第二十話 決闘回廊
――――ヒュノ・ファルカです。よろしく、お願いします……
初めてヒュノに会ったのは、一年ほど前のことになる。
アイリス様が連れて来たその少年は、私の目にもひどく美しく見えた。
凛として隙の無い美貌のアイリス様。可愛らしい美少女のブルーメ様。私的には結構美形なんじゃないかと思うノウド。その他、社交界に憚る貴族の令嬢令息達。
アイリス様の使用人になってから数多くの美形を目にしてきた私だが、彼の美貌には思わず息を呑んだのを覚えている。
暴力的なまでの美貌だった。
純白の髪は絹のようで、金色の瞳は純金製かと思うほど。
背中の白い両翼を折り畳んだ立ち姿は、地上に舞い降りた天使のようにさえ見えた。
嫉妬すら湧かぬほどの美貌とは裏腹に、彼はいつも縮こまっていた。
――――ご、ごめんなさい……皿、割っちゃって……
正直言って、ヒュノは無能だった。
仕事の覚えも悪いし、ミスも多い。
悪気があったわけではないのだから堂々としていれば良いものを、ヒュノはいつも申し訳なさそうにしていた。
一人では何もできず、初めは私とノウドが付きっ切りで指導した。
――――あ、これは、その、転んじゃって……
何もできないヒュノだったが、喧嘩は輪にかけて弱かった。
獣人というだけあって絡まれる機会は多く、その度に一方的に殴られる。
囲まれていじめられているヒュノを、私とノウドで救出した事態は数知れない。
私はヒュノが理解できなかった。
自分を害する相手は、刃物で斬りつけてやれば良い。
それだけで大抵の相手は逃げていく。
私やノウドほど上手く剣を扱えなくたって良い。
素人が適当に振り回すだけで十分危険なのが、刃という物なのだから。
私がそれを指摘すると、ヒュノは申し訳なさそうな顔をして言った。
――――昔からそういうの苦手で。なんか、できないんだ。傷つけたり……壊したり……
できないというのが、私には理解できなかった。
暴力が苦手。それは分かる。
喧嘩が苦手。それは分かる。
だが、目の前の人間が殴りかかってきても、その苦手意識が足を引っ張るだなんてことがあるのだろうか。
どんなに暴力が苦手でも、喧嘩が苦手でも、殴られると思ったら反撃するのが普通じゃないだろうか。
私には分からない。
ヒュノ・ファルカが分からない。
弱くて脆い彼に執着するアイリス様も、一人では何もできないヒュノを気にかけるノウドも、私には分からない。
何一つとして、分からないのだ。
***
屍戦士を斬っては捨ててを繰り返す中、跳躍した女戦士の姿は私にも見えた。
ノウドの頭上を飛び越えて、ヒュノの隠れる馬車へと跳ぶ戦士。その軌道を視線で追うノウド。
私にはそれが見えていて、本当によく見えていて。
だから、ノウドがヒュノを助けに動こうとするのも見えた。
それは何度も見た光景。
――――そっか。あんま一人で抱えんなよ。俺で良けりゃいつでも相談乗るから
弱く脆いヒュノが窮地に陥って、優しいノウドがそれを助ける。
一人では何もできないヒュノのために、ノウドが甲斐甲斐しく世話を焼く。
今まで何度も見てきた、お決まりの光景。
――――おーい! 大丈夫か!? ヒュノ!
ヒュノが皿を割って、破片で怪我をした時も。
獣人だからといって卵を投げつけられた時も。
金銭目当ての暴漢に襲われそうになった時も。
いつも、いつも、ノウドはヒュノを助けてしまう。
――――いやぁ、良かったよ。ヒュノも何ともないって言うしさ
それは何度も繰り返されたことで。
飽きるほど見てきた景色で。
だからこそ、私は耐えられなかった。
「私が行く」
気付けば、走り出していた。
ノウドの肩を掴んで止め、代わりにヒュノが隠れている馬車へと乗り込む。
女戦士が起動した何かの魔道具にも、躊躇無く飛び込んだ。
これ以上、ノウドがヒュノを助ける様を見たくなかった。
見せつけられたくなかった。
そう思って、私はノウドの代わりに無彩色の光の中へと身を投げた。
眩い閃光に思わず目を瞑る。
そして、再び瞼を開いた時、私は見知らぬ場所に立っていた。
そこは円形の広場のような場所。
地面は石畳で出来ていて、観客席のようなベンチが円形の広場を囲っている。
無人の観客席によって閉じられた広場は、まるで場末の闘技場。
茜色に染まった空が高い。
「魔道具……?」
零した呟きは、多分合っていると思う。
私はあの女戦士が使った魔道具によって、この空間に転移させられた。
ここが実際に存在する空間なのか、魔道具が作り出した特殊空間なのかは分からない。
どちらにせよ、元いた西部戦線から隔離させられたのは確かだった。
視線を前方に伸ばす。
そこには、二人の人間がいた。
短刀を抜き放った女戦士。
そして、その足下で蹲る白い鳥人。
茜色の光を浴びて、二人のシルエットが浮かび上がっている。
「――――間に合う」
脳が反射的に下した判断が、無意識の内に言葉となる。
今までの戦闘経験と直感が告げていた。
女戦士が短刀を振り下ろすより早く、私はヒュノとの間に割って入れる。
私の走力なら、私の反射神経なら、私の剣速なら、ヒュノを助けられる。
そう本能が告げると同時、理性が耳元で囁いた。
一秒、待つだけで良い。
たった一秒待つだけで、あの女戦士がヒュノ・ファルカを殺してくれる。
目障りな害鳥を、ノウドの心配と視線を一身に集める彼を、私以外の殺意が殺してくれる。
少し躊躇うだけで良い。
突然の空間転移に一瞬戸惑っただけ、いつもより走り出しが一歩遅れただけ、敵の気迫にほんの一秒怯んだだけ。
たったそれだけで、ヒュノ・ファルカは消えてなくなる。
そう思った途端、私の足は止まっていた。
たっぷり一秒間、私は静止した。
「お願いします……」
視線の先、蹲ったヒュノが言った。
絞り出したようなか細い声で、縋るように言葉を紡ぎ出す。
武器を振り上げた敵の前で、抵抗することも逃げることもなく、ただ命乞いの言葉を。
「ヨネとノウドは……僕意外の二人は殺さないでください」
私には分からない。
ヒュノ・ファルカが分からない。
弱くて脆い彼に執着するアイリス様も、一人では何もできないヒュノを気にかけるノウドも、私には分からない。
何一つとして、分からない。
今でさえ、彼の考えていることが分からないままだ。
どうして、私とノウドなのか。
自分の命に手がかかっているこの状況で、どうして他者の心配なんてできるのか。
本当に分からない。
何一つとして分からない。
どうして私は、ヒュノを助けるために走り出しているんだろう?
今更、間に合うはずもないのに。
「ごめん。それはできない」
小さな謝罪と共に女戦士が短刀を振り下ろす。
無防備な少年の首筋へと迫る刃。
一直線に落ちる短刀がヒュノの命を刈り取るよりも、ほんの少しだけ早く、私の剣が戦士の短刀を弾き上げた。
割って入った私にトドメの一撃を防がれ、女戦士は大きく跳び退いて距離を取る。
「ヨネ……?」
どうしてか、ヒュノが背後で不思議そうな声を上げた。
不思議なのは私も同じだ。
まさか、間に合うとは思わなかった。
私は十分すぎるほどの時間を棒立ちして消費したはずだ。
女戦士がヒュノにトドメを刺す隙は確実にあった。
割り込んで来た私に対してすぐに距離を取った所を見ても、彼女の動きがそこまで鈍いとは思えない。
「もう一人!? どうして? 一対一を強制できるはずじゃ……!」
少し離れた場所で、叫ぶ女戦士。
彼女の苦しそうな形相を見て納得した。
彼女が躊躇ったのだ。
ただ仲間の無事を乞うヒュノを前に、彼女は非情になり切れなかった。
その情が生んだ一瞬の迷いが、間隙が、私の乱入を許した。
「……決闘用の魔道具」
私が言い当てると、女戦士は目を見開いた。
分かりやすい人だ。
直情的なお人好し。
だからこそ、ヒュノを仕留め切れなかったのだろうけど。
「オドマリアにも似た物がある。戦士二人を隔離して、一対一の決闘を可能にする。……戦意の無い人間は戦士としてカウントされず、ギャラリーとして決闘空間に入ることができる」
この手の魔道具には覚えがある。
貴族達の間でもよく使われている物だ。
決闘で話を白黒つけようという機会はよくあるが、街で魔術の撃ち合いをするわけにもいかない。
それこそ、アイリス様ほど卓越した魔術師でなければ、コントロールが利かずに街が大惨事になるだろう。
そういう時に役立つのが、決闘用の魔道具だ。
決闘に臨む戦士以外にも、戦意の無い人間はギャラリーとして決闘空間に入れる。
ヒュノに戦意が無かったため、私と女戦士の二人が戦士としてカウントされたのだろう。
「戦場で戦意が一切無い? そんなことが……」
「うん。私にもよく分からない」
この魔道具の発祥はレジル地方だ。
あの女戦士が使ったものも、オドマリアで流通している物の原型にあたるものだろう。
彼女もよく理解しているはずだ。
この魔道具にギャラリーとしてカウントされて決闘空間に入った場合、少しでも戦意を抱いた時点で元の場所へと弾き出される。
今もヒュノがこの場所にいられるのは、自身に刃を向けられてなお、一切の敵意も殺意も抱かなかったからだ。
本当に意味が分からない。
「そんな人間をどうして戦場に連れて来たの?」
「……アイリス様の趣味。ヒュノは気に入られてるから」
「そんな理由で戦場に一般人を……?」
女戦士は驚愕と軽蔑を混ぜたような表情を浮かべる。
アイリス様はそういう人だ。
自分の意向は何としてでも押し通し、必ず思い通りにする。
戦場に命を賭けるレジル地方の戦士にとって、アイリス様の行いは横暴で傲慢に見えただろうか。
「で、どうするの?」
私は問いかけた。
この女戦士の怒りも葛藤も、私には関係の無いことだ。
いつも通り。
殺すべきなら、殺すというだけ。
「私にはあるけど。戦意」
私の宣戦布告に対して、女戦士は表情を変えた。
険しい顔つきの彼女は、短刀を構え直す。
アイリス様の使用人になってからは、何度も戦闘の機会があった。
構えを見ただけで、相手の力量が何となく分かるようになるほど。
「戦士団団員、カプリ・ジーニー」
鋭さを増す彼女の視線。
左目の下に、刺青のような紋様が茜色の陽光を浴びて映える。
短刀を構えたまま姿勢を落とした彼女は、力強い踏み込みと共に駆け出した。
「お命頂戴する!」
それは一瞬の出来事だった。
一瞬の内に起こった、単純で残酷な命のやり取り。
短刀を携えて迫った女戦士に、私が迎撃の一閃を浴びせたというだけ。
ただひたすらに速く、彼女の反応すら上回るほど速く、振り上げた剣の一撃。
それは短刀を握っていた彼女の右腕を斬り飛ばした。
利き腕と得物を失った彼女は、そのまま私の方へとつんのめる。
倒れ込んでくる戦士の首を、私は翻す剣で撥ねた。
「ヨネ・アンダーク」
彼女に倣い、私も名乗りを返す。
足下に落ちた首の無い屍に、この名乗りが届いたかどうかは分からないけれど。
私は剣を振って付着した血を払い、そのまま鞘の中に収めた。
後ろを振り返れば、白い鳥人の少年が尻餅をついたまま私を見上げていた。
「ありがとう、ヨネ」
ヒュノはいつものようの申し訳なさそうな顔をして、そんなことを言った。
ただ、いつも通りだったのか表情くらいのもの。
いつもなら、一言目には「迷惑かけてごめん」と言う彼にしては、晴れやかな言葉だと思った。
「まあ、殺されかけてたから、普通に」
「そうじゃなくて……」
至極当然のことを言った私に、ヒュノは否定の言葉を投げた。
一体、何がそうじゃないのだろうか。
「僕のこと疎んでたのに、助ける方を選んでくれて。ここなら、僕を見殺しにしても誰にもバレなかったのに」
「……え」
正直、耳を疑った。
バレていたのだろうか。
ヒュノのことを疎んでいると、ヒュノ自身に気取られていたのだろうか。
ちょっと信じられない。
「ヨネって結構分かりやすいよ」
私が呆けていると、ヒュノは微笑んでそう言った。
分かりやすい?
ポーカーフェイスで有名なこの私が?
ありえない。私は常に不愛想で仏頂面のはずだ。
いや、常にというのは言い過ぎかもしれないけれど。
「やっぱりノウドのこと? 好きな人が他の人を気にかけてると嫌な気持ちになる?」
「え、いや、は? なに? いや、なに? 本当に。いやいや、そんな、え? なに? え、いや……」
「あははっ、そんなに好きなんだ」
「……いや、別に。好きとかじゃないけど」
立ち上がったヒュノはパッパッと服の埃を払う。
少し低い位置から、金色の視線がじっとこちらを見つめてくる。
なんだ? その微笑ましいものを見るような視線はなんなんだ?
別に好きとかじゃないって言ってるじゃん。
「ノウドとはそんなんじゃないよ。そもそも、僕もノウドも男だし」
「え、いや何? 別にそんなこと全然気にしてないけど」
「めっちゃ気にしてるじゃん」
必死に否定する私を見て、ヒュノは楽しそうに笑っている。
今までの人生で、ここまでヒュノに優位に立たれたことがあっただろうか。
なんか、すごく、やり込められている感じがする。
でも、言い当てられてみれば、こんなにも下らない。
ノウドを取られるのが怖かっただなんて、子供じみた話でしかなかった。
そういえば、ヒュノはアイリス様と行くところまで行ってるんだった。
そんなヒュノからすれば、私の考えてることなんてお見通しなんだろうか。
「……別に、もう、疎んでいないから」
だから、本当のことだけ言っておいた。
ヒュノはずるいと思う。
弱いからこそ思われて、脆いからこそ大事にされる。
落とせば割れてしまうガラス細工のように、彼は周囲から大切にされるのだろう。
そうやってノウドにまで大事にされるのは羨ましい。
でも、まあ、別に良いか。
気にしたって仕方ないし、よくよく考えればヒュノのように弱くなりたいとも思わない。
ノウドと出会えたのだって、私がこの歳まで生き残っていたからだ。剣の才能が無ければ、私は幼少期に死んでいただろう。
だから、まあ。
私は私で、ヒュノはヒュノで、それなりにやっていけば良い。
何となく、そう思った。
カプリ・ジーニー(17)
ソシアナ族の女の子。戦士長を目指して毎日頑張っています。




