化かし合い
「何を笑う?」
「舐められたものだな、ミハエル・アルフレッド。その気になればお前を殺すことなんて造作もない事を忘れるな。お前が条件を提示出来る立場ではない」
「ふっ、ならばやってみればよかろう? この小娘の身体ごと余を貫けばよいではないか!?」
シルアの言葉を虚勢と判断したのか、ミハエルは両手を広げて挑発してみせる。
しかしシルアは小さくため息を吐き、首を振った。
「残念ながら、それはできない。フィアナは僕がこの世で唯一死なせたくない人だから」
予想外の汐らしい態度にミハエルは拍子抜けし、嘲笑する。
「なんだ。やけに素直ではないか? 先程の虚勢に意味はあったのか?」
「虚勢ではないさ。フィアナを解放し、無事を確認出来る所まで見届けたなら僕の命、お前に差し出そう」
「何っ?」
流石のミハエルも今のシルアの言葉は理解に苦しむ。自死を厭わぬと、そう言ったのか?
疑問に答えるようにシルアは続けた。
「僕にはもう生きる意義がなくてね。この先修羅となって闘い続けるか、それとも死ぬか。決めかねていた時にお前が現れたんだ。フィアナだけは死なせたくない、ただその想いだけが今のぼくの闘う理由だ」
濁った瞳で視線を地面に投げるシルアを見て、ミハエルは嘘を付いている様子はないと判断する。
だが、それはシルアの条件を呑む理由にはならない。
ミハエルは高らかに笑った。
「ふはははははっ! なるほど! 確かに小娘一人見逃すだけで貴様を喰らえるのであれば安いもの。だが! 余がその条件を呑む必要はあるまい!?」
シルアは微動だにせずミハエルが憑依しているフィアナを見つめる。黒い瘴気は止めどなく立ち昇っていた。
「先ずはシルアよ。貴様が余にその命を差し出すがよい。貴様が素直に命を差し出したなら、その後にこの小娘の身体は解放しよう。無論、貴様にそれを確認する術はないがな」
シルアの殺気が篭もる鋭い眼光が真っ直ぐに向けられるが、ミハエルはそれすらも嘲り笑う。
「殺したいのなら殺してみよ。残念だが貴様の交渉では余は動かぬよ。貴様の条件は余にとって利も不利もないのだ。呑む必要がない。対して貴様はどうだ? ここで余の条件を受け入れねば、この小娘を死なせることになるぞ?」
「死なせれば次の瞬間にお前は僕に殺されている」
「貴様はこの娘が死ぬまで待てぬよ。試してみるか?」
「やってみますか?」
「猶予は十秒だ。いくぞ。ひとーつ……」
ミハエルのカウントが始まる。フィアナから放出される黒い瘴気がより濃くなり、フィアナの身体を取り巻く。
「ふたーつ……」
カウントが進むと更にフィアナの身体は黒い水蒸気に包まれていく。十数え終えた時には、フィアナの肉体も魂も完全にこの黒い瘴気、貪喰竜に呑まれ消滅するということだろう。
ゆっくりと進むカウント。半分を過ぎた時に高鳴った心臓は一体どちらのものだったか。
いや、恐らくは双方懸命に虚勢の張り合いをしているのだろう。
カウントが十に達した時、果たしてミハエルは本当にフィアナを殺すのか。フィアナを殺す事、それは即ちシルアの死の刃がミハエルの喉元に突き立てられることと同義だが、この乱世の梟雄はそれを厭わぬ覚悟なのか。
滴り落ちそうになる緊張の汗を悟らせまいとするシルア。
一方でカウントが十に達するまでシルアが動かねば、ミハエルの仕掛けたはったりが露見する。ミハエルは一切死ぬ気はない。死んでいいはずがない。ならば、先にフィアナを殺してシルアの怒りの刃を向けられる事は避けねばならない。
しかし、はったりだと悟らせてもならない。死すら厭わぬ狂気を宿しているように見せねばならないのだ。
進むカウントが、まるで自らを処刑場へと誘う階段のようだと、ミハエルは恐怖していた。
互いに意地を張り合い音を上げない。
そして、遂に最後のカウントをミハエルが高らかに言い放とうとしてみせた時。
「待て」
シルアの静かな声がそれを制し、次いで。
「僕の負けです」
ぽつりと呟いたのだった。




