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ラグナロククエスト 『神々に翻弄されし運命』  作者: 風花 香
第五章 愛を知らぬ剣士 シルアの闘い
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心を与えし女神

 数刻前まで荘厳華麗な城が聳えていたその場所は、荒廃した瓦礫の山と化し、繰り広げられた激闘の凄まじさを物語っている。


 ガルヴォロスの命すら燃やし尽くした地獄の雷は、絶対的存在であるはずの天空の神ですら無残な姿に変え、亡骸の煤は風に吹かれて散って行く。

 

 凄惨な光景に息を呑むシルアだったが。


「シルアよ」


 背後から突然自らを呼ぶ女性の声が聞こえ、はっと我に返った。しかしシルアは緩慢な動きで振り返り声の主を確認する。


 音もなく背後に現れた人物は純白のローブに身を包み、手には円盤状の不思議な道具を持っている。虫も殺せぬような可憐で美しい顔の中でも、憂いを孕んだ大きな瞳が特に印象的だった。 

 もちろん、シルアはその存在を知っている。神々の中でも第三の位に座する女神、人神ゼスタシアであった。


 シルアは任を全うしない自分を神々が見逃すはずがないということを、風神ヒュガロスの行動を見て悟っていた。だがまさかこれほどの大人物が目の前に現れようとは。

 辟易したシルアは思わず苦笑する。


「シルアよ、その人間の娘を横たえなさい」


 言葉を発さないシルアに構わず、ゼスタシアは告げる。

 シルアはゼスタシアの大きな瞳を睨み付けるように見つめた。感情の読み取れない、底知れぬ不気味さと美しさを兼ね備えた瞳はシルアを見据え微動だにしない。


 ヒュガロスがフィアナを殺そうとした行動は、シルアの忠誠心に刺さっていた楔を決定的なものとし、もはや神々に従う事をよしとしない。

 かと言って、このまま何も手を打たなければフィアナが死んでしまうことも明白だった。


 葛藤するシルアの意を汲んだかのようにゼスタシアは告げた。


「大丈夫です。私は風神ヒュガロスの様な真似は致しませんから」


「ヒュガロスの行動は神々の総意ではないと言うのですか?」


 シルアはヒュガロスへの敬称を省いた。


「いいえ、総意です。ですが、私は総意よりも大切にしたいものがあります」


「神々の決定よりも大切なこと? ふっ、あなた達にとってそんなものがありますか?」


 シルアは嘲笑する。

 

 しかし不遜なその物言いにも一切表情を変えないゼスタシアは「抱いたままでも構いません」と呟くと、周囲に遍くマナを操りシルアとフィアナを包み込んだ。

 すると途端に右腕の傷と腹部の傷が癒え、酷使した右足に負っていた激しい痛みも和らいだ。さらには長く戦い続け消耗していた体力も瞬く間に回復する。

 更にはシルアの腕の中で弱々しい呼吸を繰り返していたフィアナにも変化があった。血の気の失せた顔には朱色が帯び、消え入りそうだった呼吸は安らかに眠る呼気に変わっていた。

 ゼスタシアの超魔力を用いた回復魔法だ。


「……これは?」


 真意の測れぬ目の前の女神に、困惑の色を示すシルア。ゼスタシアは相変わらずの美しくも影のある表情でぽつりと呟く。


「シルア、あなたの中に育まれたその想いを大切になさい」


「育まれた想い?」


「ええ、他者を愛し他者を守る為に力を発揮する心の力です」


 それは意外な言葉だった。ゼスタシアの言った心こそ神々が真っ先に淘汰すべきものだと、シルアたち天空騎士に教えたのだ。


「風神ヒュガロスは副産物だと、そう言っていましたね。ですがそうではありません。力と魔力と心、これら三つが三位一体となり初めて真の強さを纏うことができるのです。ですが、力や魔力と違い、心は強さと弱さが表裏一体であり常に安定した力を発揮できるとは限りません。神々が嫌う理由の一つがそれです。いえ、そもそもそこまでの理解が及ばない者も多いでしょう」


 言葉を連ねるゼスタシアの無表情だったその口元にふと、笑みが走る。


「ですがそんなことはどうでもいいのです。シルア、その娘を愛する心を大切になさい。そしてあなたにとっての幸せを探すのです。もう私達の為に戦う必要はない。これからはあなた自身の為に生きていきなさい」


「ゼスタシア……様」


「ふふ、大丈夫です。スティルヴァースでラー大陸を監視している者には少しの間眠ってもらいましたから。あなたへの追跡はないでしょう」


 静謐な森の中に沸く清らかで深淵な泉の如き女神が微笑んでいる。それはシルアにとって、初めて見るゼスタシアの穏やかで明るい表情だった。


「なぜ、あなたは僕の為に……」


 ゼスタシアの体が宙に浮かんだ。淡い光を纏ったその姿はより神々しさを増し、慈愛に満ちた笑顔が光の中で輝いて見えた。


「我が子の幸せを願う事は親として当たり前なのです」


「我が子……」


 本来ならばゼスタシアが述べた事実は驚愕すべきことなのだが、シルアに至っては何ら反応を示すことができない。

 それは、これまでひたすらに闘うことだけを教えこまれてきたシルアにとって、親の存在など意識したことがなかったから。


 ゼスタシアはそんなシルアを自責の念に囚われた表情で見つめ、光の中へと姿を消したのだった。

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