風神ヒュガロス
ウロボロスの首を斬り落としその命を絶った事により、フィアナの身体から充満していた禍々しい瘴気は霧散した。
糸が切れた人形の様に前のめりに崩れ落ちそうになるフィアナを、シルアは慌てて受け止める。耳元からか細いフィアナの呼気が伝わってくるが彼女の意識はなく、ウロボロスによって精神と肉体を支配されていた事を鑑みれば、重篤な状態にあることは容易に想像がつく。
「フィアナッ! くっ、」
シルアは己の無力さを呪わずにはいられなかった。回復魔法の一つさえ習得していない己の未熟さ怠慢を。
ガルヴォロスに話した通り、さしたる魔法の才能がなかったシルアは、回復魔法も攻撃魔法も早々に見切りを付け習熟に励むことをしなかった。唯一扱いやすい強化魔法のみを極める事は述べた通り強さを求める点において最良の選択だったと自負している。
だがしかし、大切な人を守り、救うという点において今の自分はこうも無力だとは。
「必ず助けます!」
嘆いていてもフィアナは救えない。一刻も早くフィアナを手当しなければ。
シルアは思い直すとぐったりとして微動だにしないフィアナを抱き抱えた。穿たれた右腕は激痛を伴うが、今のシルアは己の怪我など委細構わない。それより重要なのは、瘴気に蝕まれたフィアナの身体を回復させられる方法があるかどうかだ。
マナの使い手が居ないに等しいラー大陸では当然回復魔法を使える者などいないはず。頭に先ず浮かんだのは同じ天空の騎士三人だが、彼らは近くにはいない。
――クソッ、一体どうすれば!?
不意に突風が巻き起こる。
戦場の砂塵を巻き上げながら渦巻く旋風は、天高く上空まで立ち昇り雲の切れ目へと入っていく。
飛び交う砂利や飛礫からフィアナを庇うように身を屈めたシルアは、目を開けることも困難な状況の中、ようやくその渦の只中に何者かのシルエットを視認した。
徐々に弱まる旋風の中心に翡翠の風を全身に纏い、自信に満ちた表情を浮かべるのはシルアもよく見知った顔。
主と崇める神の一人、風神ヒュガロスであった。
ヒュガロスは地上に降り立つと辺りを見渡し、少し離れた場所で屈んでいるシルアを見つけると、ゆっくりと歩み寄る。
右腕を血に染め、幾度か吐血したことにより口元には乾いた血漿がこびり付くシルアの痛々しい姿を眺めても、口元に笑みを貼り付けたヒュガロスの表情に些かの変化もない。
「シルアよ。ガルヴォロスとの戦闘ご苦労であった。……随分と苦戦したようだな、お前ともあろう者が」
「ヒュガロス様……なぜ、ここに?」
ガルヴォロスの話した神々の悪行が忠誠心に楔として突き刺さった今、シルアにとって目の前の主は懐疑的な存在であった。
「なに、次元の妖術によりラー大陸戦線を常に注視している我らだ。現状最も重要な局面がこの場だったということよ」
答えになっていない。シルアの率直な感想がそれだった。
しかし、今はそんなことよりも。
「ヒュガロス様、お願いがございます」




