第2話
人間族の最大の国家、ミドガルド。
その首都にある王城には、勇者召喚の儀式を行うための部屋がある。
そこでは、今まさに勇者を召喚せんと魔術師たちが儀式を執り行っていた。
部屋の中央には魔法陣が描かれており、その周りで作業を行っている。
その様子を眺める人物が二人いた。
一人は国の最高権力者、国王その人だ。若い王だった。戦士のような屈強な肉体と、優れた相貌、高貴な雰囲気を併せ持った男だ。用意された椅子に座り、儀式の様子をまじまじと見つめている。
その傍らに立つのは黒い衣に身を包んだ老人。この儀式の準備を任命された魔道宰相と呼ばれる役職の人物だ。
「いよいよですな、国王陛下」
魔道宰相は、自信満々と言った様子で国王へ語りかけた。
国王は、腕を組みながらゆっくりと頷いた。
「あぁ、実に十年ぶりか」
ダンジョンの攻略に関して、ここ数年ミドガルドは他国に後れを取っていた。
技術力に優れた隣国アルフヘイムは近年開発に成功したという新兵器によって、神殺しを成し遂げたという。
――これ以上、他国に遅れを取ることは出来ぬ。
遅々として進まぬ探索に、国王は焦りを募らせていた。
勇者と言う存在が、そこに一石を投じてくれることを願うばかりだった。
「陛下。召喚の儀、準備が整いました」
準備を進めていた魔術師の一人が、準備完了の報告をした。
国王はいよいよか、と気を引き締めた。
「すぐに始めてくれ」
「承知致しました」
魔術師は一礼し、すぐさま魔法陣を起動させた。
魔法陣が発光をし始める。
召喚の予兆だ。
――バタン
その時、突然に部屋の扉が開かれた。
予期せぬ来訪者に、部屋中の人間がそちらを見た。
「よぉ、冷やかしに来たぜ、王サマ」
そこに立っていたのは、黒いローブを身に纏った少女だ。
国王に対して、物怖じしない態度。
平民であれば処分を免れない不敬だが、しかし彼女は特別な身分を持っていた。
「これはこれは、魔女殿。丁度いいところにお見えになりましたな。神殺したる貴女のお力添えを頂けていれば、もっと円滑に召喚の儀が済んだのですが……」
この年端もゆかぬ少女のような姿をした彼女こそ、ミドガルドが誇る最強戦力、神殺しの一人だった。
魔女と呼ばれた少女は、魔道宰相の言葉を鼻で笑った。
「ハッ、馬鹿を言うな。そんな単純作業、下っ端の仕事だろう」
魔道宰相は自分の仕事をバカにされ、表情を引き攣らせた。
魔女は、そんなことはお構いなしに、国王の隣までずかずかと歩みを進め、壁にもたれかかった。
「さて、新しい勇者サマは、どんな奴かな?」
魔女は楽し気に笑っている。
「……」
国王は、何ら気にした様子もなく、ただ黙って魔法陣を見つめていた。
魔法陣が、その円周に沿って神秘的な光のヴェールに包まれてゆく。
やがてそれは床から天井をつなぐ光の柱となった。
そこにいる誰もが、固唾をのんでその光景を見守っていた。
数秒ほどして、徐々に光のヴェールが薄れていく。
果たしてそこには、一人の人間が片膝をつく形で座っていた。
「よくぞおいで下さいました、勇者殿」
ニコニコと人の好い笑顔を浮かべ、歓迎の意を表する宰相。
召喚の魔術が完了し、光を失った魔法陣。
そこには黒衣を纏った仮面の男がいた。
その姿は勇者と言うにはいささか不吉な雰囲気を漂わせ過ぎている。
しかしその立ち振る舞いは所在なさげで、オドオドと辺りを覗っている。
その様子は滑稽でもあり、不気味でもあった。
違和感を覚えながらも、宰相は言葉をつづけた。
「……勇者殿は奇妙な格好をされていますな? しかし、さすがは勇者、その身に纏う濃密なマナ。歴代勇者の中でも頭抜けた才能をお持ちのようだ」
「はぁ、どうも……」
仮面の男が初めて出した言葉は、それだけだった。
当たり前だが、これは相当混乱しているな、というのが宰相の抱いた感想だった。
この国では過去に何度も勇者を召喚してきた。彼らも召喚されてすぐは呆然としている者が多かった。
召喚したての勇者など、大抵はそういうものなのだ。
そう結論付けた宰相は二度、三度頷き、仮面の男に言葉を投げかけた。
「混乱されるのも無理はありません。あなたはいま……」
「あの、すみません一つ確認いいですか?」
宰相の言葉を遮った仮面の男。
少し不躾な態度に多少ムッとした宰相だが、ひとまず目を瞑ることにした。
「……ええ、どうぞ」
「この世界では勇者を奴隷みたいに扱っていると聞いたのですが、それは本当ですか?」
彼の言葉に、その場の全員が凍り付いた。
それは確かに事実だった。
召喚したての右も左も分からぬ勇者を懐柔し、隷属の魔術をかける。
しかしそれは召喚されたばかりの勇者が知るはずのない情報だ。
「なッ……何を、言って……」
唐突に核心を突かれた宰相は続く言葉が出てこない。
仮面の奥からじっと見つめる視線に恐怖すら覚えた宰相は、じりじりと後ずさり、この場で一番の知恵者である魔女へ助力を求めた。
「ま、魔女殿! この者はいったい!? ……魔女殿?」
魔女は、その表情を驚愕に染めたまま、固まっていた。
宰相は魔女のこのような表情を見たのは初めてだった。
記憶にある彼女はいつでも不敵に笑っていた。
それだけの異常事態と言うことだろう。
少し間をおいてから、魔女は口を開いた。
「……お前ら、本当に勇者召喚の術式を使ったのか? ……こいつが本当に勇者だと思うのか?」
「あ、当たり前でございます。紛れもなく歴代勇者を召喚してきた魔術。不備などあるはずが……」
「異常なんだよ。マナ総量が、神殺しに匹敵している。……お前、何者だ?」
魔女から仮面の男へ、問いが投げかけられる。
それまで二人のやり取りを黙って見ていた仮面の男は、溜息をついた。
「残念です……。僕の質問、否定しないんですね……」
仮面の男の発言に、返答する者はいない。
男はゆるゆると頭を振った。
「それじゃあ、奴隷は御免なんでこの辺で失礼します。……アズリエルさん。よろしくお願いします」
仮面の男が、ここにはいない誰かの名を呼ぶ。
次の瞬間、男の隣には青い少女がいた。
輝く藍色の美しい髪。それと同色の綺麗な瞳。そして背中に広がる漆黒の翼。
「了解、ご主人様」
鈴の音のような澄んだ声音でそう返答した彼女は、続けざまに国王たちを睨みつけて言い放った。
「神殺しの咎人たち……、首を洗って待っているといい」
青い少女の周囲に魔力が収束して行く。
何らかの魔術を行使するつもりだ。
『……深淵なる闇』
彼女がそう告げた瞬間、辺り一面は漆黒の闇に閉ざされた。
部屋中の人間が、前後不覚の状態に陥る。
認識阻害系の魔術。
一定範囲内の人間の五感を奪うフィールドを展開するものだ。
これに一番衝撃を受けていたのは、魔女だった。
(私に、この私に作用する魔術だとッ……!?)
ミドガルド最強の魔術師である彼女には生半可な魔術など通用しない。
彼女がダメなら、この部屋の人間は全滅しているだろう。
(クソ……、舐めるなッ!)
「『ディスペル』ッ!」
魔女の渾身の魔術解除が、辺り一面の闇を払った。
部屋の床には倒れ伏した魔術師たち。
椅子に座ったまま微動だにしない国王。
呆けた顔で虚空を見つめる魔道宰相。
魔女は元凶を捜して視線を泳がせるも、見つからない。
仮面の男と青い少女、その二人は忽然と姿を消していたのだった。
「…………ハッ! これは面白い事になったなッ……!!」
残された魔女は、ただ一人獰猛な笑みを浮かべていた。




