第二十六話 終戦
小さい頃から、お前は族長になるのだと言われて育った。
それは分かったのだけれど、族長になるにはどうすれば良いかはよく分からなくて。
とりあえず、たくさん本を読んだのを覚えている。
たくさん本を読んで、たくさん頭が良くなれば、族長になっても大丈夫な気がしたのだ。
私が使った爆弾魔術。
彼が投げた土塊が爆発して、大きなカビの群れを吹き飛ばして。
それから、煙で前が見えなくなって。
どこからか水の槍が飛んで来て。
ハネノーンが守ってくれて。
それで、それから、そうして。
気付けば、白い仮面の人達はいなくなって。
ハネノーンがただ一人、海鳴りの魔女に殺されそうになっていた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
私はハネノーンの後ろで膝をついたまま、必死に息を整えている。
爆弾魔術を使った後はいつもこうなる。
今日は爆撃をした後だから、いつもよりも息切れと動悸が酷い。
早く立ち上がらないと。ハネノーンを助けないと。
私の爆弾魔術なら役に立てる。
火力だけなら海鳴りの魔女んだって通用するはず。
だから、早く立ち上がって、爆弾を作って、あの魔女に投げつけてやらないと。
そう、頭では分かっているのに、体は言うことを聞いてくれなくて。
次々と飛んで来る魔術に傷付けられていくハネノーンの背中を見上げて、私はいつまでも蹲っていた。
「ロノゼ、大丈夫か?」
そんな私のすぐ隣、君は優しく声をかけてくる。
立ち上がれない私の傍に膝をついて、目線を合わせて、背中をさすってくれる。
私とそっくりな顔をした、私の大好きな人。
「ゆっくりで良い。呼吸を整えるんだ。息吸って、吐いて……少し楽になったか?」
問いかけてくる君に、私はコクコクと頷く。
いつもこうだ。
君は上手く喋れない私の意図を汲んで、私のことを助けてくれる。
無口で不愛想な私の隣で、穏やかに笑いかけてくれる。
「ロノゼ」
君は私の名前を呼んだ。
それは嬉しいはずなのに、今はどうしてか怖かった。
「隙を見て突っ込む。射程に入ったら起爆してくれ」
まるで、何でもないことみたいに君は言ってのける。
いつもと同じような顔で、いつもと同じような声で、いつもは絶対言わないようなことを。
私は縋るように君の腕を掴んで、涙ぐんだ目で君の顔を見上げた。
君は困ったような顔をして笑う。
「そんな顔するなよ。……ごめんな。花火、一緒にやろうって言ったのに」
どうでも良い。
花火も、爆弾も、戦争も。
そんなこと、最初からどうでも良かったんだ。
君が隣にいてくれるなら、私はそれだけで良い。
いつも私の考えてることをすぐに察するのに、どうしてこういう時だけ分かってくれないのか。
「花火は他の誰かとやってくれよ。ロノゼは可愛いし頭も良いから、きっとすぐに友達もできるって。この戦争が終わったら、きっと。友達だけじゃなくて、恋人だってさ」
要らない。
友達も恋人も、君以外は何も要らない。
他の誰かとか、戦争が終わった後にいつかとか、そんなことはどうでも良いから。
今、私の前からいなくならないで。
「それじゃ、行ってくるよ」
君が私の手を解く。
折れているはずの右手で、縋りつく私の手を引き剥がす。
非力な私の手では、君を繋ぎ止められなくて。
「じゃあな、ロノゼ」
君が駆け出していく。
私を置いて走っていく。
その背中を呼び止めたいと思ったのに、言葉は喉に詰まって出てこない。
行かないで、一人にしないで、戻って来て。
そんな簡単な一言でさえ、私の喉は発してくれなくて。
声にならなくて。
言葉にならなくて。
「待ってよ……」
蚊の鳴くような小さな声で呼んだ。
「ゼンリ君……!」
君が私の影武者になった時に捨てた名を。
こんなに小さな声じゃ、届きやしないと分かっていたのに。
***
アイリスの大規模な水属性魔術。
それを飲み込んで大量に繁殖したカビの魔術。
さらにそれを焼き払ったロノゼの爆弾魔術。
スケールの大きい魔術が幾度も炸裂した林は、林とは思えぬ異様な様相を呈していた。
地面は所々がクレーターのように凹み、折れた木々や草木がそこら中に散らばり、それらには火が燃え移ってパチパチと音を立てている。
煉獄もかくやという戦場で、ハネノーンはアイリスが放つ魔術をどうにか捌いていた。
極限まで追い詰められてなお、ハネノーンは槍を振るい続ける。
一切の勝機が見えない中、次々と襲い来る水の槍を弾くハネノーンの思考は完全に停止していた。
あらゆる思考を放棄して、何も感じないように心を閉じて、ただ惰性に防御に徹し続けている。
ハネノーンの瞳から戦意が失われている様を、アイリスの傍に立つブルーメも視認していた。
(ブローカーは全滅。さっきの爆発はエイディーン様にも見えたはず。すぐに来てくれる。大丈夫。負け筋は無い)
ほとんど勝利を確信するブルーメ。
同様にハネノーンも心のどこかで、敗北を確信していた。
背後から、影武者が飛び出してくるまでは。
「援護してくれ! 戦士長!」
駆け出したのは、一人の少年。
ロノゼと全く同じ風貌をした、齢十歳の子供。
自分よりも遥かに幼い少年の疾走。
ハネノーンの目に光が戻る。
(水×風――――)
ここまで、アイリスの攻撃を一身に受け続けていたハネノーン。
掠り傷は数え切れないほど食らい、体力も魔力も既に枯渇寸前。
故に、それは彼女が気力と命を振り絞った最後の魔術付与。
「エンチャント・タイフーン!」
槍に暴風雨を纏わせ、戦士長の肉体は躍動する。
影武者に先行するように走り出し、アイリスへの間合いを果敢に詰めていく。
魔術師は近接戦闘に弱い。
故に、魔術師相手に距離を詰めるのは定石、ともいかないのが現実だ。
距離が近付けば近付くほど、相手の魔術が自分に届くまでの時間も短くなる。
距離による威力減衰も消え、より勢いに乗った魔術が、より近距離から放たれる。
魔術師に距離を詰めていくということは、死地に飛び込むようなリスクを抱えた行為でもある。
それでも、ハネノーンは駆けた。
凄まじい威力と精度で魔術を撃ってくるアイリスへと、勇猛果敢に接近していく。
(今だけ。今回だけ。これっきりだ。こんな無茶も、無謀も、今日だけだ。だから――――)
槍で捌き切れなかった魔術が、ハネノーンの腕を掠めていく。
ただ掠めただけの水槍が、皮膚と肉を豆腐のように抉っていく。
皮が剥がれて、肉が抉れて、骨に響いて、血が零れる。
アイリスが展開する魔術の雨に耐えながら、ハネノーンは体を張って影武者の走行ルートを確保する。
(だから、これで終わってくれ!)
ハネノーンが暴風雨を纏った槍を投げる。
命を振り絞った投擲と同時、アイリスの放った水槍が彼女の左脚を吹き飛ばした。
アイリスとて、ハネノーンの投擲モーションは見えていた。
至近距離ならまだしも、それないに離れた位置からの投擲。
水の鎧を展開するだけの時間的余裕は十分にある。
(あの女の槍は水鎧を貫く。だったら――――)
アイリスの水鎧は水圧操作によって、触れた物を外方向へと弾き返す。
しかし、ハネノーンの槍はそれを貫通してくると呼んだアイリスは、水圧操作の方向性を変更。
(横に流す)
外へと押し返すのではなく、横へと逸らすように水圧を操作。
水の鎧に侵入した槍は、強烈な横方向へのベクトルを与えられ、その軌道を大きく逸れる。
アイリスの顔面に刺さるはずだった槍は、彼女の耳を掠めていくに留まった。
ハネノーン決死の投擲をいなしたアイリス。
彼女のミッドナイトブルーの視線の先では、左足を失ったハネノーンが地面に倒れ込んでいた。
そのすぐ傍を通って、駆け上がってくる小さな体躯。
ハネノーンが確保した走行ルートを通り、影武者がアイリスへの距離を一気に縮めていた。
(詰めてくる。攻撃魔術への切り替えは間に合わない。水の鎧で弾き返す? いや、誘い込んで押し潰す。水の鎧で完全に覆ってしまえば、水圧で圧死させられる)
ハネノーンの投擲により、アイリスは攻撃魔術から水鎧への切り替えを余儀なくされた。
故に、距離を詰めて来る影武者に対し、攻撃魔術を再展開する余裕は無い。
突っ込んでくる影武者を確実に仕留めるため、アイリスが選んだのは水鎧による圧殺。
過度に水分を圧縮して作られた水の鎧は、凄まじい水圧を誇っている。
アイリスは主に防御手段として運用する水の鎧だが、この水圧を活かせば攻撃にも転用できる。
アイリスは水の鎧を展開しながら、駆け込んでくる影武者を待った。
迎撃態勢に移ったアイリスには、油断も死角も無い。
確実に影武者を圧殺できるはずだった。
(この魔力、まさか――――)
異変に気付いたのは、ブルーメだった。
影武者の体内から湧き上がる魔力。
魔力による身体強化の域を遥かに超えた、爆発的な魔力の高まり。
(自爆……?)
その正体が爆弾魔術だとブルーメが悟った時には、彼女の視界を橙色の光が包んでいた。
ブルーメの魔力探知において、ロノゼと影武者の魔力が全く同じ色をしていた理由。
それは、影武者の体内にロノゼが魔術で作った爆弾が内臓されていたから。
爆弾を食べることで胃に格納し、ロノゼが起爆するだけで不意打ちの自爆を行える。
ロノゼの影武者に与えられた、最終手段だった。
幼馴染の命と引き換えに、敵を確実に爆殺する最終手段。
払う代償はかけがえがない代わりに、不意に炸裂する爆弾魔術は防ぎようがない。
防ぎようがない――――
「随分、物騒なことをするのね」
防ぎようがないはずの爆発。
ゆっくりと晴れていく煙の中、彼女は悠然と立ってた。
隣のブルーメを腕で庇うような体勢で、その身に薄い火傷を刻みつつも、アイリスは未だ健在。
影武者が命を代償に行った自爆でも、アイリスの命には届かなかった。
「熱と火には滅法強いのよ。私でなければ、死んでいたでしょうね」
アイリスは影武者の自爆を前にして、水の鎧を全面展開。
爆発の熱で水鎧が蒸発した瞬間、水蒸気になった水を全力で外へと放出。
爆風を押し返すと共に、爆発の効果範囲にある空気を水蒸気で範囲外に押し出すことで、空気を奪って火力を最低限に抑える。
その結果として、アイリスに刻まれたのは皮膚が焼ける程度のダメージ。
アイリスが抱き込むようにして庇ったブルーメに関して言えば、ほとんど無傷のまま立っている。
「――――――――」
依然として立つアイリスの姿を、ロノゼは呆然と見つめる。
想い人の命を代償に、断腸の思いで放った魔術は、目の前の魔術師一人を殺すこともできなかった。
その現実に、あまりに残酷な現実に、ただ緑色の目を見開いて立ち尽くす。
涙すらも、流れない。
呆然としていたのは、地面に倒れ伏すハネノーンも同様。
あまりに圧倒的な力量差を前に、壊れそうなほど見開いた眼球で、海鳴りの魔女を見上げている。
そんな彼女の前に、それは悠々と歩いて現れた。
「ちぃーっす。もう終わっちった?」
エイディーン・アルパレス。
マゼンタ色の髪をした狂戦士が、ようやく到着した所だった。
「どうして、お前が……」
エイディーンの姿を見て、ハネノーンが呟く。
縋るような、あるいは泣きつくような声だった。
左足を失って仰向けに伏す戦士長の姿を、エイディーンは斧を担いだまま見下ろす。
「ん? なに君? あたしがどうしたって?」
「どう、してっ……どうして、お前がここにいる……? お前は、サクロスが足止めしていたはずじゃ――――」
答えなんて、初めから分かり切ってた。
それでも、分かり切った現実から目を背けるように、ハネノーンは問い詰めた。
途切れ途切れの声を紡いで、既に失った幻想に縋るように。
「ああ」
訊かれたエイディーンは、僅かに目を細めた。
殺した相手に興味など持たないであろうエイディーン。
そんな彼女がふざけるでもなく、笑うでもなく、ハネノーンに返したのは――――
「サクロス・マダーはあたしが殺した」
偽ることのない、真実。
ハネノーンに対して真摯に事実を教えたのは、エイディーンなりの敬意だったのかもしれない。
強い意思と戦闘技術でエイディーンを楽しませた戦士に贈る、僅かながらの感謝と賛辞。
しかし、それはハネノーンにとって絶望でしかなく、彼女は言葉を失って目を伏せた。
今はもう、何も見たくないと言わんばかりに。
目を伏せたハネノーン。
爆散したゼンリ。
最後にただ一人残されたロノゼは、心を失ったかのように立ち尽くし、ただ目の前の光景を目に焼き付ける。
齢十歳の子供にはあまりにも残酷な、この世界の現実を。
――――花火は他の誰かとやってくれよ。ロノゼは可愛いし頭も良いから、きっとすぐに友達もできるって。この戦争が終わったら、きっと。友達だけじゃなくて、恋人だってさ
いつか、この戦争が終わったら。
いつか、他の友達や恋人ができたら。
辛く苦しい戦争を終えれば、ゼンリのいない人生を続けていれば、いつか。
いつ来るとも分からない、いつか。
そんないつかのために、戦い続けるだけの力など、もう、ロノゼには――――
「降参……」
少女は両手を上げる。
それは幼くも賢い彼女なりの白旗だった。
「降参、します」
族長の娘であり、レジル地方の爆撃作戦の核であるロノゼの降参。
実質的なレジル地方の敗戦が、この瞬間に決まった。
延々と、延々と、延々と、続けられてきた戦いの果て。
永遠と見紛うほどに長く続いた戦争は、今ここに終結した。
ゼンリ・レノフ(10)
ロノゼの影武者。ロノゼの幼馴染でもあります。




