その三
関西本線の木津の駅でではありませんが、この『八十五年版』は私が体験した実話です。無事に切り抜けましたが、本当にこの時はどうしようかと思いました。
「お爺さん、こんにちは。いや、古くて雰囲気が有って良い駅ですねー」
私の言葉が全部終わらないうちに、老人は杖も無しにすっくと立ち上がり、私の顔を直視してずんずんと歩き迫りながら、
「八十五年版有りますかーっ、八十五年版有りますかーっ」
と怒った顔をして接近して来るのだった。私は最初の『八十五年版有りますかーっ』の段階で事の一切を承知したが、最早完全に後の祭りだった。私は此の危難をどうやって切り抜けるべきか、必死に考えた。此の五分、いや三分間は実際私の一生の中でも私が一番必死に頭脳を酷使した三分間であったと記憶する。しかしとにかく、どんな事があってもその爺さんを転ばせるとか、物理的な打撃を与える事だけは避けなければならない。
私は三歩程後退した後急激に爺さんの右側面に前進し、僅かに爺さんが怯んだ間に完全に爺さんの何か判らない武器の射程距離から脱する事が出来た。私としては此れで一切が解決したつもりだったのだが、爺さんはまだ例の科白を大声で発しながら私に向かって歩いて来る。尤も此方は、その漸近の速度よりも遥かに速い最大戦速二十七ノットで爺さんから遠ざかっているのだから心配は無い。私の危難は去った。もう頭脳を解放しても可いのだ。しかし広い駅構内ではあるが、その中の騒ぎが収まった訳ではない。駅員が走って来て私に言った。
「大丈夫ですか? 何か、怪我でもしませんでしたか?」
私は首を振って大丈夫という仕草をした。
「そうですか。あの爺さんは時々此の駅のお客さんにあれをやるんですよ」
私は殊更に『何でもありませんよ』という顔をしつつ、駅員に尋ねた。
「参考までに教えて欲しいのですが、あの『八十五年版』というのは何を指しているんでしょうかね? 何か意味が有るのですか?」
と私が問うと、駅員は少し俯いて且つ声を落として言った。
「実は、あのお爺さんの息子さんが此の駅の駅員だったんです。昭和六十年、詰まり千九百八十五年に此の駅で事故が有り、貨車の最後尾で作業をしていたその息子さんが、追突して来たディーゼル機関車に接触して亡くなったのです。恐らく、その年の時刻表の事を指しているんだと思います。何故その年の時刻表が見たいのかは判りませんがね」
そう言うと駅員はなおも向こうから此方に近付いて来る爺さんの背中を摩り、宥めて再び近くのベンチに座らせた。そして直ぐに爺さんの手を牽いて、改札口に通じる跨線橋の階段を二人で登って行ったのだった。私は胸が苦しくなった。
如何なる解釈であっても、私が驚いた事に何の無理も無かっただろう。またその後の回避行動も効率的で適切だったと思う。また爺さんの口にした言葉の内容にそんな深刻な意味が有るなどと、誰が想像出来ようか。想像出来る方が不思議である。実際、斯んな出来事を親しく経験するに当たり、真相を知る前にそんな事の可能性を想定するなど出来る事だろうか。私は人間には不可能である気がするのだ。それもかなりな確信と共に、そう思う。しかし、にも拘わらず断固として、私は自分の頭を翳めもしなかった此の実態、此の結末に、心の底から恥じる気持ちを禁じ得なかった。無理が有る無いではないのだ。私がそういう事を刹那でも思わなかった事に、謂い知れぬ自分の愚かさを感じない訳には行かなかったのである。しかし事有る毎にそんな次元にまで配慮して毎日自分の言動を採っているなら、私は気が狂う、いや何一つ言葉を口にする事が出来ない、いやそれでも足りない、抑々(そもそも)外出が全く出来なくなるのではないだろうか。それは立派で此れ以上無い程のノイローゼの標本みたいな状況である。そう、私には未だ機が熟していなかったのだ。若い私には当然の事であるが。それは年齢と共に全然不可能な事ではなくなる。それどころかそういう配慮をして日常行住坐臥している方が自然な事であると感じる様になるのだ。ただ私がそうなるまでには、もっともっと苦しむ必要が有ったのだ。
駅で遭遇した八十五年版の爺さんに関する話が長くなった。しかし此の話は絶対に避けて通る事は出来ないのだ。今、それと何も違わない、寸分違わぬ状況が私の眼前に展開している。その八十五年版の爺さんだって、私が声を掛けるまでは極めて大人しそうな、物静かな様子だったのだから。しかし私は、一瞬その過去の出来事を思い出しただけで、結局ベンチに座っている爺さん目掛けてまっしぐらに直進して仕舞った。此処等辺りの心理を、その筋の識者はどの様に分析するだろうか。いや、下らない事を言うのはやめよう。誰に如何様に分析されようとも、自分がしたいと思ったら絶対に実行するのが私ではないか。それは散々説明した様に多くの災難を私に齎したが、実は私という存在を支えている価値観でもあるのだ。そうに決まっているではないか。今までの私の一生を見れば、それ以外の結論など考えられようか。そんな明白な事実に疑いを差し挟む者こそ真正の馬鹿というものだ。
「こんにちは」
私はお爺さんに声を掛けた。八十五年版かも知れないお爺さんは、ゆっくりと顔をあげて私を見詰めた。此れははっきりと私を見ている。
「こんにちは。どちら様でしたか喃」
「いえ、私は旅行者です。だから今までにお会いした事は無いと思いますよ。此の支線に就いて伺いたい事が有ったので、声を掛けさせて貰ったのです」
するとお爺さんは膝の上に載せていた本をパタンと閉じた。そしてその表紙の文字から、それが私の好きな独逸文学の小説である事を知り、一層惹かれた。おまけに私は直ぐに気付いたが、その独逸文学の本は本自体が非常に古く、ハードカバーの表紙の分厚い紙が幾らか綿の様にほぐれている。更にお爺さんはその本をケースに入れた。箱入りの本だったのである。その本の題名がケースに貼られた紙に印刷されていたが、何と右から文字が書かれている。戦前の本なのだろう。私は不自然に、急激に嬉しくなった。
「お爺さん、いつも此の路線を利用しておられるのですか」
「ええ、まあ時々利用します。近くに住んでいるものでね。でも今は別に電車に乗ろうと思っていた訳じゃありません。駅で本を読んでいただけです」
お爺さんは私にわざわざ切符を見せてくれた。それは乗車券ではなく入場券だった。
「列車に乗らないのに駅で読書する……大変洗練された良い御趣味だと思うのですが、どうしてわざわざ駅で?」
私の言葉を面白いと思ったのだろう。お爺さんは少し笑みを浮かべた。
「此の終点の淋し気な場所に座っていると、何か迚も落ち着くのです。特に、電車が到着してお客さんがぞろぞろと降りて行って、後に誰も居なくなって仕舞ってからが良いのです。短い二輌か三輌程の電車に乗る人も少ない。そんな場所で自分の好きな本を読むと、不思議と全く雑念が起きない訳なんですな。此れが家の中で読んでいると『掃除しなくては』とか、『今日は陽射しが良いから布団を干さなければ』とか、『買い物をしておけば、老細君が助かるだろうから行こう』とか思って、あれこれとして仕舞いますからな」
私はにこにこしながらお爺さんの話に聴き入っていた。此れは八十五年版とは正反対の老人だった。いや、別に八十五年版の老人を貶めて謂う心算は更々無いのだ。あの八十五年版の老人だって、十分に悲劇的で真面目な人生の人なのだから。しかし私が心から安心した事は、許して貰えるだろう。
「殊に真冬の寒い時なんか素晴らしいです。時々此の駅にも新人の若い駅員が配属になって来て、私を見て警察乃至病院に電話するなんて事が有りますが、それでも暫くすると理解してくれます」
「お話、一々面白いです。仰る事、全て思い当たります」
「そうですか。そう仰って貰えるなら、一つ面白い趣向と行きましょう」
私が不思議に思って立ち尽くしていると、お爺さんは改札まで普通にすたすたと歩き、次いで駅員にごにょごにょと小声で何か言ってベンチに戻って来た。そしてまた悠然とベンチに座って煙草を取り出し、火を点けた。駅構内は禁煙の筈だが、駅員は改札口から此方を見てにこにこして立っている。黙認なのか。そうしていると、改札の向こうにエプロンをしたおばさんがお盆片手に現れ、改札を通して貰って私達の方に来る。そして、
「有難う御座います。ホット二つ、お届けしました」
と言うや、お盆に被せている布巾を取り去り、私達一人一人に珈琲カップの載った皿を手渡してくれた。
「お砂糖は無し、ミルクだけ入ってますよー」
とおばさんが言うと、お爺さんは懐から千円札を一枚出し、
「お手間をかけました。お釣りは要りません。配達代です」
と言うと、おばさんに丁寧に頭を下げた。
「暫くしたら、また伺いますねー」
そう言っておばさんは去って行った。此れは一体何だろうか。読書の為に駅構内に入場券を買って入り、剰え喫茶店に珈琲を注文して配達して貰って、其処で飲む。私はそんな人間を初めて見た。此れは凡人ではない。
「さっ、あなたも熱いうちにどうぞ」
老人はそう言って私に珈琲を勧めた。此の時私は何故か一つの事を思った。素晴らしい、という事とは別に。
そうなのだ。此れが大事なのだ。何故だか徹底的に分からないのであるが、感じるのは明瞭に、判然とその事を感じるのだ。則ち私は、
「此れら全ての突飛で常識から外れている事を眼前に見、またそれらの出来事に関わる当事者として、絶対に私は驚いた顔をしては不可ない。当惑した印象を此の老人に与えてはならない。そう、恰も『そうそう、そう来なくっちゃね。此れこそ私が永い間求めて得られなかったものなんです。今遂に私の目の前にそれが来ったという訳なのです』と、そんな感じで受け留めなければならない」
と思ったのである。
私は何故そんな事を思うのだろう。また他でもないそう思った瞬間に、その事に思い至った事に気付くのだろう。何らかの出来事を直接経験、体験している自分。それとは別に完全にそんな自分を客観視しているもう一人の自分が居るのだ。そして瞬時に私は、
「そんな事を何も彼も意識しているのは、忌まわしい事ではないか。今此処に必要なものは純粋、純朴以外の何者でもない事は明白なのに」
という冷静で且つ極めて正当で、此れもまた極めて高潔で立派な反省を意識するのだ。そういう自分の意識の重層的な活動が私自身を混乱させる事は百も承知だ。いや、此れは混乱させているだけではない。もっと悪いのだ。それを私は、疾うの昔から知り抜いているのだ。しかし此れは何とも自己制御出来ないものである。そうではないだろうか。完全に私の随意から離れている。そして私は自分自身の意識に手を焼き、遂にはどうしようもなくなって自己制御を放棄するのだった。しかし私は其処から後さえも知っているのだった。そういう経過を経て到達する制御不能、そうやって漸く到達した純朴こそが、自分に出来る唯一可能な純朴の在り方であるという事を……。
「あまり、色々とお考えにならぬ方が良いですよ」
私はお爺さんにいきなり釘を刺された。少し驚いたが、それでも心臓が口から飛び出すといったものではなかった。射抜かれているのに此方が動顛しない。何故か。簡単な事だ。私を責める意図が、此のお爺さんには皆目無いからだ。無いという事が私に分っているからだ。それは此のお爺さんの善意を私が見抜いたからか。違う。此のお爺さんは自分の私に対するそういう善意の意図を、何ら隠していないからだった。丸出しなのだ。言葉に、その抑揚に、表情に、それは溢れる様に現れていた。
「はい」
私は短く返事して頭を下げ、熱い珈琲を一口飲んだ。ところが風が吹き通すプラットフォーム上、場所柄なのか実に美味いのだ。私は本当に新鮮な気がした。
「失礼ですが、お爺さんはずっと此の近くにお住まいですか?」
お爺さんは特に私の質問を不審に思う様子も見せず、直ぐに返事した。
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