第五話 未知
地獄を見た。
――――誰かっ、たっ、助けてくれ。こんなの、もうたくさんだ……
毎日のように誰か死んでいく。
昨日までは隣にいた誰かが、今日は魔術の砲撃を食らって死んでいく。
――――やるぞ。やるぞやるぞやるぞやるぞ……! 絶対生きて帰るんだ!
空から爆弾の雨が降る。
走っていく兵士達が、炎に呑まれて消えていく。
私は遠く安全な砦からそれを眺めて、遠雷のような兵士達の声を聞いている。
海鳴りを思わせる兵士達の遠い声は、悲鳴なのか雄叫びなのか。
――――嫌だ。死にたくない。家に帰りたい……
戦場には焼死体が転がっている。
せめて丸焦げになってくれれば、もう少しは目にも優しかったのだろう。
溶けた鎧がべったりと皮膚に張り付き、焼け爛れた顔面は骨格が露出している。
ごろりと転げ出た目玉が、地面に落ちた。
そんな遺体は戦場に捨て置くしかない。
回収する暇も無ければ、埋葬するための人手も足りない。
――――ブルーメ様、もう無理です。兵も民も疲弊し切っている。私達だけで西部戦線を戦い抜くなど、もう……
地獄を見た。
西の果ての地獄を見た。
だから、私は決めたのだ。
お義父様を裏切ることになろうとも、悪魔と取引することになろうとも、私はこの戦争を終わらせるのだと。
「いや~、この前の新作が結構良くてさァ~。主人公が一人で洞窟から脱出する所が良かったね。いつ化け物が出てくるか分かんない怖さ! ず~っと暗い洞窟の中を一人で歩いてから、外の光が見えた時のホッとするあの感じ! グッと来たね~」
女の声で現実に引き戻される。
私は馬車の中に座っていた。
隣にはマゼンタ色の髪をした長身の女。向かいには黒髪をなびかせた美しい令嬢。その隣には白い髪の鳥人が座っている。
残る二人の使用人は、たしか御者台で馬車を操っているのだったか。
「エイディーン様も本を嗜まれるのですね」
「え~、あたしは結構好きだよ。小説とかめっちゃ読む。面白いじゃん? ブルーメちゃんは読まない?」
「いえ、私も読みますが……なんというか、エイディーン様に読書のイメージが無かったので。どちらかというと、体を動かす方が好きなのかと」
「うぇ~、偏見だよ偏見。鍛錬とか全然しないよ、あたし。あんま面白くないもん」
「そうなのですか?」
私は社交界に出て日が浅い。
そのせいか、私がディアナ家に拾われる前に後継争いから外れたエイディーン様の噂はよく知らない。
令嬢でありながら戦士だというのだから、鍛錬や運動はむしろ好きなのかと思っていた。
「やるなら命賭けないと。殺しちゃいけない戦いなんてつまんないじゃん?」
血の気が失せた。
私は身を以て知っている。
死の恐怖。命が失われていく恐怖。殺戮と蹂躙がいかに恐ろしいか知っている。
西部戦線で何度も痛感した。
口で言うほど、殺しというのは生易しいものではない。
エイディーン・アルパレス。
享楽的に命を弄ぶこの女に、私は本能的な恐怖を抱いているのだ。
「てか、アイリスは本読まないよねー。如何にも読書家です、みたいな顔してんのにさ」
「魔術書は読んでるわよ。貴方の言うような下らない作り話に興味が無いだけ」
「下らないとか言うなよォ~。小説だって作家が丹精込めて書いてんだよ?」
話題は向かいの令嬢へと移る。
アイリス・セイレンディス。
彼女のことは私もよく知っている。
噂はずっと聞いていたし、実際にこの前のパーティーで目の当たりにした。
悪魔だ。
悪辣で残虐で容赦が無い。
私は今でもたまに、アイリス様にレイヴンが殺される夢を見る。
「アイリス様は小説がお好きではないのですか?」
「……物語は嫌いよ」
だからこそ、今の彼女が不気味に感じる。
取っつきにくい感じはするものの、理不尽なことは言わず、今の所は私にも協力的。
彼女に西部戦線参戦の打診をする前は、どんな悪条件を吞んででも話を通す覚悟ができていたのだが、そんなことも起きていない。
何より、彼女の最も奇妙な部分は――――
「ヒュノ、貴方馬車酔いするでしょう。具合が悪くなれば言いなさい。馬を休ませるわ。どうせ走り通しにはできないもの」
「いえ、大丈夫ですよ。アイリス様。馬車にも大分慣れましたので」
「そう。吐かれて迷惑するのは私達なんだから、無理はしないように」
「はい。分かっています」
使用人の鳥人に、甲斐甲斐しく世話を焼いている。
世話を焼く、というほどではないかもしれないが、かなり気にかけているように見える。
市民階級でも獣人差別は一般的だ。
貴族の頂点に近いアイリス様であれば、鳥人など触れたくもないと言うのか思っていた。
むしろ、今の彼女は鳥人の少年にべったりだ。
私が見ている限りずっと、ヒュノという使用人をすぐ側に置いている。
「アイリスが気になる?」
エイディーン様に訊かれて、思わず肩が跳ねた。
この人は大雑把なようでいて、よく人の視線を読む。
何も考えていないような顔をしているのに、私の考えていることなんて全部見透かされているようで怖い。
「はい。……少し、イメージと違ったので」
「もっと悪役令嬢みたいな感じだと思ってた?」
「そういうわけでは……ただ、思ったより話の通じる方だと思いました。私のような平民の言葉にも、かなり耳を傾けてくれて。私はアイリス様を貴族主義の権化とばかり思っていましたが、本当は――――」
「私は貴族よ」
口に出しかけた考察は、アイリス様本人によって否定された。
顔を上げれば、ミッドナイトブルーの瞳が私を見据えている。
ひどく、温度の無い目だ。
「貴方の話は私にとっても有益だと思ったから聞いただけ。それ以上でも以下でもない。……私は平民なんて、人とも思ってないわ」
アイリス・セイレンディス。
彼女は何を考えているんだろう。
彼女が自身で語った通りの貴族主義者ならば、鳥人など差別の対象でしかないはずだ。
ヒュノという使用人は、アイリス様にとって有益なんだろうか。
有益というだけで、あんなに世話を焼いているんだろうか。
どんなことを考えて、どんなことを思って、レイヴンを半殺しにしたのだろう。
使用人の馬車酔いを慮るだけの優しさを、レイヴンに分けてくれなかったのは何故なのだろう。
思えば、私はアイリス・セイレンディスという人間について何も知らない。
「ねえ、アイリス」
「……何よ」
「ヨネちゃんも、ノウド君も、ヒュノ君も、みんな平民出身だよね。ヒュノ君に至っては鳥人だ。平民嫌いの貴族様にしては、面白い人選だと思わない?」
遊ぶような口調のエイディーン様に対し、アイリス様は冷たい視線を向けたまま。
その暗い海のような瞳からは、何の感情も読み取れない。
「……セイレンディスには敵も多い。貴族の息がかかった人間を雇うよりも、よっぽど安全だというだけよ。私は有用な方を選んだだけ」
アイリス様からそんな言葉だけを引き出して、エイディーン様は満足そうに笑った。
アイリス様は気付いているのだろうか。
有益だから。有用だから。そういう理由で貴族ではなく平民を選ぶ。
それは能力登用主義の考えと全く同じだということに。
私はアイリス様が怖い。
レイヴンには容赦無く魔術を叩き込んだのに、鳥人の使用人には優しく接する彼女の得体が知れない。
分からなくて、理解できなくて、だからこそ恐ろしい。
アイリス様のことを少しでも理解すれば、この恐怖も和らぐのだろうか。
ブルーメ・ディアナ(18)
本作の語り部の一人。主人公と呼んでも過言では無いかも。




