第3話
場末の酒場。
男が、ひとり静かに酒を飲んでいた。
「……ふぅ」
空になったグラスをテーブルに置き、一息つく。
ある特殊な体質から、男は殆ど酔うことができない。
とびきり強い酒を浴びるように飲めば、ようやく軽い酩酊感を味わえる程度だ。
それでも酒を飲むのは、たとえ一時でも、この鬱々とした日々を忘れたいからだ。
男を蝕むその感情は、退屈、退屈、退屈だ。
「せめて、昔のように酔えれば……」
男は、王国の道具だった。
幼少期より隷属の魔術で縛られ、ただ、強くあれと王国に作り上げられた戦士。
強者との戦いにのみ喜びを見出すように育てられた。
そこに自由はない。
しかし、男はそれでもよかった。
国の命令に従い、敵を斬り伏せる。
与えられる敵は強く、研鑽した技で、命の駆け引きをするのは、男にとってこれ以上ないほど喜ばしい事だった。
国に仇を為す賊を斬り殺した。
国を襲う怪物とも戦った。
ダンジョンに潜り、敵国の探索部隊と戦った。
斬り伏せた難敵の数々。
敗北を知らぬ剣士は、ついに神殺しの命令を受けた。
驚くべきことに男は、神をも斬り殺した。
男にとっては輝かしい過去の記憶。
「……あの日から、か」
あの日から、それ以上の強敵とは出会えていない。
退屈な日々の始まりだった。
神殺しとなった男の扱いは、以前より慎重なものとなった。
もとより男は国の道具。
魂を根底から縛る隷属の魔術は、神殺しといえど破れるものではないのだ。
しかし本能が、更なる強者を求める。
対等に競い合える存在など、もはや神殺しか、神しかいない。
他国の神殺しと戦いたい。
しかし、神殺し同士の戦いは、国同士の代理戦争に等しい。
それを期待するには、望みが薄すぎる。
もう一度、神と戦いたい。
そう願いダンジョンを探索すれど、近年は神を発見することができていない。
「……ん……?」
男はそこで、背後に違和感を感じた。
ただならぬ気配を感じる。
忘れて久しい感覚だ。
王城の方角からだ。
王城から下ってくる。
背後の大通りを駆け抜ける、類い稀なる強者の気配。
それを察知した男は心を躍らせた。
「何が起きたのだ……?」
そう言う男は、知らずに口元を綻ばせていた。
男の名はアレン。
『剣聖』の異名を持つ神殺しだ。
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夕刻、ミドガルドの城下町、その大通りを抜けた閑静な路地。
人通りのないそこを歩く一組の男女がいた。
黒髪の素朴な顔立ちをした少年と、紺色の髪と瞳を持つ美しい少女。
傍から見たら、少々不釣り合いな二人組だ。
「いや正直、生きた心地がしなかったよ」
そう語る少年は、名を流川朔也といった。
朔也は、隣を歩く少女へ感謝の言葉を述べる。
「君が付いてきてくれて助かった……。召喚されてすぐに敵地ど真ん中なんて、酷い話だよね」
そんな彼に、少女は微笑みを返した。
「お役に立てたようで何よりです、ご主人様」
少女の名はアズリエル。
二人の関係性といえば、アズリエルが朔也に従者として付き添う形をとっている。
冥王が朔也のお供に付けた少女だ。
アズリエルは、死の天使だ。
その役割上、冥界と人間界を行き来する必要がある。
そのため人間界に詳しい彼女が、朔也の現地ガイド役として抜擢されたのだ。
もう一つの役目として、朔也がきちんと契約を守るかどうか監視する、というものもある。
そんなアズリエルの言葉に、朔也は照れくさそうに頬をかいた。
「その、ご主人様っていうの。何だかむず痒いな……、できれば名前で呼んでほしいんだけど」
「……では、朔也様?」
「いや、様もいらないんだけど……、まぁいいか」
朔也は、アズリエルから視線を外して、これまでのことを思い出していた。
(次から次へと、目が回るよ……ほんと)
王城からの逃走には成功した。
ここからでも見える、背後にそびえ立つ大きな城。
朔也たちからすれば敵の根城だ。
つい先程までそこに居て、危機に瀕していたにもかかわらず、いまは一転して穏やかに街道を歩いている。
朔也はいま狙われる身なのだ。そう思うと安心などしていられない。
「……本当に大丈夫かな? こんなに堂々と道を歩いても」
アズリエルからは、ひとまず安全と言われているが、確認せずにはいられない。
「はい。朔也様が身に着けていた仮面には、装備した人間の容姿を記憶できなくなる能力がございます。ですので、今こうして仮面を外されている姿を目にしても誰にも分りません」
「へぇー、じゃあ、アズリエルさんは?」
「私はこうして、霊体化しているので誰の目にも映りません。朔也様を除いては」
「え? アズリエルさん、僕にしか見えてなかったの?」
朔也にとっては驚きの事実だ。
傍から見れば、彼は一人でブツブツと喋っているだけの男だった。
「それは、もうちょっと早く言って欲しかったかな……ははは……。でも、勇者召喚っていうのは凄いコストがかかるって話だよね? 苦労して召喚した勇者を、そう簡単に諦めるとは思えないんだけど」
「だからこそ、です。勇者召喚は国にとって最も重要なイベントの一つ。それが失敗したとなれば国の威信に関わります。民衆に、ましてや近隣諸国に知れ渡ることは避けたいはず。そうなると、公に大規模な捜索はしづらいと考えられます」
「なるほど……」
「それに、灯台下暗しという言葉もございます。しばらくここに潜伏して――」
そこで、アズリエルの言葉が途切れた。
どうしたのか、と顔を見ると視線を正面に向けたまま固まっている。
視線をたどると、その先には道を塞ぐように立つ一人の男がいた。
美しい金髪、煌めく金の瞳を持った美丈夫。
その腰には一振りの刀が差してある。
その瞳はまっすぐにこちらを見据えている。
「そこの君。ひとつ、私と手合わせ願えないかな?」
よく通る声で、朔也に向かってそう言い放った謎の男。
手合わせ? 勝負のことであろうか? なぜ自分なのか?
朔也は困惑するほかない。
これは、もしかするとこの世界特有の恫喝なのではないかと疑う。
(変な人に絡まれてしまったな……)
どう答えたものか……迷った朔也は、隣のアズリエルを見る。
彼女は焦っていた。
アズリエルは、渋い表情で朔也に言った。
「運が悪過ぎます、朔也様……。この男、神殺しです」
『神殺し』。
冥王との契約に従うならば、朔也が倒すべき相手だ。
「えぇ……? どうしよう、アズリエルさん……」
情けないが、こうなると朔也はアズリエルに頼るしかない。
一瞬の逡巡の末、アズリエルがした提案は、朔也が耳を疑うものだった。
「……いえ、これはむしろ、好機かもしれません、朔也様。1対1で戦える状況……逃すべきではないかと。ここで仕留めてしまいましょう」
「いやちょっと待って」
朔也は心の準備ができていなかった。
アズリエルに頼めば、また何らかの逃げの手段を講じてくれるのかと期待していたのだ。
(仕留めるって殺すってこと? そもそも喧嘩だってまともにしたことないのに? それに、この人には何の恨みもないし……)
朔也は、ここにきてようやく自身の考えの甘さに気が付いた。
冥王は言っていた。
神殺しを殺せ、と。
同意したのは他ならぬ朔也自身だ。
契約の際に、たしかに力は授かった……らしい。
でも、それが何なのか分からない。確認する時間もなかった。使い方が分からない。戦い方が分からない。
なんでこんなに、息を吐く間もなく困難に見舞われなければならないのだろう。
(どうする……? どうすればいい……?)
そんな朔也の様子を、男は興味深く眺めていた。
――奇妙な男だ。
朔也を一目見たとき、男が受けた印象はそれに尽きる。
莫大なマナ総量に対し、その立ち姿はまるで素人。
マナ総量とはすなわち、存在の強さ。
たとえ武闘派ではないインドア派の魔術師だとしても、これほどのマナを保有している人物であれば、対峙している人間がどれほどの実力者か分からない訳がない。
(まぁいい。一太刀入れれば、その化けの皮も剥がれよう)
男は腰の刀に手をやる。
「返答なし、か。……どちらにしろ君を斬ることに変わりは無い。ここから先は問答無用。死にたくなかったら抵抗することだ」
「ま、待って下さ――」
それは、男の言葉が、朔也の耳に入ってきたのと同時だった。
「……え?」
朔也の心臓は、冷たい刃で貫かれていた。




