声を聞きながら、紫はそっとスキマを閉じ、幻想郷の未来を委ねる次の少女の元へと向かう。

 失われてしまったこの時代の幻想郷を、取り戻すために。




「マリサとユウカ? ・・・聞いたこと無い名前のはずなのに、不思議と知っているような気のする名前ね」

 少女の紅と白でまとめられた服は、東洋の“巫女”のような意匠を持ちつつ、それはまったくの別物のようだ。

 隣を歩く金髪の少女もまた、ブレザーのような服なのだがそれは白と青を基調とした、どこかの学生服ではない。

「察するにあなたと同じ東洋系のようね、『霊夢』」

「でも片方は金髪だったって話よ? 『アリス』」


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