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第八話 客人と茶会・二

 クロヴィスは辛うじて口に含んだ茶を飲み下した。溜息じみた深い息を吐き、どことなしか疲れた風でクレアを見返す。

「悪い冗談は止せ。俺を巻き込むな」

「失礼」

 しれっと言い返されて、また頭痛がぶり返しそうになった。大人をからかうな、とたしなめようとして、止める。それではまるで自分が何かを意識してしまったように聞こえるではないか。そんな訳はないのだ、と胸の内で誰にともなく言い訳をして、クロヴィスはまた一口茶を飲み下す。

「レジェスは確かに、些か――いや、結構……かなり、常人と感性のずれたところがあるが、あれで馬鹿ではないし、愚かでもない。〈青瑶騎士〉としての責任も、きちんと自覚しているはずだ。普段なら、あそこまでの奇行に走ることもない。と思っていたのだが」

 そう、クロヴィスはレジェスをよく知っている。

 レジェスはバリエンテ騎士団の〈青瑶騎士〉の中では一、二を争うほど年若いが、それでも在籍期間自体は決して短くない。十七歳の若さで従騎士から〈青瑶騎士〉に抜擢されて以後、バリエンテの顔として、〈旭光の騎士〉として、眩いばかりに輝き続けているのだ。

 クロヴィスは、ちょうどそのレジェスが〈青瑶騎士〉になる一年前に、故郷であるシャンテからバリエンテの騎士団へと籍を移した。それ以来の付き合いであるから、もう九年になるだろうか。

 シャンテはバリエンテに並ぶ大都市ではあるが、〈青瑶杯〉には参加していない。その代わりに、バリエンテとは優秀な騎士を共同保有という形式で貸し出し、その見返りとして金銭等の対価を受け取る契約を長年にわたって結んでいる。そもそも、シャンテとバリエンテは泡の時代より関係の続く同盟都市であり、クロヴィスが派遣されたのも、そういった事情があったからだ。また、若干十九歳のクロヴィスに白羽の矢が立ったのには、バリエンテ騎士団そのものが抱えていた深刻な問題にも関係があった。

 当時のバリエンテの〈青瑶騎士〉は、極端とすら言える高齢化の中にあった。十八人と定められた〈青瑶騎士〉の中で、二十代から十代の騎士はレジェスとクロヴィスを含めてもたったの五人しかいなかった。残りの十三人の半数近くが三十路を数え、更に残った人員も四十路と五十の山を越えていた。まさに異常事態である。現在でこそバリエンテは〈青瑶杯〉で五連覇を誇っているが、それ以前は低迷していたと言っても過言ではないのだ。〈青瑶騎士〉に任ずるに相応しいだけの力量の若い騎士が自領内に見つからない時期が、異様に長く続いていた。

 〈青瑶杯〉に参加する十大都市には一年の戦果に基づいた序列があり、五年前までは長らくウィンケレ――国土中央に位置するアーラ・ウィア最大の都市であり、空に浮かぶ王城への玄関口でもある――が首位を独占していた。もちろん、五連覇の成績からすれば当然だが、ここ三年ほどはバリエンテがその座を奪っている。

 その首位奪取の立役者こそが、レジェスでありクロヴィスだった。若く有能な騎士はそれだけで人々の注目を集める。それが〈青瑶騎士〉として文句のつけようのない戦果を挙げていくとなれば、尚更だ。何よりも、あくまで傭兵的立ち位置のクロヴィスとは違い、レジェスはバリエンテ生え抜きの騎士である。民の期待が集中し、都市の顔と祭り上げられるのも、自然と言えば自然の成り行きではあった。

 そんな状況にあっても、レジェスは決して慢心せず、常に研鑽を続け、謙虚にあり続けている。クロヴィスは、誰よりもその事実を知っている。クロヴィスは何度も何度もレジェスに真意を問うたが、冷静に振り返ってみれば――自分が少々冷静さを欠いていたこと、そしてそれが何故であるのかは、敢えて深く考えずにおいた――、それも意味のないことだったのかもしれない。

 レジェスは、純然たる騎士なのだ。それも騎士の中の騎士、誇り高き〈青瑶騎士〉。その騎士が、あれほどまでに衝動的な行動に走ったのだ。それが冗談や酔狂であるはずがない。

「それで?」

「別に、レジェスの肩を持つつもりもないが」

 ことり、と茶器を磨き上げられた飴色のテーブルに置く。探るような漆黒の双眸を真正面から見返して、クロヴィスは静かに言った。

「あれは、それだけ君に惚れ込んでしまったのだろう――と思う」

 クレアは応じず、ただじっとクロヴィスを見詰めている。しんとした沈黙が落ちた。

「できない。理解」

「……だろうな」

 ぽつりと、それでいで心底訳が分からないといった風で零された声音に苦笑する。

「ただ」

「?」

「私は、殴った。いきなり。それは、すべき。謝罪」

 苦々しげな風ではあるが、真摯な声だった。ほう、とクロヴィスは小さく笑う。

「君は賢い」

「何?」

「そして、勇敢だ」

「〈私の師〉? 何を。いきなり」

「そのような生徒を持てたことを、私は誇りに思う」

 再び茶器を口元へと運びながら、三月前を思い出す。

 始めは、その存在を怪しんだ。だが、言葉すら通じぬ異国で、懸命に学び、生きようとする姿を見ている内に関心を抱いたのだ。それに手を貸してみたくなった。教えたことをすぐに吸収する賢さや、まさに先の言動に表れたような生真面目さに好感を覚えたことも確かだ。

 だが、それ以上のことは何もない。何もないのだ、と己に言い聞かせる。あくまで自分は語学教師であり、仕事の依頼主であり、それ以上でもそれ以下でもない。

「謝罪の機会を欲するなら、早い方がいいだろう。幸いにも――と言っていいのかは分からんが、今日から明日にかけて、レジェスにはマルフィール城への謹慎を申し渡してある」

「謹慎?」

「君に会いに行くと言って聞かなかったのでね」

『何なんだ、本当に』

「俺にも分かる言葉で嘆いてくれ」

 クレアは何も言わず、ただ肩をすくめる。その割に苦にした風でもなさそうな顔で茶を飲み、

「〈私の師〉」

「何だ?」

「ありがとう」

「それは、何に対してだ」

「先生になった、親切、依頼――それから、今日も」

「礼には及ばない。俺は俺の打算もあって、行動しているにすぎんよ」

「言うところも。そうやって」

「……食べたいものがあるのならば、頼むがいい」

「一つ?」

「二つでも三つでも」

 どこかしてやられた気分で、クロヴィスは溜息を吐く。ありがとうございます、と慇懃に頭を下げたクレアは、早々に店主を呼び出してケーキを注文し始めた。見るも鮮やかなフルーツのケーキと、対照的に深い色合いのビターチョコレートケーキ――メニュー表に施された魔術は、宙に色鮮やかな幻像を映し出していた――を頼んだのが、何となく意外だった。

 店主が注文を受けて去っていくと、クレアは自分を見つめる視線に気付き、にっこり笑った。初めて見る、教え子の満面の笑みにクロヴィスが内心でぎょっとしていることなど露知らず、メニュー表を広げて見せる。

「クノー氏、甘いものは?」

「あまり得意ではないが」

「これ、甘くない。そんなに」

 クレアが示して見せたのは、あのチョコレートケーキだった。そうか、と頷いて見せると、もう一方のフルーツケーキを指し示す。

「こっちは、果物」

「ほう」

「いい? どちらが」

「君が食べるのじゃないのか」

「美味しくない。一人で食べる」

「……そうか。君が好きな方を選べばいい」

「美味しそう。どちらも」

「……そうか」

「半分ずつ?」

「……君がそれで良いのならば」

「ありがとう」

 にんまりと、クレアが笑う。ああ、とクロヴィスは何故か妙に居心地の悪い気分で頷いた。

「クレア」

「はい?」

「今日、これからレジェスの面会に行くつもりか?」

「クノー氏。言い出したのは」

「……それもそうだが。夫妻に話を通す必要があっただろうと思い直してな」

「飛ばす。手紙」

 折よくケーキを運んできた店主に頼み、筆記用具を借りると、クレアは拙い文章ではあるが、丁寧な文字で夫妻への手紙をしたためた。末尾に署名を添えると、羽ペンのインクが乾くのを待って、鶴の形に折り上げる。ふっと息を吐きかけると、紙の鶴は自ら羽ばたき始め、開けた窓の隙間から外へと飛び出して行った。

「随分、魔術が上手くなったようだな」

「日々、勉強」

「良い心がけだ」

 と、答えたものの、クレアの決意は堅いと認めない訳にはいかなかった。半分に切り分けたケーキを受けとりながら、クロヴィスは溜息を吐く。

「この店でのことは、レジェスに話さないように」

「何故?」

「嫉妬とは面倒なものだぞ」

 はあ、と分かったような分からないような顔をするクレアに内心で苦笑しながら、クロヴィスは優雅にケーキを口に運ぶ。甘いものは得意ではなかったはずだが、不思議と美味しく感じられた。

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