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君と雛鳥と海渡り  作者: 讀茸
第三章 魔女裁判

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第三十二話 ブルーメ・ディアナ侯爵令嬢を殺害したらしい

 王都マニリオン。

 オドマリア王国裁判所。

 荘厳な裁判所の傍聴席には、多数の貴族が顔を出していた。

 それもそのはず。被告席に立つのは、海鳴りの魔女アイリス・セイレンディス。

 原告席で相対するは、リバトレイ・ステアネミー伯爵。

 法壇の中央に座った裁判長は静かに宣言する。


「被告人アイリス・セイレンディスは西部戦線にてブルーメ・ディアナを殺害、王城にてレイヴン・ステアネミーを殺害した疑いがある」


 能面のような無表情で、裁判長の男が告げた言葉。

 温度の無い容疑の宣誓を、アイリスは無表情で受け止めた。

 その様子を傍聴席の貴族達が百様の顔で見下ろしている。

 サタールナ・トプシティは転げ落ちる強者を嗤うように。

 シユイ・アイオイトスは無心で状況を見定めるように。

 クレイル・ディアナは動き出した運命を見守るように。

 アルパレス夫妻は幕の上がった演劇をどこか楽しむように。

 そして、オルトス・セイレンディスは傘も差さず雨に打たれるように。

 オルトスの隣に座るウェリィだけが、退屈そうにアイリスの横顔を見つめていた。


(あいつがアイリス・セイレンディス……海鳴りの魔女)


 ヒュノを連れ去った張本人であるアイリスを初めて目の当たりにして、ウェリィはどこか肩透かしを食らったような気分になっていた。

 何を期待していたというわけでもない。

 ただ、噂に聞く海鳴りの魔女とやらは、ひどく平凡な姿形をしていた。

 見た者を竦ませるオーラがあるわけでもなく、凶悪な精神が人相に滲んでいるのでもなく、刺すような殺気を常に放っているのでもない。

 ただ、普通。

 街ですれ違っても、美人だなーと思う程度の印象しか残さない。

 これならヒュノの方がよっぽど目を引く容姿をしていると、ウェリィはぼんやりと考えた。


(まあ、フィクションじゃあるまいし。こんなもんか)


 これは現実。

 誰かの描いたストーリーでも、役者が演じる劇でもない。

 どんなに悪辣な魔女であろうとも、被告人席に引きずり出されればただの人。

 集落から同胞を連れ去った魔女は、想像するよりもずっと凡人だった。


「被告人、主張を」


 裁判長が静かに告げる。

 さして声量の大きくない言葉だが、静まり返った法廷にはよく響いた。


「無罪を主張します。ブルーメ・ディアナの死因はレジル地方の伏兵による奇襲。レイヴン・ステアネミーの件は正当防衛を――――」


 アイリスは理路整然と自身の無罪を主張する。

 自分自身が罪に問われているとは思えないほど流暢に、反証を積み上げていく。


「ああいうのって、自分でやるもんなんですか? 普通いるでしょ。弁護士とか。そういうの」


 淀みの無いアイリスの語り口調。

 それを聞き流しながら、ウェリィは隣のオルトスに問いかける。


「本来ならな。実際、アイリスにも弁護士を立てるという手はあった。だが、依頼した弁護士がステアネミー家に買収されていれば、裁判はほぼ確実に負ける。アイリスには法の知識もある。下手に弁護士を立てるよりは、自分で弁護するべきだと考えたのだろう。ステアネミー伯爵が検察官を立てていないのも、同じ理由だろうな」

「ステアネミー伯爵って……アイリス・セイレンディスに殺されたレイヴンって人の父親ですよね。自分の息子をけしかけて、この裁判のきっかけを作ったってことですか?」

「いいや、ステアネミー伯爵は何も知らない。ただ息子を殺した容疑者を弾劾している。レイヴン・ステアネミーをけしかけたのは、他の人間の思惑だ。そもそも、この裁判自体が私の計画には無かった」

「てことは、誰かがこの裁判を仕組んだ……?」

「ああ。恐らく、この傍聴席にいる内の誰かがな」


 後世に語り継がれるオドマリアの魔女裁判。

 その発端はアイリスがレイヴンを殺害したことに起因する。

 故に、この裁判を仕組んだのは、レイヴンをアイリスへとけしかけた本人。

 オルトスですら伺い知らぬ、何者かが仕掛けた裁判なのだ。


「ていうか、検察とか弁護士を買収できるなら、裁判長を買収すれば良くないですか?」

「それは無理だ。王国裁判所の担当裁判官は、王族が管理する直系の一族のみ就任できる。賄賂の類は徹底的に弾かれる」

「……そういう所は公平なんですね」


 皮肉交じりに、ウェリィは言う。

 平民には入場すらさせない裁判所だが、賄賂による不正は許さないらしい。

 どこまでも徹底した優遇措置を敷き、優遇された側には公平を重んじる。

 偽善と呼ぶことさえ憚られる何かが、そこにあった。


「この傍聴席にいる内の誰かって……ほとんどの貴族にとって、能力登用主義は目の上のたんこぶでしょ? 貴族主義の象徴みたいなアイリス・セイレンディスを蹴落とす意味なんてあるんですか?」


 話を戻し、ウェリィはオルトスに問いかける。

 そもそも、アイリスを蹴落としたいと思う勢力がどれだけいるのか。

 そういった本質的な話へとウェリィは踏み込む。


「トプシティ商会にとっては追い風だろうな。サタールナ・トプシティは王国中に影響力を持つ商会の会長だが、平民出身故に与えられたのは貴族の中では最下位にあたる男爵の爵位だ。それ故に、貴族議会への出席権も持たない。能力登用主義が台頭すれば、伯爵程度には上り詰められるだろう」


 オルトスは滔々と語る。

 サタールナ・トプシティはトプシティ商会の商会長として強い権力を持つが、爵位としては男爵に留まる。

 さらなる勢力拡大を目論む上で、貴族主義の失墜は追い風に働くだろう。


「アイオイトス家にも利はあるだろうな。アイリスは貴族がどうのという以前に、魔術師として申し分ない戦果を挙げている。西部戦線の件からも分かる通り、劣勢だった戦場がアイリスの参戦で勝ち戦に様変わりした例がいくつもあるのだ。そういった功績からも、騎士団ではアイリスの支持は厚く、彼女を英雄視する声も少なくない。そんなアイリスが宰相になれば、軍部の支持を一身に集めかねない。シユイ騎士団長にとっては、警戒するべき相手だろう」


 嫌われ者のアイリスだが、騎士団からの支持は厚い。

 どんなに悪辣な性格だろうと、戦場で海鳴りの魔女が味方にいるという安心感は凄まじい。

 そんなアイリスが宰相になれば、騎士団の主導権をアイリスに奪われかねないとシユイ・アイオイトス騎士団が警戒するのも無理は無いだろう。


「アルパレス夫妻が何を考えているかは分からんが……アルパレス侯爵家はオドマリアではセイレンディスに次ぐ名家。宰相の座をセイレンディス家の者が独占している現状が打破されるだけでも、この裁判を起こす価値はあるだろうな」


 アルパレス侯爵夫妻は掴み所が無く、その狙いを読みにくい。

 しかし、セイレンディスに次ぐナンバーツーの権力者である以上、ナンバーワンの失墜を願わない道理は無かった。


「そういった貴族同士の立場や力関係を抜きにしても、アイリスは社交界で反感と嫉妬を集めている。追い落とす機会を与えられたことに不思議は無いよ」


 そんなオルトスの言葉を、ウェリィはぼんやりと聞いていた。

 アイリス・セイレンディス。

 ヒュノを買い上げていった憎き貴族は、こうして見ると、まるで大人数で袋叩きにされているいじめられっ子のようだった。

 実の父親でさえ敵に回るこの状況で、あの魔女は何を思うのだろう。

 法廷を見下ろしながら、ウェリィは物思いに耽る。


「この裁判、どっちが勝つと思いますか?」


 最後にオルトスへと投げた問い。

 その言葉に含まれていたのは、微かな憐憫にも近い何か。

 退路の無い法廷に追い込まれた彼女が、ここでも徹底的に敗北まで追い詰められるのだとしたら。

 それは、どうにも救いの無い話のように思えたのだ。


「このまま何も無ければ、アイリスはほぼ確実に無罪を勝ち取るだろう。西部戦線の兵士は平民のみで構成されていた。あの場でアイリスが誰を殺そうと、平民の入れないこの裁判所で、それを証明できる人間はいない。そうでなくとも、アイリスは殺害現場を誰かに見られるようなヘマはしないだろう。そもそも、西部戦線で貴族階級を持っていたのは――――」


 オルトスは気付く。

 たった一つの可能性。

 この裁判を根本からひっくり返せる人物の存在に。


「いや、まさかな……」

「裁判長!」


 法廷、ステアネミー伯爵が叫ぶ。

 それはほぼ完璧な弁論を終えたアイリスへの反論。

 その第一声であった。


「証人尋問を提案します! 証人の呼び出し許可を」

「証人の登壇を許可します」


 裁判長の許しが出ると同時、裁判長の扉が開く。

 控室に続いていた木製の扉。

 両開きのそれはゆっくりと開き、やがてその奥から一人の女性が姿を現す。

 背の高いアイリスでさえ見上げるほどの長身。

 派手なマゼンタ色の髪と捕食者を思わせる赤紫色の双眸。

 狂気と知性の混濁した表情で笑い、証言台の前まで歩いて来たのは――――


「エイディーン……?」


 思わず、アイリスが彼女の名前を零した。

 その名が口をついて零れるほど、彼女の登壇はアイリスにとって意外だった。

 あのエイディーン・アルパレスが、頭のおかしい血染めの狂戦士が、悪名高い鮮血令嬢が、どうしてこんな場所にいるのか。

 彼女は政治になど興味が無かったはずなのに――――


「あー、証言します」


 尋問されてもいないのに、エイディーンは勝手に語り出す。

 裁判の場に相応しくない軽薄な言葉遣いで、それでも口元には嗜虐的な笑みを浮かべながら。

 驚いて見開かれたミッドナイトブルーの瞳を嗤うように。


「見ました。西部戦線でアイリスがブルーメちゃんを殺してるところ」


 貴族の裁判では貴族の言葉しか証言として機能しない。

 平民の証言など一顧だにされない。

 そういった意味で、西部戦線にブルーメ殺害の証人となり得る人物はいなかった。

 彼女、ただ一人を除いて。


「間違いありません。アイリスが殺しました」


 アルパレス侯爵令嬢、エイディーン・アルパレスは証言する。

 アイリスがブルーメを殺した場面を目撃したと。

 その瞬間をこの目で見たと。


「…………は?」


 鮮血令嬢エイディーン・アルパレス。

 狂気と知性を併せ持つアルパレス侯爵家の異端児。

 隠し持ったナイフを喉元に当てられ、アイリスは驚愕に目を見開くばかりだった。

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