第二十七話 孵化
卵の部屋の前には王妃様が居る。中を心配そうに覗きながら近くの兵士とソワソワしている。
「あ!ナコ!良かった来てくれたのね。」
私に気づいてホッとした様子だ。
「何があったんですか?」
息を切らせながら聞くと王妃様は話し始めた。
「突然なの。卵が小さくカタカタって揺れたのよ。それで近くで見てみようと椅子を立ったら、またカタカタって揺れたの。そしたらあの地震みたいな揺れが起こったの。それで急いでナコを呼んだのよ。」
部屋の中の卵を見ると今は動きもなく大人しい。ただ、少し光っているようにも見える。
「皆!無事か!」
国王様が走ってくるのが見えた。
「レイチェル。怪我はないか?ナコさんも大丈夫か?」
「えぇ。大丈夫よ。ナコも無事よ。」
私は国王様と王妃様に頷いて返事をした。
「そうか、良かった。急ぎ国境の第二騎士団とダルシオンを呼び戻すようにサントスに行かせた。転移術だからすぐに戻ってくるだろう。それまで持ちこたえれば良いのだが…。」
不安そうな国王様と王妃様を見て、私は自分がどうしたらいいのか分からずオドオドしてしまうのが悔しくなった。魔術師なのに…海のことなのに…何も出来ない。ダルシオンさんが来てくれるのを待つしかないのか。
私は無知で無力だ。
拳を握りしめ、自分の情けなさを痛感する。
するとカルロさんが本を片手に走ってきた。
「竜の孵化について書かれた文献を持ってきました!役に立つか分からないですが…何かできることが見つかるかも!」
私は藁にもすがる勢いでカルロさんがページをめくるのを一緒に見た。
「確かこの辺りに……あった!卵の孵化の前兆として、卵に連動するように世界も揺れる…。」
カルロさんが見つけた文章を読み上げる。
「あれはやっぱり卵の揺れだったのね…。」
王妃様が納得したように頷いている。
「カルロ。その他に前兆として起きることはあるのか?」
国王様がカルロさんに聞く。
カルロさんはページを捲りながら、えっと…うーん、と唸っている。
私は本の文章をひたすら目で追って探す。そして目に入った文章に息が止まった。
『孵化と同時に竜の得意魔法が周りに被害をもたらす。』
確か黒竜の得意魔法は闇魔法。闇魔法は他の魔法と毛色が違って、火や水などの自然界の力ではなく、負の力…破壊や消滅の力だ。そしてそれに対抗できるのは光魔法。光魔法は正の力を持っていて、再生や創造の力だ。
つまり、卵が孵化する時、周りに破壊や消滅が起こる可能性があり危険だ。
「カルロさん!ここ!孵化する時周りが破壊されるかもしれません!」
私は急いでカルロさんに伝える。
するとカルロさんは焦ったような顔をしたが、深呼吸をしてすぐに冷静な顔になり、国王様にゆっくり話し始めた。
「国王。卵が孵化する時、城だけでなく国にも被害が及ぶ可能性があります。僕とナコさんで防御魔法を使って被害を押さえ込みますが、いざと言う時のために皆を非難させてください。ダルシオンが間に合えばより強力にはなりますが、正直どの程度のものなのか計り知れません。」
その話を聞いて国王様は静かに
「分かった」
とだけ言い、足早にどこかへ行ってしまった。王妃様も頷いて国王様について行った。
その様子を見ていて、私はこの人達の凄さを肌で感じた。
あれだけ焦っていたのに、いざとなったら冷静に対処している。目の前に危険で予測不可能な出来事があるのに、1つずつ対処していく。国王様も王妃様も流石としか言いようのない振る舞いだが、宰相補佐という立場のカルロさんも凄い。宰相の代理とは言っていたがこんなにも頼りになるものなのか。
ポカンと立ちすくんでいた私にカルロさんは真剣な顔で話しかけてきた。
「ナコさん。今からここで防御魔法を張る。それも今までとは違う強力なものだ。黒竜と戦った時を思い出してくれ。コントロールも大事だが、今回はありったけの魔力を込めてくれ。いいね?」
「は、はい!」
カルロさんに圧倒されながらも返事をする。
私とカルロさんは卵を挟んで向かい合っている。そして目を見合わせて頷き、防御魔法を張ろうと掌を前に出した。
その時廊下から走ってくる足音が聞こえてきて、扉が物凄い勢いで開かれた。
バンッ!
開くのと同時にルークさんが飛び込んできて
「転移術でこのまま移動させます!向こうでダルシオン殿が準備してます!」
と言った。
私とカルロさんは目をぱちくりさせて
「えっ…?」
という言葉を発する間もなく足元が光りだして転移術に飲み込まれた。
転移術の準備が終わり、魔石を使った防御魔法の陣も敷いた。そのうち卵ごとカルロ殿とナコ殿が来るだろう。卵の部屋には転移術の陣をあらかじめ用意してある。何かあればすぐに転移できるように。
竜の孵化時には魔法が放たれる。おそらく今回の黒竜もそうだろう。城や街が危険に晒されるくらいならいっその事、この人気のない国境付近で暴れさせる方がいい。
急いで戻ることを考えていたが、このほうがいい事に気づいてすぐに伝令を出した。
「ダルシオン。本当にこんなとこで孵化させるのか?魔族領にも影響出て、卵の存在気づかれるぞ?」
シルビア殿の意見も最もだ。だが…。
「国まるごと吹っ飛ぶのとどっちがいいですか?」
そう言うとシルビア殿は黙った。
「サントス殿とここにいた騎士団も城に戻りました。国王と宰相、そして騎士団がいれば国は大丈夫でしょう。魔族とも折り合いをつけてくれるのを期待しましょう。」
俺がそう言うとシルビア殿は鼻で笑って言った。
「つまりここで魔術師3人と第二騎士団長の私が消えても国は問題ないってことか?」
俺とシルビア殿はニヤリと不敵な笑みを浮かべてお互いを見た。
そうこうしてる間に転移術の陣が光り出した。
「来ましたか。シルビア殿…手筈通りお願いします。」
「あぁ。任せとけ。」
光の柱ができて、光が消えてきたと思ったらそこには予想通りカルロ殿、ナコ殿、そして卵がいた。
俺はすぐに魔石を使って防御魔法を発動させた。
卵を中心に半径2キロ程のドーム型の防御魔法が張られた。
「ご苦労さまです。お二人とも。早速ですが遺書を書く暇もありません。恨むならその卵でも恨んでください。」
俺の言葉にポカンとしたまま2人は突っ立っている。
「ダ、ダルシオン…まさかここで?」
カルロ殿の問いにニヤリと笑いながら
「えぇ」
とハッキリ答えた。
カルロ殿と違い、黙り込んでるナコ殿を見ると、理解できてないのか頭の悪そうな顔をしている。
俺はため息を吐いてからゆっくりとした口調で説明した。
「ここは魔族領との国境です。以前魔族と対面した場所です。覚えてますよね?ここなら人気がありません。つまり被害を最小限に抑えられる。なのでここで俺たちは死ぬ気で卵の孵化を見届けます。生きるか死ぬかは自分たちの防御魔法次第。防御魔法の威力が弱ければ、もれなく全員死にます。そして黒竜は野放し。質問ありますか?」
するとナコ殿がスっと手を挙げた。
「ナコ殿。なんですか?」
質問を聞いた手前仕方なくナコ殿に促す。
「生きて黒竜の孵化を見届けたら…どうしたらいいんですか?」
意外だった。てっきり自信がないだの怖いだの寒いだのとネガティブな事を言い出すかと思った。
「黒竜の主導権を握っているのが海殿であるかを確認します。ナコ殿。あなたが話しかけるのがいちばん手っ取り早いかと思います。」
質問に答えるとナコ殿は考え込むようにした後、再び口を開いた。
「もし海じゃなかったら?」
正直ナコ殿には言いたくない。だが仕方ない。
俺は少し間を置いてから口を開いた。
「黒竜がどこかに行くなら放置です。もし我々に牙を剥くようならシルビア殿が殺します。シルビア殿のスピードと、魔法を付与した剣があれば黒竜といえど、生まれたばかりの子どもなら倒せるでしょう。」
ナコ殿は下を向いた。カルロ殿も心配そうな顔をしている。シルビア殿は黙っている。
嫌な沈黙だ。
口を開こうとしたらナコ殿が静かに言葉を発した。
「ダルシオンさん…例のペンダントは付けてます。もしもの時はお願いします。」
「分かりました。」
俺はそれだけ言って拳を握った。
例のペンダント。初めて会った時に魔法のコントロールが危ういと分かり、保険のために用意したペンダント。魔法が制御できずナコ殿の魔法が暴走した場合、そのペンダントに込めた魔力でナコ殿の心臓を貫くというものだ。俺の呪文1つで発動する。
嫌な役回りだ。
魔石の防御魔法の中に僕たち4人はいる。魔術師3人は卵を囲んで立っていて、シルビアはダルシオンの後ろに待機している。いつでも黒竜を殺せるように。
「2人とも準備はいいですか?次卵が動き出し、地震のような揺れが起きたら孵化の開始です。卵にひびが入り始めたら闇魔法が溢れ出てくるでしょう。」
「防御魔法は最初から全力で張ったほうがいいのかい?」
ダルシオンの言葉に質問を返す。
「えぇ。死にたくなければね。」
僕はゴクリと息を飲み、覚悟を決めた。
チラッとナコさんを見ると、焦ったような顔もせず、落ち着いた様子で卵を見つめている。
意外だった。もっと不安でいっぱいかと思っていた。ダルシオンも同じことを思っているのか、ナコさんを見ている。
それから30分ほどだろうか。誰一人声も出さず沈黙の中で卵を見つめていた。
「おい…。」
沈黙を破ったのはシルビアだ。
「どうしたんだい?」
僕が答えると、
「まだか?」
と、シルビアの低い声が聞こえた。
「はぁ。全く緊張感のない人ですねあなたは。」
ダルシオンが呆れたように言った。
「本当に孵化するのか?全く動く気配ないぞ?さっきまでほんのり光ってた卵もなんか光ってなくねぇか?」
シルビアの言うこともわかる。光も消えて全く動きがない。今まで城の中で静かにしていた時のようだ。
「中でちょっと動いただけ…ってことはないかな…?」
僕が恐る恐る誰に言うでもなく疑問を口にすると、ナコさんが真っすぐ卵を見つめたまま言った。
「孵化します。さっきから海の声が聞こえます。」
あまりの真剣な声に僕は背筋を伸ばした。
「だそうです。シルビア殿。カルロ殿。」
「はいはい。気合入れますよ。」
「ご、ごめん…。」
ダルシオンの鋭い視線にシルビアも僕も黙った。
雪がちらついてきた。風はなく空には厚い雲がかかっている。
木に積もった雪が小さな音を立ててドサッと地面に落ちた。
その瞬間。
下から突き上げるようなドンッという揺れが起こり、僕たちはよろめいた。
孵化が始まったのだと全員が感じたのだろう。3人同時に防御魔法を張った。シルビアも剣を構えた。
ピシッ!
卵から音が聞こえ、表面にひびが入った途端、全身にのしかかるような圧力を感じた。防御魔法を張っている腕を重みで下ろしたくなるほどだ。そして卵のひびの隙間から真っ黒な霧のようなものが溢れてきた。闇魔法だ。
卵の周りの雪がどんどん溶かされていく。雪深いはずなのに茶色い地面が見えてきている。
「ひびが入っただけでこの威力か…。」
顔を顰めてダルシオンが言った。
すると今まで黙っていたナコさんが驚いたような声を発した。
「えっ⁈海⁈」
その声に全員がナコさんを見る。
どうしたのかと声をかけようかと思ったら、ナコさんは卵に向かって話しかけ始めた。
「海!大丈夫!私はここにいるよ!」
切羽詰まったような様子にダルシオンが話しかける。
「ナコ殿?どうしました?」
するとナコさんは泣きそうな顔で
「海が私を探してるんです!かなこどこ?どこ?って…すごく不安そうなんです!」
と焦ったように言った。
海さんの声が聞こえるということは、黒竜の主導権は海さんが握っているのかもしれない。最悪のシナリオは免れたかも。
僕はダルシオンを見た。ダルシオンも頷いてナコさんに声をかけた。
「ナコ殿。海殿に話しかけ続けてください。その黒竜は海殿の意思がある可能性が出てきました。」
ナコさんは頷いて卵…いいや、海さんに声をかけている。
そうこうしてる間に卵のひびは大きく広がっている。そして中からカンカンと卵を叩くような音も聞こえだした。
それに比例するかのように闇魔法の威力も増している。僕らの足元の雪も溶けてきている。熱風と圧力、そして闇魔法の霧が目の前にまで迫ってきている。
吐き気がしてきた。今にも倒れこみそうな重圧だ。
「カルロ殿!死んでも防御魔法は解かないでください!」
「ダルシオン…」
ダルシオンに喝を入れられて僕は心の中で突っ込んだ。
死んだら魔法は無理じゃないかな…?
カルロ殿は限界が近い。ナコ殿は魔法は今のところ安定しているが精神的にきついだろう。いつバランスを崩してもおかしくない。できればナコ殿には光魔法の防御魔法を使って欲しいがまだ安定していない。無理に使わせて暴走したら例のペンダントを使わざるを得なくなる。それだけは避けたい。俺だって人間だ。人を殺すのには抵抗がある。
俺は首を少し横に向けてシルビア殿に声をかけた。
「カルロ殿が倒れたらすぐに離れてください。闇魔法の霧に触れればあなたも危険です。」
「いや。その時は私が突っ込んで卵ごと黒竜を斬る!」
「はぁっ⁈」
シルビア殿の思いもよらない発言につい声をあげてしまった。
「あの霧に触れてヤバいのはお前もナコも同じだ。だったら私一人が犠牲になる。お前らはこの国になくてはならない大事な魔術師だ。私の代わりはいくらでもいるんだよ。」
合理的な意見に何も言い返せない。
こういう時、あのクソ宰相だったらあっさり了承できるのだろう。だが俺は心が揺れ動いてしまう。自分の甘さに反吐が出る。
するとシルビア殿がボソリと言った。
「お前の魔術師としての腕は見込んでるんだ。今まで見てきた魔術師とは格が違う。性格はクソだけどな。」
俺は、フッと笑って言い返した。
「墓前に花くらい添えてあげますよ。」
「ありがとよ。」
短い言葉が返ってきて俺は魔法に集中した。
揺れていた心も定まり、覚悟というものが決まったのだろう。
そしてカルロ殿にもう一度喝を入れた。
「魔術師モドキ!しっかりしろ!」
カルロ殿は苦笑いをして
「モドキはひどいよ…」
と呟いた。
その数分後、突然闇魔法の威力が増して防御魔法も叩き割るように爆風が起こった。
俺たちは弾き飛ばされるように後ろに吹き飛んだ。
魔石も割れ、爆風で地面が巻き上げられて辺り一面真っ白になった。
そしてその真っ白な世界の中で聞こえた。
キュイィィィィィィィィ
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