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第四話 客人の憂鬱、騎士の追想

 硬直したバレリオをロレナに任せると、クレアは逃げるように自室へ戻った。これまでに一度もかけたことのない扉の鍵をかけ、むっすりと窓際の書き物机へと向かう。

 滑らかな木目の板の上では、重石を載せて開かせたままの手帳が、夕暮れが近付き橙色のかかった陽光に照らされていた。もうインクも乾ききったようだ。黒に近い、深い紺色の文字を指先でなぞりながら、クレアは溜息を吐く。

 ぎ、と軋んだ音をさせて、机の前の椅子に座った。黄昏は嫌いだ。

 黄昏は、「クレア」にとって全ての発端だ。空も街も何もかも赤く塗り込められた黄昏の中、かつてクレアでなかった頃のクレアはこの街に放り出された。訳も分からず右往左往し、やがて気が遠くなり――気付けば、この部屋で介抱されていた。ロレナが言うところによると、夫妻の工房の裏で倒れていたクレアは高熱にうかされ、魘されていたらしい。

 後になって何度か記憶を辿ってみたが、その時のことは満足に思い出せた試しがない。辛うじて覚えているのは、夫妻の心配そうな顔と、飲ませてもらった水の冷たさくらいだ。

 ただ、赤く染まった街を当てどなく歩いていた記憶ばかりはやたらに鮮明で、その印象は黄昏への忌避感となってクレアの内に残った。どこかに連れ去られそうな、言いようのない不安を覚えてならない。

 知らず、また溜息が口を突いて出た。手帳を閉じ、机の引き出しにしまう。やる気が出ない。黄昏が気鬱にさせていることも事実だが、やはり脳裏にちらつくのはあの騎士の顔である。

『……なんなんだ、あれ』

 バレリオの対応を見るに、レジェスはクロヴィスと同等か、下手をすればそれ以上に地位ある騎士なのだろうとは分かった。私情を抜きに客観的に見れば、確かに陽気な笑顔のよく似合う好青年でもあったと思う。しかし、あの第一声は頂けない。あの言葉を聞いた瞬間、クレアの中でレジェスの株は暴落した。

 ただでさえ、こちらの世界に馴染むので手一杯なのだ。言葉も文化も違うどころか、故郷においては幻想でしかなかった魔術という技術の存在する世界。傍目には泰然として見えているのだとしても、クレアの内実は決してそうではない。

 大袈裟だと言われるやもしれないが、日々生きる為に学ぶので必死なのである。余計な――しかも、訳の分からないものを抱える余裕はないし、それに付き合うつもりもない。そもそも、初対面の人間に開口一番求婚することからして、一体どんな神経をしているのか。

『二度と遭わないことを祈ろう』

 そして、万が一二度目があるようならば、次こそ責任を持ってクロヴィスに収拾をつけてもらおう。

 勝手にそう決め、クレアはベッドに転がり込んだ。不愉快な時も、やる気の出ない時も、寝るに限る。世界を越えても変わらぬ自論であった。



   ◇ ◇ ◇



「説明をしてもらおうか」

 クレアがベッドの上でうたた寝を始めた頃、バリエンテ騎士団の拠点であるマルフィール城の一室では、剣呑な低音が詰問していた。

 華美ではないが簡素でもなく、趣味の良い内装で纏め上げられたその部屋は、クロヴィスに与えられた私室の一つだ。

 クロヴィスはレジェスと並び、騎士団の頂点に立ち、騎士を統率する〈青瑶騎士(クエルカ・エクタ)〉の一員である。一種の特権階級である〈青瑶騎士〉は、下手な貴族など足元にも及ばないほどの待遇で扱われるのだ。

「そういうことは、殴る前に言うものだろ?」

 頭をさすりながら、レジェスは唇を尖らせる。二十も半ばを過ぎた青年のする仕草ではないが、奇妙に愛嬌があるのが不思議だ。しかし、それに誤魔化されるような〈銀旗将軍〉ではない。

 拘束術式で椅子に縛り付けられながらも、あくまでも反省の色の無いレジェスを見下ろし、クロヴィスは眉間の皺を深める。どうしてこの男はいつもいつも自分を振り回してくれるのか。……とは言え、全く思うところが無い訳でもないのだろう。

 レジェスが真実己の行動に非が無いと認識しているのならば、いかなクロヴィスの手腕をもってしても、容易に拘束はできない。単純な戦闘能力だけで言えば、レジェスはクロヴィスを凌駕している。それは、クロヴィス自身認めていることだ。――が、同僚の馬鹿を諌めるのも、れっきとした仕事である。

「それ以前に、騎士――それも〈青瑶騎士〉ならば、殴られるような行動を慎むべきだとは思わないのか」

 レジェスの正面で腕を組み、仁王立ちするクロヴィスの放つ威圧感は並々ならぬものがあった。気の弱いものであれば、卒倒していてもおかしくない。しかし、その威圧を真っ向から受け止めて尚、レジェスは朗らかに笑った。

「クレプスクロラ嬢は、素敵な女性だよな」

「はあ? クレアとは初対面だろうが、お前は」

 違うよ、とレジェスは微笑む。その表情は決して冗談を口にしている風ではなく、穏やかな真摯さだけがあった。

「クロヴィス、この前の試合にクレプスクロラ嬢を招待しただろ」

 レジェスが知る由もないと思っていた事実をその口から指摘され、クロヴィスは軽く眼を見開く。

「知っていたのか、本当に」

「勿論さ」

 試合――取りも直さず、それは〈青瑶杯(クエルカ)〉の一戦を意味する。

 それについて語るには、些か過去のことから説明をせねばならない。



 発端は、泡の時代にまで遡る。貴族主導の都市国家勃興時代を経て〈青薔薇帝〉の治世が始まり、都市国家群をほとんどその体制のまま残しながらも、アーラ・ウィアは平穏を得たかに見えた。誰もが、平和の到来を信じていた――のだが。

 〈青薔薇帝〉から三代後の〈藍玉帝〉の統治時代になった折、泡の時代の終結以後はあくまでも水面下のものでしかなかった都市間の諍いが、徐々に表面化し始めた。民衆は不安と混乱に陥り、貴族たちは右往左往を始める。アーラ・ウィアは再び戦禍に見舞われるかと思われた。

 しかし、そこで〈藍玉帝〉は人々も予想だにしない政策を打ち出した。その奇策こそが、後世において彼を名君と評させる所以となるのだから、皮肉といえば皮肉である。


 〈藍玉帝〉の打ち出した勅命は、たったの三つだ。

 一つ、全ての都市は、保有する騎士団から任意で十八人を選別し、〈青瑶騎士〉に任ずることができる。

 二つ、〈青瑶騎士〉は騎士道に則り、正々堂々高潔に〈青瑶杯〉を戦うこと。

 三つ、都市間の闘争は、〈青瑶杯〉における〈青瑶騎士〉によるもの以外の一切を違法とし、厳罰に処す。


 すなわち、選別された騎士たちによる直接戦闘の機会を設ける代わりに、その他一切の武力対立を認めないという明文法である。

 〈青瑶杯〉は、殺人の厳禁、騎士道の厳守、五人一組の団体戦の規定などを骨子に、完全なる興行決闘として様々な規則が付加され、勅命の発令から五年の年月をかけた準備の後、開催された。当初反発も大きかった〈青瑶杯〉だが、戦争を好まない穏健派諸侯などから強い支持を受け、やがて王国全土で受け入れられるようになった。

 そうして掲げられた〈青瑶杯〉は、全ての都市に対して参加の門戸を開いた。ただし、参加資格を得るには、興行の場となる競技場の用意から始まり、事細かに設定された規則と条件を達成しなければならない。参加を望む都市は少なくなかったが、多くの都市はそれらの条件を呑むことができなかった。そこまでの経済的、物理的余裕がなかったのだ。

 その結果、〈青瑶杯〉の施行から長い時を経た現在であっても、参加しているのはたったの十都市に過ぎない。しかし、その全てが押しも押されぬ大都市――内乱を首謀するとすればそのいずれかの都市であると目されるほどの――である以上、〈青瑶杯〉は十二分に都市国家間の代理戦争の役割を果たし続けていると言って良い。それも、極めて平穏な争いとして。

 〈青瑶杯〉の規則を定めた〈青瑶法(クエルカーロ)〉では、総当たり方式で全ての参加都市の〈青瑶騎士〉同士が刃を交えることが明記されている。全ての都市と戦う機会が与えられる上、それぞれの拠点都市に相手方を迎えての一戦、相手方の拠点都市に乗り込んでの一戦、計二回ずつ戦うという公平性が、支持の集結に一役買ったことは言うまでもない。

 そして何より、最も勝ち星の多かった都市には、王から直々に賞杯が与えられる。王国において最も優秀な騎士を擁する都市であると、他都市へ分かりやすく優位性を示せる格好の象徴を、各都市の領主たちは喉から手が出るほどに欲した。



 かくして、アーラ・ウィアから内乱の種は駆逐されたに等しいが、その代理としての闘争を請け負う〈青瑶騎士〉の責任たるや、凄まじいものがある。だからこそ、〈青瑶騎士〉は尊崇を一身に集め、貴族もかくやという待遇を受けられるのだが、その座にあるからには、不甲斐ない戦いをすることは万が一にも許されない。

 常に騎士道に則り、全力を尽くし――尚且つ、民衆が納得するような戦いを演ずることが求められる。脆弱な〈青瑶騎士〉の存在など、あってはならない。クロヴィスがエスパルサ夫妻との縁を重要視するのも、この責務に起因する。

 ……とは言え、やはり何よりも〈青瑶騎士〉に求められるのは、その立居振舞の品行方正、高潔なることだ。人々が尊敬し、心から認める騎士でなければ、〈青瑶杯〉に託された意味も価値も失墜する。

 それを何よりも熟知していた〈藍玉帝〉は、〈青瑶杯〉の初開催において、こう語った。


 ――騎士たちよ、選ばれし〈青瑶騎士〉よ、〈青玉帝〉が如く在れ。

 ――頭を上げよ、胸を張れ。汝らは一片の曇りも抱いてはならぬ、輝き続けねばならぬ。仰がれ、尊ばれねばならぬ。それでこそ、民衆は汝らの剣と意志に意味を見出す。それでこそ、戦乱は避けられる。

 ――騎士を名乗る者たちよ。か弱き民衆を戦禍に晒すなかれ。豊穣なる大地を戦火に晒すなかれ。汝らの誇りこそが、人を地を守るのだ。


 それこそが、高潔なる賢君と死後も称えられ続ける先王に由来して「青瑶」を名付け、開催を勅令で断行した王の願いであり、祈りであった。〈青瑶騎士〉は、その切なる祈りを託された、正に騎士の中の騎士なのである。

 クレアは全く理解していないが、その〈青瑶騎士〉たるクロヴィスが、己の誇りを託す剣に相応しい装飾の制作を依頼し、あまつさえ実際に使用しているという事実は、並みの細工師なら卒倒し昇天するほどの一大事だ。それは他でもない〈青瑶騎士〉がその人が、制作者の腕を一流であると認め、身を持って宣言しているに他ならない。その上、〈青瑶杯〉の一戦へ特等席で招待するなど、破格の高評価である。

 バリエンテの〈青瑶騎士〉の長である〈銀旗将軍〉がそこまで心を尽くす細工師の存在が明るみになれば、騎士はおろか貴族までもを巻き込んで上へ下への大騒ぎになることは分かり切っている。クレアがアーラ・ウィアの言葉を満足に話すことができないことも、余計に耳目を集めることだろう。

 平穏を愛するエスパルサ夫妻と、その夫妻を慕うクレアが、その騒ぎを歓迎するはずがない。それらの事情を考慮して、クロヴィスはクレアを特等席へ招待はしても、何故であるかは厳に伏せていたのだが――

「ただ、彼女がその柄飾りを作った細工師だと知って興味を持った訳じゃないよ。単純に、目が引き寄せられたんだ。特等席にたくさんの子供を連れてきて、その子たちをすごく甲斐甲斐しく世話しててさ」

 楽しそうに、嬉しそうに話すレジェスとは裏腹に、クロヴィスは重い溜息を吐く。全く、世の中とは思い通りにならないものである。

 クレアには、確かに「他に連れて来たいものがいるのなら連れて来ても構わない」と伝えたが。伝えはしたが。まさか、近所の子供をごっそり連れてくるとは、さしものクロヴィスも予想だにしなかったのだ。お陰で、要らぬ注目を集めてしまった。

「それで、クレアの名はどこで掴んだ?」

「客席管理の官に無理を言って教えてもらった」

「職権乱用だ。領主殿に知られれば、大目玉だぞ」

「分かってる。でも――いいな、と思ったんだ」

「クレアを?」

「ああ」

「それだけでか」

「それだけ? 俺を射落とすには十分すぎるよ」

「……そうか。が、それはさて置き一つ言わせろ、レジェス」

「何を?」

 屈託なく首を傾けるレジェスの頭に、クロヴィスは二度目の鉄拳を振り下ろした。

「試合中に何を余所見してやがる、この大馬鹿者!」

 その声は城中に轟き、官吏や召使を震え上がらせたという。

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