想いの力
両手に握っていた双剣を、シルアは手放した。地面に突き立った二本の剣、それの意味するところは観念したということに他ならない。
ミハエルが本当にフィアナを殺すつもりだったのか定かではないが、万が一を考えた時、シルアは最後のカウントをミハエルに言わせるわけにはいかなかった。
今のシルアにとってフィアナの命は何よりも重く尊い。
内心肝を冷やしていたミハエルだったが、シルアの降参宣言を聞くと安堵と歓喜の感情が爆発的に沸き上がり、焦りや不安を一気に塗り潰した。
それを表情に出すまいと平静を繕う。
勝った! 余は勝った! 危険な綱渡りの策ではあったがシルアを出し抜いたぞ!
「約束してくださいミハエル。僕の命と引き換えにフィアナは必ず解放し助けると」
闘う意思を失くしたからなのか、シルアの口調が元の敬語を使った穏やかなものに戻る。
その様子を見てミハエルは改めて自らの勝利を確信するに至った。
「ふっ、最後に余を騙そうとするとは気に入らぬが、いいだろう。貴様のその望みだけは叶えてやる」
シルアの要求を突っぱね絶望を与えることも一興だとは思うが、下手をすれば不要なしっぺ返しを食らう恐れもある。
ミハエルは迅速に事を済ませるべく、小さな妥協には目を瞑った。
「……感謝します」
ミハエルの言葉を信用したかはともかく、シルアは礼を述べる。
愉悦の笑みを貼り付け歩み寄って来るミハエル。だが、その容姿は紛れもなくフィアナのもの。
シルアはそんな外見だけはフィアナの存在を見つめて心の中で呟いた。
フィアナ……自分の力であなたを助ける事もできない僕を罵倒してください。そして、あなたの矜持を踏みにじった事。それを謝ることもせず死んでいくことを許してください。
目の前で立ち止まり、自らよりやや高い背丈のフィアナが見下ろす。いや、フィアナに憑依したミハエルが明確な殺意を以て見下しているのが伝わる。
「ふははははっ! では、シルアよ! 死して余の血肉となるがいい!」
禍々しい瘴気が黒い竜に姿を変えて上空に立ち昇る。その特徴的なギザギザの鋭い牙が立ち並ぶ口を大きく開いた。
間もなくその開口された漆黒の闇にシルアの意識は呑み込まれるだろう。
……だが、しかし。
貪喰竜がその動きをピタリと止めた。
目を閉じ俯いていたシルアも、その不思議にもう一度瞼を上げた。
「し、る、あ……」
シルアの瞳が大きく見開かれた。
僅か一言。それも消え入りそうなか細さだったが、聞き違えるはずもない。
「フィアナなのですか!?」
聞こえたのは紛れもないフィアナの声だった。
紅に染まっていたフィアナの両目が今は正気の瞳と交互に点滅を繰り返している。
「わた、しを……殺せっ!」
自我を保とうと必死に憑依する悪魔と闘っているのがわかる。そんな中で紡ぎだした一言にシルアは躊躇う。
「待ってください! 今、助けだして見せます!」
「む、無理だ! わたしの、中に、今あいつを閉じ込めている、だけど、長くは保たない、だから!」
途切れ途切れになりながらも自らの意思を力強く伝えるフィアナ。
「早くっ! わたし、を、卑怯な策略の、駒にさせるなっ! 殺すんだっ!」
「お、おのれ小娘が小癪な真似を!」
フィアナの身体の中からミハエルの焦りを孕んだ声が漏れ出した。
シルアはフィアナの叫びを聞き、フィアナにとって何が重要なのかを、自らが今なせる事で何がフィアナの願いに添うのかを思案した。
そう。あの時踏み躙ったフィアナの戦士としての矜持。それが本物だとわかっているのなら、いますべき事なんて考えるまでもない。
謝罪はしませんよ、フィアナ。今僕がすることは、あなたの戦士としての矜持や覚悟を誠に理解しているからです。謝罪はあなたへの侮辱だ。だから……。
シルアは咆哮を上げた。それは自らを奮い立たせる為、勇気を振り絞る為に上げた悲痛な叫びだった。
地面に突き立った短剣を左手で抜き、フィアナの心臓にその切っ先を向ける。
だがしかし、シルアが短剣を突き出すより一瞬早くフィアナの精神力が底を尽いた。
その刹那をミハエルが逃すはずもなく、フィアナの身体から抜け出ると頭上の貪喰竜と一体となり、シルアをその鋭い牙で食い千切らんと迫る。
全ては一瞬の出来事。
だが、その一瞬を右手が。
シルアの刃が。
見逃すはずがなかった。




