第1話
薄暗い古城の一室。
華美な装飾に彩られたその場所は、城の主が来客と謁見するための空間、玉座の間だった。
そこには二人の人物がいた。
一方の人物は、足を組んでゆったりとした姿勢で玉座に腰を掛けており、
もう一方の人物はそれに対面する形で立っている。
玉座に腰かけているのは、陰鬱な表情の美女だ。
黒い髪、黒い瞳、黒いドレス、と黒一色だ。
髪と衣服の間から覗く素肌は透き通るように白い。
浮世離れした美貌と相まって、動かないでいると作り物の人形のようだった。
これに対し立っているのは、十代半ばといった年齢の少年だ。
高校の制服に身を包んだ、特にこれといった特徴のない平凡な容姿をしている。
少年は茫然自失といった様子で美女を見つめていた。
美女もまた、そんな少年を見つめ返している。
両者はお互いに無言で、静寂が空間を支配していた。
「災難だったな、少年」
先に静寂を破ったのは美女だ。
これを聞いた少年は、ハッとして我に返った様子を見せたのち、困惑の表情を浮かべた。
「えーと……、あれ、さっきまで家に帰る途中だったと思ったんだけど……?」
少年はブツブツと呟きながら、腕を組んでうーんうーんと悩んだり、頬をぐにぐにとつねったりしていたが、
しばらくして、とうとうその場にうずくまってしまった。
「……全く意味が分からない、どういうことだ?」
美女は何をするでもなくその様子をじっと見つめていた。
しばらくして、再び口を開いた。
「すまぬが、時間もそう多くない。私の話に耳を傾けてもらえると助かるのだが?」
びくり、と少年は顔を上げ、恐る恐るといった様子で美女に尋ねた。
「……! あぁ、すみません。無視したわけじゃないんです。状況が全く分からなくて……。あの、ここはどこですか?あと、あなたは誰なんでしょうか?」
美女はふう、とため息を吐いて足を組み直し、ゆっくりと語りだした。
「混乱するのも無理はないだろうが、落ち着いて聞くがよい。ここは冥界。そして私は冥界の王、ヘルというものだ。お主は運悪く勇者召喚の魔術に巻き込まれ、こちらの世界へと引きずりこまれたのだ」
現実離れした単語ばかりの登場に、思わず耳を疑った。
「冗談ですよね」そう言おうと口を開いたその瞬間。
少年が瞬きをする合間に、玉座に座る美女は消え去り、黒いローブを纏った骸骨が入れ替わるようにそこにいた。
濃厚な死の気配を纏った目の前の存在に、少年は息をのんだ。
「と、まぁ、少し驚かせたところで」
次に少年が瞬きをすると、そこには何事もなかったかのように美女が座っていた。
「信じてもらえただろうか」
少年は、こくこくと頷くのが精いっぱいだった。
恐怖から早鐘のように鳴る心臓に手を当て、必死に思考を巡らせた。
目の前の美女は、本物だ。
先程の言葉を思い返す。冥界の王、勇者召喚、魔術、……。
冥界とは死後の世界のことであろうか。
勇者召喚という言葉も出て来た。
死後の世界に勇者を召喚するとは、いったいどういうことだろうか。
少年はそれらの疑問を聞いてみることにした。
「僕の記憶が正しければ、勇者っていうのは、人間の王様とかが、どこぞの魔王を討伐するために呼び出す、とかだったような気がするんですが。僕を召喚したのは、あなたですか?」
「勘違いされては困る。お主を召喚したのは私ではないぞ?お主の推測は正しい。お主を召喚したのは人類最大規模の国家、ミドガルドの王だ。そして、私は魂を司るものとしての権能を使って、その召喚の魔術に割り込んだ。何故だと思う?」
「……」
少年は考えた。
勇者の召喚に割り込むという行為の意味を。
「……勇者の召喚を妨害したいから?」
美女は「その通り」と薄く笑みを浮かべ、頷いた。
そして少年は、言葉にしてから気付いた。
もしかしてこれ、自分が始末される展開ではなかろうかと。
冥王は勇者に敵対的な立場の存在で、
勇者が育つ前に倒してしまおうということではなかろうかと。
そう思うと恐ろしくなり、少年はじりじりと後ずさりした。
「待て待て、そう怯えるな。安心せよ、お主がいま想像しているようなことはせぬ。それどころか、これはお主にも利のある話だ」
美女はコホンと一つ咳払いをして続けた。
「いいか、この世界では、勇者は勇者であるというだけで強い。しかし召喚には莫大な魔力、入念な準備が必要な儀式など、大変にコストがかかる。では、何故この世界の人間は、そこまでして勇者を呼び出すのか。それは世界を救うため、とかそんな高尚な理由じゃない。奴らは勇者を単純な労働力としか考えていないのだ。勇者とは名ばかりの、自由意志のない奴隷だ」
「勇者と言う名の、奴隷……?」
「そう。たしかに昔の勇者といえば、お主の想像通り悪しきものを討伐するために召喚されていた。だが、今は違うのだ。まぁ、これについて理解するには、この世界の状況について話す必要があるな」
美女はそこで一旦言葉を区切り、
少し間をおいてから、この世界のざっくりとした歴史について話し始めた。
「百年前、大地に大きな穴が開き、そこから世界を滅ぼすレベルの脅威、『災いの獣』と呼ばれるものどもが這い出してきた。人類は必死に抵抗した。その際によく利用されたのが勇者だ。だがそれも焼け石に水程度の効果しかなかった。人類の滅亡は時間の問題だった。そんな時、人類を救うべく、神々が地上に降臨した。神々と獣の戦いは熾烈を極めたが、神々が辛くもこれに勝利した」
突然召喚された挙句、焼け石に水程度の扱いな勇者は気の毒だ、と少年は思った。
ここで美女は少しばかり表情を歪ませた。
「……しかし、あろうことか、今度は人間が神を裏切った。一部の人間が、ともに戦っていた神々に反旗を翻し、疲弊した神々の背中を刺したのだ。神の力を奪い取るために……」
恩知らずなことだ、と少年は思った。
美女の悔しそうな様子から、彼女は神々側の存在なのであろうことが窺えた。
「これに対する神々の反応は様々だった。無抵抗のまま殺されたのは慈愛を司る神。戦の神は怒り狂って人間を蹴散らしたのち、人間の英雄たちに殺された。そして、神々の長、主神オルディナは人間を殺すことを良しとせず、かといって、天上の世界へと帰る余力もなかったので、他の多くの神々を伴って大地の大穴へと逃げ込んだ」
少年は、別世界の人間であるにも関わらず、なんだか申し訳ない思いで俯いた。
美女は構わず説明を続けた。
「大穴は底が知れないほど深く、複雑に枝分かれしていた。そんな場所で神が防衛に徹したら、人間には手も足も出ない。大地の大穴は、複雑怪奇な迷宮にして難攻不落の要塞と化したのだ。だが、しばらくすると人間たちはその大穴を『ダンジョン』などと名付け、喜び勇んで潜り始めたのだ」
やれやれといった様子で、肩をすくめる美女。
「人間どもはいまや、神の力を“奪い合う資源”程度にしか考えておらぬ。人間の国にとって、神殺しは英雄であり、超強力な兵力だ。神殺し一人の存在は強大な軍隊よりも価値があるものらしい。必然的に人間の国同士では神殺しを獲得するための競争が起きた。それに利用されるのがお主ら勇者というわけだ。お主が人間に召喚されれば、勇者としての力を利用され、大穴へと潜り、延々と、ただひたすらに神に挑み続けることとなろう。そして十中八九、大穴の中で命を落とすことになるだろう。神か、神殺しか、敵国の勇者との戦いでな」
なんて不幸な運命だろう、と少年は思った。
がっくりと肩を落とす少年に対し、美女は指をピンと立てて言った。
「そこで、だ。お主と取引がしたいのだ。不運な勇者よ」
美女は、ここからが本題だ、と言わんばかりに玉座から立ち上がり、少年に向かって手を広げた。
「その運命を覆す力をやろう。その代わり、お主に望むことはただ一つ。神殺しを殺してほしい」




