新型コロナと強権な政治
内田樹さんの新型コロナの文章を読んで考えたことです。
2020.8.28
なんか、いろいろ動きそうなので、そわそわしています。だからって、何できるのか皆目見当もつかないのです……。
民主主義の組織化! と、言ってみる……。
内田樹さんの「内田樹の研究室」にアップされた、新型コロナ以後の世界についての文章を読んだ。とても素晴らしい文章なので、皆さんに是非読んでほしい。今日はそれを読んで思ったことを書いていく。
氏の言うところによれば、新型コロナ以後の世界は中国的な強権な政治形態が流行し(中国の新型コロナの対応)、民主主義が危うくなる(人権の立場からの新型コロナの対応)そうである。この部分について考えた。強権な政治形態か、民主主義か。この二択を迫ることを、私は間違いだと考える。
強権な政治形態を悪しきものとするのではなく、我々民主主義は強権な政治形態という金毛獣を飼いならす術を得るべきだ、というのが私の考えである。現実として、中国的な強権な政治形態によって新型コロナの封じ込め成功という成果があり、これを無視することは出来ない。災害やパンデミック等の有事において、こうした力が有効であり、必要なものなのではないか。では、強権な政治形態がいいのかと問われれば、そうではない。私は、政府を機械、国民を管理者と考える。管理者たる国民は仕事として政府という機械の管理・修理をする責任を持ち、もし機械による何らかの損失が起きれば、その責任は管理者たる国民が負う。その中で災害やパンデミック等の有事が起き、力が必要となった時、管理者たる国民の管理下において、政府という機械は力を扱う、強権な政治形態がへと運転を移行するのである。そして有事が過ぎれば管理者はまた機械を通常の運転へと戻す、これが、我々民主主義は強権な政治形態という金毛獣を飼いならす、ということである。そのためには政府という機械と国民という管理者の状態が重要である。国民の半数が選挙にいかない、政治家が国民に説明責任を果たさない、まずもってこの状態はよろしくない。選挙によって有能な人物を政界に送り込むのと同時に、我々も政府に強力に作用=管理・修理することのできる民主主義の組織というものを、権力とは異なる想像力でもって作らなければならない。私はこの、想像力にこれから生きる我々の可能性を託す。民主主義の組織の骨格を、先に記した「ポストCOVID-19の世界をポジティブに考える」の中の『地球という生態系の所属者であり所有者』を使えないかと考えている。その管理・修理の判断材料たる情報の隠蔽や操作など、一部の人間の益のために動く政府があるならば、それは明らかな機械の故障であると、国民という管理者は判断せねばならない。
これからの世界は米中かそれ以外か、というより、強権=金毛獣になるか、ならないか、の二択ではないかと思う。その選択の時、決して想像力を欠落させてはならない。想像力を欠いた人間は、本当にただの獣になるだろう。私は金毛獣を飼いならす、後者になりたいと思う。