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君と雛鳥と海渡り ~海鳴りの魔女が挑む政治戦争。圧倒的な魔術の才能で全員捻じ伏せて、王国最高の権力者へ~  作者: 讀茸
第二章 西部戦線

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第十三話 殺人

 作戦会議後、アイリスは自身に当てがわれた部屋で過ごしていた。

 戦地ということで贅沢品は無いが、アイリスは屋敷から魔術書を持ち込んでいた。

 彼女は膝に乗せたヒュノの翼を撫でながら、寝台に座って魔術書を読んでいる。


「鳥人が空を飛べるのは、翼に飛行魔術に似た術式が刻まれているからなのよ。まあ、そうじゃないと説明つかないわ。人間の体重で鳥と同じように飛ぶなんて不可能だもの」


 アイリスはヒュノの小さな翼を撫でながら、魔術書の内容を読み聞かせる。

 読み聞かせるといっても、分かりやすそうな所をかいつまんで、だ。

 アイリスが読むような魔術書は専門的な内容が多く、そのほとんどなヒュノには理解できない。

 それでもアイリスが語って聞かせるのは、彼女の孤独を紛らわせるため。

 自分の知識を誰かと共有したいという心の働き。


「術式そのものが肉体の一部に刻まれているからこそ、鳥人はどの種族よりも滑らかに空を飛べるのではないか……まあ、このあたりは仮説に過ぎないわね。優れた飛行魔術師は時に鳥人をも凌駕する。肉体に術式を刻むなんて荒唐無稽な話だし……ヒュノ、聞いてるの?」


 じっとアイリスの顔を見上げていたヒュノ。

 そんな彼にアイリスは怪訝そうな視線を向ける。


「いえ、今日のアイリス様は機嫌が良さそうだなーと思って。いつもはもっと辛そうだから……何か良いことでもありました?」


 それは恐らく、ヒュノ・ファルカにしか分からない心の機微。

 いつも何かに追い立てられたようにささくれ立っているアイリスの心が、今日はほんの少しだけ凪いでいた。


「別に、何も無いわ」


 アイリスはそっと本を閉じる。

 西部戦線の夜に、彼女は何を思うのか。

 その答えに最も近い人物が、ヒュノ・ファルカなのかもしれない。


     ***


 翌日、私はアイリスの提案通り、前線の後退を指示。

 オドマリア王国の兵士は後方の平野まで後退し、飛行魔術師の爆撃が来るのを待っていた。

 荒野は土色の地面を晒すだけで、遮蔽物の一つも無い。

 長丁場になることを想定して立てたテントが、平らな荒野に並んでいる。

 時刻はとうに夜の七時。

 いつもは爆弾を落としに来る飛行魔術の隊列が、今日はまだ姿を見せていなかった。


「来ませんね」


 荒野で空を見上げ、私はぽつりと呟く。

 独り言と会話の中間くらいの声量で放った言葉は、隣に立つアイリス様の耳まで届いただろうか。


「まあ、向こうとしてはこっちが前線を上げてくるのを待ちたいでしょうね」


 私の言葉は聞こえていたらしい。

 アイリス様はミッドナイトブルーの瞳で遠くを見つめながら、レジル地方側の心情を考察する。

 すぐ隣にヒュノさんを侍らせて、彼女は遠くを見つめている。

 風に揺られて、アイリス様の艶やかな黒髪がはためいた。

 綺麗な髪だな。

 ストレートなの羨ましい。

 私って結構癖っ気なんだよな。

 同じ黒髪なのに、こんなにも違うのはなんでだろう。

 私も髪を伸ばしたら、アイリス様みたいになれるかな。

 そんなことをぼんやりと考えてから、気付く。

 自分でも不思議なくらい、アイリス様への恐怖が薄らいでいる。


「やっぱり、白兵戦を仕掛けてくるんでしょうか?」

「……どうして、そう思ったの?」

「向こうは私達に前線を上げてほしいわけじゃないですか。だったら、一度地上戦を仕掛けて敗走すれば、そのまま追って来させることも可能……みたいに考えるんじゃないかと思って」


 アイリス様の推測が正しければ、遮蔽物の無い平野はレジル地方にとって都合が悪い。

 爆弾魔術師が爆撃を観測するための隠れ場所が無いからだ。

 平野は爆撃に向いているようで、爆弾魔術師が敵に見つかるリスクも抱えている。

 兵士が常に三百六十度を見張っているし、爆弾魔術師が出てくれば確実に見つけられるだろう。

 レジル地方からすれば、もう少し前線を上げた場所、林の位置する地点までこちらを釣り上げてから爆撃を行いたいはずだ。

 そのために、一度白兵戦を仕掛けてわざと敗走する、というのはありそうな作戦に思える。

 昨日アイリス様に飛行魔術師部隊を撃墜されたのに、そのまま爆撃作戦を続行するのも勇気がいるだろう。


「意外ね」

「意外ですか?」

「ええ、貴方もそういうことを考えてるなんて」

「わっ、私だって色々考えてますよ……!」

「そうじゃなくて」


 アイリス様が一つ息を吐く。

 変わらず遠くを見つめたままの瞳は、深い海のような色をしていた。


「わざと負けるために兵を出すなんて、捨て駒にするようなものでしょ? 貴方はそういうことを考えないと思っていたわ」


 ああ、そういう。

 まあ、確かにそういう話でもある。

 そういう話ではあるのだけど――――


「……っ、くふふっ、あははっ」


 耐えられず、吹き出してしまった。

 急に笑い出した私を、アイリス様が不思議そうな顔で見下ろす。

 怪訝そうな彼女を見て、私は一層笑ってしまった。

 アイリス様には私がそんな風に見えていたなんて。

 それはなんとも滑稽で、可笑しくて、面白い話じゃないか。


「アイリス様。私、人を殺したことがあるんですよ」


 私の告白にアイリス様はギョッとした。

 常に冷静な彼女の表情がこうも動くと、なんだか面白いような気分になる。

 そんなにビックリするようなことだろうか。


「小さい頃、路地裏でカツアゲに遭って。有り金全部取られたんです。後から追いかけて、背後からビール瓶で殴って取り返しました。それで相手は死んじゃいましたね」


 特段、印象深い出来事でもない。

 カツアゲなんて私の暮らしていた街では珍しくもなくて、そういう類の人間が殺したり殺されたりするのもまた珍しくなかった。

 当時から私は人の魔力を覚えることができたから、私の有り金を奪ったヤツの魔力を追いかけた。

 人気の無いところで呑気に硬貨を数えていたので、背後からビール瓶で後頭部をぶん殴った。

 そして私は自分の財布を取り戻し、ついでにそいつの持っていた僅かな金も手に入れたというわけだ。

 貧民街ではよくある話。

 ちょっとした諍いの延長戦の一幕だ。


「平民の間じゃ珍しくもないですよ。自分が生きるために、他の誰かを犠牲にするなんて。ああ、えっと、貴族にそういうことが無いって言いたいわけじゃないんですけど……」


 侯爵家に拾われた元平民の令嬢。

 穏やかで優しい義両親と素敵な婚約者に恵まれた少女。

 善意に満ちていて、虫も殺せないほど優しくて、小さくて純朴なお嬢様。

 アイリス様の目には、私がそんな風に映っていたんだろうか。

 なんか、すごく可笑しい。


「私だって、そんなに良い人じゃないんですよ」


 なんだろうな。

 すごく、不思議な気分だ。

 アイリス様も、私も、お互いを勘違ってばかり。

 私が思うほどアイリス様は怖くなかったし、アイリス様が思うほど私は純粋じゃない。

 私達の間に違いなんてそんなに無くて、本当は同じ人間なのかもしれない。

 きっと今、私達はすぐ隣にいる。


「この前レイヴンを叩きのめしたこと、恨んでる?」


 アイリス様が訊いてくる。

 その声音は少しだけ震えているような気がした。


「はい。ちょっとだけ」


 私はにっこりと笑って答えた。

 満面の笑みで応じると、アイリス様は少したじろいだようだった。

 アイリス様の所作や表情は本当に微かで、よく目を凝らさないと分からないけれど。

 それでも、少しずつ分かってきたような気がする。

 例えば、今は痛い所を突かれて苦い顔をしている。

 そして、少しだけ私を怖がっている。

 アイリス様も本当は、誰かに恨まれたり嫌われたりするのが怖いのかもしれない。

 まあ、笑顔で「恨んでます」と言ってくる女は普通に怖いかもしれないけれど。


「テント戻りましょう。そろそろ夕飯ですし。白兵戦でも爆撃でも、多分すぐには来ないですよ」


 私は野営地の方へと歩き出しながら、楽観的な言葉を吐いた。

 こちらの急な前線後退。

 レジル地方にしたって、私達の作戦や狙いを考える時間が欲しいはずだ。

 多分、本格的な戦闘になるのは明日か明後日だろう。

 それまではもう少しゆっくりしたって良い。


「……そうね」


 私はアイリス様について分かってきたような気がしていて。

 なんだか、西部戦線も上手くいくような気がしていて。

 何の確証も無い「気がする」を無邪気に信じ切っていた。


     ***


 セイレンディス公爵家、本邸。

 応接室のテーブルでは二人の男が向かい合っていた。

 一人は黒髪の男。高級な椅子に腰かけ、ラフに足を組んでいる。瞳の奥にギラついた野心が垣間見えるような男だった。

 もう一人は銀髪の男。背筋をピンと伸ばして椅子に座っている。銀縁の眼鏡も相まって、知的で礼儀正しい印象を与える。

 テーブルに置かれたグラスには、赤ワインが注がれていた。


「本日はお招きいただき光栄に思います」


 銀髪の男が恭しく言った。

 格式ばった挨拶を述べる彼を、黒髪の男は一笑に付す。


「よせよ」


 既に歳は五十近いだろう黒髪の男。

 しかし、彼は少年のように笑った。


「俺達の仲だろう?」


 オルトス・セイレンディス。

 オドマリア王国の宰相でもある男は、旧友に笑いかける。

 王国の宰相にまで上り詰めようと、その子供っぽい笑い方は昔のままだった。


「相変わらずだな。私の方が家柄でも劣っているのだから、丁寧に挨拶してやったというのに」


 オルトスの言葉に、銀髪の男は表情を崩す。

 一転してリラックスした顔になった彼の名は、クレイル・ディアナ。

 ディアナ侯爵家の当主であり、ブルーメの義理の父でもある。


「はは。お前も丸くなったな。ガキの頃は俺に敬語すら使わなかったろう?」

「子供の頃の話だ。忘れろ」


 オルトスとクレイル。

 公爵と侯爵。貴族主義と能力登用主義。

 立場も身分も異なる二人でありながら、こうして思い出を語るほどには交友があった。


「で、今回は何の用だ? まさか、久しぶりに飲みたかっただけとは言うまいな」

「それもある。が、本題はお前の娘についてだ」


 オルトスは足を組み変えながら、ワインの入ったグラスを取る。

 それなりに度数のあるそれを飲み干すオルトスの前で、クレイルは顎に手を当てていた。


「娘……ブルーメがどうかしたか?」

「西部戦線にアイリスを連れて行ったらしい。あいつの魔術で西部戦線を一息に片付けるつもりだろうな」

「そうか。お前の娘というのも……まあ、あの子らしい人選だ」


 オルトスの報告にクレイルは眉一つ動かさない。

 座ってグラスを呷る姿は、全く平静のままだった。


「……驚かないんだな」

「ああ。私が同じ立場でも、きっとそうした。本音を言えば大人しくしていてほしかったが、そうしない子だというのも分かっていたさ。まあ、私であればお前の娘などという危険なキャスティングはしなかっただろうがな」


 クレイルにとって、ブルーメの行動は明確な不利益だ。

 能力登用主義の試金石である西部戦線にアイリスなどという根っからの貴族を持ち込まれては、計画が破綻することは間違いない。

 それでも、クレイルは穏やかに笑っていた。

 ブルーメ・ディアナとはそういう人間なのだと知っていたから。


「なあ、オルトス。私達も随分遠くまで来たな」

「急にどうした? もう酔いが回ったのか?」


 クレイルは想起する。

 いつか見た夢の話。

 自分達なら成し遂げられると信じて、歩んできた道のりを振り返る。


「お前、実の娘を殺す気だろ」


 クレイルは鋭く、されど優しく言い当てた。

 オルトスは何も言わず、沈黙を以て肯定する。

 これは政治戦争。

 権謀術数渦巻く、貴族達の生存競争。

 西部戦線で戦うアイリスの背に、別の魔の手が伸びようとしていた。

オルトス・セイレンディス(47)

クレイル・ディアナ(45)

アイリスの父親とブルーメの義父。実は仲良しです。

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