Ⅰ
ゆらゆら、ゆらゆら揺れている。
膝の上で、蒔絵螺鈿硯箱が光を反射して、キラキラと輝いている。
ゆらゆら、ゆらゆら、キラキラ、キラキラ……
駕籠に乗っている私は、罪人なのか人質なのか。
降りるように声をかけられた。
人気のない池の畔だ。
何をするわけでもなく、池を眺める。
手には蒔絵螺鈿硯箱を持ちながら。
あぁ、私はここで死ぬんだわ……
※
ゆらゆら、ゆらゆら揺れている。
膝の上には、蒔絵螺鈿硯箱……
あら、なんでまた?
簾をあげて、外を見る。
池だわ。また、死ぬのかしら…
降りるように声をかけられる。
ふと、蒔絵螺鈿硯箱を見る。
逃げてみようかしら?
池の畔には行かず、反対側の木立の方へ走ってみる。
背中が熱い……
※
ゆらゆら、ゆらゆら揺れている。
膝の上で、蒔絵螺鈿硯箱がキラキラ光を反射している。
まただわ……
どうすればいいのかしら?
小首を傾げながら、蒔絵螺鈿硯箱を見つめる。
中には何があるのかしら?
「赤い紙……」
しかし、瞬間的に『逃げなければ』と身体が動く。
すぐさま、駕籠を止めさせ、木立に向かって走った。
やっぱり駄目だった……逃げられない。
※
ここは、どこかしら?今度は駕籠の中ではないのね。
書院?
私は膝に蒔絵螺鈿硯箱を抱えている。
侍女が泣いている。
私は何をして、駕籠に乗せられ殺されるの?
「ねぇ、私は、何故殺されるの?」
「姫様、逃げて下さい。あいつら、姫様が邪魔になったに違いありません」
「邪魔になったって?何故?」
襖の外から声が掛かる。
「奥方様、輿の準備ができました」
侍女が、すがり付く。
「姫様、逃げて下さい。これ、使ってください」
私の袂に、数枚の人形を滑り込ませた。
家臣に連れられ、廊下を歩いていると、向こうから女性の一団が歩いてきた。
その中の一人が、赤子を抱いている。
「桔梗様、まだ、風が冷たい。お身体に触ります」
「桔梗様、部屋に戻りましょう」
侍女達が、桔梗様を部屋に連れ戻そうと、必死に声をかけている。
「名が違う。奥方です」
桔梗様と呼ばれていた、赤子を抱いている女が、私の方を見ながら否定した。
「これは、これは。お役目ご苦労様でした」
桔梗様と呼ばれた女が、小馬鹿にしたような口調で、私に話しかけてくる。
失礼な女を横目に見ながら、廊下を進む。
「―――準備は出来ております。何時でも、式を飛ばして連絡を下さい」
案内をしていた家臣が、前を向いたまま、小声で話しかけてきた。
(はて、式とは?)
歩みを止めた私を、不思議そうに家臣が見る。
「少し時間を下さい。説明を……」
「遅いぞ! 何時まで待たせるんだ! 」
「申し訳ありません。別れを惜しんでおりました」
案内をしてくれていた家臣が、怖い顔付きの家臣に謝る。
怖い顔の家臣が、早くしろ。と言いながら、私の腕を掴む。
「奥方様の腕を掴むなんて、なんて無礼な」
「はっ、もう、奥方ではないわ」
案内をしてくれていた家臣が、私を庇いながら(必ずご連絡を)と、耳打ちする。
「早くしろ!」
怖い顔の家臣が、私の腕を引っ張る。その拍子に、私は柱に額を打ち付けた。
※
「私には、好いている女がいる」
「何度も父上にお願い申し上げたが、聞き入れてはもらえなかった」
「そこで、そなたとは白い結婚として、桔梗を本当の正室にする」
薄暗い、蝋燭の明かりがユラユラ揺らめく一室で、私は、今、正に、主人となる夫に身代わり宣言をされていた。
私達の婚姻は、敵国の驚異から国を守る為に執り行われた政略結婚だった。
しかし、相手には心に決めた女性がいた。
側室に迎え入れればよいだけの話なのだが、反対されたのだろう。
なので、私とその者を取り替えようと思い付いたらしい。
隣国の姫の顔なんて、誰も知らない。取り替えても気付かない。桔梗の産んだ子供は、私が産んだことにしておけばいい。
私も主に対して、何の思い入れもなかったので、承諾した。
女児が何人か産まれたが、数年は問題なく過ごせていた。しかし、男の子、嫡男が産まれてから、雲行きが怪しくなった。
今になって思えば当たり前の事なのだが、当初は考えが及ばなかった。
嫡男が産まれれば、話は別だ。いろいろと問題が起きてくる。
面白くないのが桔梗の家だ。娘の子供が嫡男なのに、公表できないばかりか、娘はいないものとして扱われている。
このまま、一生日陰の人生なのだ。
そこで、彼等は私を物見遊山に行かせ、道中で暗殺しようと考えた。
桔梗は、嫡男の乳母になればいい。そして、ゆくゆくは面だって正室にすればいい。すべて上手くいく。
今、この家は私の側近と桔梗派、そして中立派と分裂している。
式を飛ばすことで情報を掴んだ私は、相手の計画を利用して、国へ帰ろうと企てていた。
そんな事を、額をぶつけた一瞬で思い出した。