なろうテンプレの流行を素人が紐解く
エッセイ日間9位ありがとうございます!
「トラックに轢かれて異世界転生」、「天界で女神からチートスキルを授かって異世界転生」、「主人公が社畜やニート」、「舞台となる異世界は中世ヨーロッパ風」、「理由もなく主人公ハーレム」、「主人公無双」、「パーティから追放」――。
世間では軽視……否、馬鹿にされている所謂、「なろうテンプレ」というものを羅列してみました。最早、一種の様式美と言っても過言ではありません。とは言え初めに断っておきますが決して馬鹿にする意図はありません。
無論ですが、そうしたテンプレートに沿った作品の中でも、面白い作品も多くあることは重々承知の上です。私自身はライトノベルを読む習慣は余りなく、最近は体力も落ちてアニメを三十分観ることも辛くなってしまったのですが高校生頃まではアニメを見漁っていましたし、その中にも所謂「なろう発」のアニメは沢山ありました。
昨年YouTube上で、なろう作家の国語力の酷さに言及した内容の動画を拝見する機会がありました。それを見て抱いた感想としては、「いやいや、これで書籍化できるなら俺にもできるだろ……。大学出てるし」といったものでした。
いざ数ヶ月かけてプロットを作成して、投稿を初めてみるとこれまで気付かなかった、「なろうテンプレ」に至るまでの経緯や、「小説投稿サイト」そのものの問題点に関して新たな発見がありました。今回は自身の理解を深める意味も込めて、雑多に書き殴ってみようと思います。
まず私が投稿を開始したのは二〇二五年の三月十九日。このエッセイを投稿する二週間程前に遡ります。私が執筆しているのは、現実世界の八十五年後を舞台とした、異能バトルの作品で、人間ドラマを絡めたものになっています。
プロットの作成段階で、ある程度どのような作品が伸び易いのかは研究しました。YouTube上でノウハウを解説されている作家の方や、note等で自身の成功体験を語られている方が口を揃えて仰る言葉は、「テンプレートをなぞれ」、というものです。
つまりは前述した「なろうテンプレ」に沿った上で、オリジナルの要素を入れろ、という意味です。意図は理解できます。
まず舞台が中世ヨーロッパ。小説サイトに登録されている読者の方の共通認識として既に頭の中にイメージが存在するので、情景描写の必要性を減らせるんですよね。そのため、「なろう」+「ヨーロッパ」の造語で「ナーロッパ」なんて揶揄されています。
そして「ハーレム展開」や「主人公無双」。こんな時代ですから、態々主人公が辛い目に遭っている作品は読みたくない、という読者心理もある程度理解はできます。
実際、私は第一章完結までの六十数話程度をストックした状態で毎日投稿を始めたのですが、これがまあ伸びないです。
そもそもジャンルが異世界ファンタジーではありませんし、異世界転生でもありません。ダンジョンもモンスターも登場しない上、舞台も中世ヨーロッパではありません。主人公に惚れる女性キャラが登場するにしても必ず理由付けは行っていますが、ハーレムと言えるものではありません。主人公は努力型+無双型の中央値をとったので主人公無双、とまでは言えません。恐らく「なろう」向きではない伏線も大量に張ってしまってますし。「なろう作品」のエッセンスよりかは、「少年漫画」のエッセンス多めです。
プロット完成時にこれは面白いぞ、と確信したものですがまずそもそも読まれないとお話になりません。次に考えたのは文章力です。文章力は、プロの方には及びませんが、比較的高いのではないかと自負しておりましたが、もしかすると文章力に問題があるのでは、と。
試しに短編を二つ執筆しました。実体験を交えたエッセイと純文学です。こちらはそれぞれエッセイ日間八位と純文学日間二十三位を頂きました。文章力は問題ない……となると、タイトルでしょう。ここでも新たな発見がありました。
「なろうテンプレ」の一つに、長いタイトルというのがあります。これも普段ライトノベル作品を読まない層から疎まれがちな点ですね。
このとき、私は「異能至上主義に花束を」というタイトルにしていました。長いタイトルには若干の抵抗があったので文学的なタイトルにしていましたが、これに副題を付ける形で、「異能至上主義に花束を! ―異能バトルと頭脳戦と、時々、ヒューマンドラマ―」と改題しました。
するとどうでしょうか。まだまだ底辺の域は抜け出せていませんが、皮肉なことに、目に見える程度にはPV数が上昇しました。勿論ありがたいことなのですが。
理由は明らかです。「小説投稿サイト」の性質上、仕方ないことなのですが、基本的には直近の更新欄等には、作品のタイトルが羅列される形になります。つまり読者の方は、その限られた情報量だけで、その作品を閲覧するか意思決定を行うことになります。
旧: 「異能至上主義に花束を」
新: 「異能至上主義に花束を! ―異能バトルと頭脳戦と心理戦と、時々、ヒューマンドラマ―」
当然の話ですが比べてみれば、長いタイトルはその分読者の方に与える情報量が多くなり、その分有利になります。上記の拙作の例でも、旧題より情報量が増え、何となくどんなストーリーなのかが推測できるようになりました。旧題だと異能バトルものだということも分かり辛いですよね。旧題を残しているところにプライドが垣間見えますが。
拙作は「小説家になろう」様と「カクヨム」様で同時に連載させていただいておりますが、この頃からどちらでもPV数が増加しました。まだそれぞれ評価は一件ですが、このタイミングて最高評価もいただきました。
突然深夜に25PV付く、なんて日も度々ありました。これは改題したことで、「異能バトル」等のワード検索をされた方に興味を持っていただいたということでしょう。アクセス解析を見たところ、そのまま最新話まで読んでくださったようでありがたい限りです。
と、上記の理由でライトノベル作品は長いタイトルの作品が多い理由ですね。これは執筆をしてみなければ気付けなかった点だと思います。恐らく完全にプライドを捨て去って、文章形式のタイトルにしてしまえば更に伸びるのでしょうがまだ自我を捨てたくありません。非常にデリケートで難しい問題です。
また、前述した「なろうテンプレ」が横行する理由についても腑に落ちました。答えは「ランキング」にあります。ランキングの上位に掲載される作品は、ベースの設定が近い作品が多いように見受けられます。重ねて申し上げると、全く中傷する意図はありません。
「小説家になろう」様と「カクヨム」様でも、新人の処女作なんて当然誰も読まない。読者も面白い作品を読みたいわけですから。面白くない可能性がある新人の作品より、ランクインしている――即ち、面白いと保証されている作品を手に取りたいというのが読者心理です。
そうなると読まれない新人作者の多くは途中で心が折れて筆を折るわけです。ただ、それでもめげない強靭なメンタリティを持った一部の新人作者は、「じゃあランキング上位の作品のエッセンスを詰め込もう」と意気込みます。その結果が「なろうテンプレ」なのだと思います。
ただ、これはこれで既に一つのジャンルを築いたということの証左なのだと考えています。巨大ロボットアニメの元祖と言えば「鉄人28号」や「マジンガーZ」になりそうですが、後発としてそれらの作品に影響を受けた作品がどんどん世に出ています。「なろうテンプレ」はこの現象が超短期的なスパンで起きているものなのだと、私は考えています。
なかなか壁は高いですが、ストックもあり、第四章までプロットは完成していることですし、私は「なろうテンプレ」に流されないまま執筆を続けてみようと思います。
拙作――「異能至上主義に花束を! ―異能バトルと頭脳戦と、時々、ヒューマンドラマ―」、興味を持っていただけましたらチェックしていただけると幸いです。異能バトルがお好きな方には楽しんでいただけるのではないでしょうか。
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