桃色の佐葦花
――2012年4月10日。
「寧々さん!その荷物を下ろして――」
「はぁい!敏夫さん!」
今日は彼の手伝いで佐葦之浦に来ていた。
「こんにちは!能里工務店です!春川さんいらっしゃいますか!」
「はい!はい!今、行きますけん!」
今日の修理依頼は水漏れの直しだそうだ。
「あら!あなたが恭子のお友達の敏夫さん?よう来たね!さ、上がって上がって!」
「はい!お邪魔します!」
「お邪魔します」
「まぁ!可愛らしいお嬢さん!彼女さん?ふふっ」
「あっ!いえ!寧々さんとはまだそう言う関係では無くて……ははは……」
このオスは少々煮え切らない所があるわね……おっと……。今は秋津寧々だったわ。しかし、さっさと子供を妊まぬと母さんがコーンコーンうるさいのに……。
「もう!敏夫さんたらっ!あはは!」
「はは……は……あっ!水道の修理を拝見させて下さい――」
水道から水漏れがあり、修理業者を探していた所、車云生町で工務店を始めた彼の噂を娘の恭子から聞いたそうだ。
…
……
………
「――よいっしょと。これでもう大丈夫です」
「あらあら!だんだんね。ほんに助かりました」
「いえ、仕事ですから。また何かあれば呼んで下さい」
「分かりました。近所の人にも宣伝しちょくけんね」
「ははは、それでは失礼します」
「失礼します!」
「はいはい、お嬢さんもまたね」
春川家を後にし、車へと戻る途中、近所の方の会話が聞こえてくる。
「昨日の話聞いたかね?うちのが海岸で女の人の水死体が上がったて言っちょったけど」
「それ違うんよ。昨日の人は生きちょったらしいんよ」
「あだん!生きちょったかね!」
「そげそげ、何でも春川さんが軽トラで運んで、間に合って――」
水死体?身投げでもしたのだろうか……?親父殿に報告しておこう。
「――寧々さん、お手伝いありがとう。助かったよ」
「いえいえ。敏夫さん、少し寄り道して行きませんか?」
「寄り道?」
佐葦之浦の海岸にはこの時期、百合の花が咲く。別名、佐葦花。
春川家から車で海岸へと向かい、港に横付けすると、崖の中腹にお墓が見える。そしてそのお墓を取り囲む様に佐葦花が満開で咲いていた。
「あぁ、すごいな。あそこだけ岩肌が真っ白に見える」
「ここは時々、親父……お父さんと漁業の関係で来るんですよ。あれは全部、佐葦花です……昔、この漁村に住んでた方が植えていったのが根付いたとか」
「へぇ……綺麗だな」
「この漁村は別名、佐葦之鼻とも呼ばれています。ほら、あの先端の岩が鼻の様に――」
「本当だ。ほら、あそこが鼻だとしたら……口がこう開いてて……ほら、あの岩が目で……まるで狐みたいな顔になる!」
「ぷっ……!あははは!もう!敏夫さんったら!私が『ライオン』みたいて言おうとしたのに狐だなんて!もう!そんなに褒めないで下さいよ!」
「えぇぇ!?別に褒めてはないけど。ライオンか……そう言われたらライオンにも見えてきたよ」
「もう遅いですぅ!」
「寧々さん!こうやって見ると、狐の頭に……ほら!百合の花がまるで、ウエディングベールを付けている様にも見えるよね」
「えっ……」
初めて気付いた。二百数十年生きてきたが、言われて初めて気付いた光景だった。
「本当ですね……まるで花嫁の様……」
「寧々さん……あの……」
「はい?」
「いえ、何でもないです!さ、帰りましょうか!」
白い佐葦花に混ざり、桃色の佐葦花もいくつか見える。まるで私達二人を見ているかの様に……。
車云生町の彼の住まいは、工務店を始めた借家とは別にある。立花と言う家に居候しているのだ。さすがに私もそこに転がり込むわけにも行かず、今日も親父殿が住む漁協へと帰る。漁協は二階までが施設と店舗、三階が住居となっていた。緊急事態にもすぐに対応出来る様にと親父殿が組合長になった際に建てられたそうだ。
「ただいま。あぁ……疲れた」
「寧々、お帰り。母さんが来てるぞ」
「寧々、どうだい?上手くいきそうかい?」
「母さんっ!それがまだかかりそうで……」
「慌てなくていいわよ。母さんが父さんをコーンするまで一年はかかったんだからね」
「ねぇ、父さんは母さんが狐だと知った時、どう思った?」
「うん?それは――」
狐の嫁入りは、その集落の長となる為に行われてきた行事だ。
晴れて200歳を迎えたメスの狐が、人間の子供を妊む為に嫁ぐ。人間のオスの見定めは本人に一任されており、特に決まり事はない。ただし人間の世界で暮らす為には、時々月の光を浴び、獣臭を消す事を忘れてはならない。
そして、メスが産まれてくれば50年後に狐の嫁入りが再度行われる。もしオスが産まれてくれば、その子が長の跡を継ぎ、神聖な儀式を行い、新たな長の誕生となる。
このしきたりは大昔からあり、この町にも人間の姿をした狐が住んでいた。
「――それで?寧々はその敏夫さんとか言う人はどうなんだい」
「ん……まだ良くわからないわ。そう言えば一人、猫に生まれ変わった人間がいたわよ。元の名前は、確か……美沙」
「人間が転生するには意味があるのよ。恨み辛みもあれば、この世界でまだやり遂げていない事があったりね」
「そっか……。そう言えば、佐葦之浦の海岸に、百合がたくさん咲いている所があるじゃない?今日そこでね――」
それから母と色々と話をし、夜には山へと帰って行った。
――数日後。
4月8日に起きた高波で、床上浸水などの被害があった家の状況をまとめ、県の災害対策室へと報告をする。これは漁協が窓口となり、修理代等を県へと申請したり、住民への貸付の窓口をしたりと大忙しだった。
「寧々さんおられますか――」
「あっ!敏夫さん!これ終わったら行きますね!」
「はい、下で待ってます」
「組合長!ちょっと出て来ますね!」
「あぁ、気を付けて」
彼は漁協から仕事を受け、浸水被害のあった家を直して回っている。
「寧々さん、本当に助かるよ。正直、工務店を始めたは良いんだけど、仕事を探すのに苦労してて――」
「良いんですよ!漁協だってどこかに頼まないと出来ないですもの!ちょうど良かった――」
そう言いかけて、路地でこっちを見つめる猫と目が合った。
「敏夫さん!先に行ってて下さい!忘れ物しちゃって――」
「分かった、次は青井花店さんだから。それが済んだら畑の土も戻しに行こうか」
「はい!」
彼を見送ると路地裏へと急ぐ。
「みーちゃん!どうしたの?何かあった?」
「にゃぁ……」
猫は少し悲しそうな顔をして、着いてこいと言わんばかりに走り出す。
その顔を見て異変を感じた私は猫の後を着いて行く。
そして猫が立ち止まったのは、防波堤の入り口にある小さな畑だった。
「みーちゃん!そこに何か――!?」
先日の高潮でえぐれたのだろう。表層の土は流れ、くぼみに海水が溜まった畑がある。
その中央で一人の女性が倒れていた。
「え……?だ、大丈夫ですか!しっかりして下さい!青井さん!聞こえますか!」
それは畑の持ち主でもあり、青井花店の店主だった。
彼女は私の呼びかけに少しだけ反応したが、それっきり動かなくなった……。
すぐに救急車を呼び、漁協にも彼にも連絡をした。
…
……
………
「青井さん……ぅぅ……」
「夏子先輩……うぅ……」
「青井さん……」
翌日、お寺には多数の人が集まり、お通夜が執り行われ、明日には葬儀が行われる運びとなった。
お寺の本堂で棺桶に収まる女性は優しい顔で、まるで眠っている様だった。
――人間はこうも簡単に死んでしまうのか。
救急車で運ばれた後、病院で間もなく息を引き取ったと言う。
親族にも連絡を取ってはいるが、元々夫も子もおらず、町の住民が家族みたいな人だったらしい。
「――住職さん!青井のおばちゃんが!」
「あぁ!春子ちゃん、わざわざ来てくれたんかね。残念だけど、昨日逝かれてしまったよ。春子ちゃんの事もいつも気にかけていたみたいだよ」
「うぅ……おばちゃん……」
たくさんの方が故人を偲び涙を流していた。
「あっ、敏夫さん」
「寧々さん、こんばんは。僕は立花さんと一緒に帰るよ。お二人は仲が良かったそうで――」
「分かったわ、無理しないでね」
「ありがとう」
その日の夜、私は一人、防波堤から高台にあるお寺を眺める。いつもは外灯しか灯らない暗い町だが、今日は煌々と明かりが灯っていた。
そこへ一匹の猫が歩いて来た。
「にゃぁ……」
「みーちゃん。昨日はありがとうね」
「寧々さん……。青井さんには私もお世話になった身です……。もう少し見つけるのが早ければ……」
「そんな事は無いわ。最後に彼女はちゃんと遺言を残して逝けたのよ」
「遺言ですか?」
「えぇ……この畑をお願いね……って」
「そうでしたか……。寧々さんは全てご存知なのですね」
「知ってる。この町には仲間達が住んでいるからね……全部、聞いたわ」
月が昇ると、海面には狐と猫の姿が映る。
「みーちゃん。私はこれから人を殺める事になるかもしれない……」
「手鏡ですか?」
「えぇ……一度だけ未来が見える手鏡。あの子にあげた物と同じ……」
私は手鏡を月の下へとかざす。すると、手鏡が音も無く割れ、粉々に砕けてしまった。
「未来はきっと……変えられない……」
「寧々さん……」
そう……未来はきっと変わらない。




