それぞれの覚悟
真っ暗な家の中でヨハンは自身の剣、ツヴァイハンダーの剣刃を磨いていた。
窓から差す月光を反射して、剣刃にヨハンの顔を映し出している。
ヨハンが愛用しているこの剣は通常のツヴァイハンダーと比べて、長さ重量ともに規格外に大きい。
集団戦法が主となる戦争において、部隊としての連携が取り難い武器の使い手は少なく、この武器もそれに当てはまる。
しかしヨハンは下級騎士時代から白兵戦に置いて無類の強さを発揮し、幾度も敵パイク兵の密集方陣をツヴァイハンダーの一撃で崩し、突破口を切り開いてきた。
ヨハンは両手剣であるこの剣を片手で軽々と自在に扱う膂力と技量を持ち、騎士大将に昇格してからも、常に先陣に立ち戦果を上げている。
その剛勇こそが無双の騎士大将と呼ばれる所以である。
そんな恐れを知らないヨハンにも今は懸念がある。それは今日の出来事。
村近くの草原でユリアがゴブリンに襲われた。ハーキュリーズの村周辺に強い魔物は確かに出現していないが、ゴブリンならば女子供老人を殺害する事は容易いはずである。
もちろん村は高い壁と丈夫な門でそれなりの守備力は有しているが、万が一中に入られれば闘える若い男は限りなく少ない。
「いや、もはや万が一とも言えない……」
一人言葉を紡ぐヨハン。眼光が鋭さを増し、決意の炎が灯る。
「俺が村を守るしかない。俺がこの村を」
ゴンゴン! と、扉を無遠慮にノックする音が響いた。
「誰だ?」
と声をかけるも返事はなく、ヨハンはツヴァイハンダーを片手に扉を開けた。そこにはパウルが立っている。
「熱いものに水を差された気分だ」
「何のこった? ってちょっと待てよ!」
扉を閉めようとするヨハンを慌てて止める。
「何か用か?」
「顔だけ見に来るような仲か?」
「返すな。用件を言え」
鬱陶しそうなヨハンの物言いに苛ついた顔になるパウルだが、一つ深呼吸して気持ちを落ち着ける。
その態度にヨハンは違和感を覚えたが、次のパウルの言葉を待つ。
見れば視線も彷徨わせて明らかに様子がおかしい。落ち着きのない視線がヨハンの双眸に止まった。
「なあ、ヨハン。俺に剣の稽古をつけてくれねえか?」
「なに?」
予想だにしない言葉だった。
気がおかしくなったのかと疑うほどに。
「魔物が現れてから考えてたんだ。お前は軍人だから村にずっと留まれない。そんな時この村で闘えるやつなんて誰がいるって。正直俺が闘うしかないと思った。護衛の仕事だって金が欲しくて始めたんじゃない。実戦で経験を積んで強くなろうと思ったから始めたんだ」
パウルは視線を外さない。
熱意がヨハンにも伝わる。
「だけどよ、闘ってみてもなんか強くなれてる実感が沸かねえんだよ。ゴブリンもアメーバもウルフも倒せたけど、多分俺には基礎っつうか土台がないから今のままじゃ伸びしろがないんだ」
パウルの言っていることは的を得ているだろう。何事も基本を疎かにすれば上達は望めない。
ましてやパウルは闘いの素人なのだから。
何も言わないヨハンに拒絶の気配を感じたのか、パウルの目に哀願の色が浮かびヨハンの肩に掴みかかった。
「なあヨハン! 頼むよ! お前の実力を見込んでの頼みだ! なぁ!? 幼馴染みだろ? 頼むよ!」
頭を下げるパウル。ヨハンにはそのオールバックにした後頭部が見えており、こいつが俺に頭を下げるなんて初めてではないだろうか? と思う。だが。
「今まで遊び呆けていたやつがよく言う」
ぴくっと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げたパウル。
「何をやっても三日坊主。唯一続けられるのはギャンブルだけ。俺はこんな日が来ることを見越してお前を軍に誘っていたよな? それを述べも無く断り続けたのは誰だ? そんなやつが今更どの面下げて頼みごとだ? 甘いと思わないか? パウル」
放たれたのは突き放す言葉。
パウルはヨハンの両肩を掴んでいた手を放した。
目から哀願の色は消えていた。
「確かに、俺はクズだ。お前みたいな勇気はないし、軍に入って戦うなんてバカバカしいって今でも思ってる。だけど!」
目には再び決意の炎が灯った。
「俺にも守りたいものがある! 俺はユリアを! いや、俺が育ったこの村を、大好きなこの村を守りたいんだ!」
静寂に響き渡る叫びが木霊する。
パウルの決意は本物。
試したヨハンはそれを確かに感じた。
「わかったよ。ただし、条件がある」
ヨハンは踵を返し、後ろ手に扉を閉めた。
「泣き言を抜かすなよ」
扉は閉まった。
外に一人残されたパウルはその場に立ち尽くし、拳を握りしめていた。
苛立ちや憎しみなどは籠もっていない、自分の覚悟が認められた事への歓喜の力み。
舐めやがってヨハンの野郎、と口の中で呟く。
「なあ、ヨハン! 昔誓い合ったあの約束、俺忘れてねえからな!」
走り去る足音が徐々に遠ざかり聞こえなくなる。
暗闇と静寂が支配する空間に再び戻り。
「今のお前がそれを言うな。あの契を汚す気か。馬鹿が」
口元を歪めて呟いた。
そして、一人となったユリアもまた同様に考えていた。
先程の愉快な賑わいを見せていた自宅が静寂の暗闇に包まれている。
魔物に襲われ、ヨハンが助けてくれなければ、恐らく死んでいたであろうこと。
危険を省みず、魔物と闘う護衛の仕事を始めたパウル。
一見自分本位な人間に映るパウルだが、幼い頃から縁のあるユリアには、誰よりも優しく、強い責任感を持っているのがパウルだと知っていた。
そんなパウルを歪めてしまったのは自分のせいだと、責任も感じている。
「守られているだけでは駄目だわ。私にだってできることがあるはずよ。村を、みんなを守る為に」
窓から入る月明かりが、ユリアの紺碧の瞳に微弱な光を注ぐ。
ユリアの瞳には確固たる意志が宿っており、周囲にはキラキラと遍く存在する光が輝いていた。