魔王と成りて
まさかの敵と対峙したシルアは平静を取り戻そうと、一旦間合いを大きく離した。
「なぜ、お前が……」
「んん? そこで倒れている者に聞かなかったのか? ある条件と引き換えに力を得たのだよ」
シルアの紡がなかった質問を理解したかつての人間の王ミハエルは、崩壊した城の瓦礫が散乱する地面で微動だにしないガルヴォロスを指差し、事も無げに答える。
「ガルヴォロスはお前が死んだと言った。死んでウロボロスという魔物に変じたと。何故生きている?」
そんな事を聞いているのではない。と、シルアは首を振り今度は明確に疑問をぶつける。
「ああ、あれは確かに死ぬ思いをした。覚悟はしていたつもりだったが暗黒液の力があれほど強烈だとは思わなんだ。危うく意識の全てをウロボロスに食い尽くされるところであったが、生憎」
フィアナの身体から一際濃い瘴気が立ち昇る。するとその瘴気は徐々に形取り、やがてはギザギザの尖った牙が立ち並ぶ口を大きく開けた黒い竜の姿となった。
恐らくはあの竜がウロボロスの名を冠する魔物なのだろうが、ミハエルの意思により姿を現した所を見ると逆にミハエルに屈したということだろうか。
「支配されるのは嫌いでね」
「何故……フィアナにお前が……」
一層厳しい口調のシルアから怒りの感情が漏れる。普段の敬語を使い繕う姿はそこにはない。
竜が再び黒い瘴気と化し、フィアナの体内に入っていく。弾むような楽しげな口調でミハエルは答えた。
「それはまったくの偶然なのだよシルア。余がウロボロスを支配し、そこいらにいる人間たちをとりこんでいたのだ。食えば食うほど力が増幅されていくのがわかるのでな。まあ、人間如きを幾ら喰らっても微々たるものだが……おっと答えになっていなかったな」
ほんの数時間前まで人間であったにも関わらずこの残忍さ。人間として生を受けたのは何かの間違いだったのではとすら思えるミハエル・アルフレッド。
話は続く。
「その食事の最中、目の前にこの小娘が現れたのだよ。すると愚かにも剣を向け立ち向かってくるではないか。『そこをどけ! 私はシルアに会わなければならないんだ!』と抜かしてな」
ミハエルの語る真実にシルアは絶句する。恨まれる覚悟でフィアナが最も大事にしている戦士としての矜持を詰り、踏み躙ったつもりだったのに、フィアナはシルアの身を案じ駆け付けていたのだ。
「そこで余は思ったのだよ。こいつは使えるなと。貴様とただならぬ関係にありそうなこの小娘の身体を利用すれば天空騎士の力を奪えるやもしれぬとな」
「ラー大陸を統べることを目的としたお前が魔物如きに変じて何を為すつもりだ?」
「何も変わらんさ。余は人間であることに固執したりせぬよ。ああ、だが魔物はよせシルアよ。余は魔族に、いや魔王に変じたのだ。ラー大陸を統べるのに雑魚どもを指揮しなければならない現実は正直歯痒かった。それが自らが無敵の力を得て小癪なフィヴリル王国も、目障りなインガドル王国も滅ぼせるのだ。くくっ! 誠に痛快な話であろう!?」
「魔王が一人の人間の少女を質にとる、か。器の小さい魔王が誕生したものだ」
「挑発のつもりかな? 生憎余は馬鹿ではないのでな。貴様の実力を見誤ってはいないつもりだ。例えウロボロスの力を得ても貴様と真っ向から闘って勝てるとは思っておらぬ」
「なるほど、ガルヴォロスとの一騎討ちも物陰から観戦していたというわけか」
「その通り。そして消耗した貴様に弱点のこの娘。ふはははっ! 誠、見事な戦略であろう!」
ミハエルの戦略は姑息ではあるが実に理に適っている。最も、シルアが天空騎士としての本分をなんの躊躇いもなく果たそうとすれば、人質を取られることなど大したことはない。
しかし、今のシルアは違う。ドミディ大陸に渡り、フィアナに出会い、同じ屋根の下で短い間とはいえ共に過ごした。フィアナの愛の告白に天空騎士としての使命を優先して応えることはできなかったが、生を受けてからこの方、今の今まで凍てついていた心に初めて温もりを与えてくれた女性。
ガルヴォロスの言葉によって忠誠を誓っていた神々さえ信用できなくなったシルアにとって、今はフィアナを助けたい思いが全てだった。
「僕に……どうしろと?」
シルアはミハエルの要望を尋ねたが、それは訊くまでもない問いだったかもしれない。
我が意を得たり、とフィアナの外見のまま邪悪な笑みを浮かべるミハエル。
「やはりお前は利口だな。簡単なことだシルアよ、その身を余に捧げよ。天空騎士を喰らえばどれ程の力を得ることができるのか。くくっ、想像しただけて身震いするわ」
シルアは不敵な笑みをその端正な口元に浮かべた。




