乱世の梟雄
「ならん」
国王アルフレッドの一言にその場が凍り付く。呆気に取られたのはシルアも同様であり、その意図を掴むことができない。
アルフレッド王はにやりと笑い、声を上げて笑い出す。
「くく、はっはっはっ! シルアよ。寝ぼけたことを抜かすでない。貴様等も何を真に受けておるか! たわけ共が!」
アルフレッド王の怒声に竦み上がる諸将たちだったが、禿げた宰相は額に浮かぶ雫を拭いながら恐る恐る進言した。
「へ、陛下。インガドル王国がわざわざ魔鏡文書を使ってまで偽りを申すはずが御座いません。ここは文書にある通りに」
「偽りでないことなど百も承知。日和おって愚か者共が。この好機をみすみす逃す手はあるまい」
「好機?」
宰相が眉を顰めるのを見て、アルフレッド王の表情が苛立ちに歪み、ため息を吐く。
「まだ分からぬか貴様は。インガドル王国は魔神軍の侵攻を王都でやっとこさ食い止めたとまんま書いてあろうが。つまり疲弊した奴らを攻め落とす好機ではないか」
「な、なんと!」
場が驚愕にざわめく。
当然だ。魔神軍のラー大陸侵攻が始まり、人間同士の争いは暗黙の了解で禁止されたと言っていい。だが、アルフレッド王にとってそんなものは意味を成さない。
寧ろその油断すらも戦略の内、爪を隠した猛禽の如く雌伏し、頃良しと判断すれば一気呵成に攻め込む。
倫理を無視し神をも恐れぬ所業は、凡そ人間の王とは思えぬ邪悪さであり、沈着冷静なシルアですら動揺せずにはいられなかった。
「さて、シルアよ。そなたは余の剣だ。剣は神器の事など気にする必要はない。唯一絶対の命令は余の言葉のみだ」
アルフレッド王はシルアに手を差し伸べる。
しかし、最早この狂王に従う理由も無いシルアは毅然と言い放った。
「王よ。貴方ももうわかっているでしょう。私に、いえ僕に命令を下せるのは天界の神々のみ。それ以外に僕を強制するものはありません」
「くくっ、わかっているさシルアよ。だが、神器はどうする? お前の唯一求める情報がそれではないのか? それにそなたもわかっているのだろう? ドミディ大陸で神器のことを知っているのは余を於いて他にいないということを」
「わかった上でです。この文書からもわかる通り、インガドル王国で魔神軍を撃退したのは僕の仲間たち。彼らはインガドル国王から神器に関する詳しい情報も得ているでしょう。何せ五〇〇年前の英雄ボルグから太陽石を授かるほどの国。神器との関わりはラー大陸一深いでしょうからね」
最後の方はインガドル王国を目の敵にするアルフレッド王への挑発も兼ねていた。王家の器が比べ物にならないと告げたようなものだが、アルフレッド王の余裕の表情は崩れない。
「なるほど。では、この国を去るか? そなたはわかっていない。余がその気になれば神器の情報を魔神軍に与えることなど造作もないのだぞ」
さしものシルアも表情が強張る。
やはりこの王の発言は正気の沙汰ではない。
シルアは動揺を押し留め、アルフレッド王を具に観察する。
本気かはったりか、言葉の真意を的確に捉える事が大事。
「実はな、先日魔神軍を名乗る者が余の前に現れたのだよ」
「魔神軍のような邪悪な気を放つ者が、王都中枢においそれと現れることはあり得ません」
「邪悪な気? 何を言っているのかいまいちわからぬが、シルアよ。魔神軍はお前たち天空騎士が想像しているより遥かに発達した技術を持ち合わせているのかもしれぬぞ? 何故なら余は現に会った。会ったのだよ」
技術との表現に違和感を禁じ得ないが、それはマナという超自然的能力を知らない故だろう。
しかしそんなことより、この自信に満ちあふれたアルフレッド王の態度はシルアのドミディ城から去るという決断を鈍らせるには十分だった。
今ここでドミディ王国を離れるわけにはいかない。この王の言っていることはただのはったりではない。アルフレッド王は今のこの乱世を喜ぶ梟雄だ。
「僕にどうしろと言うのですか?」
態度の軟化を垣間見たアルフレッド王は、宥めるような口調でシルアを諭す。
「余はな、ただそなたにこの国を離れてほしくないのだよ。そなた程の実力者はきっとラー大陸中どこを探したっているものではない。この国に留まり、余の為尽力してくれたまえ。さすれば神器のことも魔神軍などではなくシルア、そなたに教えると約束しよう」
シルアは黙りこくり、アルフレッド王を睨む。最早二人だけの会話であり、宰相も十傑たちも蚊帳の外に置かれていた。
シルアはついに折れた。
「わかりました」
にぃっと笑う国王。
「うむ、ゆっくりしていくがいい。近々インガドル王国へ攻め込む。各々抜かりなく軍備を整えよ」
アルフレッド王はこれから突き進む覇道を目の前に、声高に笑いながら軍議の間を出ていった。