桃色の佐葦花【2】
――2012年4月14日。
青井花店の青井夏子が亡くなった。68歳だった。死因は心筋梗塞。高波でえぐれた畑を直そうとしていたのだろう。
実は数日前に畑に入れる為の土を頼まれ、彼とトラックを借りて土を運んだのだ。畑の横には何種類かの土が山積みになっており、スコップも転がっていた。
葬儀が執り行われ、お寺には数多くの参列者が訪れていた。
『――観自在菩薩行深……般若波羅蜜多時……照見五――』
私と彼は焼香を済ませ本堂の外で椅子に腰掛ける。
「寧々さん、実は今朝の事なんだけど……立花さんからちょっと話があってね」
立花さんとは彼が居候する家の家主である。
「青井さんが生前、親しい身内がいないから自分が亡くなったら、青井花店を畳んで欲しい。と頼まれてたみたいでね。ただ、立花さんとしてはあの家を残したいそうなんだ」
「へぇ……」
「で、僕に青井花店に住まないかって言われた」
「え?」
「僕も驚いたけど、他に住む人もいないしどうしようかと思ってね。土地の権利書は立花さんが譲渡されるそうだけど、家賃はいらないって……」
「良いんじゃないですか?立花さんがそう言われるのなら」
「……あの、それでなんだけど」
「……はい?敏夫さん?」
言葉に詰まる彼が空を見上げる。
「……寧々さん。一緒に住まないか?」
「良いですよ」
「え?」
「ん?」
「えぇぇぇぇぇ!?い、良いんですか!」
「はい。敏夫さん、ちょっと声が大きいですよ?」
参列者の方々に白い目で見られ、彼が顔を真っ赤にしているのが印象的だった。
それからが忙しかった。仕事の合間に青井花店の片付け、リフォーム……目まぐるしく日々は過ぎていく。
――桜が散り、4月も終わりになった頃。
「敏夫さん。ようやく、目処が立ちましたね」
「あぁ、寧々。ありがとう。君のお陰だ」
「ふふ、どういたしまして――」
時刻は22時。町の明かりはほとんど消え、外灯の明かりだけが湾内に揺らめく。
ビールの缶を持ち、彼と防波堤を歩いていると、月が辺りを照らし、波が防波堤に当たる音が辺りに響き、何とも穏やかな気持ちになる。
「来週には引っ越し出来ると思う。随分待たせたな」
「私はいつでも大丈夫ですよ。それよりリフォームのお金の方は大丈夫でしたか?」
「あぁ、皆のお陰で仕事も増えてきたし、立花さんが協力のしてくれた。足りない部分はやっぱり銀行で借りる事になったけど、何とかやっていけそ――」
「そうですか、それは良かっ――」
そう言いかけて、2人共言葉に詰まった。防波堤の先にある小さな赤い灯台の下に誰かが座っているのだ。
あり得ない話ではない。夜釣りで来る人も多い……しかし、その人はそんな雰囲気ではなかった。
「……ようやく来たわね」
「その声は……菜乃花!?」
「菜乃花……?敏夫さん、この方は……?」
「あらあら、若い子連れて歩いて良いご身分だ事……ひっく……」
その女性は灯台にもたれかかりながら、立ち上がる。足元はおぼつかず、かなり酔っているのが伺えた。月明かりでシルエットは見えるが、顔までは良く見えない。
「ねぇ、敏夫。お金貸してちょうだい……ひっく……もうお金が無いのよ……」
「菜乃花!お前、いい加減にしろよ!あれから何度――!」
「仕方ないじゃない!私だってこんな――!」
彼女は……敏夫の前妻か。離婚の原因はお酒と、ギャンブルだったと一度だけ彼が話してくれた事があった。
しかし、この者……それだけではない?妙に獣臭い……?
「菜乃花!お前のその酒グセもギャンブルも……僕は我慢して……!それに……!」
「それに何よ?はん……そう言う事?その女にたぶらかされて――」
ふらふらしながら彼女は敏夫に近付くと、胸ぐらを掴み、顔を近付ける。
「この尻軽女と寝たの?どうせすぐに捨てられるわ。どうせ彼女もあなたの遺産目当て――」
「だ、黙れっ!!」
「敏夫さん、駄目っ!!」
私が止めに入る間もなく、彼は彼女を突き飛ばした。
ドンッ……!!
「それ以上言うとお前でも許さないぞっ!彼女はなぁ――!」
そう言いかけて彼の動きが止まる。
「彼女はなぁ……彼女は……。菜乃花……?」
菜乃花は灯台にぶつかると、座り込んだまま動かなくなった。
「お、お前……ふざけるなよ!酒飲んで、そうやっていつもいつも……」
「敏夫さん、彼女もう……」
「……え?」
彼女の首元で脈を取ると、脈は既に動いていない様に思えた。
そして彼女から得体の知れないモヤが出てくる。彼には見えていない様だが……。
…
……
………
(――あなた、もしかして狐霊……?)
『ん?なんや……同業者かいな。あかん、せっかく取り憑いとったのに完全に死んでしもうたやないか。体に戻られへんわ』
(何て事を……!取り憑き、人間の寿命を喰らうのは禁忌だと言うのに……)
『ちゃうちゃう!こやつは元々死にかけとったんや。わしとの契約で霊魂を宿しとっただけや!それにとどめ刺したんはそっちのあんちゃんやないかい!』
(あら、そうだったの。本人の意思ならしょうがないわね……)
『しかしやっかいな事になったの……こんな所でくたばってしまうと、旦那はんが殺人犯になってしまうで?わしは霊魂やさかい、抜けてしもうたらもう動かせん』
(……殺人犯。それは困る……)
『けひょひょひょ……嬢ちゃん、どや?ちょっと取引せぇへんか?』
(取引?見ず知らずのあなたと?)
『せや、こう言うのはどうや――』
(……ふぅん。いいわ、乗ってあげる)
………
……
…
今、彼を失うわけにはいかない。
「――敏夫さん、彼女の足を持って……」
「寧々!今から救急車を呼……!」
「もう死んでる!いいから!早くっ!!」
「……あぁ、分かった」
私達は、彼女の体を持ち上げるとそのまま防波堤の入り口にある畑へと移動する。
「寧々、やっぱり警察に……」
「敏夫さん、埋めるわよ」
「……」
私達は彼女の遺体を畑のくぼみに寝かせた。深さが1メートル程のくぼみにちょうど収まる。それはまるで用意してあったかの様に……。
私は畑の横に積んであった土をスコップで掘り、彼女の上にかけていく。
彼もそれに習い、土を彼女にかけていく。
「はぁはぁはぁ……」
「はぁはぁはぁ……」
10分程で積んであった土は無くなり、畑は元の畑へと戻る。
「敏夫さん、いい?これは2人だけの秘密。死ぬまで誰にも話さない事……」
「……あぁ、分かった」
「良い子ね……」
私は土で汚れた手のまま、彼を抱きしめた。
「さ、行きましょう、誰も来ないうちに……」
「あぁ……」
私達は暗闇の中、外灯を避ける様に青井花店へと戻る。家具は揃っていないものの、寝具や着替えは既に運び終えていた。
交代でシャワーを浴び、お互いが口数少なく、一つの布団で横になる。
「敏夫さん、今日はもう寝ましょ……?」
「寧々……うん、おやすみ」
「おやすみなさい……」
――深夜。
「それで?狐霊、どんな体が欲しいの」
「そやなぁ、40~50代の女性……これが一番脂が乗ってて美味しいねん」
「……気持ちの悪い」
「けひょひょひょ……心配すな。取り憑くだけで直接殺したりはせぇへんよ。死にかけた肉体にわしの霊魂を宿し、終わりかけた人生をもう一度リスタートさせるんや。人間はな、また同じ事を繰り返す。その時にみなぎる、怒り、悲しみがわしにとって最高の糧なんやで……じゅるり」
「嫌な趣味ね……まぁ、いいわ。親父殿に相談して早いうちに見つけてもらうわ」
「けひょひょひょ……それまでここの天井裏にでも住ませてもらえへんか?」
「やめてちょうだい。そうねぇ……彼の工務店の2階が空いてるからそこにしてちょうだい」
「冗談やがな……わしも子作りする様を毎晩見せられるんも億劫やから、そうするわ」
「だまらっしゃい。……で、こっちの条件もちゃんとしてくれるんでしょうね?」
「あぁ、た……狐に二言はあらへん。同族には嘘はつかへんで……けひょひょひょ」
「……分かったわ。じゃぁ、頼んだわよ」
………
……
…
――翌朝。
「寧々、おはよう……」
「敏夫さん、おはようございます。今、朝ごはん出来ますからね」
「うん……。寧々、昨夜の事なんだけど……」
「……昨夜ですか?」
狐霊の奴、まさか約束を破って――!
「……昨夜、防波堤でビールを飲んでからの記憶が無いんだ」
「……あ、あぁ……あの後、疲れたから帰ろうってなって……敏夫さん、お酒あんまり強くないんですね!すぐに酔ってらっしゃいましたよ!」
「そうなんだよ……お酒はあんまり……」
「色々あって疲れてるんですよ?今日はゆっくり休んだらどうですか?」
「……そうだね。その前に、寧々に言っておきたい事があってね」
「は、はい……」
本当に昨夜の事は覚えていないのか……?言っておきたい事……?
「実は……」
「ごくり……」
朝食の配膳をしながら、知らず知らずの間に私の手には力が入っていた……。




