第十三話 客人と〈青瑶杯〉・前哨
バリエンテにおいて、〈青瑶杯〉は街中の一等地に建設された闘技場で行われる。今のところ闘技場に固有の名は与えられていないが、いずれ〈旭光の騎士〉にちなんだ名付けが為されるであろうとは、もっぱらの噂だ。
クレアはその闘技場を、近隣の子供五人を連れて訪れた。六人分の招待状を手に持したクレアはもう一方の手で最も幼い子供の手を握っており、その子供から連なるようにして他の四人の子供が続いている。競技場の周辺は未だかつてないほどの人出でごった返しており、自然と繋いだ手にも力がこもった。
「手、離さないように。もし離れたら、声を上げて」
噛んで含めるように言い聞かせながら、クレアは子供たちを引き連れて競技場の出入り口へ向かう。大きな門の前では入場を待つ観戦客が大蛇のように列を成していたが、敢えてそこには加わらず、警備に立っている中でも年嵩の騎士を探して声を掛けた。
「失礼、すみません」
「はい? 如何されましたか」
「知り合いの騎士から、招待状をもらっています。これを使って入場するには、どこへ行けば良いですか?」
そう言って招待状を見せると、騎士の眼が丸くなった。それもそのはず、その招待状には彼の〈旭光の騎士〉とバリエンテ〈青瑶騎士〉の長が揃って直筆のサインをしてあるのだ。
「この招待状をお持ちの方には、別の出入り口をご用意しております。すぐに案内をさせましょう――こちらへ」
ややあって落ち着きを取り戻したらしい騎士は、そう言ってクレアたちを促し、歩き出した。言われるままについて行った先は、おそらく警備の騎士の詰所か何かなのだろう、競技場の間近に併設された建物だった。
それからは、あれよあれよと言う間に事が進んだ。騎士によって案内人が立てられ、「警備には話をしておくから、すぐに入れると思うよ」と招待状を持ってきた際にレジェスが言っていた通り、一般の観戦客とは異なる出入り口から内部に引き入れられた。案内人となったのは、まだ十の歳を越えてさほど経っているようにも見えない少年だったが、はきはきと礼儀正しい態度の彼は迷う素振りも見せずにクレアたちを先導する。
円形の広大な闘技場は、クレアが故郷に居た頃伝聞で聞き知った古代の「コロッセオ」によく似た造りをしている。すり鉢状に構築された三層の客席がぐるりと舞台を囲んでおり、一行はその最前列に居場所を与えられた。他の客席が蜂の巣のように密集しているのに対し、案内された座席の周囲には幾分か余裕がある。更にはぐるりと一帯を隔離するように美麗な細工の施された柵が張り巡らされているところを見るに、おそらくは特別な客人が観戦にやって来た際に使用する区画なのだと思われた。
今までにも何度か招待されて観戦にやって来たことはあったが、ここまで明らかな特別扱いを受けたことはない。レジェスが何を考えてこのような席を用意したのかは分からないが、なんともはや大変なことになってしまった、とクレアは内心で冷や汗をかいた。
「すごーい、近いよ!」
「手を伸ばしたら届きそう!」
「ディマス、駄目だよ。ちゃんと座って」
しかし、連れてきた子供達は如何にも楽しげにはしゃいでいる。今回の席は高さがない分俯瞰の利はないが、戦いを間近に見ることが出来る。各々が席に着きながら、昂揚を隠しきれずにそわそわする風の子供達を見て、クレアはかすかに笑った。どうにも落ち着かないことこの上ないが、子供たちが喜んでいるのなら、それはそれでいいかもしれない。
「失礼致します、お飲み物をお持ち致しました」
子供たちが一旦興奮を収め、席に着いて周囲を物珍しげに見回し始めた頃、そんな声と共に先刻クレア達を座席へ案内した少年が再び現れた。言葉通りに手には六つのグラスの載せられた丸盆を持っており、クレアは思わず瞬く。まさか、これもこの席に備え付けられた特典なのだろうか?
「わあ、美味しそう!」
「もらっていいの?」
「ありがとう!」
いよいよ深まるクレアの戸惑いに反し、やはり子供たちは嬉しげだ。
レジェスが用意した席がよほど上等なものであったのか、それともそうするよう指示を出しておいたのか、その後もクレア達は細々とした接待と受けた。飲み物だけでなく軽食が運ばれてきたかと思えば、暑くはないかと気遣いまで受ける始末。子供たちは与えられたものを純粋に喜んで受け取っていたが、クレアにすれば些かどころでなく居心地が悪い。
「すみません」
子供達の注文に応じて冷気を発生させる魔術道具を持ってきた少年へ、意を決して声を掛けた。はい、と折り目正しく返事をした少年は、片膝を着いて座席に座るクレアに目線を合わせると、何事かと首を傾げて見せる。
「お気遣い、とてもありがたいのですけど。これらは、この席に座る人へ常に提供されるものですか? それとも、誰かからの指示があって?」
「サー・クロヴィスとサー・レジェスから、皆さまに不足のないようにと仰せつかっております。大切なお客さまであると」
少年の口から飛び出した名前に、クレアは一瞬目を見開いた。まさか己の師まで一枚噛んでいるとは思わなかった。束の間、クレアは頭痛を堪えるような表情で目を伏せた。
ここでこうして観戦することを、なるべく大事にはしたくない。その為には衆目を引くような甲斐甲斐しい世話は、可能なことならば遠慮したかった。が、視界の端では事情を知らぬ子供達が邪気に喜んでいる様を見るに、それを否定してしまうのも躊躇われる。それにクロヴィスも加わっての指示であるとすれば、少年には一種の命令のように働いているやもしれない。〈青瑶騎士〉の長の命に逆らった、という不名誉を年端もゆかぬ少年に押し付けるのは、いくら何でも惨過ぎる。
――結果として、クレアは妥協することにした。
「……お気遣いは、嬉しいのですけど。私達のことは、ほどほどに。他にお仕事があるでしょう。私達も〈青瑶杯〉を見に来たのであって、もてなしてもらいに来た訳じゃないので」
「ご迷惑でしたか?」
少年が申し訳なさそうに言うので、クレアはゆるりと頭を振った。迷惑ではない。ただ、困る――扱いに困るのだ。
「迷惑とかでは、なくて。これは、なんて言うか、私の身勝手――独断? ……ごめんなさい、上手く言えないのだけれど。伝わりますか?」
三ヶ月前に比べれば格段に流暢になった感があるが、それでもまだクレアの言葉には拙いところがある。淡々とした中にも困惑と申し訳なさを漂わせてクレアが尋ねると、少年は少し考え込むような風をみせてから、小さく頷いた。
「要するに、大事になさりたくない、ということで宜しいですか?」
「突き詰めると、そう。……私は、あの人たちを利用している気分になりたくない」
ぼそりと呟くように言うと、少年はわずかに目を見開いた後でにこりと笑った。承りました、と軽く礼をしてみせ、立ち上がる。
「私はあちらの通路に控えておりますから、ご用の場合はお呼び下さい。手を挙げて下さるだけでも構いません」
あちら、と言って少年はクレアや子供たちの座っている席から少し離れた後方の通路を示す。そのすぐ傍には先だって通ってきた通用口があり、警備担当らしき者の姿も見えた。
示された場所を確認したクレアは少年へと目を戻し、軽く首肯して見せる。
「分かりました。我が儘――ああ、そうだ、我が儘。我が儘を言って、すみません」
「いいえ、とんでもございません」
最後まで朗らかな態度を崩さないまま、少年は「それでは」と最後の一言を残し、待機場所と定めた通路へと向かっていく。その背中を見送ってからクレアが舞台へ向き直ると、
「……あの、クレア」
一人の子供が座席の間を擦り抜けて通路に出ると、身体を屈めて小さくなりながら自分の許へやって来るのが見えた。癖のある鳶色の髪を持つ彼は五人の中で一番年嵩の、鍛冶屋の長男だ。名をアラノといい、先日十になったばかりだが、歳に似合わず物事を深く理解する知恵を持っている。
「クレア、俺達、悪いことしてたかな」
ひそめた声が言うのを聞いて、クレアははたと瞬いた。どうやら、自分と少年の会話を聞いていたらしい。
「悪くはない、はず。折角の親切、断るのはよくない。けど、甘え過ぎてもいけない。借りたものは大事に使う。貰ったものは味わって食べる。そうしたら、後でちゃんとお礼を」
「……いいの?」
「いい、と思う。これが当たり前だと思われると、困るけど」
「大丈夫。ちゃんと運が良かったんだって、分かってる」
神妙な顔をして頷いて見せるアラノの頭を軽く撫でると、クレアはにこりと笑って見せた。それじゃあ戻る、とはにかみながら戻ってゆくアラノの背を見送り、間近の舞台を見やる。
通常はのっぺりとした平坦な砂地に整えられているのだが、今は巨大な岩塊や低木がそこそこに出現する荒野じみた景観を成していた。建設の際に特殊な術式を織り込んで築かれた競技場は、魔術によって驚くほど容易に舞台環境を変える。
そして、その舞台の可変性能は〈青瑶杯〉を執り行う為の最大にして絶対の要素の一つだった。〈青瑶杯〉の対戦順序は天の王城において、時の帝である紅玉帝直々の采配による籤引きによって決定されるが、その際には同時に舞台の有り様についても言及される。試合を行うには、引き当てた籤に指定された状況――今回のバリエンテにおいては荒野である――を再現する必要があった。因みに、再現するにしても違反や逸脱した要素がないかどうか王城の担当官吏の査察を受けなければならず、中々の一大事であるのだという。
その結果、遮蔽物が多いとはいえ、今回は平坦な地形であったことは喜ぶべきか。以前北方のフリーギドと戦った時など、あろうことか沼地の舞台が選定された。辺り一面が濁った泥濘に覆われた有り様はお世辞にも見栄えのするものではなく、その真っ只中で戦う騎士たちは足元の悪さにひどく苦戦していた。もっとも空中歩行を得意とするレジェスにおいてはその限りではなく、縦横無尽八面六臂の活躍を演じ、およそ一人で勝負を決めてしまっていたが。……さすがに、今回はそうもゆくまい。
「失礼致します、今回の出陣騎士が決定致しました」
――懐かしい記憶を反芻していると、不意に声が聞こえた。はたと声の主へと顔を向ければ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたあの少年がいつの間にかクレアの座る席のすぐ脇の通路に佇んでおり、薄い冊子のようなものを差し出している。
何度か観戦に来ているクレアや子供たちにとっては、今やお馴染みのプログラムだ。今回の催しについての詳細――〈青瑶杯〉の前に前座として多少の出し物が組まれている――やタイムテーブル、そして誰もが真っ先に目を通すであろう、今回の〈青瑶杯〉を戦う〈青瑶騎士〉のリストが記載されている。
「ありがとう」
礼を言って受け取ると、少年はにこやかに微笑んで子供たちにも冊子を渡してゆく。その姿を横目に、クレアは冊子を開いた。今回の前座は、アヴァンテとバリエンテの従騎士による模擬戦闘であるらしい。参加者の名前がずらりと並んでいるが、もちろんクレアの知っている名前はない。
ページを手繰って、目的のリストの載ったページを開く。美しい飾り文字で、十人分の名前が綴られていた。
「クロヴィス・クロード・クノー、レジェス・クーロ・ソル・ソリス、ヴァルデマール・ウッツ・シュタイアート、フェリクス・アルノルト・ヘルツベルク、クストディオ・パウリノ・バルデルラバノ・サパテロ……」
まるで呪文を唱えているような気分になりながら、バリエンテに属する名前を呟く。当たり前だが、何度読み返してみても、書き連ねられた名前が変わることはない。故に、珍しい、とクレアは些か意外な感を覚えた。
限られた人数で一年間を戦い抜かなければいけない以上、ある程度戦力の温存を考えるのは当然の処置と言える。だからこそ、バリエンテの〈青瑶騎士〉の中でも抜きん出た腕を誇るレジェスとクロヴィスが肩を並べて〈青瑶杯〉へ戦いに出ることは、ほとんどなかった。少なくとも、クレアはこれまで観戦してきた中で一度も見たことがない。それなのに今この時に限って二人が揃って名を連ねているのは、後半戦の幕開けを華々しく飾ろうと言う意図でもあってのことだろうか。
首を捻りつつ、残りの五人の名前に目を向ける。案の定、知らない名前ばかりだったが、末尾に連ねられた名前に、つと目を細める。
アンドレア・ソルヴェイ・リリェバリ。
あの日出会った礼儀正しい少年は、やはりレジェスの言った通りの身分であったのか。脳裏に思い浮かぶ姿はもうほとんどぼやけていたが、それ以上に自分よりも背丈の小さな年下の少年があのクロヴィスやレジェスと対峙するということそのものが想像ができず、実感が沸かない。
レジェスはアンドレアと同じ年頃で〈青瑶騎士〉になったと言うが、クレアより頭半分以上背の高い男であるからには、少年の頃からある程度体格が良かったに違いない。体躯に恵まれないながらも〈青瑶騎士〉に上り詰めた少年の手腕は果たしてどのようなものだろう――などと言えば、レジェスはまた臍を曲げるやもしれないが。
「勝てるかな」
「勝つよ! クロヴィスも、レジェスも出るんだもん」
同じように騎士のリストを見ているのだろう、子供たちの賑やかな声を聞きながら、クレアはひそりと無事を祈った。