第二十二話 敵兵の右手を潰したらしい
西部戦線、西の林。
木々の合間を抜けて駆けるは、槍を背負った長身の戦士。
一人の少女を抱えたまま、ハネノーンは林を疾走する。
少女はハネノーンに抱えられながらも、じっと口を噤んでいる。
幼い少女だった。
歳は今年で十になるが、外見はさらに幼く見える。
紫色の髪をしており、体格は同年代の中でもずっと小柄で華奢。
彼女もソシアナ族の例に漏れず、目の下には刺青のような模様が浮かんでいた。
しかし、一般的なソシアナ族のそれとは違い、彼女の模様は口元まで伸びるほど大きく、両目の下にそれぞれ浮かんでいる。
左目の下に小さな模様があるだけのハネノーンと比べれば、その違いは一目瞭然だった。
彼女の名はロノゼ・ソシアナ。
族長の娘であり、爆弾魔術の使い手。
爆撃作戦の要である彼女を砦まで送り届けるために、ハネノーンは林を疾走していた。
「おい、戦士長。こんなんで逃げ切れんのかよ? 向こうの最大戦力が追ってきてんだろ?」
ハネノーンの隣を並走する少年が、彼女に声をかけた。
少年とは表したが、彼の外見から性別を見極めるのは非常に困難だろう。
何せ、彼はロノゼと瓜二つ。
その外見的特徴からロノゼの影武者として登用されており、今はロノゼと全く同じ装束に身を包んでいる。
本来は右目の下に小さな模様があるのみだが、ロノゼの影武者としての役目を果たすため、継ぎ足すように刺青を彫っている。
彼に名は無い。
ロノゼの影武者になった時に、かつての名は捨てた。
強いて言うなら、ロノゼ・ソシアナが名前。単に影武者と呼ばれる場合も多い。
「ならスピードを上げるか? 君が並走できるなら、だが」
影武者の文句にハネノーンは皮肉交じりに返す。
戦士長台風?ハネノーン・フーカ。
二つ名に風を冠しているだけあり、彼女の足はレジル地方の戦士団でも最速。
ハネノーンが全力で走れば、影武者はあっという間に置いて行かれるだろう。
「……上げろよ。俺を置いてっても、今は逃げ切るのが先決だろ」
ハネノーンの言葉に不機嫌そうな顔をしつつも、影武者はその言葉を肯定する。
爆弾魔術を使えるロノゼは、爆撃作戦を展開するレジル地方にとっては心臓に近しい。
そうでなくても、影武者にとってロノゼは大切な人物だ。
彼女を連れたハネノーンの逃げ切りには肯定的だった。
「それはできない。敵の走力は私も目視で確認した。全力疾走したところで、逃げ切れる保証は無い。だったら、戦力になる君も連れていくべきだ」
「だったら、最初からそう言えよ」
「……悪かった。少し気が立ってたんだ」
「珍しいな。いつも戦場に私情を持ち込むなって言ってんのに」
「一世一代のプロポーズでフラれてね」
「プロポーズ? この戦いが終わったら結婚して下さいってか。そりゃ死亡フラグだぜ」
並走しながら、影武者とハネノーンは気安い言葉を交わす。
有事のために戦闘訓練を受けている影武者だが、主に指南を担当したのはハネノーンだった。
そういった関係性もあり、ハネノーンと影武者の距離は近い。
仲の良さそうな二人の様子を、ロノゼはハネノーンの腕の中から羨ましそうに見ている。
「……だから、俺は言わねーぞ。そういうの」
ボソリと吐き捨てるように言った影武者。
その視線は一瞬だけロノゼの目を直視し、すぐに恥ずかしそうに背けられた。
その言葉の意味を理解したのか、ロノゼも顔を赤らめて俯く。
ロノゼと影武者の関係は幼馴染に近い。
共に花火を打ち上げようと誓った日から、あるいはもっと前から、二人の間には友情以上の何かが芽生えていた。
戦いの最中でありながらも、甘く繊細に描き出される恋模様。
まだ幼い少年少女の淡い恋心は、木々の合間に消えていく。
そんな二人の情景を、遥か頭上から押し潰すように――――
「……何か、聞こえないか?」
音が聞こえた。
ごろごろと唸るような、どこか不気味な低音。
遠雷を思わせる響きは、ある種の圧迫感さえ纏ってこだまする。
そう、それはまるで、海鳴りのような――――
「見つけた」
遥か頭上、彼女は呟いた。
奇しくもハネノーンと同様に、両腕に少女を抱いたまま。
空を舞う令嬢は、滑らかな黒髪を夜空に晒す。
ミッドナイトブルーの瞳が、確かに地上を駆ける三者を捉えていた。
「魔力反応、間違いありません。爆弾魔術師です」
アイリスの腕の中、ブルーメが告げる。
彼女の周囲に浮かぶは幾つもの巨大な水の塊。
過度に圧縮された水分の塊は、深海から掬ってきたような深い色彩を纏う。
それは装填された弾倉。
既に照準を合わせた水の砲撃。
地上の標的へと向けて、高密度高質量の水塊が放たれた。
「影武者! 私の後ろに入れ!」
アイリスが上空で魔術を撃つと同時、ハネノーンはロノゼを影武者へと投げ渡す。
背中の槍を引き抜いて、頭上から降る攻撃に備える。
ロノゼを受け取った影武者は、彼女を抱いてハネノーンの後方に入りつつ、仰ぐように空を見上げる。
そして、目撃する。
レジル地方が総力を上げて行っていた爆撃作戦。
その真似事をほとんど単身で成してしまう天才魔術師を。
海鳴りの魔女と呼ばれ恐れられた、オドマリア王国最強の魔術師の御業を。
「なんだよ、これ……」
降り注ぐ水塊は、さながら流星群。
乱射される水の砲撃は、暗い色を纏って地上へと衝突する。
一撃一撃が地面にクレーターを作り、背の高い木々を押し潰し、薙ぎ倒し、一面を均していく。
天変地異とすら思えるような魔術の雨に対し、ハネノーンは無詠唱で風の結界を展開。
ドーム状の結界で防御に徹するが、そこへ水塊が一つ直撃。
無数に乱射された魔術の内のたった一つ。
たった一撃によって、風の結界は完全に霧散した。
(結界が壊れた! 一撃一撃の威力が尋常じゃない!)
結界の破壊と共に、形を失って飛び散る水塊。
右肩に降りかかった飛沫の勢いに、ハネノーンは思わず体勢を崩す。
(重い! ただの水飛沫に肩を持ってかれた!)
アイリスの魔術は超高密度の水を操る。
圧縮された少量でも水分は凄まじい質量を誇り、水飛沫であっても戦士長の姿勢を崩すほどの重みがあった。
水塊の流星群が降り注ぐ中、あたり一面は災害かの如き様相を呈していた。
折れた木々の破片、舞い上がる土煙、飛び散る水飛沫。
かつて林だった場所はクレーターだらけの平地へと成り果て、押し潰された木々があたりに散乱する。
そんな変わり果てた場所へ、彼女は軽やかに降り立った。
「アイリス・セイレンディス……!」
ハネノーンが彼女の名を呼ぶ。
当のアイリスはブルーメを地面に下ろしながら、ミッドナイトブルーの瞳で三者を見据える。
冷たく、透徹した眼差し。
海鳴りの魔女に一瞥され、ハネノーンは背筋に悪寒が走るのを感じた。
この世に生を受けて以来、あらゆる全てを意のままに従えてきた王者の視線。
そこから放たれるプレッシャーは、並大抵の者ではない。
(着地! 獲るなら今しか無い!)
それでも、プレッシャーを振り切って駆け出した者がいた。
ロノゼを地面に放り出した影武者は、地面を蹴ってアイリスへの距離を詰める。
ハネノーンの背後から飛び出した小さな影が、二つの敵影へと迫っていく。
(戦士長と違って、俺はどっからどう見てもガキ。そんなのが飛び出してくるとは思ってもみねーだろ。一瞬で良い。一瞬迷え。一瞬困惑しろ。魔術師の本分は遠距離戦。距離を詰めれば狩れるはずだ)
人類が無詠唱魔術を開発して以来、魔術師の戦闘は高速化した。
それでも、魔力を練り上げて術式に流し込むタイムラグは確かに存在する。
コンマ一秒を争う近接戦闘において、その隙はあまりにも大きい。
故に、魔術師の本分は遠距離戦闘。
距離を置いての撃ち合いでこそ、魔術師は真価を発揮する。
その隙を狩り取るべく、影武者はアイリスの懐へと飛び込んでいった。
小柄な少年の体は躍動し、アイリスの喉元へとその指を伸ばす。
「随分思い切りが良いけれど」
喉元に触れるはずだった影武者の手。
その指先はアイリスへと到達する直前で、暗色の水に阻まれる。
少年が触れたのは敵の急所ではなく、アイリスの肉体を保護するように展開された水の鎧だった。
(なんだ、これ? 水なのに硬い。手が動かせな――――)
直後、後方へ吹っ飛ぶ影武者。
右手を強い力で押し返された彼は、蹴飛ばされたボールのように地面を転がった。
アイリスの魔術によって均された林は、折れたり潰れた木々が並んでいる。
半ばからポッキリと折れた木の残骸に衝突して、影武者はやっと停止した。
木の幹を背にしたまま、影武者は自分の右手を見下ろす。
青紫色に腫れた五指は、所々がべっこりと凹んで曲がっていた。
「少し蛮勇なんじゃないかしら」
アイリスの操る水の鎧。
過度に圧縮された水で構築された鎧は、水の密度を操ることで水圧を変化できる。
影武者を吹き飛ばしたのも、水圧の急上昇によって生じた斥力。
アイリスは触れたものを弾き飛ばすように、水鎧の水圧変化を予め術式に組み込んでいる。
接近してきた敵を跳ね返すためにチューニングされた水鎧は、展開さえ間に合えばほぼ確実に触れた相手を弾き飛ばす。
アイリス・セイレンディスが持つ近接戦闘への備えである。
(水に触ったらぶっ飛ばされた。どういう理屈か分かんねーけど、近接戦闘にも対応できるんだ)
右手の痛みを耐えながら、影武者はゆっくりと立ち上がる。
腫れた右手をだらりと下げて、左手だけでも格闘戦の構えを取った。
(でも、明らかに威力は低い。海鳴りの魔女が噂通りの魔術師なら、俺の右手をぶっ飛ばすなんて簡単だったはず。あれは敵に近付かれた時の緊急手段。あいつが近接戦闘に弱いことは間違いない。……戦士長が接近できれば、勝てる)
勝ち筋を見出して、影武者はハネノーンと視線を交わす。
影武者を見下ろして、ゆっくりと頷くハネノーン。
アイコンタクトだけで作戦は伝わったようだった。
「アイリス様、ちょっと待って下さい」
林の残骸で向き合う両勢力。
その最中、息を呑んだのはブルーメだった。
「あの子供、二人共魔力が一致している」
ブルーメの魔力探知は個人の魔力を識別できる。
個人によって異なる魔力の色。
常人には感じ取れないその色彩を、ブルーメは感じ取って識別できるのだ。
対面したことで、ブルーメは確信する。
ロノゼ・ソシアナとその影武者。
二人の子供の魔力の色は、完全に一致していた。
「爆弾魔術師が、二人……?」
爆弾魔術の色を帯びる二人の魔力。
その色彩の同一性に、ブルーメは目を見開く。
彼女の視線の先で立つ、齢十歳の小さな子供。
ロノゼはその緑の両眼を開き、ブルーメとアイリスを見つめていた。




