第3話 <適正者>
魔方陣が収束し、誰もいないはずの《鉄鋼場兼隠れ家》に2人の人物がいた。異形ではない様に思えるフォルムが、果たしていつからこの場に居たのだろうかと場に聴衆がいたらゾッと不安になるだろう。
「今回は5人でしたか。ちょっと少ないですね……まぁ良いでしょう」
ギャングのような服装。黒いサングラスを付けた渋みのある男が、なにやら熱心にメモ帳に書き留めている。綺麗に整えられた髭は男らしさを強調していた。まるで生物としての格を見せつけているかのように。男は顔を上げた。
「大丈夫なのか?」
同じく、一部始終を見ていたメイドは首を傾げる。手足が細く、LNLでは”地雷系”と呼ばれる格好をしている女。白い素肌の華奢な身体に背負っているのは、倍の大きさがあるシーシャのような吸引機。大げさな器具の排気口からは蒸気がたまに上っていく。
「問題ないように調整する」
「でもよ、<適正者>が五人だけだろ?」
この世界は崩壊する。そして、ここの住民は皆、VRMMOの『Lord ×now Loading』をプレイしていると思っている。ゲームを終了すれば現実に戻り、ある者は学校に行き、ある者は仕事へと戻るのだろう。しかし、現実は違った。
LNLverse(これはuniverseを参考にした造語である)には、浦島太郎の竜宮城のような時間歪曲とも言える現象が起きていた。実にLNLで数時間を過ごすと、現実では数ヶ月の歳月が経っていると言ったように。またゲームから”ログアウト”することが出来ないのがLNLプレイヤーの特徴である。彼らは恐ろしいことに、ログアウトの概念そのものに気付くことがない。それは一種の病のようなものであり、視点を変えれば異世界に世界の人質を取られたようなものだ。
この問題を受け、製作企業陣は辞職、企業も倒産となるシナリオを描きそうになったが、実際にはそのようにはならなかった。一部の強気な株主・インフルエンサーがLNLから投稿された世界は、まさに楽園そのもであったからだ。
ログアウトできない。LNLでの時空間は歪曲化する。この現象は世界同時刻に発売してから、実に数時間後に発覚したものである。国家によってはすぐにゲームを中断するように喚起したが、大半の国家は電子移住世界のブームの1つと認識しており、少子高齢化のように止まらぬ歯車となっていた。
世界倫理委員会が纏めたレポートに「問題は、主に2点ある」と提言されている。1つ目はLNLの暮らしは多少の無法地帯を除けば便利だった点、故に多くの企業は利益獲得の為に乗り出した。2つ目はLNLで過ごすほど、現実世界は深刻な高齢化を促進する点であった。既に多くの国家がAGIやロボットにより自動化・最適化されているとは言え、開発者とも産みの親とも言える人類そのものの減少に目を瞑ることは出来ない。
それゆえ、LNLプレイヤー人口の、現実世界における肉体保管の計画が進んだ。同時にLNL世界の改変をしたのである。
「えぇ。正式に第二章の-LNL-に、全員招待したはずでした」
「うむ」
メイドは何かを危惧するかのように空間を睨む。一生懸命、手の指を使って、なにやら足し引きの計算をしていた。
改変は主に2点。1つは諸々のLNLの環境変更。しかしログアウトの概念を提示するかは検討中だ。なぜならば時間軸が変化してしまった以上、むやみな現実への回帰による精神の疲弊は予想が付かないからである。LNLの人口は世界総人口に対して、決して舐めてはいけない数を保有している。その中には多くのインフルエンサーもいる。事態は想像以上に深刻に取り扱わなければいけないのだ。
時間軸の修正には困難を極めた。絡んだ因果の幾つかを収束させる為の《そうなるべきという選択意志》の調整に議論が平行線となっていたからだ。しかし諸々の項を成し遂げ、2つ目は現実世界で過ごす時間よりも、LNL世界で過ごしたほうが長い時間を過ごせるように──と変更された。元々はβ版から引き継いだ時に発生した、深刻なバグだった為、現状の改善とLNL人類の相対的な寿命の引き延ばしが、今回の主な目的である。
「他にも<適正者>は存在しそうですが……」
「技術部門に問い合わせてみるよ」
プシューと異音を吐きながら、煙草のようにメイドは口から蒸気を吐き出した。その間も、もう一人の渋い男は慎重に”メモ”を取っている。
「なるほど、ならばひとまず良いでしょう。懸念はあります、しかし干渉は出来るだけ避けなければなりません。これまでと同じように。これ以上は、もう少し様子見するほかありません」
最後に男は空を見た。
今にも落ちそうな彗星が、直前で止まっている。
音は無。落風で舞った塵も宙で固まっている。
全ての波長は振動していない。
気を緩めれば全ての世界は暗く包まれるだろう。
「しかし、最後の景色と言うのはいつ見ても素晴らしいものですね」
メイドは辺りを見回す。
ここの時空間は、既に止まっていた。
やがて彼らの輪郭も徐々に歪む。