その四
真摯に悩んだ経験の有る人は、同じ事を想っている人を確実に嗅ぎ分けると私は思っています。それを出逢いというのですね。この若者は、このお爺さんに出逢う事が出来て本当に良かったです。
「ええ。ずっと此の近くです。十年前まで勤めていた会社も、此の小さな町の中に在りました。殆ど何処にも行かずです」
「彼方此方行きたいとは思いませんか」
「若い時は思いましたし、実際幾つか行きましたよ。でももう今は、特に何処に行きたい訳でもありません」
そう言ってから一口珈琲を飲んで直ぐに付け足した。
「何かの映画で聞いた科白ですが、人間の居る所は何処に行ってもあまり変わりませんからねえ」
私はそのありきたりな科白が此のお爺さんが口にすると、実に自然に出て来てその響きも良いものである事に驚いた。お爺さんは言った。
「で、あなたはまだ若いから、斯うしてあちこち出歩いているという訳ですか」
「そうです。此処も此の辺りの私鉄では西の終点ですから、前から気になっていたんですが今日やっと来る事が出来ました。来て良かったです」
お爺さんは時々珈琲を口に運びながら、時に線路の続く方向に目を遣ったりしていた。
「人は斯んなに自然で、無垢な感じで他人と話をする事が出来る様になるものだろうか」
私はそんな事を想っていたが、不意にお爺さんが口を開いた。
「羨ましいです喃。彼方此方出歩いてみようと思える事が」
「そうですか? 私の経験では、先刻のお爺さんのお言葉ではないですが、人の居る所は何処でも大概同じ様なものですよ。私は何処かに出掛ける前になると、『私が今から行く先には、必ず何か私の一生を変える程の大きなものが待ち受けているに違い無い』なんて予感がするんですが、行ってみると、そして帰って来て暫くしてからその旅を反省してみると、結局いつも同じで、そんな私にとって何か決定的なものなんか無いんです。慥かに行かないよりは良いのです。何の旅も何かしら良いものは有るんです。けれどそれらは皆、謂うなれば私の気分転換程度のものなんです。そんな、私の人生を転回させる様なものは無いのです」
お爺さんは少しだけ表情を変えた。相変わらず笑っているのだが、それでも一瞬の間僅かに余分に開いた目が大きくなった時、口元の笑みの雰囲気、それが漂わせる空気が一変した。私は思った。此れは笑っているのではない。お爺さんは何かに思い当たったのだ。屹度そうだ。私は続けた。
「大体が、旅行をするというのは何か自分が修行する訳ではありませんよね。そんな事は誰が私に教えてくれるまでもない事です。私が第一番にそれを知っています。知り抜いていると謂っても可い。だから旅に出たからといって私が何らかの意味で褒賞を受け取る権利が無い事位分かっています。けれど、それにしたって何か大きな慰めか、或いは今後の私を支えてくれる指針が与えられたって可いではありませんか。少なくとも私はそれを求めている訳なのですから。しかし何か底無し沼に石を放り込み続けている様に、手応えというものが全く得られないのです。此れは酷い事ではないでしょうか」
お爺さんは此の時初めて身体を私の方に向けた。しかし何故か私の目は見なかった。お爺さんはベンチに座り、私は立ったまま、二人は正対していた。けれどお爺さんは少し下、プラットフォームの床を見詰めているのだった。
しかし大事な事が有る。それに私は気付いていた。お爺さんは私の目を見てはいなかったが、何故か私には此れがお爺さんが人に相対する正式な姿勢の様に思われたのだ。お爺さんは今此の時私という人間に対して、一番畏まった気持ちで居るのだという気がしてならなかった。そう私に認めさせる何らの客観的な兆候も無かった。唯私が、根拠無くそう感じただけである。しかし斯ういう感覚が最も信頼出来るものである事を、既に私はそれまでの自分の人生の経験から知っていた。
お爺さんは言った。
「それでも、今迄永くそれだけ試みて来られたにしても、まだ足らないと思った事はお有りですか?」
此の陳腐な一言が、私には重かった。しかし私は自分を押し留める事が出来なかった。
「無論、そうでしょう。それはいつも私が最後に行き着く答えです。その通り、結局終いにはそれしか無いんです。でも、その神通力も三十回目ともなれば色褪せます。だって、そうでしょう!? その絶対に到達出来ない、全くもって果てしない距離の向こうに在る、いや在るのか無いのか分かったものではない満了の日が来る瞬間まで、それは絶対に嘘にならない手形ではありませんか! 軈てそんなものに疲れるのは、やむを得ない事でしょう」
今度は私が話すのを止めても、お爺さんは何も言わなかった。私は此処で話しするのを止めたが、それは私が調子に乗って、いつの間にかお爺さんに自分の不満を投げ付けているだけだと思えて来たからである。そう、私はいつの間にか本当に何の根拠も無く、お爺さんが私の言う事なら何でも理解してくれるという前提の上に立っていたのである。それを私は突然意識したのだった。その時私の頭に、
「ああ、お爺さんは私が得心するまで『喋らせてくれた』のではないのだろうか」
という想念が颯っと過った。同時に軽くだが、私の膝が震えた。
お爺さんは、
「最早お話は済みましたか?」
とか、
「じゃ、次は私の番ですな」
とか、ほんの僅かでも私に対して礼を失する物言いをしなかった。そして軈て、ごく自然に、
「折角ですから、私の昔の話をしましょう」
と言った。そして初めて私の目を見た。言った様に既に私は少しだが膝が震えていた。が、此の時お爺さんと初めて目を合わせて、本当に背筋に冷たいものが走った。
お爺さんの目頭は、例によって全く力が入っていなかった。穏やかなものだった。だが何と表現したら良いのだろう。視線そのものに重量感が在ると謂えば良いのだろうか、それはまるで私の足の裏まで見通しているかの様な鋭さだったのだ。断っておくが、一切私を責める感じの無い視線だった。だから私はその場に立ち続けている事が出来たのだ。何か、
「今から私の言う事を、忘れないで下さいね」
といった感じなのだ。私は穏やかに、しかし出来るだけ毅然とした態度と口調で返事した。
「是非、伺いたいものです」
そうやって、お爺さんは実に面白い話を始めた。私はいきなり引き摺り込まれて仕舞った。
何でもお爺さんは結婚する心算は全く無かったのに、会社で知り合った女性がいきなり、
「お付き合いして下さい」
と言い寄って来たそうだ。お爺さんが若い時直情型で気に入らない人間を何人もぶん殴って来た経歴が有り、その女性には、自分にはどうせ堅気な一生は無理だから自分の事は諦めて欲しいと言ったらしい。それでもその女性が諦めないので終いには、
「そなたの気持ちが変わらぬかどうか、三年間試させて貰う」
などと口走ったそうだ。それも何かの映画か小説に出て来た科白らしいのだが、幾ら何でもそんな事を言われたら相手も他所を当たるだろうと踏んでの事だったそうだ。実際、女性に失礼過ぎる。そんな科白は私でも口には出来ないだろう。ところが此の女性はその試験期間中の三年間、本当に気持ちを変えずに待ち通した。此れには当のお爺さんも驚いた。気が付けば、もうその女性と結婚する以外の選択肢は残されていなかったというお話だった。私は何回か笑い出して仕舞った。
「その三年が過ぎた時点で私が、『いや、あれは方便で、御前が私を諦めてくれる様にそう言ったんだ。だからその話は無し』とか言ったらどうなります? そういうのを詐欺師って言うんです。だから私はあーもすーも有りません。そのまま結婚して子供が二人、男の子と女の子。此れがまた家に懐いて大人になってからも他の土地に行きません。男の子は私が働いた此の町の小さな町工場に勤め、女の子の方は何と此の町内で相手を見付けて結婚しています。まあ、若い頃の私が想像する事も出来ない平凡で世間並な一生だった訳ですよ」
私は即座に反論した。
「世間並? 世間並と仰ったのですか? それは違うでしょう。そんな幸福な世間並なんて私は聞いた事が有りません! それは望外の幸運で、滅多とお目に掛かれない幸いというものです。全く、幾らか私にその幸福を分けて頂きたいものですね」
「あなたは此れから十分幸せになるのではありませんか?」
「そんな事、どうしてお爺さんに分かります? 私は斯うしてたまの休みに何年も前から来たい来たいって思っていた場所に、やっとやって来る事が出来た程度の幸福しか許されていない人間です。おまけに此処に着くまでに電車の中で、圧し潰されたみたいな顔の男や片方の唇だけひん曲がってつり上がってて『此れは最早諦めてから七、八年は経つな』って感じがありありとした女とか、要するに変なのにしか出逢う事が無かったのです。いや電車の中だけの話じゃない。普段町を歩いていても、勤めてる会社の中ででも、人間らしい人間になんか逢えません。そんな人、居ないんですよ。若しも私にそんなまともな人間の一人でも与えられていたなら、私は今日此処に斯うして来る事なんか無かったでしょう。それは明日の朝もお日様が東から登るのと同じ位に確かな事なんです。私に言わせれば毎日、気味が悪いったらありゃしない。お分かりになりますか? いや、分かって頂けますよね? 長く働いて来て、それに気付かずに生きて来るなんて不可能ですから」
お爺さんは一層穏やかな表情で笑った。しかしお爺さんのその笑顔には、些かの冷笑や皮肉な意味合いの陰影は浮かんでいなかった。何と謂うべきか、笑っているのではあるが泣いている様にさえ見えたのである。お爺さんは言った。
「そうです。知っています。私はそれを知っていて、それでもなおあなたに『此れから十分にあなたは幸せになる』って言ったのです」
尚も私が納得し兼ねるという顔をしているのを見て、お爺さんは続けた。
「その通りです。若い時には、いや正確には自分が納得出来る一人の人間、いやそれはまあ人間ではなく一つの出来事でも可いですよ、それに遭遇するまでは、人は皆そう思うのです。今のあなたも、そして嘗ての私もね。しかし何かに出逢うのです。その何か、今の段階で正体は判りませんし、遭遇した後でだって直ちには判らないんですが、それに出逢った後になって、見えるものが変わって来るんです。何処が如何な風に変わって来るのかは謂い様が無いんですが、それでも変わって来るのです。それを経て、多分あなたは今より格段に幸せになると思うのです。本当に、私がそうだった様にね。斯う言うと何だかそんな気がして来るのでしょう? 有り得ない話の様には思えないのではありませんか? それに多分あなたなら、私が言わんとしているものが何なのか分かるのではありませんか?」
実は私はお爺さんの話の途中から、話の内容よりはお爺さんの言葉が上手である事、その即興にしてはかなり整えられている文章の上手さの方に注意を奪われていたのだ。その意味で私はうわの空だった事には違い無い。しかしお爺さんの言葉が終わってから私はその内容を改めて反芻し、何かしら大きな説得力を感じたのだった。お爺さんは続けた。
「あなたは先刻『長く働いて来て、それに気付かずに生きて来るなんて不可能ですから』と仰いましたね。此れも全く同じです。あなたみたいに感じ、思っている人間なら、その『何か』に出逢わずにずっと生きて行くなんて事は不可能なのです。頑張れば出逢えるんじゃなく、千に一つの幸運に該当すれば出逢えるんじゃなく、もう出逢わないなんて事が不可能なのですよ」
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