第六話 騎士と駆引
エスパルサ夫妻の工房を訪ねた翌日、クロヴィスは〈青瑶騎士〉に与えられた執務室に足を踏み入れるや、思わず天を仰ぎそうになった。
クロヴィスは、十八人いる〈青瑶騎士〉の中でも最も早くに登城する。だが、今日に限っては自分よりも先んじていた者がいた。珍しいこともあるものだ、と思ったのも束の間である。
クロヴィスは、右頬を腫らせたレジェスを冷たい目で一瞥した。
「やあ、おはよう、〈我が師〉」
「お前にそう呼べと言った覚えはないぞ」
「クレプスクロラ嬢は渡さないからな」
「どうしてそういう話になる。そもそも、選ぶ権利を持つのはクレアだろうが」
「早くいい人を見つけろよ」
「お前に言われたくはない、余計なお世話だ」
「俺は見つけたもん」
「お前が一方的に追い駆け回しているだけだ。巡回にかこつけて、また訪ねたな。出入り禁止になるぞ。お前を引き合わせた俺にまでとばっちりが飛んできたらどうしてくれる。万一そうなろうものなら、殴るだけじゃ済まさんからな」
「……本気で嫌われたかなー」
「クレアは無闇に手を上げるような娘じゃない。平手か拳か、どっちだ」
「後者。惚れ惚れするような左腕だったよ――って、俺の前でクレプスクロラ嬢を語るなよ」
「言いがかりは止せ、客観的な感想だ。そもそも、客席にいたのを見ただけで、本当にクレアを気に入ったのか? 他に何か思惑があるのじゃなかろうな」
「ないよ」
「下手をすれば、バリエンテ騎士団はエスパルサ夫妻との繋ぎを根こそぎ失うぞ。お前の無鉄砲で失うには、大きすぎる」
「本当だ。剣に誓って、俺は後ろ暗いことは何も考えてない」
大仰な仕草で、レジェスは肩をすくめて見せる。だといいがな、と呟いたクロヴィスは、それ以上問い詰めることはせず、自分の執務机へと向かった。
レジェスが同僚の騎士たちに笑われ、或いは心配され、或いは白い目を向けられて一日を終える頃には、どうにかその頬の腫れも治まり始めていた。いそいそと帰り支度をする年下の同僚を横目に、クロヴィスは何度目とも知れない溜息を吐く。
「今日は訪ねるなよ」
言った瞬間、ぎくりとばかりにレジェスは肩を上下させた。やはりか、と昨日ぶりの頭痛を感じながら、クロヴィスは叩き付けるように言う。
「何度も! 同じことを! 言わせるな!」
「いやいや、話さなくちゃ誤解は解けないじゃないか」
「今それを試みることが逆効果になると、どうしてそういう思考にはならないのか、事細かに説明してもらいたいくらいだ」
「そりゃあ、愛だよ愛」
クロヴィスは最早言葉も無く溜息を吐いた。周囲の同僚たちは、くすくすと――もしくは、にやにやと――笑ってはいても、決して間に入ろうとはしない。面白がりやがって、と品行方正を義務付けられたる騎士にとってはあるまじき呟きを胸の内に吐き出しながら、クロヴィスは左手の指を鳴らす。
「げっ、ベルトラン、裏切るのかよ!?」
ぬうっと背後に現れた背の高い青年を振り返ると、レジェスはクロヴィスが顔をしかめるようなスラングで我が身の不運を嘆いた。
貴族出身のベルトラン――クロヴィス付きの従騎士にして、〈青瑶騎士〉見習であるその名を、ベルトラン・ヴァンダムという――は、幸いその意味を理解することができなかったようだが、クロヴィスの頭痛の種は増すばかりだ。
「何を仰っているのかよく分かりませんが――裏切るも何も。私は〈我が師〉の命に従っているのみにございますれば」
「レジェス。スラングを使うなと常日頃から言っているだろう」
「使っちゃいけない時には使わないだけの分別はあるさ」
「詭弁だ。日々から心がけておかねば、咄嗟の時に口を突いて出る」
「そこは仲間を信じよう、クロヴィス」
「そういうことは、信じるに足る行動を示してから言え」
「示してるじゃないか」
「ほう、全く反省していないと見える。――ベルトラン、連行しろ」
「ちょっ、おい!?」
ベルトランの唱える拘束術式が、レジェスの身体をがんじがらめに縛りあげる。クロヴィスは厳しい眼差しでレジェスを見据えると、
「バリエンテ騎士団〈青瑶騎士〉が長、クロヴィス・クロード・クノーが命じる。バリエンテ騎士団の利益確保及び保護の為、レジェス・クーロ・ソル・ソリスはマルフィール城内への一昼夜の蟄居を受け入れよ」
有無を言わせぬ宣言に、レジェスが緩く目を見開く。
「クロヴィス、お前――」
「ああ、私は」
「お前もクレプスクロラ嬢に惚れてるのか!」
「この阿呆! どうしてそうなる! お前の頭は何故そうも能天気なんだ!」
堪えがたい頭痛を堪えているような顔で、クロヴィスが怒鳴る。
寸前までの張り詰めた空気は完全に弛緩し、そここから忍び笑いさえ聞こえ始めていた。
「とにかく、お前は一晩頭を冷やすことだ。ベルトラン、私の部屋へ閉じ込めておけ。一時ほどで戻る。それまでの見張りは任せた」
「承りました」
「そういうのを、職権乱用って言うんじゃないのかー。――というかだな、クロヴィス、お前、まさか」
「私がどこに出向こうと、それを説明する義務も義理もあるまい?」
「あーーーー!! くそ、やっぱりクレプスクロラ嬢に会いに行くつもりだろ! 抜け駆けだなんて、お前、それでも騎士か!」
「スラングを使うなと言っているだろう」
「知ったことじゃないね! クロヴィス、命令を撤回」
「する訳があるか、この粗忽者めが。ベルトラン、頼むぞ」
は、と礼を取るベルトランはどこまでも殊勝だった。満足げに己の従騎士を見やり、クロヴィスは颯爽と歩み出す。
「クレプスクロラ嬢にあることないこと吹き込んだら、いくら俺でも怒るぞ、クロヴィス!」
「安心しろ、既にお前の株はこれ以上下がることはないところまで落ちている」
止めの一言を残し、周囲の視線を意にも介さず、クロヴィスは執務室を後にした。




