第六話 怒って宿屋の床板を壊したらしい
西部戦線までの道程は長い。
馬車をずっと走らせても丸一日はかかる。
馬の疲れや御者台に乗る使用人の負担も考え、私達は半分ほどの道のりを行った所で宿を取った。
貴族や商人向けの高級志向の宿だった。
小綺麗なカウンターで、アイリス様は受付嬢と会話していた。
使用人三人は馬車を厩舎に停めに行っていていない。エイディーン様はふらふらとどこかへ行ってしまった。
「一泊で三部屋ほど取りたいのだけど」
「はい。ただいまの空き部屋が――――」
正直、平民上がりの私はこういう宿に慣れていない。
今まで私が泊ってきた宿と言えば、おっさんが経営している安宿くらいのものだ。
私が綺麗なインテリアや清潔なカウンターに気を取られている内に、アイリス様はあっという間に受付を終えていた。
「では、お支払い銀貨十五枚になります」
受付に言われた通り、アイリスは財布から銀貨を取り出す。
そこで私はハッとして、彼女の隣にまで駆け寄った。
「あ、私払います」
「はした金よ。引っ込んでなさい」
「でも、元はと言えば私が持ちかけた話だから……」
「引っ込んでなさいと言ったでしょう。変な気を回さなくて良いわ」
私の申し出を一蹴し、アイリス様は銀貨を支払った。
彼女の苛立たしそうな視線が私に刺さる。
怒っているのだろうか?
私のような平民にお金を払われるのは、アイリス様にとって不愉快だったのかもしれない。
貴族としてのプライド……なのだろうか?
私にはよく分からない。
「ブルーメ」
不意に名前を呼ばれて、思わず肩が跳ねる。
視線を上げると、アイリス様がすぐそこで私を見下ろしていた。
「エイディーンと同室で大丈夫? 嫌ならヨネと一緒にもできるわよ」
「あ……はい、大丈夫です」
正直に言うと、エイディーン様は少し怖い。
理屈や理由以上に、あの捕食者のような目が本能的な恐怖心を煽る。
けれど、エイディーン様自体は私にも好意的だ。
むしろ、気にられているような気さえする。
同室を拒むほどの理由は無い。
「そう。嫌になったらヨネか私の部屋にでも逃げてきなさい」
ひどく冷たい口調でアイリス様は言う。
気遣ってもらえた……のだろうか。
私がエイディーン様に恐怖を抱いていることを気にかけて、部屋割りを相談してくれたのか。
「ありがとうございます……」
私がそう言っても、アイリス様は何も言わない。
ミッドナイトブルーの瞳には相変わらず光が無くて、無表情な彼女はひどく不機嫌に見える。
けれど、それは彼女の表層に過ぎなくて、本当は心優しい人物……だとは流石に思えないけれど。
それでも、少しだけアイリス様の印象が変わった。
私とアイリス様が荷物をまとめて部屋へ向かおうとしたところ、宿の入口からエイディーン様が駆け込んで来た。
軽く走ってきたらしい彼女は、赤紫の目でアイリス様を見つめていた。
「ちょぉーっと問題発生だわ、アイリス」
軽薄な口調。
だが、その表情に僅かな緊迫感が滲んでいる。
「ヒュノ君が攫われた。今、ヨネちゃんとノウド君が追っかけてる」
バキリ、と隣で音がする。
それはアイリス様が床板を踏み砕いた音だと気付いた。
アイリス様の身体から凄まじい魔力の膨張を感じる。
大きく見開かれたミッドナイトブルーの瞳が、血走っているようにさえ見えた。
***
二体の馬が街道を駆ける。
鞍の上で鞭を打つのは瘦身の男。
目の下に深い隈を浮かべた男は、伸び放題の長髪をなびかせて馬を走らせる。
その白く細い右腕は、鳥人の少年を脇に抱えていた。
抱えられたヒュノは既に意識を失っており、瞼を閉じて脱力している。
男はついさっき攫ってきた少年を見下ろし、ニィと口角を上げた。
「ガキ一人で金貨五十枚。美味いったらねぇな」
男は裏稼業を営んでいた。
仕事は様々だ。
盗み、脅し、人攫い、殺し。
金さえ積まれれば何でもやるというのが、男のポリシーだった。
「依頼はターゲットの身柄を指定の場所で引き渡すまでだ。最後まで気を抜くな」
隣を馬で並走する男が、瘦身の男に言い聞かせる。
瘦せぎすで不健康そうな男とは違い、こちらは小綺麗な身なりをした長身の男だった。
ただ一点異質だったのは、真っ白な仮面を被っていたこと。
「へいへい、お貴族様は厳しいな。分ぁーってる。仕事はキッチリこなすのが、オレのポリシーだからよぉ」
「そうか。だったら、追手の始末までキッチリこなしてもらおう」
仮面の男がそういった直後のことだった。
馬を繰る男二人の頭上から、一人の少女が降ってくる。
それは片手剣を持った使用人の少女。
高く跳躍したヨネ・アンダークが、馬上の男へと斬りかかっていた。
ヨネが無言のまま振り下ろす片手剣。
目がけるは瘦身の男。その脳天。
頭蓋を叩き割るかに見えたヨネの一撃だったが、男は身を逸らしてこれを回避した。
ヨネはそのまま馬上に着地。馬の上に立って、瘦身の男と向かい合う。
「おいおい! ただの使用人かと思えばとんだ武闘派じゃねぇか!」
ヨネは剣を翻し、走っている馬の首を斬り落とす。
スピードに乗ったまま、突如として絶命する馬。
横転する首の無い馬から、ヨネと男はほとんど同時に飛び降りる。
「このガキ持ってけ! ブローカー!」
瘦身の男は馬から飛び降りながらヒュノを投げる。
馬に乗ったままの仲間へと投げ渡したつもりの人質。
しかし、横から割り込んできた人影がそれを阻む。
脇道から飛び出したノウドが、投げられたヒュノをキャッチしていた。
ノウドは両腕で抱えたヒュノの脈と呼吸を確認する。
「脈も呼吸もある。気ぃ失ってるだけだ! ヨネ!」
ヒュノを抱えたノウドは、バックステップを踏んで男達から距離を取る。
逃がすまいと走り出そうとした瘦身の男を、ヨネの視線が牽制した。
静かに剣を構えるヨネ。丸縁の眼鏡の奥で、少女の瞳が鈍く光った。
「ノウド、ヒュノ連れて逃げて。私が足止めする」
ヨネの判断は迅速だった。
敵の力量は不明だが、ノウドがアイリスとエイディーンを連れて戻ってくれば十中八九勝てる。
ヨネだけで戦うにしても、ヒュノを守りながら戦うより、単騎で剣を振るった方がやりやすい。
「……十五分で戻る。頼んだ」
「了解。早く行って」
ノウドはヒュノを抱えたまま街道を走っていく。
去っていくノウドの姿を横目に見送り、ヨネは敵二人を見据える。
こちらを睨みつける痩身の男。
仮面の男も馬から下りて、瘦身の男の隣に立っていた。
「カッコ良いなぁ。俺もやってみてぇぜ。仲間を逃がすために足止めする剣士ってヤツ」
瘦身の男は嗤うように語る。
その口調は挑発しているようでもあり、ただ純粋に喋っているだけのようでもある。
「自己紹介だ。オレは何でも屋のジョン。金を積まれれば何でもやるってのが――――」
トン、と音がする。
それは男の首が地面に落ちる音。
ヨネが薙ぎ払った剣の一閃で、痩身の男は首を断たれていた。
瞬きの間に瘦身の男を殺めたヨネは、サッと剣を振って付着した血を飛ばす。
無駄の無い一連の動作は、技を極めた処刑人のようだった。
再び剣を構え直し、ヨネは仮面の男と向かい合う。
「腕が立つと聞いたから連れてきたが……拍子抜けだな」
首の無い男の死体を見下ろし、仮面の男は飄々と呟く。
そこには怒りも悲しみも無く、ただ駒が役に立たなかったという落胆だけがある。
「あなたは自己紹介してくれないんですか?」
「そうだな……俺はブローカー。金を積まれればどんな仕事でも紹介するのがポリシーだ。よろしく頼むよ」
男は今思い付いたかのような自己紹介を語る。
ブローカーというのが彼の名前なのか、ただの役職名に過ぎないのか、通り名のようなものなのか。
はたまた、それすらも今さっき思い付いた偽名なのか。
自身について何も明かさない自己紹介を終え、ブローカーは懐から魔道具を取り出す。
外観は金色の立方体。複雑に組まれた回路のような模様が、立方体の表面にはびっしりと刻まれている。
(魔道具? このタイミングで何を……)
ヨネはブローカーの動きを訝しみつつ、剣先を倒して間合いを測る。
ブローカーへと向けられた剣先が、夜の闇を反射するように鈍く光った。
「攫った人質に何の保険もかけていないと思ったか?」
男が魔道具に魔力を流すと同時、立方体の表面模様が強く発光する。
ピキリと音が鳴り、緑色の光を放った魔道具は砕け散る。
次の瞬間、魔道具を持っていたはずの男の腕には、鳥人の少年が抱えられていた。
(転移魔道具? ヒュノに予め仕掛けてたの? ノウドと引き離すためにこのタイミングで使われた? いや、そんなことよりも今は――――)
巡る思考を置き去りにして、ヨネは素早く地面を蹴る。
踏み込みは刹那。
疾走は神速。
真っすぐに突き出した剣先は、ブローカーへの最短距離を辿る。
(最短距離で刺し殺す)
初動で刺突を放ち、ブローカーの心臓を貫こうとしたヨネ。
しかし、ブローカーの反応速度が一歩上回り、ヨネの剣先は空を切る。
軽く跳躍したブローカーは、まだ首の繋がっている馬の上へと座っていた。
「走れ」
トンとブローカーが馬の腹を蹴る。
軽く踵で蹴っただけにも関わらず、馬は弾かれたように走り出した。
(速い! さっきよりも遥かに!)
明らかに常軌を逸した速度で駆け出した馬。
ヨネもヒュノを連れ去るブローカーを追うように街道を走る。
「鬼ごっこ、というヤツだな。精々捕まえてみろ」
馬上のブローカーが低い声で言う。
駆ける駿馬をヨネは剣を鞘に仕舞って追っていく。
夜道の追走戦が幕を開けた。
ジョン(??)
何でも屋。金を積まれれば何でもやるのがポリシー。




