第三十話 最強の魔術師
ウェリィがセイレンディスの屋敷を訪れた翌日、貴族界に激震が走る。
オルトス・セイレンディス公爵がウェリィ・バイザスを養子として迎えたことを発表。
さらにウェリィをセイレンディス家の次期当主、及びオドマリア王国宰相へと推薦。
一か月後の貴族議会で、ウェリィ・セイレンディスの宰相就任が可否を問われることとなる。
貴族主義から能力登用主義への転換を大々的に掲げたオルトス。
そして一か月後に迫った貴族議会。
着々と舞台の準備が整う中、貴族達はそれぞれの思惑を巡らせていた。
***
トプシティ商会本社。
王都マニリオンに建てられたその建物は、貴族の屋敷にも劣らない豪奢な造りをしている。
華美な金銀の装飾を施された外観は、成金趣味とも揶揄されるようなもの。
内装はさらにその傾向を強め、財と贅の限りをこれでもかというほど主張している。
シャンデリアに照らされた客間、女はこれまた豪華な寝台の上で上体を起こした。
「能力登用主義。不思議な言葉だと思いません? 強者生存はこの世の摂理。一々主義になんて掲げなくても、能力のある人間は自ずと上に上がってくるものでしょう?」
派手な女だった。
煌びやかな金髪を伸ばし、ベッドの上で体を傾ける。
露出の多いネグリジェは豊満な肢体を晒し、彼女の女性的な美しさを強調する。
薄く細めた目元は、余裕たっぷりに嗤っていた。
「ねえ、騎士団長様」
女は隣に横たわる男に問いかける。
凛々しい顔立ちをした中年の男。
美形と言うには些か足りないが、男らしい体格と顔つきは十分に魅力的だろう。
えんじ色の短髪が無骨な印象を与える男だった。
「貴殿ほどの方が言うのなら、そうなのでしょうな」
「あはは、騎士団長様はお上手ですね」
寝台の上で裸身の二人。
両者が一夜を共にしたということは語るまでもない。
語るべきことがあるとすれば、彼らが正式な夫婦ではないという一点だろうか。
「でも、私なんて大したものじゃないですよ。商会を立ち上げて爵位を手に入れたとは言っても、私のは男爵。アイオイトス侯爵の前では、格下も良い所でしょう?」
サタールナ・トプシティ。
オドマリア王国で最大規模の商会を立ち上げた彼女は、元平民ながら男爵の地位を手に入れている。
爵位の中では最も下位に位置するものだが、オドマリア王国で平民が貴族へと転身した稀有な例の一つだ。
強烈な階級社会を形成するオドマリア王国であっても、市場をほとんど独占するトプシティ商会は無視できない勢力だったのだ。
「ご謙遜を。貴殿の商会には爵位以上の影響力がある。権威としては伯爵に匹敵するでしょう」
「うふふ。騎士団長の侯爵様に言われては仕方ありませんね」
サタールナの冗句に、男は小さく笑う。
彼の名はシユイ・アイオイトス。
オドマリア王国騎士団団長にして、アイオイトス侯爵家の現当主。
武力面ではセイレンディス公爵に次ぐ権力の持ち主である。
好色家としても知られており、高級娼館ケイハエルの常連客でもあった。
「それと、くれぐれも奥様にはバレないようにしてくださいね。今夜のことも――――サミアちゃんのことも」
サタールナがその名を口にした途端、シユイは弾かれたように体を起こした。
一重の双眸を見開いて、隣のサタールナを睨みつける。
その瞳に宿っていたのは、隠しようもない焦燥だった。
「何故、そのことを……?」
「ダメじゃないですか。十七歳の騎士見習いに手を出した挙句、妊娠させてしまうなんて」
サタールナは薄い笑みを浮かべたまま、シユイの過去を言い当てる。
金と権力に任せてもみ消したはずの過去。
それを一介の商会長に知られていたとは、シユイにとって青天の霹靂だった。
「堕ろしたはず、なんて言わないで下さいね。騎士団長様のお子さんは今も元気に育ってますよ。そろそろ二歳でしたっけ」
かつて、騎士見習いを妊娠させたシユイ。
金を積んで彼女に堅く口止めし、お腹の子も中絶させたことで過去の過ちを闇に葬った。
惜しむらくは、サタールナに直前で嗅ぎつけられたこと。
サタールナは当時騎士見習いであったサミアに、中絶手術の偽造を提案。
トプシティ商会の医者がサミアの中絶手術を担当するよう手配し、子供を堕ろしたように見せかけて、実際は秘密裏に出産させていた。
「知ってます? セイレンディス公爵が鳥人の養子を後継に推薦した話。その養子を宰相として認めるかどうか、一か月後に貴族議会が開かれる。男爵の爵位しか持たない私は、出席できない貴族議会」
サタールナはシユイに顔を近づけ、その指先で彼の顎をなぞる。
それは支配下に置いた子犬を弄ぶような動作だった。
お前の生殺与奪はこっちが握っているのだと、分かりやすく知らしめるように。
「宰相として認める方に投票してください。そうすれば、サミアちゃんの居場所を教えてあげますよ。不義の証拠であるサミアちゃんもその子供も、消しに行くなり何なりすれば良い」
今、オドマリア王国は過渡期にある。
オルトス・セイレンディスが大々的に能力登用主義を掲げ、国の要職に就いている貴族の立場も安寧ではなくなっている。
そんな中、不貞の子の存在が発覚すれば、シユイは騎士団長の座を失うだろう。
セイレンディス公爵やディアナ侯爵の出方次第では、アイオイトス家からも追われるかもしれない。
シユイにとって、不貞の証拠は一種の爆弾だった。
「……図ったか、サタールナ・トプシティ」
サタールナの脅迫に対し、シユイは苦々しく返す。
寝台の上で睨むシユイの視線を、サタールナは酷薄な笑みを以て見下ろしていた。
「貴族議会が終わるまで、仲良くしましょうね。騎士団長様」
甘ったるい声でサタールナが囁く。
大きな混乱の裏でまた一つ、権謀が息を潜めて渦巻いていた。
これが一つの大捕り物へと連なっていくとは、未だ誰も知らぬまま。
***
アルパレス家本邸。
王国の司書と呼ばれるだけあって、アルパレス家の屋敷は比較的素朴なデザインをしている。
豪華絢爛を極めたトプシティ商会本社や荘厳な雰囲気を漂わせるセイレンディス家本邸とは違い、貴族尾屋敷というよりは大きな図書館のような造りだ。
事実、アルパレス家の書庫には膨大な量の蔵書が保管されている。
大図書館のような様相を呈する書庫。
中央のテーブル席で、老齢の男女がティータイムを過ごしていた。
「あなた、エイディーンが西部戦線から帰って来ましたよ」
「そうなのかい? 勝手にいなくなった時は何事かと思ったけれど、今回は何の問題も無かったようで良かったよ。あの子は昔からそそっかしいからね」
「そそっかしいなんてものじゃないですよ。あの子、退屈だからと言って、婚約者に暴力を振るったのよ。あの噂が広まってせいで、まともな縁談も組めやしないわ」
「はは。元気があって良いじゃないか。きっと、あの子にとって普通の令嬢らしい生活は窮屈だったんだよ。結婚なんてできなくても良いさ。あれだけ強いんだから、書庫の番人をしてくれるだけでありがたいよ」
「もう、あなたはあの子に甘いんですから」
穏やかで仲睦まじい会話を交わすのは、エイディーンの両親。
子供の教育方針を相談し合える程度には、夫婦関係も良好である。
加えて言えば、親子関係も非常に良好だ。
普通の貴族であればエイディーンなど勘当されていてもおかしくないが、この両親は彼女の蛮行を許し、今でも家に置いている。
一応、エイディーンには書庫の番という役目が与えられているが、それも大した仕事ではない。
エイディーンにとっては書庫内の本を読んで時間を潰し、たまに入り込む盗人を殺すだけの簡単なお仕事だ。
「それにあの子、また何か企んでいるようですよ。ステアネミー伯爵の下へ行くと言って、今日も書庫の番をすっぽかして外へ……」
「良いじゃないか。どうせ警備の手は足りている。……それにしても、ステアネミー伯爵か。ディアナ侯爵と仲が良かったところだね。貴族主義のうちとは関係が良くないけれど、大丈夫かな?」
ステアネミー伯爵家は、ディアナ侯爵家と関わりの深い家だ。
その関係性を示すように、ブルーメ・ディアナ侯爵令嬢の婚約者も、ステアネミー家のレイヴンであった。
派閥としては能力登用主義に偏っているステアネミー家。
貴族の既得権益者であるアルパレス家とは、そこまで関係が良くない。
「……大丈夫ですよ、あの子は」
しかし、エイディーンの母はあっけらかんと言い放った。
今までエイディーンの素行を問題視していた彼女が、大丈夫だと言ってのけたのだ。
「心配じゃないのかい?」
「ええ、何も」
夫の問いに対しても、母は単調な首肯を返す。
彼女の口ぶりはエイディーン・アルパレスという人間について、完全に理解しているかのようだった。
「だって私、あの子が人を殺すんじゃないかと心配したことはあっても、あの子が殺される心配なんて一度もしたことありませんから」
母が娘に向ける想いとしては、かなり歪な形かもしれない。
それでも、その言葉は間違いなくエイディーンへの信頼であった。
***
セイレンディス家本邸、バルコニー。
白い両翼を広げて、ウェリィは北風を浴びていた。
「そんな所にいたら冷えるだろう。中に入ると良い。紅茶を用意してある」
その背中に声をかけたのは、オルトス・セイレンディス。
黒髪の男はバルコニーの扉を開き、ウェリィを室内へと招いていた。
ウェリィは一瞬だけそちらを見てから、碧眼を寂しそうに細めて空を見上げた。
「俺達は大丈夫なんですよ、寒いのとか」
白鷺の鳥人は寒さに強い。
冬になって寒い日が続くこの頃だが、ウェリィにとっては寒くも何ともなかった。
彼の故郷である集落では、さらにもう二回りほど気温が落ちる。
そんなことを思いながら空を見上げ、ウェリィは思索に耽る。
既に送り届けた同胞達は、今頃何をしているんだろうか。
まだ貴族の女に買われたままのヒュノは、何をしているんだろうか。
空を見上げながら考えても、もちろん答えが出るはずもない。
「海鳴りの魔女って、どんな人なんですか?」
バルコニーに空を見上げたまま、ウェリィは室内のオルトスに問いかけた。
「娘なんでしょ?」
ヒュノを買っていった貴族の女。
崖から身投げするはずだったヒュノを雇い、今も手放そうとしない女の名前。
今はまだ顔も見たことがない彼女について、ウェリィはオルトスへと質問した。
「優越感の奴隷」
ぽつり、オルトスが零した。
自分の娘を表するには、あまりにも異質な言葉だ。
しかし、それはアイリス・セイレンディスという人間の核に迫っている。
アイリス・セイレンディスという人間の核に迫れるほど、オルトスは娘のことを見ていた。
「争いに勝利し、他者よりも秀でる。そのことに囚われ、そのことだけに隷従する奴隷のような子だ。勝ち続けることでしか、自分を肯定することができない。自分が他者よりも上だと証明するためには、どんな悪辣な手も厭わない。故にこそ強く、故にこそ救いようがない」
勝利でしか自分を肯定できない。
比較でしか自分の価値を確かめられない。
オルトスはアイリス・セイレンディスをそう表した。
勝利し優越することに固執するからこそ、宰相という権力にも手を伸ばすのだと。
アイリスは後継争いに負けたという事実に耐えられない。
「事実、アイリスはこの国で最強の魔術師だった」
「だった?」
オルトスの不可思議な言い回しに、ウェリィは訊き返す。
訊き返されたオルトスは一瞬だけ寂しそうな目をして、それから平坦な双眸を取り戻し、ウェリィの目を見て言った。
「今、この国で最強の魔術師は君だ」
オルトスがウェリィに見た可能性。
それはアイリスすらも超えかねない魔術の才能。
獣人は魔術師として大成しない、などというジンクスを一笑に付すほどの圧倒的な能力。
ウェリィ・バイザスこそがオドマリア王国最強の魔術師であるという確信と共に、オルトスは彼を養子へと迎え入れた。
アイリスに代わる新しい宰相として、ウェリィを打ち立てたのだ。
「強いとか弱いとか、俺はどうでも良いです」
オルトス直々に最強を認められたウェリィ。
しかし、彼は自分の力を誇ることも喜ぶこともなかった。
そこにあったのは透明な無関心。
強かろうが弱かろうがどうでも良い。
むしろ、強くなければいけない現状が鬱陶しいとばかりに。
「俺はもう一度ヒュノと話がしたい。アイリスって女がヒュノを縛ってるなら、そこから自由にしてやりたい。それができるなら強くなんてなくて良いし……そのために強さが要るなら、俺はいくらでも強くなります」
ウェリィにとって強さとは、目的達成のための道具に過ぎない。
競争とはこなさなければいけないタスクに過ぎず、勝敗など勝った時点で興味が無い。
自分の目的さえ達成できれば、人より優れているかどうかなど気にも留めない。
ある意味、アイリスとは正反対の在り方だった。
「殺しますよ、あなたの娘」
オルトスの前でウェリィは宣言する。
ヒュノを助け出すために、アイリスを殺すと。
「ああ、元よりそのつもりだ」
アイリスを宰相にするわけにはいかないオルトス。
アイリスの手元にいるヒュノを助けたいウェリィ。
両者の利害はアイリス・セイレンディスの排除という形で一致する。
オドマリア王国最大の政治戦争が始まろうとしていた。
サタールナ・トプシティ(27)
シユイ・アイオイトス(32)
権力者コンビです。大人は汚いのです。




