第十話 騎士の展望
〈青瑶杯〉は年明けと共に開幕し、冬になる前に閉幕する。夏の前には一月ほどの中断期間を挟み、〈青瑶騎士〉の新規叙勲等の人員移動も、開催期間中では唯一その一月の間のみ認められる。六連覇のかかったバリエンテでは、まだ春になったばかりでありながら、早くも新たな人材の見極めに入っていた。
バリエンテ騎士団の〈青瑶騎士〉の長はクロヴィスだが、人材登用などの折衝や管理は数人の官と領主との特別に任じられた者たちが行う。登用する人材についての意見を求められることは儘あるが、直接的に関与することはできない。ただ、候補となる騎士の情報は他の誰よりも早く多く得ることができた。そしてそれは、他都市の動向についても同様である。
「――へえ、博打かな」
さあな、とクロヴィスは肩をすくめる。まるで他人事のような顔をして西方特産の花茶を啜るクロヴィスに、レジェスは怪訝そうな眼差しを向けた。〈青瑶騎士〉の長に相応しく広い私室には、テーブルを挟んで座る部屋の主とレジェスの二人きりしかおらず、しんと静まり返っていた。
「気になってるんだろ、その二人」
「珍しい、と感想を抱いただけだ」
「はぐらかすなよ」
溜息を吐きながら、レジェスはテーブルの上の二枚の書類をつまみ上げた。クロヴィスが持ち帰ってきた、他都市の人材登用状況に関するものである。一枚目の最上部には、今夏の登用見込みを示す印が捺されている。南方の都市アヴァンテの、とある騎士に関する情報をまとめたものだった。
前所属部隊は〈赤瑶騎士〉。名前はアンドレア・ソルヴェイ・リリェバリ。年齢は十七。アヴァンテ出身。家族は病に伏した母のみ。昨年従騎士登用試験を受け、首席で合格。周囲の予測に反して、本人の希望により〈赤瑶騎士〉に配属。〈天秤卿〉エウスタキオ・カヴァルカンディに師事。従騎士らしからぬ手腕を叙勲当初から発揮し、今年より従騎士から騎士へ叙勲を受けて〈赤瑶騎士〉に正式配属される――かと思いきや、従騎士のまま〈青瑶騎士〉へと転属手続きが進められている。騎士への叙勲と共に〈青瑶騎士〉への正式登用が成される見込み。宰相エルマンノ・ヴァッローネの強い推薦があったとの噂。
二枚目の書類に記載されている騎士は、既に〈青瑶騎士〉の予備登録がされており、中断期間の登用認可を待つだけだという。その割には情報の露出が乏しかったのか、箇条書きであった一枚目に比して長文の――しかも推測が多い内容になっていた。
名前はミルドレッド・メリッサ・イーデン。年齢は十八、所属はウィンケレ騎士団。ウィンケレより東方の小都市コルリスから今春を持って買い取られた若年の騎士であり、手腕は全くの未知。その一方でコルリス騎士団――自警団と呼んだ方が正しい、という要らぬ注釈がついている――はかなりの金銭供与と優先的に〈赤瑶騎士〉の派遣を要請できる権利等が現時点で確約されており、ウィンケレ騎士団のかける期待は相当のものと思われる。
「ウィンケレの方は、女性じゃないか。流行の一姫四騎を導入するつもり……って訳はないか」
「ウィンケレでは無理だろう」
一姫四騎とは、先年から北方のフリーギド騎士団の〈青瑶騎士〉が採用した布陣である。青瑶杯の勝敗の鍵は、〈名誉の珠〉と呼ばれる宝珠が握っている。双方が保有する宝珠、それを先に破壊した方が勝利の栄誉を与えられるのだ。ただし、試合の開催地側はその限りではなく、宝珠を破壊されることなく制限時間内をやり過ごした場合は相手方の宝珠を破壊できなくとも勝利となる。
このことから自然と開催地側の布陣や人員選考は守勢を重視したものになり、そうして一姫四騎の布陣が生まれた。索敵探査能力に長けた一人を宝珠の護衛を兼ねて自陣の最奥に置き、残りの四人がその指示を受けて縦横無尽に動く。必要以上に攻勢に出ることなく、四人で互いの戦況を補完し合って守備を固めるのだ。
因みに、当時この索敵担当を請け負ったのが姫騎士の渾名で有名なフリーギド領主の一人娘であったことから、一姫四騎の名で呼ばれるようになった。――というのは余談だが、この一姫四騎の布陣においては、実は機動力の高さ以上に四騎に相当する騎士の連携が何よりも重要となる。
ウィンケレ騎士団の〈青瑶騎士〉にとって、連携は何よりの鬼門だ。
長年〈青瑶杯〉の王座を独占してきたウィンケレの矜持は今や、バリエンテに五期連続で奪取されたことで粉みじんに等しい。何としても王座を奪回したい念の降り積もった近年は特に人材登用に見境がなくなっており、ミルドレッドのような小村の無名の騎士を買い上げるだけでなく、大都市の有力な騎士を財力に物を言わせて強奪してみせたりなど、奔放の一言では済まされない有り様である。新たな騎士を獲得しては、それまで所属していた騎士を右から左へ転属させる。それを繰り返していては、騎士間の連携など深まりようもない。それでも王座にこそ届かずも、必ず二位三位を位置どるのだから、掻き集められた騎士の実力は推して知るべきであり、紛れもない強敵である。
「ミルドレッド嬢の戦闘傾向が分かればいいんだけどな。一姫四騎の索敵に使うんじゃなきゃ、よっぽど何か特化した能力でもあるのか」
「自警団と揶揄されるほど小さな都市の騎士では、情報が取れなくとも仕方あるまい」
「まあね。どっちかというと、よりきな臭いのはアヴァンテの方かな。あの宰相、かなりのやり手って話聞いたことあるけど……その辺はクロヴィスのが詳しいだろ?」
「俺とて、余所の都市の宰相のことなどよくは知らん。ただ、ヴァッローネは〈天秤卿〉の失墜にも一枚噛んでいたという噂も聞くな」
「その宰相が、〈天秤卿〉の教え子を――ねえ」
「〈天秤卿〉の汚名をすすぎたくはないか、だとか囁いたのかもしれんぞ」
「有り得ない。……とも言い切れなさそうなのが嫌なところだなー……」
「リリェバリとやら、まだたったの十七で、生い立ちも恵まれてはいなさそうだからな。ヴァッローネの甘言に踊らされても仕方がなかろうし、実際カヴァルカンディもよく面倒を見たんじゃないのか」
「知り合い?」
「彼が〈赤瑶騎士〉になる前、俺が〈青瑶騎士〉になったばかりの頃、一度戦ったことがある。中々立派な人となりであったように覚えていたから、彼の失脚には驚いた」
〈青瑶杯〉では叩きのめされたがな、と苦々しげに付け足すクロヴィスに、レジェスは軽く目を見開く。
「じゃ、強いんじゃないか。何だって、そんな騎士を〈赤瑶騎士〉に?」
「何だ、知らないのか」
「貴族のいざこざには興味を持たないことにしてるんだ」
「その方が賢明だがな。――まあ、実際はただのよくある醜聞だ。彼に限っては、不運にも巻き込まれたと言っていい」
ふうん、とレジェスは気のない相槌を打つ。
「で、クロヴィスとしては、この二人のどこが問題だと思ったんだよ」
「予測ができない」
「は?」
「他の都市で想定されている人事は概ね手堅い。有名どころもしくは中堅の腕の立つ実績ある騎士、もしくは女騎士を囲い込んでいる。だが、アヴァンテとウィンケレの二件に関しては、意図が掴めない。杞憂であれば構わんが、予測のできない事態は最悪の事例を引き起こすかもしれないからな」
「で、一応頭に入れとけって訳か」
「そんなところだ」
「了解。そんじゃ、俺はそろそろこの辺で」
「……またクレアのところか。あれから三日と空けずに通い詰めているが、ほどほどにしておけよ。また嫌われるぞ」
「またとか言うなよ、縁起でもない」
「ならば、自制することだ」
「そりゃあ難しい」
からからと笑いながら、レジェスはカップに注がれた花茶を飲み干し、腰を上げる。
「クレア嬢に伝言でもあれば、伝えとくけど」
「次の授業は三日後だ」
「あいよ」
ひらりと手を振って、レジェスは意気揚々と出て行った。今にも跳びはねそうな足取りに些か呆れた眼差しを投げていたクロヴィスだが、机の上に残された書類へ目を落とすと途端に表情が厳しくなる。
騎士の叙勲を受けてから、もう十年近くの時が流れた。その間に培われた感性が囁いているのだ。その二人は危険だと。警戒に値すると。根拠こそないが、その警告に従って損はない。それもまた、十年間で培われた実感である。
「波乱が起きそうだな」
呟いて、書類を纏める。すっかり放置してしまっていた花茶は、冷たくなっていた。