憑依する悪魔
いつ以来だろうか。ドミディ王国が敵に脅かされるなど。
いや、そもそも脅かされた事などあっただろうか? 遥か昔からドミディ大陸に存在し、圧倒的な力で周辺都市国家を制圧してきた。
外海からの侵略に脅かされた事など一度もなく、昔魔王が現れた時も殆ど影響がなかった。
ドミディ王国にとって戦争とは攻め込むもの。古くから当たり前のように繰り返されてきたその事実は、ドミディ大陸に住む者たちに守る戦いを忘れさせた。否、覚えさせなかった。
それ故だろう、王都から火の手が上がっているにも関わらず駆け付ける兵士が現れないのだ。
傭兵はもちろん、正規兵ですら国家の為に命を張る者が殆どいない。彼らは知っているのだ。命あっての物種であり、本当に命が危ない戦いには参加する必要がないことを。
そしてそれは長年傭兵をメインの戦力としてきた弊害であり、国家存亡の危機に陥ったときこの国には屋台骨が無いことを如実に物語っていた。
しかし、それも所詮人間同士の争いならば致命的な弱点になるという話に過ぎないのかもしれない。
マナを操り、マナを戦術の根幹に置いている魔族たちと対峙した時、今の世に生きる人間たちなど物の数ではない。
既にドミディ城城下町にはあらゆる所で人間たちの死体が転がり、城門に殺到した市民たちは開かない扉の前で次々に圧死していくか、背後から遅い来る髑髏の騎士や髑髏僧正たちの剣や魔法により一網打尽にされていた。
そんな光景を城壁の上から見ていた宰相の顔は絶望に染まっており、禿げた頭皮を血が滲むほど両手で掻き毟った。
「信じられぬ、悪夢だ。ドミディ王国が、我等がドミディ王国がこのままでは」
滅亡する。と口にすることは無意識に躊躇われ、代わりに現状に対する怒りが湧き上がり宰相は天に向かって叫んだ。
「なぜ援軍は来ない! 王は何処へ参られたのだ! 我等がドミディ王国は、これより世界を席巻するのではなかったのかっ!!」
叫び終わるのと、城門が破られる轟音が響いたのはほぼ同時であった。
その頃、王都が魔神軍に急襲されたという情報はフェルシウダーの街にも届いていた。
その一報が入ると北の街に住む富裕層たちは貧民街に暮らす傭兵たちを手当り次第に雇い入れたのだ。
金さえ支払われれば仕える相手を選ばない傭兵たちは、二つ返事で受け入れ、この事が王都に援軍が来ない原因となった。
「王都が、ドミディ城から火の手が上がっている!?」
フィアナは西の空を焦がす大炎を見て、絶句した。
ドミディ王国が滅亡する。そう一瞬頭を過ぎったが、それより何より。
「シルア……」
愛した男の名を呟き、フィアナの足は無意識に西の街道を駆けていた。
そんなバカな! 王都にはシルアが居るのに。私はまだ謝ってないのに! 言われた通り強く生きる私を見せれてないのに!
何故、何故戦いは私から全てを奪うのか。両親を殺され、幸せを奪われ、そして今愛しいと思える人がやっと現れたのに、その人まで私から奪おうというのか!
シルアと結婚するとか、一緒に暮らすとかはもう考えていない。愚かな発言だったと悔いている。シルアが正規兵となり王都で暮らすこと。それは私との生活を終わりにすることを意味し、シルアがそれを全く省みないことが寂しくてつい口走ってしまったのだ。案の定シルアは怒ったが、それは弱い私を諭してくれたのだ。私らしく生きろと、誇りを失わず強く生きろと。
シルアの言うとおりなのに、私はシルアになんてことを!
フィアナの目から一筋の涙が零れ、それは駆けるフィアナの後ろに置き去りになる。
嫌だ! 後悔しかないままシルアと別れるなんて嫌だ! もう一度、もう一度一目だけでもシルアに会いたい! 謝りたい!
何時間走り続けたのだろう。息は上がり胸は苦しく、口の中の鉄錆び臭い唾液を何とか飲み込む。
気が付けばドミディ大橋を渡り、シルアとも通った東門を駆け抜けた。
だがしかし、そこに広がる地獄のような光景にフィアナは息を呑み、思わず立ち尽くす。
何百、何千という人々の死体が黒いガス状の生命体に絡み取られ、吸い込まれていく。肥大化したその謎の生命体がフィアナを見下ろした。
紅の閃光が灯っているかのような眼光をフィアナは気丈に睨み返すと、背中に提げた剣を抜く。
「そこをどけ! 私はシルアに会わなければならないんだ! どかぬというならば斬り捨てる!」
シルアへの想いが強大な敵を前にしても臆さない勇気をフィアナに与える。
しかし勇気だけで倒せるほど、目の前の敵は甘くはない。
「シ、ル、ア……?」
魔物が濁った声を発する。
刹那、魔物がフィアナに襲い掛かった。
「なっ!?」
フィアナも咄嗟に剣を振るうが、フィアナの剣刃は魔物を捉えることはできず後ろに回り込まれる。
振り返ろうとしたフィアナだったが、フィアナの影にその実体を持たない魔物が入り込んだ。
「がっ、あっ、あ……」
金縛りにあったように身体を動かすことができなくなり、胸は苦しく目は大きく見開かれ、口からは不明瞭な言葉が僅かに漏れるだけ。
視界が赤黒く塗られ点滅しだすが、それはフィアナの目が紅に染まったことによる色彩変化だった。その目の色は魔物のソレだった。
ドス黒い思考が勝手に巡りだす。
結婚しよう? 何をバカなことを。
戦士の誇り云々と偉そうに言っていた割りには結婚して王都で一緒に暮らそうなど、軽蔑されて然るべき愚考だ。
温厚なシルアを呆れさせ怒らせてしまうのも無理はない。
私なんかが結婚などできるわけがないのに……。
闘う事しかできないような女と一体誰が結婚したいと思うのか?
幼い頃に両親を亡くし、一人きりで生きてきた。それこそ雑草や虫も食し、ネズミを捕まえればご馳走で、残飯を拾った時には小躍りして喜ぶような幼少期を過ごした。
身寄りの無い女が見ず知らずの大人を頼ることの恐ろしさは知っていた。何故なら年の近しい子が犠牲になったから。
だから周りの大人には一切頼らず、父と母に唯一教わった剣の扱い方だけを頼りに修練を積み、独りでも生きていける実力を付けた。代わりに心を閉ざして。
だけど、十九になった今でも後ろ盾もない私には傭兵としての仕事が舞い込むはずもなく、その日暮らしの生活は何も変わらなかった。
シルアに出逢うまでは。
フィアナの足元からドス黒い瘴気が立ち昇る。それは次第に身体全体から迸り、まるでフィアナの中の穢れが表に出てきているようだ。
出会って早々に私の服装に対して色仕掛けですか、だと? 腹の立つ奴だと思ったが、シルアからは男特有の粘着質な気持ち悪さは感じなかった。
男を家に招くなど考えられなかったが、何故かシルアのことは自然と招待できた。そして思った通りの居心地の良さは、今までに私が感じたことの無い、いや遥か昔に忘れ去っていた人による温もりだった。
そして、私はシルアを好きになってしまった。
ダケド、モウイッショニハイラレナイ。
フィアナから立ち昇る穢れが悪魔を型取り見下ろしている。フィアナの紅い目が強く光りを放ち、口元がボソボソと動く。
ソウダ、ドウセイッショニイラレナイノナラ、シルアヲ。
脱力した手足、猫背に丸めた背中、だらりと金髪を顔の前に垂らし、隙間から覗く紅く光る目。
コロシテシマオウ。
穢れの悪魔はギザギザの歯がついた口を大きく開けて高らかに笑った。
邪魔者を排除するという本能を宿した魔物、アルフレッド・ウロボロスがフィアナに憑依した。




