第三十三話 裁判所で乱心したらしい
裁判所にエイディーンの証言が響き渡る。
誰にとってもショッキングだった証言だが、最も衝撃を受けていたのは他でもないアイリスだった。
被告人席に立った彼女は、ミッドナイトブルーの双眸でエイディーンを見つめる。
信じられないとばかりに、あり得ないとばかりに、マゼンタ色の長身を睨む。
「エイディーン……?」
ほとんど睨みつけるようなその視線を、エイディーンは軽薄な笑みで受け流していた。
口うるさい教師の説教を聞き流すように、エイディーンはアイリスとは目を合わせもしない。
ただ、立ち尽くすアイリスの姿を横目に眺めて、薄く笑っている。
薄く、薄く、嗤っている。
「どうしたよ? あたしは正直に答えただけだぜ。アイリスがブルーメちゃんをぶっ殺したって話をよ」
「ふざけないで。あの時、貴方はいなかったはず――――」
「あの時? あの時ってどの時だ? あぁ~、アイリスがブルーメちゃんをぶっ殺した時か。そうだよなァ? つか、それ以外にあの時なんてねーもんな?」
驚愕と怒りを滲ませるアイリスに、エイディーンは言葉尻を捕らえて反論する。
悪戯して大人を揶揄う悪童のような調子で、エイディーンはアイリスに言葉を投げる。
だが、「あの時」という言葉は、アイリスがブルーメ殺害の時を想起していなければ出てこない言葉であることも事実だった。
「なぁ、アイリス。あたし達はお友達だとでも思ってたか?」
エイディーンは問う。
友情なんてものを感じていたのかと。
信頼なんてしていたのかと。
エイディーン・アルパレスはアイリスを害さないだなんて、幻想じみた錯覚をしていたのかと。
「あたしは敵に回らねーとでも思ってたか?」
恐らく、答えは否。
友情も、信頼も、錯覚も、アイリスはしていなかった。
冷めきった鉄のような理性で、エイディーンとも接してきたはずだ。
しかし、そんな理性を掻い潜るほどに小さく、アイリスが自覚できないほど小さく、それは彼女の心に灯っていた。
アイリスを嫌わず、むしろ興味を持って近付いてきたエイディーン。
社交界で唯一アイリスを疎まなかった彼女に、とっくに後継争いから脱落していた彼女に、並び立つとまでは言わずともアイリスに迫るほどの強者である彼女に。
小さな、本当に小さな好意のような何かを、抱いていたというのに――――
「ハハッ、その顔が見たかったぜ」
その悉くを裏切り、エイディーンは嗤う。
勝ち続けたアイリスに敗北を叩きつけ、勝利で綺麗に整えられた顔に負けという泥を塗り、ようやく転げ落ちた彼女の失態を嗤う。
それはそれは楽しそうに、これ以上無く面白そうに、アイリスが勝者の椅子から転げ落ちるのを見て嗤っていた。
生まれて初めて味わう絶望に打ちのめされるアイリスの顔を、エイディーンは証言台という特等席で観覧していた。
「ふ、ざ……」
それはアイリスが何よりも恐れ嫌ったこと。
アイリス・セイレンディスという人間の根本が、それから逃れるためだけにできている。
いつか負けて、嗤われる日を。
幾度となく恐れ続けた敗北を。
今日、アイリスは初めて知った。
「ふざ、けっ……」
完全に出し抜かれ、勝負所で退路を断たれた。
どこにも逃げ出せず、逆転の目も無く、証言一つで追い込まれた状況は動かない。
傍聴席に座った貴族達に見下ろされながら、敗訴という結果を突きつけられる。
「ふざけるなッ! お前っ、お前が余計なことをしなければ! 私が負けることなんて無かったのに!」
「おー、こわ。残念だったなァ、あたしが余計なことしちまって。同情するぜ。ドンマイ!」
「レイヴンを差し向けたのもお前だろ! 何も知らないレイヴンに余計なことを吹き込んで! 返り討ちにされると分かって復讐に走らせた! お前だ! お前が殺したんだ! 私じゃない!」
「なんのことだか分かりませんナー」
「なんで! なんでなんでなんでなんでなんで! こんなはずじゃなかった! こんなはずじゃない! 私が負けるわけない! 私が……っ、私がこんな……! 絶対おかしい、ありえない、ありえないありえないありえない……! 私は! わたしは、負けたら――――」
「被告人、静粛に」
半狂乱に陥ったアイリスを、裁判長が一蹴する。
法壇を見上げるアイリスは、異様な視線で裁判長を睨んだ。
縋るような、恨むような、ミッドナイトブルーの瞳。
憔悴しきった獣ような双眸で、アイリスは裁判長を見上げる。
「判決」
裁判長が口を開く。
静かでありながら、厳かなよく響く声。
「アイリス・セイレンディス公爵令嬢をブルーメ・ディアナ侯爵令嬢及び、レイヴン・ステアネミー伯爵令息殺害の罪で――――」
息を呑む音がした。
恐らく、息を吞んだのはアイリスただ一人。
傍聴席の貴族達含め、彼女以外の全員が確信していた。
いや、アイリスにだって分かってはいただろう。
受け入れるだけの余裕を失っていたというだけで。
「死刑とする」
判決、死刑。
裁判長は絶対的な決定を下す。
オドマリア王国の司法において、彼の言葉は決して覆らない絶対の判決。
アイリス・セイレンディスの死刑は、今ここに確定した。
「……違う」
ボソリとアイリスが言った。
静かな、掠れて消えそうなほど静かな声。
けれど、それは絶叫の如く裁判所内に響き渡った。
「勝たなきゃ、私は」
瞬間、アイリスの周囲に浮かんだ水の槍。
無数の水の槍が出現し、アイリスの周囲に浮遊する。
突如として魔術を起動したアイリスに、裁判所内は騒然としていた。
「警備兵! 被告人を押さえろ! 死刑はもう出た! 殺して構わん!」
傍聴席、騎士団長のシユイが叫ぶ。
彼の号令が響くと同時、武器を構えた数人の騎士がアイリスの下へと殺到する。
完璧に連携を取り、四方から同時にアイリスへと接近した騎士達。
直後、射出された水の槍が騎士達を撃ち殺していた。
大量の水を圧縮して創成された槍は、易々と騎士の鎧を食い破り、その奥の急所を抉っていた。
血を噴き出して倒れる騎士達の中央、アイリスは直立したまま、さらに水槍を展開する。
「全員殺して、やり直さなきゃ……」
アイリスが瞬きの内に創成した水槍。
その数、実に三百二十八。
その一つ一つが大量の水を過度に圧縮した大質量の殺人兵器。
「おいおい、マジかよ!」
証言台にいたエイディーンは、アイリスの魔術から逃れるように駆け出す。
傍聴席にいた貴族達の多くも、我先にと逃げ出していた。
しかし、アイリスが魔術を撃つ方が早い。
逃げ出す貴族達の背に、撃ち放たれた水の槍が迫る。
「私は全部に、殺さないと」
裁判所には武器の持ち込みが禁止されている。
裁判所内で武器の携帯が許されているのは、警備のために配置された騎士のみ。
故に、突発的な戦闘では魔術師が大きなアドバンテージを握る。
彼がこの場にいなければ、傍聴席の貴族には多大な被害が出ていただろう。
「無理だと思うよ」
傍聴席、立ち上がったのは一人の鳥人。
白い翼を広げた少年が立ち上がると同時、大量の水槍がピタリと止まる。
傍聴席に炸裂するはずだった無数の魔術は、時が止まったかのように空中で停止していた。
それはまるで、空気の壁に突き刺さったかのように。
「世界は少しずつ前に進む。永遠に勝ち続けることなんてできない。いつか、誰かが自分を超えていく。それを受け入れらなかった時点で、あなたの人生は行き止まりだ」
ウェリィはアイリスの魔術を完全に無効化し、憐憫にも似た言葉を投げ落とす。
空中で停止した水の槍を、アイリスは血走った目で見上げる。
ウェリィが如何なる手段を以てアイリスの魔術を止めたのか。
少しも見当がつかないことが、アイリスの神経を逆撫でしていた。
「黙れ、鳥人」
傍聴席へと投げ込む、恨み言一つ。
差別意識と嫌悪感の乗った言葉は、ウェリィの耳へと確かに届いた。
ウェリィはアイリスの暴言を聞き入れるように、じっと瞼を閉じた。
アイリスはこれだけの悪意を鳥人に――――ヒュノ・ファルカに向けているという現実を噛みしめてから、ウェリィはゆっくりと目を開ける。
青空のような碧眼が、海鳴りの魔女を見下ろした。
「よく分かったよ。お前がどういう人間か」
その言葉に乗った軽蔑は、諦めにも似ていた。
ウェリィがアイリスへと向けた敵意に呼応するように、傍聴席で二人の魔術師が立つ。
黒髪の公爵と銀髪の侯爵。
オルトスとクレイルがほとんど同時に放ったのは、炎の砲弾と氷の弓矢。
左右から迫る爆炎と氷結に対し、アイリスは瞬時に水流を発生させて迎撃。
氷片が水蒸気爆発によって巻き上がり、裁判所内に飛び散った。
「易々と防ぐか。俺の最高火力なんだがな」
自身の攻撃魔術を防がれたオルトスは、どこか楽しそうに笑う。
普段の一人称を忘れて零れた言葉は、無邪気な青年のようでもあった。
あるいは、娘の成長を喜ぶような父のような。
歪な感情を覗かせるオルトスの階下、二つの人影がアイリスへと肉薄する。
「合わせろ! アルパレスの娘!」
「指図すんなよ! 騎士団長!」
アイリスの魔術に倒れた騎士の武器を拾い上げ、エイディーンとシユイはアイリスへと迫っていく。
右方からは剣を構えたシユイが、左方からは斧を振り上げたエイディーンが襲い来る。
しかし、アイリスは無詠唱で渦巻く水流を生成。
左右から迫る戦士二人へと、即席の渦潮を叩きつけた。
エイディーンとシユイはそれぞれの得物で渦潮を受けるが、その勢いまでは殺しきれず大きく吹っ飛ばされる。
「だぁークソ! 軽いったらねーな。この斧」
傍聴席まで吹っ飛ばされたエイディーンは、拾い上げた武器に文句を垂れる。
シユイもエイディーンも使っていたのは、他人から拝借した武器。
使い慣れた得物ならともかく、即席の武器でアイリスと渡り合える道理は無かった。
前衛両名を迎撃した後も、アイリスは絶えず魔術を展開する。
幾つもの水流をやたらめったらに撃ち放ち、傍聴席を無差別に攻撃する。
しかし、アイリスの魔術は全て傍聴席に炸裂する直前で停止し、傍聴席の被害はゼロに抑えられていた。
無数の水流が荒れ狂う法廷。
翼を広げたウェリィが立つ傍聴席だけが、無傷のまま保存されていた。
「……チッ」
正体不明の絶対防御を前に、アイリスは舌打ちする。
次の瞬間、アイリスが天井へと撃ち込んだ水流により、法廷の天井は音を立てて崩壊。
天井が瓦礫となって崩落する中、アイリスは攻撃の手を止めて足下に魔力を集中させる。
過度に凝縮された膨大な魔力。
それに気付いたウェリィの碧眼が大きく開かれる。
碧い瞳に映った黒髪の令嬢は、足下から噴出した水流に乗って、空へと飛翔して行った。
水の砲撃を応用した飛行で、崩壊した天井から外へと飛んでいったアイリス。
鳥人でもないのに空を舞うその姿を、ウェリィは大きく見開いたままの碧眼で見上げる。
「追えるか? ウェリィ」
ウェリィの隣、オルトスが尋ねる。
鳥人であるウェリィなら、空を飛んで逃げたアイリスを追えるのではないかということだろう。
「いけますけど……多分、逃げ切られますよ。さっきの飛行速度は俺が飛んだ時より速かった。今すぐ出れば何とか追えるかもしれませんけど、途中でチギられるのがオチです」
「言い方を変える。アイリスの目的地に先回りできるか? 方角からして、自分の屋敷に飛んだのは間違いない」
「この状況で自分の屋敷に帰りますか? 死刑判決受けて逃亡してるのに、のこのこ家に帰るわけ――――」
「屋敷にはヒュノがいる」
オルトスの言葉に、ウェリィは息を呑む。
アイリスは屋敷にヒュノを残して裁判に来ていた。
これから逃亡するならば、絶対にヒュノを連れて行くはずだ。
屋敷にヒュノを迎えに帰らないはずがない。
それだけ、アイリス・セイレンディスはヒュノ・ファルカに執着している。
「……それでも、間に合わないとは思いますけどね」
そんな推測だけを残して、ウェリィは飛び立った。
白く大きな翼を広げて、鳥人の少年は飛翔する。
崩壊した裁判所に立ち尽くす貴族達を置き去りに、大空へと羽ばたいていったのだ。




