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第二話 客人と騎士

 クレアが階下の工房に足を踏み入れると、聞き慣れた養父――〈冴えなる祝福〉バレリオ・エスパルサが、何やら話している声が聞こえてきた。ロレナの声は聞こえないが、工房の奥の炊事場から物音が聞こえるところを見るに、来客対応に追われているのかもしれない。

 先にそちらに向かおうとしたところで、

「クレア、クレア! 忙しいのかい?」

 先には養母が、今度は養父が、大きな声で呼ばわった。

 バレリオは穏やかな人となりで、声を荒げたことなど、クレアが知る限り一度もない。その彼がこうも声を張り上げるのだから、明らかにただ事ではない。随分と急いた要件のようだ。クレアは炊事場に立ち寄るのを諦め、大人しく工房へと足を踏み入れる。

「申し訳ありません、書き物をしていました。少し」

 ようやく最低限の意思疎通が可能になった、片言のアーラ・ウィア語で言いながら、クレアは足早に養父の元へと急いだ。大きな棚の脇を抜ければ、その向こうに三つの人影が見える。

 小柄な白髪の老爺――バレリオと、もう一人は知っている。バレリオの常連客の騎士であり、クレア自身も個人的な付き合いがある。

 その名を、クロヴィス・クノー。すらりと背の高い、涼しい顔をした偉丈夫である。紺青の髪を短く刈り整えた、紫の双眸の精悍な面差しは、正にの騎士の中の騎士というに相応しい威厳を帯びている。

 しかし、そのクロヴィスの隣に立つ青年は見たこともない。……いや、ぼんやりと覚えがあるような気はするのだが、どこの誰であるのか、どうにも思い出せない。

 癖のある、少し伸びた黒髪。喜色を露わにした琥珀色の双眸。――その色彩に、引っかかるものは感じるのだが。それよりも、どうして自分をそんなにも嬉しそうに見つめているのかがさっぱり分からない。初対面の相手に向ける表情だとは、到底思えない喜びぶりだ。

 クレアは内心で青年に警戒を抱きながら、養父の傍に歩み寄った。

「バレリオ氏、何か用事ですか? 私に」

「クレア、先日君が作ったアミュレットがあるだろう。クノー殿が引き取って下さった」

 喋るには拙いが、聞いて理解することにかけては、クレアは早くも完全に習得しつつある。それでも聞き取りやすいよう、ゆっくりはっきりと喋ってくれるバレリオの親切が嬉しい。淡い笑みを浮かべて、クレアは頷いた。

「はい、作りました。私は、クノー氏の為に」

「そうだね、あの深い色合いの青玉(サファイア)が見事な柄飾りだ。銀細工も繊細で、まだ教え始めて三月も経たないのだと思うと、末恐ろしく思うほど誇らしかったよ」

 懐かしむように目を細め、バレリオは笑う。ありがとうございます、とクレアが頭を下げると、照れたように空咳をして、クロヴィスともう一人の方へ向き直った。

「この通り、クレアは私の誇るべき愛弟子であり、大事な養女であるのです。

 三月ばかり前になりましょうか、この子は我が家の裏で行き倒れておりました。初めは全く言葉が通じなかったものですから、お互い苦労をしたものですが、幸いクレアはとても賢い。三月でここまで話せるようになりました。これについては、クノー殿の方がよく知っておられることでしょうが。

 しかしながら、それでも身の上を聞くには足りません。こことは違う、遠いところにいた。いつの間にか、と。それだけ話すので手一杯なのです」

「申し訳ありません」

「いや、いや。責めているのではないのだよ、クレア。

 クレアは、おそらく大陸から攫われてきたのだろうと思っております。クレア自身が語ってくれたところによると、父も母も、家族は誰もいないとか。そこに付け込まれ、人買いに連れてこられたのでは。南の方では、未だ大陸から奴隷を連れてくると聞きます」

「なるほど、有り得そうな話です。ここ三月の様子を見ていても、〈冴えなる祝福〉や〈光の紡ぎ手〉に何らかの企みを持って近付いた不届き者とも思えませんでしたからね」

「クノー殿」

 咎めるような声で、バレリオが呼ぶ。クロヴィスはあくまでも飄々とした風で肩をすくめて見せた。

「王室御用達のお二方に何かあっては困りますのでね。それに、疑いならとうに解けています。さもなくば、クレアの細工を買い取り、あまつさえ身に着けなどしますまい?」

「確かに、そうではありますが……」

「なるほど」

 渋い表情を崩さないバレリオの隣で、クレアがぽつりと呟く。おや、とばかりにクロヴィスが視線を投げる。その紫の双眸を、クレアは静かに見返した。

「それが理由でした。貴方が請け負ったことの」

「その通り。私は半ば監視の意図でもって、君に言葉を教える教師役に進み出た。もっとも、まだまだ君には教師が必要だが」

「はい。ありがとうございます」

「……素直に礼を言われても困るが」

 わずかばかり困惑を滲ませた苦笑を浮かべながら、クロヴィスはバレリオへと視線を戻す。

「して、今回は何もクレアの素性を質そうとお訪ねした訳ではありません。先に申し上げたように、既に疑いは晴れています。本題のついでに、お伺いさせて頂いたに過ぎません」

「本題、とおっしゃいますと?」

「このレジェスが、クレアにどうしても会いたいと駄々をこねましてね。――なあ、レジェス」

 クロヴィスが、傍らに立つ青年に水を向ける。つられるように、クレアも目を動かした。驚いた顔で目をぱちぱちさせるバレリオへ、青年は気さくに握手を求める。

「お会いできて光栄です、〈冴えなる祝福〉。レジェス・ソルと申します」

「おお……やはり、かの〈旭光の騎士〉であらせられましたか」

 多少言葉が理解できるようになっても、クレアはまだまだこの国や、街の詳細については疎い。〈旭光の騎士〉の名が意味するところなど、知りもしない。

 分かることといえば、ぼんやり観察をした結果、青年――レジェスはクロヴィスよりもいくらか若いだろうと思えることくらいだった。クロヴィスが二十八だというから、二十半ばというところか。にこりと笑って見せる顔は溌剌として人懐こく、少年のようだ。

 さぞ人好きのすることだろう、と頭の片隅で考えていると、俄かにレジェスの目がクレアへ向いた。その表情に浮かんだ喜色は、一層濃くなっている。

 クレアの目からすれば、不可解どころか怪しいことこの上ない。比例して警戒も強まるが、養父の態度を見るに、それを表に出すことも憚られた。ともすれば、深い皺を刻みそうな眉間を意図して抑え、当たり障りのない挨拶を口にする。

「初めまして。クレプスクロラ・エスパルサと申します」

「初めまして、俺と結婚してくれないか!」

「は?」

 その瞬間、儚い努力も忘れ去り、何言ってんだお前、とばかりの表情を浮かべたクレアを、果たして誰が責められようか。 

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