第二十九話 飛べない鳥人
高級娼館ケイハエルの襲撃事件は、瞬く間に王都へと広がった。
警備ための配置されていた戦闘員諸共多くの貴族が惨殺されたこの事件は、犯人の足取りが掴めないことも相まって王都を戦慄させた。
自然、貴族界の話題は犯人の正体へと向かう。
他国からのスパイが行ったであるとか、娼館の金品を狙った盗賊団の仕業であるとか、果ては娼館で死んだ娼婦が亡霊となって復讐しに来たとか。
様々な憶測が飛び交いはしたものの、鳥人の少年が単独でこれを為したとは誰も思わない。
世間が娼館襲撃事件の犯人の話題で賑わう中、当の犯人であるウェリィはセイレンディス家の屋敷を訪れていた。
如何にも貴族の屋敷といった豪華な廊下を、ウェリィはオルトスに連れだって歩く。
「まずは、君の方から足を運んでくれたことに感謝しよう」
「別にボランティアで来たわけじゃないですよ。詳しい話を聞こうと思っただけです」
オルトスがウェリィに持ちかけた提案。
セイレンディス家の養子にならないかという話。
そのあまりに荒唐無稽な提案の真意を探るべく、ウェリィはオルトスの屋敷を訪れた。
「二週間ほど前、君の集落を人攫いの一団が襲った。何人もの鳥人が人攫いに攫われ、各地に売り飛ばされることとなる。彼らを助け出すために、君はオドマリア王国中を飛び回っている。この前のケイハエル襲撃もその一環。……君の現況はこんなところかな?」
オルトスの言葉に、ウェリィは沈黙を以て肯定する。
碧眼はオルトスの横顔をじっと見据えているが、その腹の奥までを見透かすことはない。
海千山千のオルトスを前に、ウェリィは相手の思惑を掴み切れずにいた。
「なんで、俺達なんですか?」
代わりと言うべきか、ウェリィはそんな問いを投げた。
それはオルトスとウェリィという個人の枠を超えて、オドマリア王国貴族と鳥人というカテゴリーを包括した問いかけ。
「この翼が醜いと、鳥人は下賤だと……そう言って、あなた達は俺達を見下してきたはずだ。俺達が本当に醜いっていうなら、どうして俺達の集落が人攫いに狙われて、俺の友人達が娼館に売り飛ばされた? 醜く下賤なはずの鳥人に、どうしてあなた達は欲望を向けてくる?」
鳥人は劣っていると、醜いと、下賤だと。
何度も、そう言われて育ってきた。
獣人差別の根強いオドマリア王国で、その声を聞かずに生きることは不可能に近い。
だから、オドマリア王国の貴族達が醜く下賤な鳥人を殺しにきたというのなら、まだ分かる。
だが、どうして人攫いなのだろうか。
娼館に売り飛ばし、貴族に一晩を買われて、相手をさせられる。
醜く下賤だと罵った相手に、欲望を向ける矛盾をウェリィは理解できずにいた。
「簡単なことだ」
歩きながら、オルトスは回答する。
まるで、初めから答えなど分かり切っているかのように。
「本当のことを言えば、鳥人は醜くも下賤でもない」
それは獣人差別の根幹を揺るがす言葉。
実質的なオドマリア王国の最高権力者がそんな言葉を吐いたことに、ウェリィは思わず目を見張る。
「醜いだの下賤だのという理由はでっちあげだ。鳥人が下でそれ以外が上という構造があれば良い。真の意味で鳥人を嫌っている者など少数だろう。ただ、私達より下にいてくれれば、それで良い。対等な夫婦になるのはあり得ないが、金で買う娼婦ならば問題は無いというわけだ」
オルトスが語ったのは、残酷なまでの現実だった。
実際、好事家の中で鳥人の娼婦というのは密かな人気がある。
鳥人差別を行っている貴族達も、鳥人に生理的な嫌悪感を抱いているわけではない。
ただ、自分より格下の立場に押し込めたいだけなのだ。
金で体を買うという行為は、むしろそういった上下構造を強調する。
「あなた達は、どこまでも……」
オルトスの返答に、ウェリィは恨めしく呟く。
身勝手で横暴な貴族の在り方に、ウェリィは諦念じみた憎しみを覚えた。
許せない、という以上に、どうしようもない。
ウェリィが当たり前に持っている道徳を持たない貴族の加賀江は、彼にとって理解の範疇を超えた絶対悪だった。
天災に対して怒りが湧かないように、彼らへの憎悪も強く燃え盛っているわけではない。
ただ、こんな人間はいなければ良いのに、という願いだけがウェリィの中にあった。
「君の集落から誘拐された鳥人は、前回の人攫いで二十五人。別件の人攫いで四人。取り戻したいのは、合計二十九人だったかな」
ウェリィの心情を気にする様子も無く、オルトスは現状確認を続ける。
「それも調べたんですか?」
「ああ。前も言ったが、君の集落には個人的に興味があってね」
顔にこそ出さないが、ウェリィはオルトスの調査力に舌を巻いていた。
前回の人攫いで攫われた人数はともかく、かなり過去の別件まで調べ上げられているとは想定外だった。
二コラ一人の居場所を見つけるのにも、ウェリィは王国中を必死に飛び回った。
オルトスの助けがあれば、同胞奪還も確かにスムーズに進むのだろう。
であるならば、オルトスの提案を呑んで養子になるのは有効な手ではないのかと、ウェリィは脳内で考え始めていた。
「だが、良かったよ」
扉の前、オルトスが立ち止まる。
彼がゆっくりと扉を開ける。
そこでウェリィを待っていたのは――――
「見落としは無かったらしい」
白い翼を生やした少年少女。
ウェリィの同胞である鳥人達が、彼を迎えていた。
「ウェリィ!」
鳥人の一人が声をかける。
久しく見なかった友人の顔に、思わず喜びが溢れたようだった。
人攫いの被害に遭ったはずの鳥人の仲間達。
ウェリィが探し求めていた同胞達は、セイレンディスの屋敷で彼を待っていたのだ。
「みんな! でも、なんでここに……?」
「攫われた鳥人二十八名、全員買い戻しておいた。それなりに値は張ったが、必要な投資だと思っているよ」
ウェリィが連れ戻そうとしていた同胞達。
彼らはオルトスが先手を打って買い戻していたのだ。
予想外の形で目的が達成されたことに、ウェリィは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
しかし、頭を働かせればすぐに気付く。
ウェリィを迎えた仲間達の中に、彼の姿が無いことに。
「二十八人ってことは……」
「ああ、まだあと一人確保できていない」
二十五名の人攫い被害者。
四名の別件で故郷から連れ去られた鳥人。
彼は後者に分類される四人の内の一人。
人攫いという業者を介することなく、集落を訪れた貴族本人に連れて行かれた――――
「ヒュノ・ファルカ。君と私の最終目標だ」
ウェリィ・バイザスという最後のピースが揃い、運命の歯車は回り出す。
オドマリア王国全土を舞台にした、過去最大の政治戦争が幕を開ける。
絡み合った思惑と権謀が、空を飛べない雛鳥に迫っていた。
***
ヒュノとの思い出は少ない。
というか、話したことなんて数回くらいしかないんじゃないだろうか。
俺のいた集落は小さかったけど、それでも同年代の子供は結構な数がいた。
大体は顔見知りだったけど、そこまで仲良くないヤツだって中にはいる。
ヒュノもその内の一人で、顔を見れば思い出すくらいの知り合いにすぎない――――はずだった。
――――いたっ
よく晴れた冬の日だった。
冷たい陽射しは心地よく、吐く息は白く染まる。
気晴らしにあたりを飛んでこようかと外に出た俺は、期せずしてヒュノと出会った。
木から落ちたらしい彼は、仰向けで地面に倒れていた。
――――何してんの?
思い返せば、ひどく冷たい第一声だったと思う。
大丈夫? とか、怪我してない? とか。
そういう優しさよりも先に、俺はヒュノへの不理解を口にしていた。
だって、木から落ちるなんておかしいじゃないか。
地面に墜落するより先に、飛んでしまえば良いのだ。
俺達は鳥人なんだから。
――――……飛ぶ練習
ヒュノが飛べないという話は、この時初めて知った。
そもそも、飛べない鳥人がいるなんて考えたこともなかった。
いるにはいるのだろうと思ってはいたけれど、こんなに近くにいるとは想像もしていなかったのだ。
――――なんで木の上から?
――――木の上からだったら飛べる気がして……
――――そういうもん?
――――分かんないけど……
飛べないヤツの気持ちが、俺には全く理解できていなかったのだと思う。
話している間、ずっとヒュノが俯いていた理由も今なら分かる。
この集落で飛べないのは、衰えた老人や病人を除けばヒュノ一人だけ。
それに比べ、俺は子供の頃から誰よりも高く空を飛べた。
当然のように人より速く、人より長く、どこまでも遠くに。
自由自在に飛べる俺から垂らされた憐憫と好奇心に、ヒュノはどれだけの劣等感を感じただろうか。
――――まあ、練習してればいつかは飛べるようになるよ。飛べないヤツなんて全然いないんだし
無責任で無関心な俺の言葉。
俺はヒュノの表情なんて大して見てなかったものだから、あの時の彼の心情を推し量ることもできない。
――――……うん。そうだよね
ただ、その声に滲んだ悲哀だけが今も耳に残っている。
こんなにも悲しく、壊れそうな声をする人がいるのだろうか。
つつけば壊れてしまうガラス細工のような、あと一滴でも注げば溢れてしまう杯のような。
ひどく不安定で脆い声だった。
――――ちょっと場所を変えるよ。……もしかしたら、向こうの方が上手くいくかもしれないし
そう言って、ヒュノはどこかへと歩いて行った。
海沿いの崖がある方角。
白い翼を折り畳んで、歩いていく彼の背中がひどく寂しそうに見えた。
――――なあ、ヒュノ
だから一度、声をかけた。
続く言葉は決まっている。
頭の中では決まっていた。
練習、俺も付き合うよ。
そう言おうと、思ってはいたのだ。
飛行に関しては誰にも負けたことがない。
俺ならヒュノの力にもなれるんじゃないかと思った。
思ったのに、俺は――――
――――いや……なんでもない。その……飛べるようになると良いな
そんな言葉で会話を切り上げたのだ。
大して仲良くもないしな。
実際、飛行の教え方なんて分からないし。
毎日練習に付き合えるかって言ったらそうじゃないし。
上から目線で教えてやるってのもうざいかな。
そんな下らないことばかり考えて、歩いて行く彼を見送ったのだ。
――――うん、ありがとう
寂しそうなヒュノの声。
何か、大切なものを取りこぼした予感だけがあった。
その予感を裏付けるかのように、翌日とある報せを聞いた。
ヒュノが貴族の女に連れて行かれたと。
崖から身投げしようとしている所を女に呼び止められ、使用人として雇われていったのだそうだ。
ヒュノが絶世の美少年なのは、俺の目にも理解できることだった。
それが貴族の女に買われていったのだ。
どういう目的で雇われたのかは、想像するまでもない。
その報せを聞いた時、ひどい吐き気に襲われたのを覚えている。
もしも、あの時俺が声をかけていれば、ヒュノは身投げしようなんて思わなかったんじゃないか?
あの時の俺の態度が、ヒュノの心を決定的に折ってしまったんじゃないか?
自暴自棄になって貴族の女に付いていくようなこともなかったんじゃないのか?
俺が手を差し伸べてさえいれば――――
後悔は消えない。
俺の選択は取り戻せない。
だからせめて、もう一度だけ彼に会いたい。
会って、話をしたい。




