決別
「それにしてもシルアは運がいいな。正規兵になるチャンスが早速巡ってくるとは。ただ、今回の選抜戦で正規兵になれるのは一人だけらしいが」
突如開催されることになった選抜戦。正規兵の補充枠はたった一つであり、その空席は無論、シルアが先日殺した貴族の物だった。
フィアナはシルアの実力を認めつつも、同時にドミディ大陸の屈強な傭兵たちの強さも知っている為、たった一つの枠をシルアが手にする事ができるか心配していた。
「そうですね。正規兵になれるように全力を尽くします」
嘘だった。
シルアからすれば全力を出すどころか、寝起きだろうが丸腰だろうが相手になる者などいない。
目的は正規兵になることというよりは、選抜戦の観戦に訪れる国王に圧倒的な実力を見せつけ、近衛兵に取り立てられること。
国王に自らの意見を述べられる近しい存在になることが重要なのだ。
シルアは思う。
神器の情報を得るのも楽ではないな。そもそも何故エルザエヴォス様たちは最重要アイテムである神器の在り処を知らないのか。もしくは知る術がないのか。
腑に落ちないところもあるが、それは今シルアが成すべきこととは関係ない為、すぐに頭の中から切り離す。
「なあ、シルア」
シルアが神器の事で思考を奪われていた間、黙っていたフィアナが神妙に口を開く。
俯きながら、深刻な問題を抱えているような雰囲気で表情も暗い。
「何ですか?」
「正規兵になったらシルアは王都に移住するんだよな」
「ええ、正規兵は王都在住が義務なのでしょう? 当然そうなりますが……」
質問とすら言えない疑問を投げかけるフィアナに、シルアは首を傾げる。
「フィアナ、どうしました?」
「いや、なんて言うか。その」
テーブルの上で五本の指が踊り、小気味いい音を鳴らす。言いたいことは決まっているが、切り出せないでいるそんな感じ。
黙って待っているシルアだったが、ややあってフィアナは指で叩くのを止め、真剣な表情で見つめてきた。
「私も、付いて行ったら駄目か?」
「付いて行くとは、王都で一緒に住むということですか?」
こくりと頷くフィアナ。
シルアは弱った、と心の中で頭を掻いた。
「一緒に住むには家族でなければ許されないでしょう。貧民街の居候ならば文句も言われませんが、王都ともなれば戸籍登録もしっかりしているはずですし」
最もらしい意見に対して、フィアナの次の言葉はシルアに素っ頓狂な声を上げさせるものだった。
「ならば結婚しよう」
「はい?」
「結婚すれば、戸籍上もう夫婦だ。移住しても問題あるまい」
冷静な口調で話しているが、目は真ん丸に見開き額には汗も浮かんでいる。恐らく心臓は早鐘のようにけたたましく脈打ち、思考回路はショート寸前だろう。
これがフィアナのいう信頼の形なのだろうか?
当然の事ながらシルアにそんな気はない。
むしろ先へ進む見立てができた以上、フィアナと共にいる事は行動を制限される重荷となる。
「フィアナ、落ち着いて下さい。出会って大して時間も経っていませんし、そもそも僕達は付き合っているわけでもありません。家主と居候、それまでの関係のはず」
「時間など瑣末な問題ではないか! それにわたしは!」
「戦士としての誇りはどうしました? 正規兵になった僕と一緒になることで、安泰な生活を求めているのでしょう? もう闘わずとも安心で安全な暮らしができる。見損ないましたよ、フィアナ」
「なっ!? そんなつもりで言ったのではない! シルア貴様、私の戦士としての誇りを愚弄するか!」
「それとも僕だけに限らず男を招き入れてはその都度結婚を申し入れているのですか? とんだ乙女心だ」
テーブルに両手を叩き付け、激高しながら立ち上がるフィアナに対して、シルアも一歩も引かずに立ち上がった。
「誇りが本物ならば見せてください。僕に媚びずとも強く生きていけるということを」
見上げるシルアの双眸を受け止め、フィアナは唇を噛み締める。
「誰がお前なんかに頼るか! 私が帰ってくるまでに出て行け! 二度と私の前に現れるな!」
僅かに血が滲んだ唇を開き叫んだフィアナは、シルアから視線を引き剥がすと剣を掴み取り出て行った。
フィアナを怒らせることなど簡単だ。
抱いている戦士としての矜持を突くだけでいい。
失いかけていた誇りを取り戻させておいて、それを愚弄するのは決して本意ではないが、フィアナの申し出を受けることはできない。
意志が強く、自分の心を強く持った人間。シルアはそんなフィアナに興味を持っていたが、その強い意志を歪めてしまったのが自分自身だとは何とも皮肉だ。
自らの幸せの為に強い者に媚びを売るなどらしくないし、そうであってほしくない。
闇の狼の群れに囲まれ、死を目の前にしながら毅然と睨み据えていたあの姿こそが、フィアナという女性の本質であったはず。
目先の幸せの幻想に囚われるなど、フィアナ本来の姿ではないはず。だが、もう終わりだ。
「さようなら、フィアナ。遅かれ早かれ、僕達は離れなければいけません。楽しい思い出をありがとう」
無意識の内に居心地が良くなっていたオンボロ長屋の一室を、シルアは振り返ることなく後にした。