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君と雛鳥と海渡り ~海鳴りの魔女が挑む政治戦争。圧倒的な魔術の才能で全員捻じ伏せて、王国最高の権力者へ~  作者: 讀茸
第一章 旅道中

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第八話 魔術で人間を圧殺したらしい

 その時、私は確かに空気が変わるのを感じた。

 それはアイリス様が床板を踏み抜いた音だとか、轟々と膨れ上がる彼女の魔力だとか、いつにも増して昏さを増したミッドナイトブルーの瞳だとか。

 そういう確かに存在する事柄以上に、アイリス様の激情が空気を震わせている気がした。


「エイディーン、今なんて言ったの?」


 訊かれているのはエイディーン様なのに、私は首元にナイフを突きつけられたかのような錯覚を覚えた。

 回答を間違えれば死ぬ。

 今から発する言葉の一音一音が、私の命運を左右する。

 そんな緊迫感に全身を刺されて、呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうだった。


「だーかーらー、ヒュノ君が攫われたんだって。一々キレないでよー。あたしだって、善意で教えてあげてんだよ? キレるなら誘拐犯にキレてくださいよォー」

「私が訊いてるのはそんなことじゃない。どうして、貴方がここにいるの? ヨネとノウドで追える相手なら、貴方が走れば簡単に捕まえられるでしょう?」

「向こうはヒュノ君を人質に取ってんだよ? あたしは人質を傷付けずに敵だけを倒す、みたいな器用な真似できないけど、それでも良いワケ? ヒュノ君ごと誘拐犯を真っ二つにしろってんなら全然やるけどさ」


 我を忘れて怒るアイリス様をエイディーン様が宥める。

 そんな光景を見ることになるとは思わなかった。

 エイディーン様に可能なことと不可能なこと。

 それをアイリス様が把握していなかったとは考えにくい。

 それを忘れてエイディーン様を責めるほど、今のアイリス様は平静を失っていた。


「……馬を出すわ。方角は?」

「街道を下ってったけどさ、ずっと馬鹿正直の街道走ってる保証なんて無いよ。あたしが誘拐犯だったら絶対どっかで脇道に入る。もうヨネちゃんとノウド君に任せた方が良いと思うな~。入れ違いになっても面倒だしさ」

「エイディーン、少し黙って」


 アイリス様が放つ怒気は、最早殺気の域まで達していた。

 息が詰まる。

 呼吸がままならない。

 エイディーン様が理に敵った提案をしているだけに、アイリス様の理不尽な怒りが際立つ。

 今、どんな言葉を発しても、彼女の逆鱗を逆撫でする結果にしかならない気がする。


 ――――ブルーメ様、もう無理です。兵も民も疲弊し切っている。私達だけで西部戦線を戦い抜くなど、もう……


 ふと、思い出した。

 西部戦線の兵士が言っていた言葉。

 長引く戦争に疲れ、苛まれ、蝕まれ、限界まで精神を摩耗させられた者の言葉。

 勇猛果敢な兵士だったはずの男が、やつれた顔で零した泣き言。

 そうだ。

 私は終わらせるために来たんだ。

 あの果てしなく救いの無い戦争を終わらせるために、悪魔の手を取ってでも力を得ると決めたのだ。

 アイリス・セイレンディスの力で、西部戦線を終わらせる。

 恐怖も、危機感も、今は良い。

 私がアイリス・セイレンディスを使いこなすんだ。


「あのっ、アイリス様」


 潰れそうな声帯を振り絞って声を出す。

 彼女の名前を呼ぶだけで、刃物が喉元に当てているような錯覚を覚える。

 ミッドナイトブルーの瞳がごろりと動いて、私の方を見る。

 その冷たい視線に、思わず身が竦みそうになる。

 それでも、告げた。


「私、ヒュノさんの場所が分かるかもしれません」


 ヒュノ・ファルカを取り戻す。

 私の策で、私の意思で、この作戦を決行する。

 この程度をこなせなければ、西部戦線の終結などきっと叶わない。


     ***


 その魔術を見た時、私は確信した。

 アイリス様がレイヴンに対して撃っていた魔術は、ちっとも本気じゃなかったのだと。

 アイリス様と相乗りする馬上。

 頭上に大量の水が展開される。

 パッと見の輪郭は巨大な球のよう。

 だが、通常の水属性魔術で見られるような水の球ではなく、激しく流れて暴れ出す水流を無理矢理球状に押し込めているような様相であった。

 台風で氾濫した川を巨大な水の球と為したような、膨大で莫大で尊大な水の塊。

 水の色は深く、まるで深海から掬ってきたかのよう。

 それが大量の水を過度に圧縮したが故の色彩だということは、噂話として知っていた。

 そして、何よりも恐ろしいのは音だった。

 轟々と、海鳴りのような音がする


「海鳴りの魔女。ブルーメちゃんも知ってるでしょ? アイリスの異名。アイリスの魔術は大量の水を馬鹿みたいな密度に圧縮して、物凄い速度の水流として撃ち出す。その時に周りの空気を巻き込むから、海鳴りみたいな音がするんだよ」


 馬に並走するエイディーン様が訳知り顔で語る。

 海鳴りの魔女。

 ぴったりの名前だと思った。

 幼い頃、一度だけ海に行ったことがある。

 その日は不幸にも天気が荒れていて、遠くから海を眺めることしかできなかった。

 その時に聞いた海鳴りの音。

 どこか不安を掻き立てられるような遠雷のような音が、当時幼かった私にはひどく恐ろしかったのを覚えている。

 戦場でこの音を聞いた日にはきっと、恐怖と絶望で正気を失ってしまうだろう。


「相変わらず、馬鹿みたいな威力だナー」


 呑気に呟くエイディーン様の頭上で、巨大な水の球が弾けた。

 轟音と共に放たれた水は、超威力の水流と化して飛んでいく。

 遥か前方で、白い仮面の男に水流が直撃するのが見えた。

 質量と速度の暴力に男は成す術も無く、一瞬にしてひしゃげた肉塊へと変容する。

 まるで、水の砲撃。

 炸裂して飛び散る水飛沫の中、ほんの僅かに混じる赤は、仮面の男の血肉だろうか。


「…………」


 魔術で誘拐犯と思しき男を撃滅したアイリス様は、少しだけ大きな息を吐いた。

 無表情の彼女は何も語らないけれど、事態が収束したことに安心したりしているのだろうか。

 確認するまでもなく、ヒュノさんを誘拐した男は即死。

 私達よりも先行していたらしきノウドさんが、意識の無いヒュノさんを抱き起している。

 ヨネさんも地面に座り込んでいるが、目立った外傷は無さそうだった。

 アイリス様はヨネさんの近くで馬を止めて、軽やかに馬から下りた。

 貴族だから当然と言えば当然だが、アイリス様は乗馬も容易くこなしている。


「貴方がここまで消耗してるなんて珍しいわね。魔力、もうほとんど残ってないんじゃない?」

「はい。随分走らされたので」

「そう。傷はある?」

「右足に魔術を一撃だけ。深傷ではないと思いますが……」

「念のために、帰りはノウドに背負ってもらいなさい。明日の馬車も御者台には私が乗るわ」


 私も遅れて馬から下りて、ヨネさんに近寄る。

 本人が申告した通り、ヨネさんは右足首に打撲を負っているようだった。

 私はヨネさんの側でしゃがんで、持ってきたカバンも地面に下ろす。


「右足、見せてください。包帯と傷薬くらいしか持ってきてないですけど……」


 地面に置いたカバンを開いて、傷の手当てに必要な物を取り出す。

 ヨネさんの言った通り深傷ではなさそうだけれど、手当てせずに悪化するのも不憫だ。

 傷の基本は早期発見、早期治療。

 簡単な傷でも見過ごさず、悪化する前に手を打つのが大切だ。


「ブルーメ、貴方医術ができるの?」

「医術というほどのものでは……ちょっとした応急手当です」


 アイリス様は知らないのだろう。

 この程度の応急処置は平民であれば誰でもできる。

 というより、できなければ生きていけない。

 医者に診てもらえるほどのお金が無いのだ。

 多少の怪我や病気は自分達でどうにかするしかない。


「ブルーメ」


 ふと、アイリス様に名前を呼ばれた。

 手当てする手を止めて、アイリス様の方を振り返る。

 ミッドナイトブルーの瞳は、私をじっと見下ろしていた。


「助かったわ。便利な術式を持ってるのね」


 今回、私達が誘拐犯を追跡できたのは、私が居場所を特定する魔術を使ったからだ。

 魔術と称してはいるが、私はあれを魔術と呼んで良いのか未だに分からない。

 何せ、魔力探知の延長でしかないような技術だ。

 個人個人の魔力の違いを感じて、その位置を探る。

 私は街道を高速で南下していくヨネさんの魔力を見つけて、アイリス様達の道案内をしたに過ぎない。


「術式、とかはよく分からないんですが……」

「知ってるわ。無意識なんでしょう。術式は目に見えない。本人が分からない以上、術式視の魔眼でも持ってこない限り、貴方の魔術は誰にも再現できないでしょうね」


 私がディアナ侯爵家の養子に迎え入れられたのも、この技術が有用だからという理由だ。

 広域に渡って個人の位置や残存魔力を識別できる技術は、魔術界でも確立されていないらしい。

 お義父様も、レイヴンも、これが凄い魔術だと言うが、幼い頃からできた私にはピンとこない。

 これが魔術だという実感も湧かない。

 事実、私はこれ以外には簡単な魔術さえも扱えないのだから。


「貴方のそれがあれば、西部戦線も早く片付くかもしれないわね」


 それはきっと、何の意図も無く零した言葉。

 アイリス様には私を褒める意図なんて無いし、私のことを認めたわけでもない。

 そもそも、私が今回の作戦にかけていた気持ちなんて、アイリス様が知るはずもない。

 西部戦線終結の前に、この程度の危機を乗り越えられなくては話にならない。

 そんなことを考えていたなんて、アイリス様はちっとも知らない。

 それでも――――


「……はいっ」


 私は小さく拳を握った。

 一つ、やり遂げた。

 アイリス様の力を借りて、誘拐犯から使用人を取り戻す。

 西部戦線に比べればちっぽけな成果だけれど、私にはそれが嬉しかった。

 小さな達成感を噛みしめて、私は密かに微笑む。


「ブルーメ、貴方……なに一人でニヤニヤしてるの?」

「はっ! あっ、いや、なんでもないです……」


 アイリス様に指摘されて、少し恥ずかしかった。

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