葛藤
シルアは双剣を振るいガルヴォロスと刃を交えながら、頭の中では自己否定の声とも闘っていた。
ガルヴォロスの言っていることは嘘ではない、だが神々を邪悪な存在だと認めてしまったら、一体何に対して忠誠を誓っていることになるのかわからなくなるのだ。
善悪の区別もつけずただ闘うだけの存在など是非もない獣や魔物と一緒ではないか。いや、生物とも呼べぬ単なる兵器だ。
ただ目の前に立ちはだかる者を倒すだけ、倒したならばまた次に邪魔をする者が現れるまで腕を磨く。そして現れたならば排除する。ただひたすらにこれの繰り返し。
これが生きるということ!? 冗談じゃない!
シルアは神速移動からの双剣による波状攻撃を仕掛ける。
だが頭の中はぐちゃぐちゃに乱れていた。
そして乱れた思考のまま振るう剣は精彩を欠き、神速で手数の多さこそ圧倒するものの、紙一重の攻防で全て防がれてしまう。
「どうしたシルアッ! そんな乱雑な剣で俺を倒そうなどとは思い上がりも甚だしい!」
シルアの単調な動きを先読みしたガルヴォロスが魔槍を絶妙なタイミングで突き出す。
如何にシルアの動きが速かろうと運動可動の限界を超えた回避行動は起こせない。
迫る矛先を視認しながらもシルアはそれをかわせず、右肩を穿かれた。
大きく体制を崩し地面を転がるシルア。右肩からは鮮血が滴り、右腕全体を真っ赤に染め上げる。
重傷を負った右腕はまともに動かすこともできない程の激痛を伴うが、今のシルアにはその痛みより乱された頭の中の方が深刻だった。
強化魔法をかれこれ数分に渡り使用し続けているシルアは肩で大きく息をし、血に染まった右肩を左手で抑えて膝立ちの姿勢のまま地面を睨んでいる。
「やはりお前はまだ子供だなシルアよ。自らの意志も信念も持たないお前は与えられた情報を鵜呑みにしていたが、それら信じたものが悪だったと知った。信念はなくとも正義の為に闘いたいという気持ちがあったのだろう? 幼子が闘う理由を求めた時に最初に抱く感情がそれだ。闘うこと以外を教わらなかったお前は初めに抱いたその感情だけを拠り所としていたのだろう?」
シルアが地面に向けていた鋭い眼光をガルヴォロスに向けた。怒りの感情がその瞳を揺らし、シルアは立ち上がる。
「知ったふうな口を利くな。僕が幼子? お前こそ僕を見くびるなよ。今にその醜悪な顔面を斬り飛ばしとやる」
「ふっ、言葉遣いが変わってきたじゃないか? その怒りの丈を存分にぶつけてくるがいい」
シルアが更に強化魔法を自身に唱え、肉体を強化する。
既に限界ぎりぎりまで達していた身体に、それ以上の強化魔法は劇薬に等しいが今のシルアは委細構わない。
「その態度が舐めている!!」
極限まで高めた脚力から解き放たれた俊敏性は正に目にも映らぬ速さ、誰が見極めることができよう? 感情から動きを先読みしたとて対応する事など不可能。
高速の中にいるシルアからすればガルヴォロスの動きは止まっているように見えていた。
背後を取り、緩慢な動きで振り返ろうとするガルヴォロスの首を刎ね飛ばすことなど容易い。シルアは左手の短剣を逆手な握り替え、首を刎ねようと一気に接近した。
「何も見えていないようだな」
ガルヴォロスの言葉が耳に入るより先に、シルアは全身を駆け抜ける強烈な痺れを感じた。
いつの間にか地面に突き立っている魔槍から、ガルヴォロスを中心に円を描いて電撃が発生していたのだ。
「接近してくるのがわかっていれば、ちょこまかと飛び回る蝿を捕らえるなど造作もない」
「ごふっ!?」
動きの止まったシルアの腹部に、ガルヴォロスの強烈な回し蹴りが炸裂する。
身体をくの字に折り曲げ吹き飛び、城壁に叩きつけられるシルア。内臓を損傷したのか、逆流してきた血を咳き込みながら霧状に吹き出した。
「冷静さの欠片もない。腹を立てた幼子と何ら変わらぬではないか。それほどまでに混乱しているということだろうが、どうだ? 神々が憎いだろう? お前という存在を蔑ろにし、ただの道具として扱ってきた奴らに忠誠を誓う無意味がわかったろう?」
ガルヴォロスはシルアの実力を認めているがゆえに諭すように話をしている。目的はもちろん神への憎悪を抱かせ魔神軍の一員として迎え入れる為だ。シルアが純真な心の持ち主で周りにいる存在次第で白くも黒くもなると、この老獪な黒騎士は見切ったのだった。
背中を強打した城壁にもたれかかりながら、シルアは過去を回想していた。
神々の偉大さ、尊さ。自らの存在意義。神々に仇なす者を斬り払う神々の刃として錬磨してきた武芸の技の数々。闘うことが報いることであり、それだけを生きる目的とするよう説かれてきた教え。神は正義。神は誤らない。神は罪を犯さない。神だけは守り抜かなければならない。神だけは……。
シルアがゆらりと立ち上がる。血に染まった右腕をだらりと下げ、左手で腹部を抑えながら脱力体でガルヴォロスと向き合うその顔からは怒りの表情が消えていた。
いや、怒りだけではなく喜怒哀楽何にも属さぬ表情、一言で表すならば無心だろうか。
ガルヴォロスは魔槍を地面から引き抜き構えるが、戦意すら感じないその態度に違和感を覚える。
「どうした? もう掛かってこないのか?」
ガルヴォロスの問い掛けに対してシルアの口元が微かに動いたが、その声は二人の間を吹き抜ける風にかき消されてしまう。
「何だと?」
ガルヴォロスが再度聞き直したが、その瞬間眼前まで接近したシルアがいた。
目を離したわけでもなく、強化魔法の効果も切れているシルアが、想像を絶する速さで間合いを詰めたのだ。
紅い光だけを灯したガルヴォロスの目に映るシルアはやはり無表情だが、今度こそシルアの言葉がはっきりと聞き取れた。
「もう、いい」
と。




