桃色の佐葦花【3】
2012年4月の終わり。
朝食の準備が終わると、彼が神妙な顔をして話があると切り出した。
「……そうだね。その前に、寧々に言っておきたい事があってね」
「は、はい……」
本当に昨夜の事は覚えていないのだろうか……?言っておきたい事……?
「実は……」
「ごくり……」
彼がもし昨夜の事を覚えていたらどうする?今日でこの生活が終わってしまうのではないだろうか……。
「と、敏夫さん、ちょっ――」
「実は……工務店を白河の借家からこっちに移そうと思ってるんだ」
「……へ?」
「あぁ、いや。相談もなしに決めてすまない。今、借りている白河の家を返してここで工務店が出来たら、家賃もかからないと思って。ただここの一階はほぼ仕事場になるから、住むには二階をリフォームしないと無理かもしれな――ん?どうしたの?寧々?おぉい……」
良かった、彼の記憶は完全に消えている。昨夜の出来事は、狐霊がきちんと仕事をこなしてくれたみたいだ。そうなる親父殿に早々にお願いをしないと……。
「えぇ、敏夫さん。わかったわ。私は二階を片付けていくから、敏夫さんは一階を仕事場にリフォームしましょ。そうね、そうしましょう」
「いいのかい?ありがとう、寧々」
一週間後としていた引っ越しが先に伸びた。一カ月先か二ヶ月先か……でもそんな時間は日々の忙しさであっという間に過ぎていく。
親父殿も例の件を最初は渋ったが、娘の為と最後は折れてくれた。これで狐霊との約束も守れる。
――2012年10月。
あれから半年程が過ぎ、補助金も利用し、青井花店から能里工務店へとリフォームをした。
その為、借りていた白河家はまた空き家に戻ったが、使う当てもないそうで、一階部分は伽藍洞になったまま、賃貸契約を終了する運びとなった。
「乾杯っ!!」
「敏夫さんおめでとうございます!」
「お疲れ様でした!」
「寧々、皆!ありがとうございました!」
その日の夜、引っ越し祝いにと、近所の人達や顔見知りが集まり祝賀会を開き盛大に祝ってくれた。
彼とは一ヶ月程前から同棲生活を始め、まだ結婚の話は出ていないが、仕事が軌道に乗るまでの辛抱だろう。でもようやくこれで母さんに報告が出来る。
祝賀会は深夜に終わり、皆が帰った後に片付けをしていると、彼が寝転がったまま声をかけてくる。珍しくお酒を飲んでいた彼は眠たい目をこすりながら……。
「寧々……今日はありがとう」
「敏夫さん、こちらこそ。これから精を出して働いて下さいね」
「ははは……将来は尻に引かれそうだな……。今日、恭子がお祝いにってこれをくれたよ」
「え、引っ越し祝い?敏夫さん、言ってくれたらお礼をしたのにぃ!もう!」
「ごめんごめん。まさかお彼岸で恭子も戻って来てるとは思ってなくて、話に夢中になってた。そう言えば恭子が言ってたけど、前はもう一人友達がいてどうとか……。それがお互い思い出せなくてね」
「へ、へぇ……そうなんだ」
「しかも恭子が『敏夫って結婚してたっけ?』とか言い出してね、寧々がいるのに何言ってんの!て笑ったんだよ」
「も、もう敏夫さんったら!ほら、そこに横になってたら片付かないから二階へ先に行って下さい!」
「あっ、ごめん。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
そうか、結婚か。彼から離婚した話は以前聞いていた。そうなると戸籍を取った場合『除籍』の文言が残っている可能性が……!?
片付けを済ませると、役場に勤めている同族の仲間にメールを送った。
『ご無沙汰してます。寧々です。少し戸籍の事で調べて欲しい事があって連絡しました――』
…
……
………
――翌日。
彼と私は立花の家に呼ばれ、そのまま防波堤の入り口まで連れて行かれる。
「お二人共、知っての通り……」
ドキッ!まさか……!この人は覚えているのか……!
「ここは青井さんが残してくれた畑なんだが……。生前、彼女はこの畑をとても大事にしちょったけん……二人でこの畑を守っていってくれまいか?」
「立花さん!これは……!」
「そう……」
「綺麗……!!」
立花のお婆さんが近くの水道から水を汲み畑に撒いた。
「これは彼女……青井夏子が咲かせた世にも珍しい、青い彼岸花だけん。ここが発祥の地なんだわ……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
数本の青く咲く彼岸花に手を合わせる立花さんを見て、彼も私も手を合わせる。畑の片隅には、少し大きめの石と線香立てもあり、まるで青井夏子の墓標の様にも見えた。
しかしこの下には……。
「良いかい?お二人さん。この青い彼岸花は動物性タンパク質を栄養として咲く。いずれこの彼岸花が白く戻る頃……タンパク質が足りてないと思いんせ。夏子先輩……私ももうじきそっちへ逝くけんね。まっちょってよ」
「立花さん……」
青い彼岸花を眺めるその目には、何かを思い出す様に涙が浮かんでいた。
帰り道、彼が先に歩くと、私は立花のさんの手を引き彼の後ろを着いて歩く。
「寧々さんや……」
「はい」
「敏夫君は良い子だけん、大切にしておやり」
「はい、もちろん――」
「それと畑の土が変わっていたんだが、あれはあんた達の仕業だね?」
「え……」
言葉に詰まり、歩く足が止まる。
「誰にも言わせん。たぶんわしにしかわからん事だけん……」
「立花さん……」
狐霊の力を持ってしても、全ての記憶の操作は出来ないのだと知った日だった。
――数日後。
私は町役場を訪れ、狐の仲間に戸籍の話を聞いた。
「急に連絡してごめんなさい。何かわかりましたか?」
「寧々ちゃん、それがね……え、と。ちょっと向こうのテラスに行く?」
「はい、構いませんが?」
彼女に言われ、外の喫煙所に一旦出る。
「ごめん、ごめん。中では誰が聞いちょるかわからんけん」
「珠美さん、何かあったんですね?」
「えぇ……これを見て」
彼女から戸籍と新聞のコピーが入ったクリアファイルを受け取った。
「能里敏夫……本籍広島県……1968年7月生まれ……あれ?」
「寧々ちゃん、気付いた?」
「結婚をしていない……?」
「そうなのよ。それに……」
「山陽道で交通事故?両親は死亡してる……」
「えぇ、彼は数年前に両親を亡くしてる」
「そうだったんだ……」
「それに寧々ちゃんの違和感の正体が分かったわよ」
「能里菜乃花さんの?敏夫さんの前妻の正体……?」
「えぇ。……彼女の正体は、狸だったのよ」
「んなっ!?」
「旧姓、絹田菜乃花さん……」
「絹田……きぬた……たぬき……!?嘘でしょ……」
「本当よ。戸籍には細工をしたんでしょうね。敏夫さんにしかわからない様な……」
「はぁ……そうだったの。じゃあ狐霊て言ってたのもあれは嘘なのですね。まさか宿敵の狸霊だったとは……完全に騙されたわ」
「調べたら菜乃花さん本人は元々人間なのよ。彼女は18歳の時に一度捜索願いが出てるの」
「捜索願い?」
「えぇ、そして数日後に無事保護されてたわ。これが当時の新聞記事よ」
「何これ……?」
「写真がわかりにくいけど……。行方不明になった場所で生死を彷徨う様な事があったのかもしれないわね……」
「そうですね……。救急車に運ばれる彼女には生気がないと言うか……」
「そうね。そして狸霊と契約をし、蘇った……。そう考えると辻褄が合うわ」
「戸籍までいじれるのなら、名前を変えるくらい造作もない……か。ふぅ、ほんと狸につままれた様な話だわ」
「寧々さん。私が調べられる範囲ではこれが限界だけどね、少しはお役に立てたかしら?」
「十分です!珠美さん、ありがとうございました」
「お安い御用よ。それよりあなた、これから子供を産むのでしょ?女の子であればお祝いしてあげれるけど、男の子だったら……」
「分かっています。それが我が一族のしきたりなので……」
「そう……分かったわ。新しい家族が出来たらいつでも来てね。待ってるわ」
「珠美さん……」
菜乃花には狸霊が取り憑いていた。
狸霊は私に『狐霊』だと偽り、仲間意識を持たせ、新しい肉体を探させたわけだ。全くとんだ食わせ物だ。
そもそも敏夫が菜乃花に出会った頃には既に取り憑いている。よくもまぁ、ここまでバレずに取り憑いていられたものだ。
もしかして、その時から最後はこうなる運命だったのか……。
「ただいま」
「寧々、お帰り。漁協の仕事は終わったのかい?」
「えぇ……うん、終わったわ。すぐに晩ご飯の準備しますね」
「あぁ、僕はこの仕事片付けてしまうよ」
これでいい。何事もなかった様に過ごせば良い。余計な感情を持つな……彼の子を宿すまでは――。
――それから間もなくして、彼とめでたく結婚をした。お世話になった廻輪寺で仏前結婚式を行い、皆に盛大に祝ってもらい、またそれからしばらくして子供を授かる事になる……。
町役場に手続きをしに行った際に、彼女に言われた一言が今でも頭から離れない。
「珠美さん、実は……」
「……そう、おめでとう。女の子だと良いわね!私は……あのしきたりに逆らって一族を追い出された身なのだから……」
…
……
………
――2年後。
家の前で我が子をあやしていると、通りすがりの女性に声をかけられる。
「あらぁ!かわいいわねぇ!お名前は?」
「能里敏季と言います。次の春で1歳になります」
「そうなのぉ……かわいいわねぇ。思い出すわ……もう首も座ってるのねぇ」
話を聞くとお彼岸に遊びに来ていた立花家の人達だった。
「青井花店が無くなったのは寂しいけど、こうやってまた新しい人達が町に来るのは嬉しいわね」
「亜弥さんはこちらには住まないんですか?」
「私は大阪でせかせかしとる方が性に合っとんよ。お婆ちゃんがこの町に行くって言った時は驚いたんやけど……こらっ!美央!どこ行くねん!茜!美央を追いかけてや!――寧々さん、呼び止めてごめんなさいね!お寺さんに行って来るわ!」
「はい!行ってらっしゃい!」
――まるで風の様に時間も人も流れていく……。
「寧々、今誰かと話してた?」
「あっ、あなた。今ね?立花さんの所のお孫さんが通られて……」
「そうなんだ。ん?猫ちゃん」
「にゃぁ……」
「あら、みーちゃんもこんにちは。今の人?お寺さんに行ったわよ」
「にゃっ!」
「ふふ、みーちゃんも行ってらっしゃい」
「はははっ!寧々は猫とも話が出来るんだな」
「ふふ、何となくですよ。何となく……そうそう敏夫さん。来年の春になったら、この子の1歳の誕生日に両親がお祝いをしたいと言ってまして――」
準備は整った……。この子は来年1歳の誕生日を迎える。
人間の子供を授かり、狐の子孫を増やしていく。いずれこの町は狐の仲間でいっぱいになるだろう。
そしてそのしきたりは永遠に続いて行く……。
私は玄関先にある、額縁に入った佐葦花に手を当てた。それは今年の春に摘んで、押し花にした佐葦花だ。
白、黄、朱、黒……そして来年の春に桃色の佐葦花を加える事になる。
桃色の佐葦花の花言葉は「虚栄心」と「富と繁栄」……。
――私はその時が来る日まで静かに待つ。
―私の佐葦花につづく―




