第2話 沈黙の臓器
景色が変わると甘ったるい匂いが消えた。鳥のさえずりが聴こえ始め、初めて来た者は驚くだろう。一面に広がる緑の大地、そびえる巨大な樹木、視界を埋め尽くす大空は壮大な景色を常に提供してくれる。その名も、《鉄鋼場兼隠れ家》。
NEO-TOKYO24番区のド真ん中に作り上げた異空間。アースに降る雨から無限の鉄を創り出す工場であり、ギルドの隠れ家も兼用している。もちろん、これは我々だけの技術だ。そうアルカナは自負しているし所属しているギルド「沈黙の臓器」のメンバー達で、力を合わせて創った場所である。
思い返せばLNLは他を圧倒した驚異のMMOだったのだ。種族、世界の規模、能力の組み合わせから因果や運命に纏わる必然と偶然の掛け合わせ。世界に散らばる星々には無限の資源が眠っており、始祖と呼ばれる恒星を中心とするオリジオン系を中心に文化が育まれていた。
アルカナの種族は魔物である。世界には多くの種族が存在するが、精々人間種、森妖種、洞妖種、小身種、巨身種などが一般的だろう。他にも多くの種族が確認されているが、それを上げだしたらキリがないのである。だが、魔物の種類よりは少ない。魔物はもっと数が多いのだ。
"魔"に属する生物全体を示すこの言葉は、死んでいるはずの腐体や意思のある無機物の処刑女人形も含む。そしてアルカナの機械生命体は無機物信仰者達の最たるものだ。
体に巡らされるのは弾力性に富んだコード。ボディは特殊な金属と素材を混ぜた混合無機物体である。しかし、意識はある。アルカナはこのMMOに列記として存在するプレイヤーだ。そしてこの扉を開けた先にいる同士たちも同じく魔に魅せられた狂った者たち。
24番区で入ったドアをくぐると中庭に出た。噴水の縁に鳥が留まり、水浴びをしている。天候は晴れ。丁寧に整えられた庭園を抜けると目の前に巨大な樹木が現れた。
幻影ではない。よく見ると大樹の根元の真ん中には巨大な穴が開いており、これまたドラゴンが入りそうな大きさの門である。磨かれた石工たちの両扉がゆっくりと開き、光が漏れる中を進んでいく。
「ぁ、ぁ、アルカナさんだ」
一人の女の子がちょこんと椅子に座って手の平を振っていた。容姿も声も、少し幼さを残している少女。彼女こそが、この世の中で一番恐れられる魔術師である。
「ウィンズグリード。久しぶりだな」
「にへぇ、お久」
なにやら天真爛漫な笑みを浮かべていた。大理石の円卓上にはマグカップとコースター、フォークとプレートが置かれている。
「どうした? 嬉しそうじゃないか」
「えへへ、そう?」
美味いものでも食べたのだろうか。目線が合ったウィンズグリードの顔が赤く上気している。心拍が高くなっているが相当カロリーを摂取したのか?と、疑問符を尋ねかけて口をつぐんだ。流石にレディーに失礼である、言語道断。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。後、これはお土産だ」
甘党家であるウィンズグリードに、更なるホールケーキを手渡した。喜んでいる彼女から目を離すと、頭上から何やら微細な振動を感じてくる。
「やっほー、アルカナさん!」
「おい。やっぱり5人しか集まらなかったか。おい!アルカナ! お前で恐らく最後だ!!」
ショタの声と野太い野郎の声が聞こえた。階段を見ると2人の生物が、32階の手すりから飛び降りている。悪魔は羽で浮遊し、反重力で綺麗に赤い絨毯の上に着地する。
一方、スライムは自由落下で落ちてくると、ストンっと軽く地面を蹴り上げた。勢いよく椅子にスライディングして座り込み、表面体からパキパキパキっと骨骨しい腕が生えてきた。初めて見る光景にギョッとする。スライムの彼は嬉々とした声で説明してきた。
「見てよアルカナ。僕、遺伝子組み換えに成功して遂にスライムの肉体に不死の腕を生やすことに成功したんだ。この骸骨みたいな腕を見てくれよ。これで即死系魔法も習得できるようになったんだ!!」
プルンッと体を震わせるながら、器用に骨の腕でティーカップのお茶を飲んでいる。一方、先ほど荒々しく声をかけてきた威勢のいい悪魔がアルカナとスライムの間にドスッと座り、囁いてきた。
「こいつ馬鹿だぜ。即死系魔法習得の為だけに、種族的劣化を選んでんだ。脳筋の俺には理解できねぇよ。なぁ、アルカナ何とか言ってくれよこの研究バカに」
見た目は厳つくて怖いが、こいつも変わらないみたいだ。アルカナはまぁまぁと両方を宥めながら久しぶりの同胞達と話していると、遅れて最後の一人が到着した。
「ピーナッツモッチさん! お久しぶり!!」
「なんじゃい、結局最後に残ったのはこのメンツなんじゃな」
景色がぐにゃりと曲がり、空間に穴が空く。仙人のような見た目をしている生物が「ふむぅ」と言いながら髭をかいて出てきた。
「他の30人は……そうか、来ないんじゃな。いや、しかしそうじゃろうな。みんな忙しくなってしまった」
ポツリと一番ご高齢のピーナッツモッチさんが呟く。始まりの5人であるギルドの創設者たちが最後に残ったというのはある意味、良かったのかもしれない。それこそ晩餐会の様な絵画の貞風では。だが、それでも悲しいものだ。
ピーナッツモッチはそれぞれの顔を見ながら話し始める。一人一人の顔を見ながら。ゆっくりと。
「アルカナ、ウィンズグリード、機微山椒、オーガン・デカダン、今までありがとうよ。俺はお前らに出会えて楽しかった。パーティーメンバーから、ギルドに変わり、仲間も増えて規模もでかくなった。そして俺たちは栄光を得た。世界ランク2位だ。ここまで大きなるなんて信じられなかったし、今でも鳥肌が止まらねぇよ。こんなご高齢の身で最初で最後の偉大なる人生だ。みんなありがとうよ。後は酒でも開けようぜ。なんせ俺らは「沈黙の臓器」なんだからよ!!!!」
最後にそう締めたとき、既に彼に哀愁は無かった。
ジョッキを掲げてどんちゃん騒ぎが始まる。メイドが持ってくる限りの無い食事、財宝、絶えず披露される踊りに空間に色彩を垂らす音楽が奏でられる。午前の12時までそれは続く。刻一刻と迫る時間。申し分のないアナウンス。
せめて最後の感動を打ち上げようと光る誰かが実況している花火の中継映像。
そして、遂にこの世界の閉幕となるカウントダウンがやってきたのだ。熱気と共に。別れと一緒に。
最後にさよならを言う為に。
食事も終わりが見え、楽しくしゃべった皆と一緒に、外の空気を吸いに来た。野鳥の鳴き声。木々の擦れる音が聞こえる。自然の匂いが鼻を掠めた。《鉄鋼場兼隠れ家》を出ると、満天の星空が広がっていた。
ほんの酔い覚ましでもあるが、最後の景色となるだろう。心のどこかで誰もがそれを感じているのか一人として無理に話そうと口を開ける者はいなかった。
やがて、10分前となる。巨大な彗星がいくつか空を駆け巡り、磁場の震えが顕著となった。ふと、オーガンは空に飛ぶ。宙で下位悪魔の姿をしていたオーガンは、悪魔の最上位種である真の姿:魔皇帝に姿を変えた。空気の冷たさ、混じりけの無い匂い、平坦な虚構が皮膚を伝う。思い切り吠えた後に、瞬く星を見上げた。
異常に発達した筋肉と、黒い闘牛を彷彿させるような容姿。血管が浮き出た腕は、はち切れんばかりに肥大している。岩を殴れば粉砕し、威圧は周囲を圧死させる。その身は物理的な弾丸を弾き、紅玉のような明るい瞳が、闇夜で一筋の残光となった。
「ガハハッ、ったく。変わらず綺麗なものだ。全く、儚い生涯であったぞ」
真の姿となったオーガンは地面に降りてきて笑った。
「ん、そぅ」
「お前も、もう少し話したらどうだ?」
「っさぃ、あまり調子にのると、ここで消すよ?」
これは困ったものだ。おー、こぇーぜと、オーガンは首を振る。彼の隣で相槌を打っていた少女、ウィンズグリードは小さく細い腕を上げた。
「アルカナ、良い?」
「準備はできたのか?」
「ん、できた」
手に持つ短く、小さな木。それは枝のように見える。しかし、それこそが魔木。指揮者のように持ち、袖が落ちて艶めかしい白い素肌が見える。ウィンズグリードは、まるで旋律を奏でるように口ずさみ始めた。
「終焉、大地、再来、灯……」
万人には聞いたことがない。発することも考えたことがない短い単語。文節ですらない詞。しかし言の葉は芽吹く。詠唱するごとに効力は増し、強く結びつき、次々と巨大な立体魔方陣が野原の真ん中に出現する。理論的にも感覚的にも理解を受け付けない現象。まさしく、それはまばゆい輝きだった。まるで白昼のように光り輝く。フレアのように熱を発する。
「もうそろそろ始めるとするかのぅ、アルカナよ」
次はアルカナの番だった。やることは一つ。『改変』だ。長杖を掲げて理の改修を促す。本来は物理的な機械、それも無機的な物だけであったが、いつからか無機物と有機物は融合し、区別が付かなくなった。やがて単なる修理・改良のみであったアルカナの工学の魔法はいくつか条件があるも、現実を改変するまでに至る。
「《創造と拡張の改修》……細工はしたぞ。次はキビだ」
「腕は何本あればいい?」
「9本だな」
ピーナッツモッチの掛け声で、皆が魔方陣を囲んだ。最後にスライムである機微山椒が三本の腕を生やす、そのどれもが違う種族だ。
「古竜語、堕天使の血、即死の詠唱があればいい」
「よし、三種族だな」
ぐちゃっと潰れた音がした。途端に三体の種族に姿を変えた粘体は阿修羅の様へと変容する。古竜族、堕天使、死導師の特徴、それは群を抜いてまさに異形だった。それぞれの手のひらから展開された魔方陣。大時計の歯車が1つ1つ噛み合うように、立体型の円の文様が宙に浮かびながら雷鳴を迸らせて共鳴しあう。
芸術の一品であった。素人から見れた綺麗で巨大な魔方陣。しかし魔術や魔法に通ずる者ならば腰を抜かすであろう。緻密かつ完成されすぎた魔法。神に反逆した魔物たちだけが得る魔法、種族、この世界を知りすぎた者たちが知る真実。全てを内包した最後のギルド「沈黙の臓器」。
これから行うことは、真に世界から背くことかもしれない。
「では、始めようか。転移の儀を」
四重に、五重に魔方陣が重なり合い、百近い魔方陣が立体的な層となる。元素の属性色と、聖と魔の属性色が入り混じり合い、螺鈿のように緻密な光が星空のように瞬いている。エネルギーの流動性は壮大、かつ、神聖な雰囲気で他を圧倒していた。甚大な魔力にあてられて草木は枯れ、地が赤黒く腐敗していく。
まともなプレイヤーで無い限り、高威力な魔力の波動によって受ける死、生命の害は免れないだろう。
「あと二分です」
「術式は終わりました。もう待つだけですね」
愛寂が空へと溶けていった。
Lord ×now Loading:LNLの世界はもうすぐ幕を閉じる。
最大の人生であった。未だに自分の居場所であるこの世界が無くなってしまうなんて考えられない。数ヶ月前。思いついたのは、最後の悪あがきでもある「転移」であった。この世界が崩壊する前に自死を行い、世界が消滅する瞬間に転移を図る。すると、少なくとも世界は残り続けるはずだと熱弁したのは、研究者の機微山椒であった。
「なにか思い返すことはないか?」
ギルドマスターのピーナッツモッチが訊ねる。思い返したい記憶は数多くある。どれもが濃密で強烈な時間。しかし記憶を振り返るほどに今この瞬間が寂しくなる。誰もが、そう思っていた。故に出てくる言葉は1つのみ。
「転移した時にまた、皆で会えたらいいですね」
それこそが真意だった。また再び冒険をする日常。みんなと遊ぶ時間こそが楽しいひと時であった。数多くのダンジョン踏破、まだ見ぬ未知なる素材の探求、魔改造の魔法研究。世界ランクが上がるごとに、拠点を攻めてくる人間プレイヤー。派閥の闘争や国家間戦争。それら全てが今では望郷と同様に儚い思い出である。
「そうだな。またどこかで会えるじゃろう」
「んっ」
「ガハハ、いずこで会おうアルカナ。……その時は決着をつけるとしよう」
「そうだな」
オーガンと拳を交わし、互いを見た。
「じゃあ皆さん。転移したらまた会いましょう!」
山椒は自信満々に身体を筈ませた。
不意に時計を見る。
秒針共に、きっかりと12時を回ったタイミングだった。
「あ、アルカナさん……」
最後にウィンズグリードの声が聞こえた。
しかしもう間に合わない。彼女の方を見るが唇がわずかに動いているのみ。時間が延びるようにスローな動作だった。時すでに遅く、視界は白けていく。
やがて、アルカナは光に埋め尽くされて消えていった。