第七話 天は与えない
天は二物を与えず、という言葉がある。
世の中全てがその通りだとは思わないが、私には当てはまる言葉だと思う。
生まれはオドマリア王国の貧民街。両親とは幼い頃に死別。
頼れる大人は誰一人としていなかった。
友と呼べる人間もいなければ、助け合える家族もいない。
顔も悪ければ愛想も悪いので、女としての武器も使えそうにない。
金も戸籍も学も無い。
そんな私に天が与えたのは、剣の才能だった。
それを自覚したのは十歳の時。
路地裏で襲ってきた暴漢を包丁で返り討ちにした。
男の目的は今となっては分からない。
十歳の幼女を手にかけるような好事家だったのか、私の臓器をどこかに売り飛ばそうとしていたのか、ただ無力な子供を殴ってストレスを発散したかっただけなのか。
男の目的は分からなかったが、刃物で首を斬れば殺せるということだけは分かった。
幼いながらに、なんて素晴らしい発見なのだろうと感動したのを覚えている。
身に迫る危険というのは大抵人間だ。
非力な子供では太刀打ちできない大人にも、刃物さえあれば抗うことができる。
今までなら一方的に殴られるしかなかったであろう大人でも、刃で首を裂けば呆気なく死んでいく。
幼い頃の私は、常に刃物を握っていたように思う。
片時も離さず握り、就寝時でさえ刃物を持ったまま眠っていた。
次第に包丁よりも刃渡りの長い物の方が使いやすいと気付き、私が持つのは専ら剣になった。
たくさん斬った。
私に危害を加える物、私に危害を加えそうな物、私に危害を加えるかもしれない物。
間合いに入る物を全部斬れば、私の人生は安泰だった。
私は剣の結界に守られていて、間合いの中には誰も侵入できない。
私は安心感のようなものを覚えていた。
半径四メートルの剣の間合いが、私の安心できる領域だった。
――――何してんの? こんな所で
強い雨の日だった。
私はいつものように仕事を終えて、泊れる安宿を探しているところだった。
仕事といっても人を斬るだけの簡単なお仕事。
貰える金が多いのか少ないのか、当時の私には計算ができないので分からなかった。
ただ、安宿に泊まって安い飯を食うだけで消える程度の金ではあった。
そんな小銭を服のポケットに仕舞いこんで、宿を探していた時のこと。
土砂降りの雨の中で傘も差さない私に、彼は声をかけたのだ。
――――濡れてんじゃん。よく見たら服もボロボロだし
私と違って、彼は傘も差していたし服もボロボロじゃなかった。
血色の良い肌。健康的な顔つき。少しくすんだ色合いの赤毛。
血と汗に塗れた私とは違って、とても綺麗な姿形をしていたような気がした。
そんな彼の姿に見惚れていたからだろうか。
私が気が付かぬ間に、彼は――――
――――入んなよ。家まで送るから
半径四メートル圏内に侵入していた。
すぐ近く、手を伸ばせば届く距離で、彼は私に向けて傘を差している。
至近距離で見上げる彼の顔は、ひどく退屈そうだった。
――――家、どっち方面? 住んでる所バレんのがアレだったら、近くまで行って途中で別れても良いし……
――――無い
――――え?
――――家とか無い
すぐ目の前に彼はいた。
鞘から剣を抜き放てば、一瞬で真っ二つにできる距離。
逆に言えば、彼が不意にナイフを取り出して私に襲いかかってきても反応できないだろう距離。
そんな近い距離間の中で、私達は言葉を交わしていた。
――――じゃあ……どうしてんの? いつもは
――――宿取るか。そこら辺で寝るか
――――野宿ってこと……?
――――そうだけど
幼い頃は、毎日路地裏で寝起きしていた。
私にとっては当たり前の生活だったが、彼にとってはそうでなかったらしい。
不味い物でも食ったように、彼は苦い顔をしていた。
――――じゃあ、うち来る?
その時、私は何を思って彼の誘いに乗ったのだろうか。
宿代が浮いてラッキーくらいにしか思っていなかったのか。
それとも、もっと大きな何かを期待していたのか。
何はともあれ、私は彼の家に泊まることになった。
案内された彼の家は、結構広い家だったと思う。
――――テキトーにくつろいで良いよ。俺しかいないから
――――家族とかは?
――――死んじまった。この前、馬車が崖から落ちてさ。全員即死だよ
何となく、言葉に詰まった。
私には家族がいた経験が無いから、何を言うべきか分からなかった。
正確には小さい頃は両親がいたけれど、ほとんど記憶は残っていない。
残っているものと言えば、アンダークという姓くらいのものだ。
――――あんた、名前は?
――――ヨネ・アンダーク
――――そっか。俺はノウド・ユーベルト。よろしくな
こうして、私はノウドの家に泊った。
ノウドの家は雨漏りもしないし、ベッドは寝心地が良かった。
ついでに言えば、ノウドが作った料理も美味しかった。
そんなこんなで一夜が明け、私はまた仕事に出かけた。
――――また来いよ。部屋余ってるし、俺も暇してるから
出かける間際にそう言われたので、私は次の日もノウドの家に行った。
宿代はかからないのに、宿よりも良い環境で寝泊まりできる。
しかも、夕飯まで出てくる。
正直言って、行かない理由が無かった。
――――普通今日来るか? また来いって言ったのは俺だけどさ……まあ良いや。腹減ってる? これから飯作るけど
いや、違う。
宿代とか食事とか。
そういうのは言い訳みたいなものだ。
――――ヨネってさ、何の仕事してんの? 冒険者?
本当はノウドに会いに行っていた。
宿代がかかったとしても、夕飯が出なかったとしても、私は彼の家に通っただろう。
――――なあヨネ、それぼったくられてんだよ。そんなんで銀貨一枚とか絶対おかしいって。今度計算教えるよ。そしたら、もうぼられないだろ?
初めてだった。
私を助けてくれた人。
私に近付いて来てくれて、私に優しく接してくれた人。
剣の間合いの中にいるのに、斬らなくても良いと思えた人。
私が初めて、大切だと思えた人だったのだ。
――――そっか。大変だな、ヨネも。辛ぇよな、頼れる人がいないって
私はノウドに恋をしていた。
私の話を聞いてくれる彼が、私の側にいてくれる彼が、いつの間にか何よりも大切になっていた。
きっと、あの日、彼が傘を差してくれたあの日から、私は恋に落ちていたのだと思う。
ノウドのことが好きになって、途端に自分のみすぼらしい身なりが恥ずかしくなった。
お洒落になりたいとは言わないが、彼の隣を歩けるくらいにはなりたいと思った。
そのために相談した相手が、ノウド自身というのはおかしな話だが。
――――お洒落? えー、俺もよく分かんないしなぁ。伊達眼鏡とか? たしか、兄貴のが残ってたと思うけど……
そんな私にノウドがくれたのは、丸縁の眼鏡だった。
ノウドの兄の遺品だというそれは、私の顔にぴったりと嵌った。
――――お、結構似合ってんじゃん
それから、私は度の入っていない眼鏡をかけ続けている。
紆余曲折あってアイリス様の下で使用人をするようになってからも、ずっとこの眼鏡をかけ続けている。
元々視力は良い。
既に古くなったこの眼鏡に、お洒落としての価値も無いだろう。
それでも、私はこの眼鏡をかけ続けている。
これからもずっと、永遠に。
私が見る世界は全部、ノウドとの思い出を通してものだけで良い。
天は二物を与えない。
だったら、私にはノウドだけで良い。
***
夜の街道を馬が駆けていく。
馬上には真っ白な仮面を着けた男。脇には意識を失った鳥人を抱えている。
その背中を追うのは、剣を提げた使用人。
ヨネは魔力強化を全開にして、馬に乗って逃げるブローカーを追っていた。
そのスピードは常識離れした速度の馬にも、ギリギリついていけるほどだった。
「さて、そろそろか」
突如として、ブローカーが馬から飛び降りる。
その直後、走っていた馬は横転して地面を転がった。
よく見れば馬は異様に痩せていて、全身から夥しい量の汗を掻き、明らかに異常な呼吸をしていた。
「千切れるものと思ったが……やはり動物に使っても効果は薄いな。心拍数を強制的に引き上げた程度では、魔力で肉体を強化した戦士は振り切れんか。どうせなら、何でも屋のジョンとやらに使えば良かったな」
そう言って、ブローカーは小さな杭のような魔道具を手の中で転がす。
その口ぶりからも分かるように、彼が持っているのは心拍数を操作する魔道具。
ブローカーは魔道具で馬の心拍数をブーストし、異常な速度での走行を可能としていた。
心拍数を引き上げた代償は、たった十数分の走行で痩せ細った馬を見れば一目瞭然だろう。
「だが、まあ良い。それなりに魔力は消耗させられただろう。鬼ごっこは俺の勝ちだな」
ブローカーは少し離れた場所に立つヨネを見やる。
心肺をブーストした馬に追走し続けた彼女は体力と魔力は激しく消耗。
汗を掻いて呼吸を乱す姿から、彼女の消耗具合が伺えた。
(相当な距離を走らされた。魔力は残り一割ちょっと。ノウドが助けに来るの待てるほど余裕は無い)
ヨネは剣を構えつつ、状況を整理する。
長距離に及ぶ全力疾走により残存魔力は少量。
ヒュノの消失に気付いたノウドはすぐに折り返しただろうが、それも振り切ってしまっただろう。
ブローカーがヒュノを地面に下ろすのが見える。
一対一。敵の能力は未知数。持久戦は取れない。
追い詰められた状況の中、ヨネは――――
「半径、四メートル……」
ほとんど無意識の内に、最も使い慣れた構えを取っていた。
低く落とした姿勢。軽く前へと倒した剣先。全身の神経を研ぎ澄ませる。
ヨネ・アンダークの肉体は幼少の頃へと回帰する。
「スロウ・ド・ストーン」
ブローカーが唱えるワンフレーズチャント。
生成された石の砲弾は、轟音を立ててヨネへと迫る。
少女の肉体を容易く穿つかと思われた石は、振り上げられる剣の一撃によって弾き飛ばされた。
(魔術を弾かれた。凄まじい剣速……というより、反応速度か? 見切れるような距離ではなかったはずだが……)
ヨネ・アンダークの剣術は暴力が隣り合わせの貧民街で培われた彼女独自のもの。
過酷な貧民街で幼い少女が身を守るために編み出した剣術は、間合いに入った全てへと反射的に斬撃を浴びせるというシンプルなものだった。
かつて、近付く全てが敵だった。
過酷な環境故に、ヨネの身体に定着した剣術。
間合いへと入る全てを無条件で攻撃する、フルオートの感知迎撃システム。
感知、反応、迎撃の手順を極度に高速化した、身を守るための迎撃剣。
ブローカーが放つ魔術の一切を、ヨネはほとんど自動的に弾き返していく。
次々と放たれる石の砲弾を、ヨネは一つの取りこぼしも無く打ち返す。
一定のリズムで放たれる石を弾く様は、メトロノームのようだった。
(もう魔力が保たない。距離を詰める。捨て身でも良い。一撃で息の根を止める)
ヨネの構えが僅かに変わる。
両脚で踏みしめた地面。
次の瞬間には駆け出そうというその時、ブローカーは無言で魔術を放った。
無詠唱で放たれる石の弾。
拳大の小さな礫ではあったが、走り出そうとしたヨネの足を挫くには十分な威力を備えていた。
(無詠唱……!?)
ここまでワンフレーズチャントで魔術を使っていたはずのブローカーが、不意に無詠唱で放った魔術。
虚をつかれたヨネは石の弾を右足に受ける。
骨まで響くような衝撃と痛み。
走り出そうとした瞬間に食らったことも相まって、ヨネは転倒する。
ブローカーが使ったのは簡単なトリック。
無詠唱で魔術を撃てるにも関わらず、ワンフレーズの詠唱が必要なように見せかけた。
ヨネが攻勢に出るタイミングでワンフレーズチャントから無詠唱魔術に切り替え、彼女の出鼻を挫いたのだ。
詠唱省略による魔術のスケールダウンも、駆け引きの上手さで補った。
ブローカーの前で転倒したヨネ。
致命的な隙を晒した使用人へ、ブローカーはトドメの魔術を撃ち放つ。
「スロウ」
丸縁の眼鏡の向こう。
思い出というフィルターを通して見る世界は、街道の土と夜の闇。
「ド」
そして、生成される石の塊。
一秒後にはヨネの体を穿つだろう、無骨で無機質な石の砲弾。
このまま死ぬのだとしたら。
石の魔術に身体を穿たれて死ぬのだとしたら。
「ストーン」
大好きな彼に想いを伝えておけばよかった、なんて。
下らない後悔だけを胸に、目を閉じたヨネの頭上。
轟音が響いた。
大質量の何かが頭上を通り過ぎていく。
少しして、それが水の砲撃だと気付いた。
放たれかけた石の弾諸共、ブローカーは押し寄せる大質量の水が吹き飛ばしたのだ。
ヨネは恐る恐る顔を上げ、眼前の景色を目にする。
雨のように降り注ぐ水飛沫の中、水圧で全身がひしゃげたブローカーの姿が見えた。
凄惨な前方から目を逸らすように、ヨネは後ろを振り返る。
遠くに人影が見えた。
馬に乗ったアイリスとブルーメ。余裕そうな顔で馬に並走するエイディーン。
そして、一番前を走っているのは――――
「おーい! 大丈夫か!?」
赤毛の少年。
走ってくる彼の姿が、ヨネの目にはあの日の焼き直しのように映っていた。
あの日と同じ。
雨に降られてボロボロのヨネに、また手を差し伸べてくれるような気がして――――
「ヒュノ!」
血の気が失せる。
あの日、手を差し伸べてくれた少年は、当たり前のように隣を駆け抜けていった。
「………………、ぇ?」
ヨネはゆっくりと振り返る。
ギギギと錆びたゼンマイを捩じるように、ゆっくりと振り返る。
丸縁の眼鏡の向こう側。
天から与えられた一つと信じて疑わなかった少年は、白い鳥人を抱き起していた。




