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君と雛鳥と海渡り  作者: 讀茸
第三章 魔女裁判

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第三十四話 信頼の代償

 セイレンディス家本邸の他に、アイリスには私邸が与えられている。

 使用人はごく少数であり、身の回りの世話をするのはヒュノ、ヨネ、ノウドの三名のみ。

 その他の使用人は屋敷の管理や雑務を担当しており、アイリスの身辺に近寄ることはない。

 王都郊外の比較的人の少ない街に居を構えた屋敷。

 できるだけ人から離れた場所に、かといって僻地とは思われない程度には王都の近くで、私の屋敷は孤立した砦のように佇んでいる。

 遥か上空から見下ろす私の屋敷が、まるで廃墟のように見えた。


「私、何して……」


 裁判所の天井をぶち抜き、魔術で空を飛んでここまで逃げて来た。

 私は何をしているんだろう。

 裁判ではエイディーンに出し抜かれ、死刑判決まで下された。

 大勢の前で騎士を殺したし、傍聴席に魔術を放つところも見られた。

 私は間違いなく指名手配される。

 この屋敷にもすぐに騎士団が押しかけてくるはずだ。

 私がどれだけ魔術師として優れていても、この国そのものを敵に回して勝てる道理は無い。

 騎士団に屋敷を包囲されて、私の魔力が切れるまで消耗戦が行われるだけだ。

 それに、そんなまどろっこしいことをしなくても――――


「あの鳥人なら……」


 あの鳥人なら、私とも渡り合える。

 互角、あるいはそれ以上に。

 何の魔術を使っているか見当もつかなかったが、彼の卓越した才能だけは何となく理解できた。

 当ての無い思索を巡らせている内に、屋敷の庭が近付いてくる。

 私は魔力で全身を保護し、軽やかに庭へと着地する。

 地面に足をついた所で、私が向かうべき場所なんて無い。

 もう、この国に私の居場所は無い。

 だって、私はこの政治戦争に負けたのだから。


「…………ヒュノ」


 ほとんど無意識に、彼の名前が口から零れ出た。

 負けて、全て失って、残ったのは鳥人の使用人だけ。

 金と権力に物を言わせて手に入れた、顔が良いだけの所有物。

 何の価値も無い、何の価値も無いからこそ、私の手に残った唯一の――――


「ヒュノ」


 気付けば、走り出していた。

 綺麗に剪定された庭を踏み荒らし、扉を蹴破るようにして屋敷の中へ入る。

 

「ヒュノ、ヒュノ、ヒュノ、ヒュノ……!」


 廊下を走りながら、部屋の扉という扉を開けて回る。

 使用人には驚いた目で見られたが、気にもならなかった。

 今はとにかく、ヒュノの顔を見たかった。

 顔を見て、声をかけて、肌に触れて、彼が私のものだと確かめたかった。


「ヒュノっ!」


 勢いよく開けた扉。

 そこは私の私室。

 扉を開けた私の瞳は、そこに立っていたヒュノ・ファルカ以外の全てを捉えてはいなくて。

 窓から差し込む逆光も、部屋に置かれた調度品の数々も、彼の隣にいたノウドとヨネの姿も、私にはきっと見えていなくて。

 ベッドのシーツを取り換える白い指先に、少し驚いた表情で私を見つめる金色の瞳に、小さく折り畳まれた美しい両翼に、私の視線は釘付けだった。

 私の視線は、意識は、感情は、ヒュノただ一人に集中していた。

 だから、気付かなかった。

 鋭く一歩を踏み出したノウドの初動を、滑らかに剣を抜いて肉薄する彼の動きを、赤毛の奥に見える瞳に宿った燃えるような殺意の正体を。


「避けて! アイリス様!」


 耳をつんざくようなヒュノの声は悲鳴にも似ていた。

 彼の言葉を私が認識した時には、剣を握ったノウドが私の目の前まで迫っていた。

 ヒュノは避けてと言った。

 ちゃんと、防御ではなく回避をするべきだと教えてくれていた。

 それなのに、私は無意識の内に魔術で水の鎧を展開していた。

 瞬時に水を生成して高密度に圧縮。鎧の形を与えて前面に展開し、ノウドとの間合いを隔てる壁と成す。

 触れた瞬間に水圧で弾き返す水の鎧。

 深海のような水鎧の向こう、ノウドの口角が釣り上がるのが見えた。


「エンチャント・トライキャスター」


 ノウドの剣が明滅する光を宿す。

 それが絶え間無く変質し続ける雷だと気付いた時には、突き出された剣が水の鎧に突き刺さっていた。

 赤く、青く、白く、明滅する雷は刀身の上で暴れ回り、水の鎧を激しく食い破っていく。

 水鎧越しに見えた、焼けるようなノウドの双眸。

 次の瞬間、バチンと鳴った音と共に、水の鎧が弾けて砕けた。

 飛び散っていく水飛沫の中、明滅する刃が私の心臓に迫っていた。


「死ね、アイリス・セイレンディス」


 普段のノウドからは想像もできないほど、どす黒い声音で発せられた言葉。

 目前には水鎧を破るほどの威力を秘めた刃。

 新しく魔術を展開できるほどの余裕も無い。

 唐突に突き付けられた死。


「――――――――」


 そこから、私を救ったのは横合いから飛び込んできたヒュノだった。

 抱きつくようにして、私を突き飛ばしたヒュノ。

 彼の腹にはノウドが突き出した剣が深々と刺さっている。


「……ヒュノ?」


 白く、美しい彼の翼。

 精一杯に開かれたその白翼を、飛び散った赤が汚していた。


     ***


 少し、時を遡る。

 アイリス・セイレンディスが私邸に帰還する直前のこと。

 ヒュノとヨネとノウドは三人でアイリスの私室の清掃にあたっていた。


「にしても、びっくりしたよなぁ~。アイリス様が訴えられるなんてさ。西部戦線じゃまともな証拠もあつめらんないだろうに、何があったんだろうな」


 窓の縁を拭きながら、ノウドが軽い口調で言う。


「……分からない。ただ、ステアネミー伯爵にも勝算があるんだとは思う。アイリス様の有罪を勝ち取れるだけの勝算が。……そうじゃないと、アイリス様に裁判なんて挑めない」


 ヨネは少しだけ真剣に答えた。

 雑談として話題を切り出したノウドと冷静に推測を述べたヨネ。

 ヒュノだけが何も言わない。

 感情の読み取れない表情をしたまま、黙々とベッドメイクを続けている。

 金色の両目はアイリスのベッドだけを見下ろしていた。

 それは昨夜を、あるいは西部戦線から帰ってからの夜を思い出し、その過去に縋りつくように。


「でもさ、裁判所って武器持ち込めないんだろ? だったらさ、アイリス様が有罪になったからって大人しく捕まるわけないよな」


 ノウドは雑談を続ける。

 武器の持ち込みが禁止された裁判所内にて、海鳴りの魔女たるアイリスの持つアドバンテージは計り知れない。

 警備兵を蹴散らして逃亡すること自体は容易だ。


「そしたらさ、絶対この屋敷に戻ってくると思うんだよな。逃亡生活を送るにしたって、ヒュノのこと置いてくとは思えないし。次期宰相確実の令嬢から指名手配犯に転落して、心中ぐちゃぐちゃのアイリス様が駆け込んでくるんだよ」


 床を箒で掃いていたヨネが、ピタリとその手を止める。

 ゆっくりとノウドの方を振り返った彼女は、訝しむような視線を彼に向けていた。

 その内心は疑心半分、気のせいだと思いたい気持ちが半分。


「アイリス様って警戒心強いだろ? だから、今まで俺とヨネでも剣を抜いたまま接近することは許されてなかった。大体五、六メートルくらいかな? それ以上近付こうとすると、絶対剣を仕舞えって言ってくんだよ。剣を抜くモーションとかも考えて、そんくらいが魔術の起動が間に合う限界距離なんだろうな。自分の懐には絶対に他人を入らせない。ヒュノを除いて。アイリス様を不意打ちで殺すのは、限りなく不可能に近い」


 疑心が確信に変わる。

 ヨネは大きく目を見開いて、窓際に立つノウドを見つめていた。

 彼が庭に着地したアイリスの姿を確認していることには気付かぬまま。


「だから、待った。信頼されるまで」

「ノウド、一体何の話を――――」

「西部戦線が終わってからだ。俺が抜き身の剣を持って近付いても、何も言われなくなったのは。俺達が信頼されたのか、俺達まで警戒してる余裕が無くなったのか。どっちにせよ――――」


 ヒュノは言葉を失い、ただ手元のシーツを見下ろしていた。

 金色の瞳だけが少しずつ、少しずつ見開かれていく。

 逃げることのできない現実に、少しずつ照準を合わせるように。

 ヒュノはただ白いシーツを見下ろして、ベッドの前に立っていた。

 近付いてくる。

 不規則な足音が近付いてくる。

 足音。息切れの音。何度も扉を開ける音。そして、ヒュノの名前を呼ぶ声。

 それは、少しずつ近付くタイムリミット。

 まるで、風船に一定のペースで空気を吹き込むように、アイリスの声と気配が近付いてくる。


「今なら殺せる」


 ノウドが静かに告げる。

 どこか、晴れやかな声だった。


「ノウド、なんで……?」


 ヒュノが掠れるような声で問う。

 白いシーツを握ったままノウドを見据える瞳は、まとまらない感情に揺れてぐらついていた。


「父さんと母さんと兄貴」


 ヒュノの目を真っすぐ見つめ返して、ノウドは言った。

 どこまでも誠実で、だからこそ救いようがない、残酷なまでに晴れ渡った空のような声で。


「海鳴りの魔女に殺されたんだ」

「ヒュノっ!」


 ノウドが告げたその瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた。

 そこに立っていたのは、黒髪を伸ばした令嬢の姿。

 ミッドナイトブルーの瞳をした海鳴りの魔女が立っている。


「避けて! アイリス様!」


 その後は一瞬の出来事。

 ノウドの切り札がの水鎧を突破。

 明滅するノウドの剣から、ヒュノがアイリスを庇う。

 海鳴りの魔女を殺すはずだった刃が、鳥人の少年を貫いた。

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