シルアの目的
フェルシウダーから西へ進み、ドミディ大陸を縦断するフレーザー川に架かるドミディ大橋を渡れば、この国の王都ドミディ城に到着する。
インガドル城をも上回る規模を誇るこの城と城下町は、ラー大陸内でも屈指の名城。人口は五八〇〇〇人。
王都に住む人間の内半数近くは富裕層であり、フェルシウダーの街で言えば北の街に住む者。もしくはそれ以上の富を有している。
四割が一般階級の市民であり、残る一割ほどが富裕階級に扱われる奴隷で、彼らは如何なる命令にも賃金や報酬無しで従わなければならない。
正規兵一〇〇〇〇人も全員王都に在住しており、正規兵になれば必ずドミディ城下に移住することになる。城下の西側一帯は正規兵たちに提供される屋敷や施設で埋め尽くされており、その光景からも、この国では如何に正規兵が優遇されているかがわかる。
二人が訪れたのは東門から入り、進んだ先の城下町中央の商業街。ここは王都在住の者以外も頻繁に訪れる観光地で、ドミディ大陸に住む者たちならば憧れの繁華街だ。
様々なお店が立ち並ぶこの街は、貧民街出身のフィアナには眩しく輝いて見える場所で、お洒落な衣類店に、品揃えが多い武器防具の店。レストランにカジノバー、豪華な宿屋とおおよそ貧民街出身のフィアナには縁のない店ばかり。
纏まったお金が入ったとはいえ、この街で羽を伸ばすには心許ない気がして、フィアナはすっかり雰囲気にのまれてしまった。
シルアは小さく縮こまったフィアナの腕を引き、近くにあったレストランを指差した。
「もうお昼です。あそこに入りましょう。大丈夫、フィアナはいつものように凛と強くあるべきだと僕は思います」
手を力強く引きながら屈託のない笑顔で言うシルアに、目を丸く見開いたフィアナは口を結び一気に赤面した。
「わ、分かってる。私はびびってなどいないぞ。あ、ちょっと! シルア」
「では、入りましょう」
ぐん、と体ごと引っ張られたフィアナは、足をもたつかせながらシルアに続いて店に入った。
店内はお洒落な内装が施された高級感漂う雰囲気に満ちており、客層もドレスを着こなす気品のある女性とそれをエスコートする貴族と思われる男性。
シルアはその男の服装をまじまじと見つめる。
垂れ飾りなどで締められたウェストコートは、体のラインがくっきりと分かるほどにフィットしており、肩幅をがっちり見せる為のパットを使用し、靴には長い金属製の尖ったつま先を付けている。円錐状の帽子は縁が反り返っていて、金のチェーンや様々な宝石で彩られていて、開いたマントとコートの下には厚みのある鎧を着こなしている。
貴族である前に軍人、この国の正規兵の一人に間違いないだろう。
他の客も基本的にこの街に住む住人たちで、フィアナたちのように外からやってきた人間は殆どいない。
後ろめたさに似た感情を抱くフィアナに対して、シルアは誰に気付かれるわけもなく、眼光を鋭く光らせた。
周囲の雰囲気にのまれることもなく、いつもと変わらない穏やかなシルアにフィアナの緊張も徐々に解けてきた。
しかしその実シルアは、フィアナとの会話に向ける意識は最小限に留め、豪華に着飾った軍人の動きを具に観察しているのだった。
そう、今日ここに来た目的を果たす為に。
「なあ、シルア」
「なんですか?」
「わ、私といて、たの、楽しいか?」
吃るフィアナの顔を見つめるシルア。
真っ赤になっている顔を俯かせ、ブロンズヘアーを弄ぶフィアナは動揺という動揺が態度にありありと出ている。
一体何でこんなに挙動不審なのか? シルアは頭の中に疑問符を並べていた。心理や感情を読む能力に自信があるシルアでも今のフィアナの感情は理解できない。
当然それは自分が抱いたことのない感情だからなのだが、シルアはその事には気付いていなかった。
やや考えてから。
「楽しいですよ。フィアナといると楽しくて笑顔が絶えません」
にこやかに応じつつも、周囲への意識を途切れさせないシルア。
「そ、そうか。……なあ、じゃあ、なんでシルアは……」
ガタン。と音を立て、突然席を立つシルア。
「どうした?」
「ちょっと野暮用が。すぐに済みますので、デザートを食べながら待っていてください」
「あ、おい! シルア!」
シルアは有無を言わせず素早く店を出て行ってしまった。
野暮用? もしかして、それがシルアのやりたいと言っていたことだろうか?
フィアナは心に小さなしこりを感じながらもデザートのホットケーキにナイフを入れた。
中央街から正規兵の屋敷が連なる城下町西部に向かう近道がある。
圧迫感を感じる狭い路地裏を進み抜けようとしているのは、先程までシルアたちと同じレストランにいた豪華な服装の貴族であり、正規兵の一人。
左右を高い建物に挟まれた路地に入ってすぐ、数メートル先に頭から頭巾を被った不審者が立っている。
「何者だ?」
腰に提げた剣をすらりと抜き放ったのは、その不審者の両手に双剣が握られていたからだ。
質問に答えず低い姿勢で走り迫ってくる痴れ者に、上段からの切り落としを見舞い、その頭巾を切り裂く。
が、切り裂いたのは頭巾のみでその事に気が付いた時には自らの首から鮮血が噴水の様に迸っていた。
声を上げることも叶わず事切れた男を、銀髪の少年が冷たい視線で見下ろす。
「恨みはありませんが、これも必要な犠牲です。どうぞ、僕を恨んで死んでください」
間もなく通行人に発見された貴族の遺体によって、ドミディ王国城下は大騒動となる。
殺されたのはドミディ王国軍の十傑に選ばれる程の有力者であり、そんな人物が通り魔如きに殺された衝撃は並大抵のものではなかった。
その噂が瞬く間に城下から城へと伝わる頃レストランでは。
「王都でもこんな白昼堂々に殺人とは。市民にとって安心できる場所は、この国にはないのかな」
「そうですね」
フィアナが半分残しておいてくれたホットケーキを、美味しそうに食べるシルアの姿があった。
「せっかく王都に来たが、このまま帰るか?」
この国に住むフィアナには正規軍人が殺されたことが相当な衝撃だったのか、いつになく不安そうに問い掛ける。
「大丈夫ですよ。暴漢如きに遅れを取る貴女じゃないでしょう? それに、いざとなれば僕がいるんですから何も心配はいりません」
口元を拭きながら、全く不安を感じさせないシルアの言葉。
恐らく本当に心配などしておらず、フィアナの実力を認める言葉と、丁寧な口調ながら男らしく頼もしい言葉にフィアナは胸が高鳴るのを感じる。
「ふん、シルアが格好つける何て似合わないぞ。そんな幼い風貌で」
「ふふ、そうですか。さあ、デートの続きを楽しみましょう」
「だから、デートじゃないって言ってるだろ!?」
動揺するフィアナをからかうことに楽しみを覚えたのか、それともようやく一つ物事を進めた満足感からか、シルアの口は滑らかに冗談を放つ。
そして夕刻。二人がフェルシウダーに帰ろうかと話している時、号外を叫び注目を集める役人らしき人。
高台から叫ぶその内容に群衆が聞き耳を立てる。
「さあ、帰りましょう」
「え? 号外聞かなくていいのか?」
「歩きながらでも聞こえます。それにあの人たちが動き出したら歩きにくくて仕方ありません」
そう笑ってフィアナの手を引くシルアは、来た時と同じ東門に向かって歩き出した。
背後から簡潔な内容を伝える叫び声が聞こえる。
「五日後に選抜戦が開催されます! 急遽、五日後に選抜戦が開催!」
鼻で笑うシルアの表情はいつになく冷酷だが、後ろを歩くフィアナにはその表情は見えていなかった。
フレーザー川の水面に月明かりが反射してきらきらと煌めいて、流れるせせらぎが優しく音を響かせる。
人の往来のないドミディ大橋を暫く無言で歩いていた二人は、橋の真ん中まで来ると不意に立ち止まった。
正確にはフィアナが立ち止まった。手を繋いでいるのだから少し前を行くシルアも腕を引かれ立ち止まる。
橋に設置された人工的な光を放つ街灯と、蒼い月光が二人の顔を照らす。
「なあ、シルア」
いつになく沈んだ声。
「どうしました?」
やり取りの始まりはいつもこの会話からだ。
「レストランで言いかけたことがあったんだが」
「レストランで? 何かありましたか?」
フィアナは俯き小さくため息を吐いた。
「やはり、覚えていないよな。あの時のシルアは心ここにあらずって感じだった」
レストランといえば、確かにあの貴族の男を殺す為に動きを見逃さないよう気を配っていた。
しかし同時にそれをフィアナに悟らせないようにも気を配っていたつもりだったが、甘かったようだとシルアは己の不覚に呆れた。
「すみません。少し考え事をしていたかもしれません。それで言いかけたこととは?」
フィアナは顔を上げる。その顔は今までに見たことのない哀愁を漂わせていた。
「なぜ、シルアは笑わないんだ?」
穏やかに微笑んでいたシルアの顔から一瞬笑みが消える。意識して笑みを絶やさないようにしていたシルアにとって、フィアナの言葉は予想外で理解に数瞬を要するものだった。
しかし直ぐに笑みを取り戻すと、頭をぽりぽりと掻きながら言う。
「いつもにやけ顔だからでしょうか? 逆に言えばいつも笑っているんですが……」
「その笑顔は嘘だろう?」
確信している様子でフィアナはシルアの繕いの言葉を止める。
考えを見透かされているような気持ち悪さが満ちるのをシルアは感じた。
「感じるんだ、シルアから。シルアの笑顔の裏には別の表情があって、言葉の中は空っぽで、一切本当の事を話していないって」
シルアは黙って聞いている。その表情にいつもの笑顔はなく、フィアナの言葉に真摯に向き合う姿に映るが、それすらも果たして。
「私はシルアと出会えて救われた。前にも話したが、同じ境遇を持つ身として、一人頑張ろうとするシルアの姿に私もまだまだ頑張らないとって思えたんだ。だけど、シルアのことを知ろうとすればするほどに違和感が募っていくんだ」
フィアナが一歩、二歩とシルアに歩み寄る。
「シルアは本当の事を……気持ちを話していないって」
数センチ背が高いフィアナの瞳を真っ直ぐ見据えるシルアの瞳。
「私の前では正直になってくれないか? シルアの心はとても空虚で、だけどそれはシルアが自ら心を閉ざし、本当の気持ちをどこかに追いやってるからだと思うんだ」
押し黙るシルア。
フィアナは腰に下げた質素な道具袋から小さなピアスを二つ取り出すと一つを自らの左耳に付けた。
「ちょっと痛いぞ」
そう言うと、もう片方をシルアの右耳に差し込む。僅かだが耳たぶから鮮血が滴り落ちた。
「これは?」
「私の母さんが死ぬ前にくれた形見の品だ。母さんはこれをくれる時に言ったんだ。いつか信頼し合う相手に出会った時、その人と分け合うのだと」
「それを僕に?」
見上げるシルアから視線を外し、フィアナはフレーザー川の煌めく水面を見つめた。
「ああ、迷惑かもしれないが受け取ってくれ。私はシルアを信頼している、その証だ。勝手にシルアにも付けてしまったが、どうかシルアも私を信頼してほしい」
信頼、シルアが教わってきた中にその言葉はなかった。むしろ排除すべき感情として、義理や人情といった不要なものの代表格に挙げられるべきものだったはず。
だが、なぜだろう。信頼されるということは心地よいものであり、今シルアはフィアナの寄せる信頼を嬉しく思う。
――僕にも信頼することができるだろうか――
「ありがとうフィアナ。フィアナの気持ちありがたく思います」
シルアの中でも何かが変わりつつあった。フィアナもそれを敏感に感じ取ったのか、優しく微笑むと、ゆっくりと大きく頷いた。
「さあ、帰りましょう。ドミディ大陸の夜は王の月でもまだ冷えます」
「ふっ、アスタード大陸の気候に慣れているからだろう? まあ、シルアが風邪引かないうちにとっとと帰るか」
薄暗いドミディ大橋の街灯に照らされた二人のシルエット、その手は固く握り締められていた。




